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Bleachersを読んで

07/28/2006にアップした文章です。

 

またまたJohn Grishamです。残り1冊だ・・・。彼の小説の中では最短編です。わずか229ページしかありません。めずらしすぎる・・・。が、内容はてんこ盛りです。

Bleacher:n. 〔米〕 (pl.) (野球場などの)屋根なし観覧席

主人公は、小さなアメリカの町のフットボールチームで、クォーターバックをしてヒーローだった時代を持つひとりの男。15年の歳月が流れ、33歳になり、本当に久しぶりにその町に足を踏み入れることになります。なぜならば、その町が持ったただひとりの真のヒーローであるコーチが亡くなりそうになっているため。ガンに冒され希望はまったくなく、町全体で彼の死を待っているところから物語は始まります。

28歳のときから、あるフットボール選手の死の責任を取り、コーチを辞めても、コーチはその地に残り、多大な影響力を与え続けてきました。その町を地図の点にしたのはそのコーチであり、その町に特色をつけたのはそのコーチであり、人々の心を良しにつけ悪しきにつけ揺さぶったのはそのコーチでした。

日本でも体育会系の部活動を経験した人にならわかるかもしれません。頭と身体の限界まで練習に陵辱され、アップダウンを経験し、栄光か敗北かの境目を彷徨う。その中心、発進塔がコーチなわけです。州のチャンピオンシップを10数回も獲得したことや、選手たちをフットボールの有名大学に入れたこと、さらには、その中からNFLにも選手を送り込んだことで、コーチは自分の履歴を不動のものにしました。そのコーチが72歳で死に行くわけです。そこからドラマは始まります。

主人公が18歳までその地に留まり、どんな暮らしをしたかがわかります。身体的に恵まれ、アメリカの中のアメリカ人と称されるようなフットボールの花形ポジションのクォーターバックを経て、スカウトが32校も来て、コーチが薦めなかった1校を選び、その翌年には大学のヒーローにもなったのに、怪我をしてフットボール人生に別れを告げたのです。その手術後にコーチが病室に来てくれますが、それでも彼にはコーチを許せない過去の事件があったのでした。その事件が何だったのかは、小説の80%ほどのところでわかることになっています。

私の弟が少し似ています。中学のとき、関東大会のベスト8まで進出し、MVPを獲りました。32校ではないにしろ、スカウトが来ました。が、頑固な父はすべてをはねつけたため(両親の承諾書が必要なわけです)、彼は父を恨みながら人生を送ることになり、父が死んでしまった今、弟がどの程度父を許したのか、今の野球に対する想いはどうなっているのか、めったに話題に上ることはありません。弟はミニチュアヒーローではありました。弟と私が行った中学では、リトルリーグ・シニアリーグの野球は世界級で毎年遠征に行っており、中学もそれに倣い、レベルが高かったのです。弟と私の世代でこの調布出身のプロ野球選手は、11人だったか14人ほどいます。荒木大輔は同じ中学で、弟と私のあいだの学年でした。ですから、弟の無念さは大きなもので、私には到底わからないことがあるのだと思います。

が、弟が知らなかったヒーローのその先の人生も確かにあるわけです。栄光を掴み、その後紙くずのように周囲から忘れられる存在。が、小さな町出身では、高校の永久欠番となり、町に帰ると有名人すぎて痛い想い出を避けて通ることができない。そっとしておいてほしいのにしてもらえない。カフェには自分の等身大に近いポスターが掲げてあり、1987年の秋冬のシーズンについて未だに語られているわけです。

その後の彼の人生がどんなにつらいものだったかはここでは書きません。が彼なりにつらいものだったわけです。そして、その根源が、なぜか、コーチにあると思い込んでいたのは、スポーツをやっていた彼の純粋さなのか、単細胞さなのか・・・。とにかく、コーチを愛しているのか、憎んでいるのか?をフットボールを始めて以来の14歳の夏から19年間も毎日まいにち自問してきたわけです。そのコーチが死んでいく・・・。自分がどういう人間であるかを大きく左右した人間なのです。彼を許すことができなければ、自分の人生の礎を否定することになり、さらにその先に進んでいくことができないことは感覚的にわかっており、彼は15年ぶりに故郷に足を踏み入れます。その短い数日の出来事が229ページに盛り込まれています。

さらに、私もたくさん反発した人がいたので、このコーチについていろいろ考えました。掲示板などでもよく見かけますが、「カミナリ親父はよい」というもの。その精神は、子どもや周囲のためを想ってのことであり、自分がいかに悪者になろうとも敢えて引き受けているのだ、というものらしいです。

カミナリ親父: 何かというと大声でどなりつけるおやじ。

私はこんな親父要らない←あっさり(爆)。が、このコーチの美学みたいなものはよくわかります。彼は生涯で2個だけの後悔があるのだ、と、遺書として書いたものを長女に葬儀で読ませるのです。そのひとつが、試合中に事故で死んでしまった選手に対してのケアの足りなさとその一連の事件。もうひとつがロッカールームでの暴力事件でした。こんなに厳しいコーチであっても、1度しか暴力は振るっていなかったのだ、と驚いてしまったのですが・・・。しかも、1960年代からの選手たちは、口々にコーチの思い出を語り、ベトナム戦争での死にそうになったときにも、ゲイであることを迷って公表しようかどうか考えたときにも、ドラッグの売人になり裁判で裁かれるときにも、またその服役中であろうとも、親よりも影響力があったと語るのです;他の誰が自分をダメな人間だと思ってもかまわない。けれども、彼の前だけでは恥ずかしい人間ではいたくない、と。

すごいですよ、コレ。

最後の葬儀のシーンでは、町全体+訪問者が収容できる、フットボールフィールドが選ばれます。みながBleachersに座り、彼がコーチをしていた時代の毎週金曜日の夜と同じように集まるわけです。なので、弔辞を読むのは3人に絞られます。3人の最後は主人公でした。原稿を途中で捨て、最後には自分の今後の人生をきっちり歩いていけるようになるために、自分の言葉で語り始めます。

Grishamが書いた言葉の押し寄せる波がすごすぎて、私は最後の20ページ、嗚咽が漏れるほど泣きながら読み終えました。そして、私が行けなかったふたつのお葬式について想いを馳せました。

許す・許さないについてごちゃごちゃぐちゃぐちゃ何年も考えているのは、かなりな時間とエネルギーの無駄になるということがここでわかってきます。私にもいいレッスンでした。大切な人がいかに偉大だったのかを、死なれてから改めて考えることがありませんよう。アメリカ人でも I love youと愛を表現できない人の代表格みたいなのが、このコーチなので人物像としてもおもしろく読めます。

そしてさらに、プロのアイスホッケーや野球、フットボールやバスケットなどを目指している中高生や大学生、プロの人々の人生についてもいろいろ考えました。ト書きには、Grishamも高校まで故郷でクォーターバックをやったが、「アメリカ人の中のアメリカ人」というわけではなく、平凡なプレーヤーだったことが書かれています。

いやー、短くて感動したい人にはいいと思います、コレ。

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