リングに戻る人たち
10月2日は、11個のタイトルの表彰式が一気に行われる日で、記者会見も1部・2部に分かれて行われる。連日の試合を見るのを待っているのが今の時期で、まだまだこれを書いている最中は選手すら見ていないのだった。そして、ふと自分の中のボクシングへの熱量について考えることがあった。
アメリカにいた頃、ヘビー級の試合を見るのは本当に楽しかった。ジョージ・フォアマンの試合をよく見ていたのを思い出す。ヘビー級王者に2度輝き、モハメド・アリとの伝説の一戦で敗れたあと一度は引退した人だ。それでも彼はリングに戻り、45歳という年齢で再び王座を奪還した。あの衝撃は、今でも覚えている。パンチの重さだけでなく、一度は身を引いた人間が、年齢というハンデを背負いながらもう一度頂点に立とうとする姿に、何度も惹きつけられた。つい最近、彼が亡くなったというニュースを見て、しばらく忘れていたその熱量が少しだけ蘇ってきた。
そういえば、沢木耕太郎の『一瞬の夏』も、似たテーマの作品だった。一度は挫折したボクサー、カシアス内藤が、4年ぶりにリングへ戻ろうとする姿を描いたノンフィクションだ。一度手放したものに、もう一度挑もうとする人間の姿というのは、いつの時代も胸を打つものがあるらしい。
それなのに、今回現場でこれだけ間近にボクシングを見ていても、当時ほどの熱は感じない自分がいる。なぜだろうと考えていたけれど、思い当たったのは、あの頃は父と一緒にテレビの前で見ていたから、ということだった。大場政夫のような選手の試合を、父の隣で見ていた記憶がある。ボクシングそのものが好きだったというより、父と過ごす時間の一部として、ボクシングがそこにあったのかもしれない。私は本当に父に愛されていたという実感があって、彼の後ろを子犬のように追いかけていた時期が確実にあったから。
だとすれば、今の自分の「興味のなさ」は、ボクシングという競技への評価が変わったわけではなく、単に、あの頃一緒に見ていた人がもういない、というだけのことなのかもしれない。競技そのものよりも、誰と、どんな時間に見ていたかの方が、実は自分の熱量を決めていたのだと、今さらながら気づかされた。フォアマンさんの訃報がきっかけで、そんな遠い記憶まで辿り着くとは思わなかった。リングに戻る人たちの物語は、いつも誰かとの記憶とセットになって、心のどこかに残っているものらしい。




