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Batman Beginsに大いに学ぶ ~借りと義理

05/30/2006 にアップした文章です。

うーん、日本語で表現するとなんとなく見当違いかなぁとも感じる・・・。人に施してもらった恩義を借金に喩えて、Repay, in debtという言い方をするのは、英語も日本語も同じはずなのだけれども・・・。

借り: (1)借りること。また、借りたもの。特に借金。(2)相手から受けて、報いなければならないと感ずる利益・恩恵。負い目。または、恨み。

義理: (1)物事の正しい道筋。人間のふみおこなうべき正しい道。道理。(2)対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの。道義。 (3)他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。 (4)意味。わけ。 (5)直接血縁関係のない者の間にある、血縁同様の関係。

Batman Beginsでは放浪修行中のBruceを拾い、磨いて自分の弟子にするためにDucard (Liam Neeson)が近づきます。トレーニングは順調に進んだものの、最後のテストでBruceは刑罰を執行する立場になることを避けます。正義の解釈の違いです。そこで、渡辺謙もろとも屋敷に火をつけ、逃亡しますが、修行やその他もろもろを施してくれたDucardを見殺しにすることができず、助けるのでした。二度目の遭遇のときに、Ducardは、Bruceにやられたことをそっくり真似します。

Henri Ducard: Justice is balance. You burned down my house and left me for dead. Consider us even. 正義はバランス問題だ。おまえは俺の家を燃やして、俺を死ぬように置き去りにした。貸し借りなしってことだとみなしてくれ。

と言って、置き去りにします。が、執事のAlfredに励まされ起き上がり、再び戦いに出かけたBruceはDucardと遭遇します。いよいよDucardにトドメを刺さねばならぬ時が来たように見えたときの会話です。

Henri Ducard: Have you finally learned to do what is necessary? ついに(正義を遂行するためには)何が必要なのか学んだわけだな?

Bruce Wayne: I won’t kill you, but I don’t have to save you. 殺しはしないよ、でも、おまえを助けなければならないってことじゃない。

ある種のトリックなのか、本当の論理なのか、それは見る人の解釈によります。決定的に手を下さないことで、能動的に恩義がある人を殺したわけではなく、Bruceが持ちえた力と時間をかけて話したことを踏まえて、「あとは勝手に」ととり残すことは、ひとつの恩義の返し方ではないかと、私は解釈しています。

これを踏まえて・・・。

私がこの世にこのように居られるのは、今までたくさんの人にいろいろなことを教えてきてもらえたおかげです。中でもSignificant(重大、重要)だったのは、世界が広いこと、日本から抜け出すことが可能だと教えてくれた人々で、さらに、それに伴うさまざまな考え方の違いのドアを開けてくれた人々です。

アメリカに移動してしまったことで、不義理なままで音信が途絶えたままの方たちもいますが、亡くなってしまった方もいます。今考えられる範囲で、私の感謝を表したい人を、日本に11ヶ月居るあいだに探そうと思っています。数人いるので、ひょっとすると自力で探すことができないので、調査事務所を使うことになるかもしれません。初恋の男の子に向けて、30歳を過ぎてから手紙を書いたこともあり、少なくとも相手がマイナスの想いをしなければ、感謝を伝えることはいいことではないか?と思っているのです。いじめた相手に連絡をして謝るのは、ケースバイケースです。映画Billy Madison ではプラスになっていますが、すべてのケースがそうだとは限りません。恐怖も似た類ですが、恐怖だったことを忘れてしまえたというプラスを、わざわざ思い起こさせてマイナスにしてしまうこともないわけです。

というわけで、恋愛に関しては、私はもう一度会いたい人はいません。続いたものであれば今でも音信が取れているし、取れるのに取らない状態でいる場合には、お互いが成長していく中で今は必要としていないからだ、と解釈しています

私としては、借りたものはどうしても返さねばならぬ、と躍起になっていたのですが、ゆとりのある紳士たちは、「私がしてあげたことを若い世代の人に返して、社会全体、地球全体のことを考えてくれればいいよ」と、右も左もわからぬ小娘に、当時からおっしゃってくれていました。それをようやく悟ってきた私は、そんなわけで、教えを忠実に守り、チャリティやボランティア、留学生の受け入れや、まだ経済的にゆとりがない人々へのご馳走やプレゼント、考え方のバラエティを披露することに、今もかなりの情熱を傾けて費やしています。

同時に、どうしてもお金を儲けたいと優先して第一義にしているわけではなく、エゲツないことをしてまでお金を儲けたいと思わないところが、まだ弊社が大幅黒字を出せないところなのかもしれません。すべての人に納得してもらい、同じくらいの利益率になり、実力や労働に応じての報酬が受けられるよう、と日々考えているので、そういうシステムにこだわることをモットーにしているので、交際費も増えていきますし、経営者がイチバン貧乏な暮らしをしているかもしれません(笑)。

私の持病が今のところ3つになり、この先、これ以上増えないようにと願うばかりですが、その最悪だった時期の闘病を支えてくれた人たちには、頭が下がりません。掃除や料理や送り迎えについての感謝はそれほどなく、とにかくそばにいて心の支えになってくれたことがイチバンです。これについても、私が考え得る方法で恩義を返してきたつもりでいます。まだ足りないかもしれません。

逆に、私のほうで恩義を掛けた人たちも少なからず居るはずであってほしいのですが、過去からのお礼は、たまに来るのがいいです。留学生は全部で7人置きましたが、ひとりだけからしか音信がありません。今後10年経っても音信があるかどうかはわかりませんが、それは期待していません。礼儀だろう、と思う方、ご尤もです。が、やはり自分がした借金を払えるか払えないかは、私の手の届くところにあるものではなく、その人の今と今後の生き方に少なからず反映していくので、私がコントロールすることではありません。DucardもBruceもそうであったように、私は自分の借りた分を返そうと躍起になっており、借金を受ける覚えのない人たちは戸惑ったまま、考え方の違いもあり、離れていったに過ぎません。

「因果応報は時計のようにきちんと来る」と証明できるわけでもなく、時として悔しい気持ちに燃やされることがあります。これからもあることでしょう。が、やはりその人が私の前から消えたあとの人生は、やはりその人の考え方に即して展開されていっているに違いありません。

コレだけは本当だな、とBatman Beginsを見て気に入った台詞は;

It’s not who I am underneath, but it’s what I do that defines me.

(仮面の)下にある誰なのかが問題なのではなく、何をするか、が私という人間を定義する。

心の中で何を思っていても伝わらない。それが美談やドラマになることが多いですが、できることならば、恩義は返したほうがいいです。自分が正義だと思うことを体現したほうがいいのです。というわけで、私はやる気をフツフツと盛り上げているところです。せめて私だけは、ずるい人間であることなきよう、と祈りながら。

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