不安定の源

05/26/2008にアップした文章です。

 

最近、とても安定した日々が過ぎていて、どうして帰国して1年ほどは、あれほどにもつらかったのだろうか?と、振り返り、まったくその頃のつらさすらすっかり忘れてしまっているほどなのです。もちろん、未だに音や匂いや視覚的なごっちゃさ加減はつらいのですが、それといっしょに心が折れることがなくなってきました。うーん、このすばらしい安定具合♪学習は続いているのだなぁ・・・。私の不安定の源は何だったのか?と少し考えてみると、やはり「不平不満」が多かったのだろうなと、反省しきりなのです。こんなにラクになるんだったら、早いところ、不平不満など止しておけばよかったじゃないか・・・と。

 

今日は、半日休みの日で、ゆっくり家にいて、仕事をささっと片づけてから、調べ物をして、昨日の大反省をして、さぞかしおもしろいことを書こうと思っていたのですが、あまりない・・・。ぼーっと倖せなのだなぁ、コレが。実は、西さんが今度の木曜日の夜中に戻ってくるのです。うーん、何ヶ月ぶりなんだろう?私は相変わらず、彼の5泊6日中も忙しいのですが、彼は確定申告をしに戻ってきます(笑)。私がやればいいのですが、どうも苦手だし、何か間違いがあったときに悔しがるのは西さんなので、西さんがやるのがよいのです。

 

ここのところ、英語講師の仕事は忙しく、昼間の仕事もちらほら出てきたり、夕方も少し早めに行って、2コマ増えたりしています。自宅で教えているほうも、もう少しプロモーションをして、広告媒体を考えて、繁盛させなければならないのですが、それは西さんが何とかしてくれる予定←いつもの西さん頼み(苦笑)。Skypeでも習いたいという生徒さんもいらっしゃるので、対面レッスンがしっかり距離感さえ取れていれば、Skypeレッスンも盛り込めばいいよなぁ・・・とぼーっと考えています。ここで読んでいる読者の方々は、特に私に習いたいということはないでしょうが、あったら困るので、そろそろ本格的なHPを作ろうかと思っているところです。ただ、それも西さん頼み(爆)。

 

不安定の源は何だったのだろう?不平不満はどうしてあんなにあったのだろう?と振り返ってみると、鋭い痛みなどは忘れてしまった昨今、どうも鮮明には思い出せず・・・。元々、痛みには強いし、あっけらかんとしているので、その渦中に居たときですら、「過ぎれば笑える」と思っていたに違いなく・・・。

 

不安定:落ち着かないこと。安定しないこと。また、そのさま。

安定:(1)落ち着いていて変動の少ない・こと(さま)。⇔不安定 (2)〔物〕 ある系が外からの作用により微小な変化を与えられても、もとの状態からのずれが一定の範囲に収まるような状態。(3)〔化〕 物質について、化学変化が起きにくい、あるいは反応速度が遅い性質。また、そのさま。不活性。

不平:(1)不満に思うこと。満足できなくて心が穏やかでないこと。また、そのさま。(2)公平でないこと。

不満:十分に満たされていないと思うこと。満足しないこと。また、そのさま。そのような気持ちや心のわだかまりをもいう。

 

やはり、「こうあって当たり前」などと決め付けていたのが、そもそもの間違いだったようで・・・。私がアメリカ生活で楽しかったことや、自然だと受け止めてきたことと、東京の生活はあまりにも違い、苦痛や不安定や予測不断が続き、本当にたくさんのストレッサーに囲まれていたと感じていたようです。それが、あたかも、私自身の選択肢ではなく、無理やりやらされていたような錯覚に陥り、ありがたいと思うことも薄く、笑って吹き飛ばすようなゆとりもなく・・・。

 

エッセイを読み返してみると、かなり強がってはいるのですが、エッセイのお題に取上げることには、日本の政治のことについての不平不満がたくさんだったり、人々の態度に対してもかなりの不平を漏らしたりしています。「違うなぁ。不思議だなぁ。ウヒ♪」で済ませておけばよいものを、どうしてあんなに尖がっていたのか、今となってはわからず(爆)。

