日本の頭脳流出

10/09/2008にアップした文章です。

ノーベル賞がこの時期だということをすっかり忘れていました。日本人が4人受賞して、その経歴を見ると、特筆すべきところが多い方たちだということがわかります。が、私が気づいてしまったのは、国際化という波の中、やはり日本の頭脳は日本に留まっていないのだということ。世界的教育水準の高さに合わせて、日本の教育を抜本的に変えていくには、あと何年くらいかかるのかなぁと不安すら覚えてしまいました。これだけの富国になったあと、累積赤字も増えて、埋蔵金までに手をつけなければならなくなっている状態の中、年金も支払われず、政治や医療での国に支払い命令の判決も目立ち、その上、教育に廻せるお金がどのくらいあるものか・・・と思うと、なんだか本当に「教育の機会平等」などは、建前だけで訪れず、いつまで経っても「踏ん張ってがんばれる貧乏層からの脱出」というのは、不可能に限りなく近い可能なのかなぁと思えてしまいます。



今回ノーベル賞を受賞した人たちだけでなく、日本を見捨てる準備ができている知的階級に位置する人々はかなり多い。潜在数も合わせると、イッタイどういうことになるのか?と、焦ったほうがいいのですが、結果が出るのがかなり遅いので、真剣に取り組んでも手ごたえがないことで、あまりがんばれない分野ではあると思うのです。

検索を「頭脳流出」でかけてみると、22万もあることに、すでにびっくりしないといけないんだろうと思うのです。

とはいえ、かく言う私も、頭脳とは言えないものの、「一時流出組」で、さらに経済力がしっかりついた時点で、またもやアメリカに戻ろうとしています。なので、そのときには本当の意味での「頭脳流出組」に入れるといいなぁなどと思っているところなのです。私の帰国は、18年半後だったので、もしかすると戻らなかったかもしれないくらいなのですが、まぁ、戻ることになってしまいました(苦)。

 

愛国心がないわけではなく、頭脳流出の人々の「海外に出る理由」の第一は、経済的理由でもなければ、日本が嫌いという理由でもないと思うのです。知的に発達している人々の動機のイチバンは、「知性が伸びるためのチャンス(機会)の質と数」が9割以上を占めるのではないかと。これは私の仮説なので、証明できるかどうかは、大げさなリサーチを仕掛けるしかないのでしょうが、誰かそんなことしているのかなぁ・・・。

 

私は、24歳の時点で、すでに「知性が伸びるためのチャンス(機会)の質と数」を考えていました。もちろん、選んだパイロットという職業の範囲において、なのですが・・・。技術や教育機関やその他、「最高峰」が揃っている中で、選ぶことができるというのが、最も魅惑的だったことです。自分のレベルでも受け容れてくれる学校もあり、経済的なこともなんとかクリアできました。が、蓋を開けてみると、航空関連・軍隊経験などがまったくゼロでも受け容れる学校の中では相当にいいところに行ったことに、体験してみてから気づくというバカさ加減は、日本に居た頃、英語がそれほどできなかったことによるのです。が、予定して目標にしていた「知性が伸びるためのチャンス(機会)の質と数」という意味では大成功だったので、それは私の経験値に組み込まれ、この考え方は、その後も積極的に取り入れていくことになります。

 

何度もしつこいようですが、私は貧乏な家に生まれて育ったので、「社会階級の悪循環」に嵌まって抜け出せない予定でした。16歳からアルバイトをして(しかも校則違反だし・・・)、初年度の学費がないことがわかっていたので、浪人をしてまでも大学に進んだのですが、そこで「学習の意義」を見出せず、「手に職」に路線を変更するため、なぜかアメリカ留学を目指すのです。私がなぜ、貧乏で身分不相応にも拘らず、さらなる教育にこだわったのか?と言えば、やはり『菊次郎とサキ』ではないのですが、「貧乏人が貧乏でなくなるためには、教育を受けなければならない」というのは、かなり小さい頃に体得していたのです。

 

私が描いたのではないのですが(爆)、防災訓練の日に来た消防車の絵が描ききれなかったため、家で父が描いたものが佳作に入り(たぶんもっとうまく描きたかったのだろうけれども、泣きべそだった私のレベルに合わせて描いたつもりがちょっとよくなってしまったに違いなく・・・)、それで24色のクレヨンをもらう!という快挙があったのです。もちろん、私は絵を描くのが苦手だったので、屁のつっぱりにもならなかったのですが、「才能はお金になる」というのが実感できたわけです。それまで、運動会で鉛筆やノートはもらっていたのですが、私が生まれ育った調布市というのは、野球がさかんだったり、オリンピック選手を輩出しているスイミングスクールがあったり、世界ランキングに入ったテニス選手が通うスクールがあったりしたので、「運動がお金になるのは稀」というのもしみこんでおり、「そんなの無理」とはわかっていた模様です。

 

が、高校受験のときに、担任の先生に「奨学金」という耳慣れない言葉を聴いたりしたこともあり、バイトをすれば高校生でもかなりのお金になることを知り、「長い人生の幸せのために」なんとかしようという気になったのです。なので、「え?高校行くの?「ええええ!大学行くの!」「嘘でしょー!留学するの?」と、周囲、特に親にびっくりされつつも、なんだかがんばってきてしまった感があります。

 

そして、実際に留学できてしまい、アメリカに18年半も住んでしまった私が言えるのは、やはりアメリカは知的充実を図るのであれば、とてもいい場所だということ。今回のノーベル賞受賞者のうちのふたりが、アメリカの大学で研究を続けておられたり、名誉教授になられていたりしているし、以前のノーベル受賞者たちの中でも、あるいはノーベル賞に近いと噂されている方たちも、みな日本で研究はしていないケースのほうが圧倒的に多くなりつつあります。そういった意味では、2002年の島津製作所の田中氏の受賞には、本当に胸が打たれたました。http://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/nobel/index.html 

 

私がアメリカで知り合った多くの日本人のうち、やはり世界で通用する人たちのみが、「アメリカ駐留」を選択します。まぁ、職業にもよりますが・・・。そして、今英語を教えていて思うのは、若くて可能性を強く信じている人々は、みな、海外に目を向けています(まぁ、英語を学ぶ動機があるからなのですけども・・・)。この風潮はまだまだ続き、日本という国が、教育システムそのものや細かい内容をしっかりしなければ、ずっと続いていくのでしょう。

 

その上、愛国心も希薄になるほど、国が国民を裏切り続けたらどうなるのか?老若男女みな海外移住してしまうんでしょうね。働けば働くほど評価してもらえるシステムにならねば、余計それは相乗します。やっぱり日本国が心配ではあります・・・・。

 

 

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