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生死に対する感情

04/14/2008 にアップした文章です。

 

お葬式をイベント化しているゲンダイ日本人にとって、どうも死生観というのをしっかり持っている人々は、戦中・戦後まもなくに比べて、断然少ないのはわかるのだけれども、あまりに希薄な気がしている。それでも、犯罪の増減は劇的でもないし、トレンドにブレがあるとしても、長寿にはなっているにしろ、生死というのは「日常」なのだという意識があまりないようである。うーん。そして、裁判員制度に不参加したい理由の一位は理解できるよ。仕事を気軽に休めないというのは、勤労のゆえか、足並みを揃えて職場での人間関係を嫌ってか、はたまた生活苦などが身近にあるから、などといろいろな理由があることはわかる・・・。でも、あからさまに「えええええ、死体の写真を見ることがあるんでしょー。怖いぃぃ」というのはないだろう・・・(汗)。

 

元ニュースはこれ>http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080412-OYT1T00722.htm

最高裁がこのような制度を設けることは、当然なこと。

 

アメリカでは、チャレンジャーが落ちたときにも24時間以内には、すでにそこに見学に来ていた子どもたちが受けた心の傷のケアをするためのチームが発足し、「宇宙飛行士」の夢を捨てないで済んだ子どもたちも多く、ケアについての考えはかなり根底的に固まっています。

 

裁判員制度の折にも、申請さえあれば、裁判所つきのカウンセラーはたくさんいて、すぐに面談ができます>が、裁判中の場合には陪審員の資格が剥奪されることになります。が、途中脱落の理由に、急性PTSDというのは、かつてニュースになったことはなく、陪審員選択のシステムがしっかり樹立していることも貢献しているのでしょう。

 

今読んでいるMitch Rappシリーズでは、Navy SEALsのオペレーションの仕上げで、極悪犯人をTerminate(終わらせる=殺す)ことが使命になっているという箇所を昨日通り過ぎたのですが、国防というのはそういうことで、きれいごとでは決してないわけです。またもや、同じような誘拐事件や爆破事件などを起こす可能性のある相手に対して、無実の市民を巻き込んでも「我々のCause(目的)のためだ!」と平然と理論崩れをかざす人間たちに対しては、やはり「終わってもらおう」と考える国防第一な考えの人がいても不思議ではありません。私個人は、その決断ができないがゆえに、そんなビジネスをしていないだけで・・・>政治家のみなさんや自衛隊のみなさん、警察官などのみなさんは、そういう覚悟があるのだ、と、一般的に尊敬してしまう対象なのですが、言動不一致が多い人が目立ってとても悲しいゲンジツがあるんですが・・・(汗)。

 

さらに、彼らにはQuit(辞める・止める)というチョイスはないわけですよ。やめたときには、相手に自分が殺されるときなわけです。だから彼らの辞書にQuitという言葉はなく、任務においてその死生観というのは、固まっており、側面では原始的なようですが、実際、ヒトというのは生物のひとつなので、その側面も忘れてはいけないと思うわけです。

 

そして、この裁判員制度に参加したくない理由の、上位に来ているこれだ・・・。昨日は、急いで美容院に行ったのですが、そのときにも、「知らない人に電車のホームで背中を押されたり、すれ違いざまに刺されたり、なんてこと、最近ありますよね」という話になり、「確かにそうだよ・・・。なのに、死生観がどうも希薄なのは、どうしてなんだよ・・・」とふと、はたと、気づいたわけです。

 

私は、アジのたたきを生きているアジを捌いて作ることはしません。技術的にはできますが、やりたくないのでやりません。カニも同じです。が、ありがたく食べさせていただいています。ここが偽善と誠意の分かれ目ですが、Native Americans(昔のインディアン)のバッファローを大切にする気持ちなども、ここから来ており、「飽食はしない」「天からもらったものをありがたくいただく」という前提があるからこそ、ハンティングはしていいわけです。

 

SEALsなどに代表される国防も同じで、生命の大切さをわかっていればこそ、「どの生命が大切なのか」と、偽善者にならずにきっちり選ぶことができなければ、瞬時になんて到底無理なわけだし、そのような仕事にそもそも就けないわけですしね。

 

こうした熟慮の上に生活を続けている人々がいる中、「まったく知らない他人の死体なんて見たくないし、それが残虐だったら夢に見るから嫌だ」などと言っている場合ではないように思えるわけです。なぜならば、私たちの生死は、こうした国防をしっかり考えている人々のおかげで保たれている部分が大いにあり、私たちがやるべきところを、実際は分業して、死刑執行をしてもらっていたり、凶悪犯人を追いかけて殺してもらっていたり、ミサイルを撃ったりしてもらっているわけで。その裏側で、仲間の中から、「腐ったりんご」が出ても不思議ではなく(あれ?腐ったみかんだったっけ?)、その仲間を作ったのも、また、私たちひとりひとりが形成している社会のせいで、小社会がたくさん集まったものが大社会で、その大きな括りが国家で、それがいくつも集まったものが世界で、環境問題などを考えると、私たちは宇宙の構成員の一員としても、どう暮していくのがいいのか?すら考えたほうがよいわけです←ねばならぬ、とは言いません。そのほうが、個人も充実した暮らしができるという提案です。

 

Mitch Rappが大統領の筆頭秘書官に怒りを抑えて言うのですが、「感謝の心をカケラも持たないやつだけは許せないんだよ」と。本当に、他人のために、かなり多くの人々のために、国防をしている人々はそんな切ない気持ちでいつもいっぱいなんだろうということくらいは、ぜひぜひ理解していただきたく、死刑執行をしている刑務官や、死刑宣告をしている裁判官や、スパイ活動をしている人々など、私たちは決してひとりで、あるいは自分が選んだ、愛する人々とだけ暮しているわけではないことは、理解する必要すらあると思うのです。

 

裁判員制度は、国民の義務なのだから、せめて自分にできることはやろう、という気持ちから始まってくれてかまわず、その先にある、私たちの暮らしは私たちが作っていくのだ、責任を持って、という自覚がみんなに芽生えてくれるとさらにうれしい。私がうれしいのはおこがましいのですが、国防に携わっている人々、みんながうれしいと思うのです。

 

小さい頃から、私は消防官フェチでしたが(笑)、自分はそんな人の妻にもなりたくないとわかりつつ、やはり軍人や警察官など、危険の多い仕事をしてくれている人々はどうしても好きです。小説やドラマでしかわからないとしても、彼らがいてくれるからこそ、私はのほほんと生きていられることは、よくよくわかっています。ゴルゴ13が伝説的なベストセラーであることから、生死に対する感情は誰しも持っていることはわかるし、アクション映画がコケにくいのもそのせいです(安定した数字が取れるんですよねぇ・・・)。その感情を短絡的に受け止めて答えを出すのではなく、「裁判員制度参加してみるのもおもしろいだろうな。非日常を日常にできるチャンスだな」と思ってもらえるとうれしいし、そこに、たいへんな仕事を肩代わりしてくれている人々への謝意が生まれれば、さらにうれしいです。

 

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