 

この1年半の私の安定への道は、ものすごくいい学びだったと思えるのですが、それはなぜなのか?教えるという仕事をしていて、ほとんどの人々は、「英語が話したい」という意志や希望だけを持って来ており、その方法論や原因究明や解析を、それほどには真剣にしてきていません。産業カウンセラーの講座に通ってきて、いろいろな題材をもらっていますが、それでも同じです。

 

安定-不安定だけに限らず、この世の中はたいていの物事が、二元論で括ることができ、その塩梅のいい真ん中あたりを『中庸』と表現しますが、その中庸が、自分にとってどのへんなのか?を人々は決定的には実感していないようなのですね。「できていて当たり前」があまりに多すぎて、できているときのありがたみもなければ、できていないときにどう対処すればいいかわからなくなってしまう。

 

特に分ける必要性すら、私は感じないのですが、仕事と私生活の区別だとか、勉強と仕事のバランスだとか、学びと遊びのバランスだとか、いろいろなことはこの均衡が取れる、中庸領域に自分を冷静に置けることがいいのだろうと思うのです。ただ、中庸にいなくたってかまわないだろうと思える時期があってもいいし、その尺・ものさし・指標自体が他人からのお仕着せではいけないと思います。中庸に位置していないときに、察知して、対処できることができることは強みですから、それを体感できる人がサバイバルスキルの高い人と言えるのでしょう。企業でも、鬱病になる人が多くなってきたとクロースアップされていますが、本当に昨今だけのことなのでしょうか?私は疑っていますねぇ・・・。あんなにものすごい経済成長を1970年代にしてきたのに、その頃からだってあったと思うのです。たくさんの物事に影響されている自分を知ることは、本当に大切で、いつもいつもアジャストしてくれている身体の神秘に学ぶことができることを見落とさないほうがいいです。

 

体温も知らないうちに勝手に調整してくれていることに気づけず、カーディガン1枚やジャケット1枚を着ることができずに、小さい頃はすぐに風邪を引いていましたが、今もその行動体系は変わらず、私は風邪を引きやすいはずなのに、体質が変わったのか、免疫性があがったのか、16歳を過ぎてからは寝込むほどの風邪は10年に1回神話を作ってきたのですが、やはり帰国して働き始めたあと、寝込みましたね・・・。あと7年大丈夫だったはずなのに(笑)。今だから言えるのですが、心が折れることもたくさんあったせいだと思えますし、ヒトとヒトとの距離が短い、風邪の菌がうようよしている東京では、本当に気をつけなければならないことがたくさんありました。無反省で学習していない私は、もらったわけですよねぇ・・・。その後も、寝込んではいませんが、鼻水や咳を1回長くやってましたし・・・。3月末頃だったかなぁ・・・。

 

日本の政治や文化のあり方やその他、実在している物事に対して、不平不満がないわけではありません。ただ、ただの不平不満だけで終わらせずに、「もっとこうしたらいいのに」だとか、「根はどこにあるかを振り返って自信の持てる意見に到達する」だとか、「この手のヒトには私は立ち向かえないので近づかない」だとか、けっこう賢くなってきました(笑)。アメリカにいた安定していた時期と似たような自分の、本来の姿に戻って来ています。

 

するとどうでしょう。やることなすこと、楽しくて仕方がないし、仕事もうまく行くし、他人の問題で迷惑を掛けられてもさほど気に病むこともない・・・。いいことばかりになってきた、と春頃にエッセイに書きましたが、けっこうそれが続いており、このまま行けるのかもなぁ・・・と思ってきています。不安定の源は、私の無知だったり、無反省だったりしたのだ、と、いまさらながら結論づけているところです。みなさまの不安定の源はどこにありますか?探しておいて、その対処法を見出しておくと安心ですよ♪

 

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