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A Good Girl and a Bad Boy

Feb 3, 2006に書いた文章です。

ちょっと悪に魅かれてしまう、という風潮は、小学生や中学生の頃からあり、大人になってもそれから抜けられないでいる人々はけっこうたくさん見かけます。

私は、コレをとっくに卒業をし、この点においてはとても保守的に見えてしまうかもしれません。

小学校のときに好きになり、交換日記をした男の子は、中学生で不良になりました。高校には行かなかったかもしれません。当時は、バック転ができて、朝礼の最後列で斜めな笑顔を振りまいていた、かっこいい男の子でした。中学生のときに、すれ違うたびにイタリア男のように私を絶賛した男の子も、高校は1年経たないうちに退学したのだと思います。

私には芸能人で好きだという人もまったくおらず、現実的に、Bad Boysは「面倒くさい」と思っていたのです。なんて現実的でつまんないティーンだったんだか(爆)。

私が16歳から本格的に気持ちを預けてつきあった人々は、みな、Good Boysでした。誰の心の中にも、悪い部分があるとして、それでも善良がちな男の人たちとばかりつきあってきた、と思います。レーサーだった彼を除き、私のつきあってきた人々は、私に嘘をつけない人たちばかりでした。レーサーだった人は、結婚してからもおそらく女性とつきあっても、罪悪感を持ち続けたまま、沈黙を守ることができてしまうことを私はとうの昔から知っていました。根本的なBad Boysなど、めったにいるわけではないし、お目にかかれるわけではないのですが、私にとっては、そういった駆け引きも疲れてしまうことなので、逃げ出しました。

私は、自分の中のBadをよく知っていたので、他人のBadに魅了されることはありませんでした。コレは昔からそうです。自分が正しいと思っていないことを続けていくことは、本当にエネルギーの必要なことです。確固たる理由がなく、ずっとヤサグレたことは続けていけないものなのです。

私はいわゆる不良ではありませんでしたが、校則を破ってアルバイトもしていたし、原付バイクで登校もしたし、タバコもお酒もかなり早い時期から開始しました。が、私の中ではそれがBadだという認識はなく、かっこいいとも思っていなかったし、人に見せるためにやっていたわけでもなく、必要に迫られたからやっていたまでです。が、簡単によしあしで物事を分ける大人には、She’s a bad girlに見えたのではないかと思います。そんなわけで、自分がBadに翻弄されていた中、これ以上Badを余分に引き受ける疲労感を引き受けるわけには行かず、私が好きになる人は、まっすぐで正直で物静かな人が多かったのです。

と、私個人の傾向を踏まえて考えるに、どうしても私はBad Boysに魅かれる女性の心理が理解できないわけです。自分でバイクに乗っていて、ツーリングに出かけたり、サーキットランをしていて、彼らについて「仲間」と感じてはいても、「自分の男だったら面倒」というババくさい概念があったのですね。ティーンの男の子には露骨にある、「友だちを選ぶか彼女を選ぶか」などに、私は巻き込まれたくはなく、そんなことで悩む男は、20代・30代になったら、「仕事と彼女どちらを選ぶか」で悩み、もっと歳がいけば、「彼女か家庭を選ぶ」や「妻と子どもどちらが大切か」などと悩むもんだと、かなり短絡的に傾向を読んでいたのです。そこから成長していく人たちの率も、私なりに読んでおり、変わっていけない人々はやはり変わっていけないのだ、と、Bad Boysに好感はありませんでした。わいわい遊ぶならまだしも、心を預けて、身体を開くなんてことは、危険すぎてできませんでした。当時は、今よりも厳密に物事を読む力には長けておらず、バカだったことは確かです。が、傷つくことを引き受けるほど、強くなかったことも確かです。

高校生のときに、友だちの紹介で、高校を中退してガソリンスタンドに勤めている男の子と知り合います。いわゆるOne Night Stand要素の強い、稲妻が走ったような恋だったのですが、彼の情熱が原因で、私はBad Boysへの興味がマイナス値になります。あんなステキな人はいない、と胸が震えました。「高校を中退していっしょに住もう」「俺が食わせてあげるから高校には通っていいよ」とあの手この手で、いつまでもいっしょに居られる算段を披露するのですが、まったくの長期性が見られず、私は彼の情熱が恐くなってしまったのです。高校生のときの私は、若いだけでとてもきれいで、自分の可能性を強く信じており、「男によって決まってしまう人生」を大きく拒絶していました。それは今でも大差がないですが・・・。

「俺とだったらうれしいけど、俺といっしょじゃなくても、必ず倖せになってほしい」という愛が感じられず、怖さばかりが広がり、私は彼を思い切り冷たく切り捨ててしまうことになります。このことが原因で、高校の友だちもがらっと変わりました。彼女たちは、私が彼といっしょに住んだりして、ずっと長くつきあうことをなぜか望んでいたわけです。

彼は、Bad Boysの代表みたいなもんでした。かっこよくて、彼の瞳の中に私が映ることだけでも、身体の芯が揺らいで溶けてしまうような。次に何が起きるかわからないからこそ、この人にしがみついていたい、と思わせるような。

こんなに大げさに書くと、この恋は長かったのか?と錯覚されますが、わずか2週間ちょいの出来事でした。私の決断はとても早く、さっさと逃げたのです。以来、私はBad Boysに性的な意味で抱擁されたことは、ただの一度もありません。考えるに、アレが私の男に求める傾向を、根本的に決定した事件だったんだろうな、と今は思えるのです。

私がBad Girlとして抱えていたものは、自分の手に余るほど大きなもので、深いものでした。世間との折り合いがつかず、自分をどう処していいのかわからず、食べていくことにあくせくし、たいへんだったのです。ですから、Bad boyに恋して、彼のそれらを引き受けてあげる大きな心は持てなかったのです。一人前でいる自分と一人前でいる彼と恋をしたい、と思い始めたのは、確信したのは、この時期です。

以来、どんな場所に行っても、どこで働いても、私は自分の面倒を見れていないで世に誤解されたことにまだ喘いでいるBad Boysに恋することはありませんでした。まっすぐに正直にリズミカルに生きていても、たいへんなことは多いのです。自分だけに見せてくれる優しさなどは欲しくなかったし、裏表がある自分に対峙できない男の人のベビーシッターをするゆとりは、私にはなかったのです。ある、と勘違いすることはおこがましく、日々食べていくことや、留学のための貯金や、毎日にとても忙しかった。私は自分がとてもかわいくて仕方がなかったのですね。

そういう意味では、Bad Boysに魅かれるGood Girlsは、ゆとりのある、ステキな女性なのかもしれません。どうなんでしょう?よく行くお鮨やさんには、元Hell’s Angelesのメンバーなどもいますし、あこぎな金儲けをしている人たちもいます。話す分にはとても楽しいですが、恋をしたいとは、やはりカケラも思わないのです。

うーん、決定的に違うことは、私がGood Girlではない、ということなのかもしれません。基本的にはとてもまじめで正直なのですが(爆)。ちょっと悪い男に魅かれる理由、というのをほじくってみたい気がします。インタビューさせて♪

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