「一人っ子はかわいそう」ですか?
いえいえ、自分がかわいそうだと思えばかわいそうでしょうけれども、周りや親がどうこう考え方を押し付けるものではないですよね。ヒトを考える分野の学問は「社会科学」ですから、尤もらしい正解があるのだと言い張ることは可能かもしれません。が、生まれも違えば、その時代も違い、近所の環境も違えば、周りにいる人々もそれぞれとてもユニークかもしれないです。そうした意味では、大雑把に大枠的に「一人っ子はかわいそう」などと言えるのは、ちょっと高飛車に過ぎるような気がします。
長子に生まれたか、何番目か、どのような環境でどのような性別で育ったか、などなど、いろいろな研究がありますが、最後に来るのは、やはり「その子の個性」です。そもそも、「環境に勝てるのか、負けるのか」というところを測ってみるのが納得がいくところで、さらに「どんなものには抗えて、どんなものには抗えないのか」を検証してからこそ、「一人っ子だからこういう典型的なものが出てしまう、受け止め方がこうなってしまう」とか、「一人っ子だからこういうお典型的にいいところもあるよ」というのが順序だと思うのです。
自分が一人っ子だったとして、+しか見ないというのもおかしいですから、こうした悩みが生まれるのかもしれないです。が、自分が一人っ子でない場合に、一人っ子の誰かを見たときに、このように見てしまうのは少し悲しいかもしれません。
たとえば、一人っ子の女性が「もうひとり子どもが欲しいかもしれない」というときに、後押しをしたいとき、「一人っ子はかわいそうよね」というのは、もしかするといい意味での励まし、決断の早道になるかもしれません。だとしたら、一人っ子のネガティブな面をシェアするのはいいかもしれないですよね。
https://woman.excite.co.jp/article/child/rid_E1520481745227/
https://matome.naver.jp/odai/2135806557975759901
このように学者でも少し違う点を挙げる差異もありますし、他の環境要因を冷静に判断することができない場合、うのみにし過ぎてもなぁと思えます。参考にするときに、自分が世界や世間をどのくらい冷静に判断しているのか?が決め手になります。
多くの方々が、自分をえこひいきするような判断をしているので(もちろん私も含めて!)、自己中心的にならないような判断力を身に着けることによって、この生まれ順は有効になります。
さらに、誰かが誰かをそもそも「かわいそう」と思うのは、根本的には違う気がします。どう思われますか?誰かが誰かを上に見たり下に見たりするのは、少し違うと思えるのでした。
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