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ことわざ・四字熟語を身につける

12/27/2007 にアップした文章です。

国語を教えているんですが、なぜか、身体部分を使ったことわざなどが頻出しています。さらに、「へぇ、こんな表現はまったく知らないのか・・・」と思うような、びっくりがあり、彼らと私の30年くらいのギャップに驚いているところなのです。核家族化で、老人が話すことに触れ合えないことや、両親が働いたり忙しかったりすることで、子どもにはこんなところでマイナスが出てしまうのだなぁ、と。ことわざや漢字が羅列した四字熟語というものは、どれにしてもそれなりの含蓄があり、私が子どものときには、「ふえぇぇぇぇぇぇ!」とか「うわぁぁぁぁぁ!」などと驚いてもいたし、使えたらかっこいいな、と思っていたのですが、それはなぜだったのか?

ことわざ:昔から人々の間で言いならわされた、風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉。「ごまめの歯ぎしり」「朱に交われば赤くなる」「出る杭は打たれる」「東男に京女」などの類。
四字熟語:漢字四字で構成される熟語・成句。「一日千秋」「傍若無人」など。
風刺:他のことにかこつけるなどして、社会や人物のあり方を批判的・嘲笑的に言い表すこと。
教訓:教えさとすこと。また、その教え。
知識:(1)ある物事について知っていることがら。(2)ある事について理解すること。認識すること。(3)知恵と見識。(4)知っている人。知人。友人。(5)〔哲〕〔英 knowledge; (ドイツ) Wissen〕認識によって得られた内容。厳密には、独断・空想などと区別される真なる認識によって得られた客観的に妥当な命題ないしは命題の体系をいう。あやふやな信念と区別され、一般に「正当化された真なる信念」として定義される。(6)〔仏〕(普通「智識」と書く)(ア)仏道に教え導く指導者。導師。善知識。(イ)善業(ぜんごう)を積むため、寺院や公共物の建設に金品を寄付すること。(ウ)心が、その対象物を、心の外にある実在物とみなす働き。
興趣:楽しく愉快に感じること。おもしろみ。

もちろん、こんにちの私がこうなったのは、これらを知っていてもそれに敢えて従わなかったり、信じなかったりしたことも大いにあるのですが、幼い頃、とりあえず取り入れてみて、咀嚼した(つもりも入る・・・)のちに、取捨選択した揚句、というプロセスだったとは概ね言えるのです。が、知らないままの子どもたちが多いことに関して、そのまま大人になってしまった人々が多いことに関して、どうしてなのか?と考えると、「露出される絶対量」がやはりまず注目したほうがいいポイントなんでしょう。

日本人の読書量は減ったのか?「活字離れ」という項目があるくらいなのだから、実際減ったのだろうと思って見てみる・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E5%AD%97%E9%9B%A2%E3%82%8C 確かに減っている模様。データは数的にあるのか?

読書週間のときに書かれた記事では、1ヶ月に1冊も読まなかったという人が50%を超えたという現実があるらしい。本当に無作為抽出しているとしたら、相当に悲しい現実・・・。1ヶ月4冊以上読むという人は、10%だったらしい。私は、1日1冊ペースなので(土日や完全休日の折には、1日4冊など)大いに数的貢献をしているのだけれども、私にアンケートが来た例はない・・・。

おもしろいサイトはこれで、http://d.hatena.ne.jp/MrJohnny/20060614 語彙量について言及しており、著書からの抜書きなども、私の興味はそそった・・・。語彙が15000から20000に減っていたりしたら、英語を学ぶのにも追いつかない(笑)。国語辞典といっしょに点き合わせが必要になったりする・・・(汗)。中学卒業の英語語彙量がだいたい1000~1500語。大学受験で8000語。暮らしていくには、やはり5万くらいあったほうがいい。専門を学ぶことになると、やはり6万から8万くらいはないとつらいことが多い。

言葉を得て駆使することができないと、時間が余分にかかるんですよ。口数を多くしなければ、正確に物事が伝わらなかったり、ビジュアルエイドがなければ(絵に描いたり、映像を見せたり、表やその他で補助する)なかなか理解に達しなかったり、と、困ることがある。逆に考えてみると、まずは新聞、次に映画やラジオ、TV、ネットと発展してきて、その功罪の罪のツケをみんなが支払い始めているところ、ということなのかもしれない。ところが、それを他人に伝える段になると、その映像エイドがないがゆえに、言葉にしなければならないのに、語彙がなくてできない・・・。そして「あれ」「これ」「わかるでしょ?」「見たことない?」などという場面に至る・・・。TVやネットがあるんだから、読書なんて要らないよ!という結論になるのは、元々見えていた結論なはずで・・・(汗)。

こうしてコミュニケーションギャップが起こるわけです。100%でアウトプットされていないものが、正確さを欠いてX-Y%になる過程をどんどん続けていき、実際の「相互理解」が愕然とするほど少ない量と質になっていくわけ。

鎖国をしていて、身の回りのものだけをしっかりわかっていればよかったときはいいんですよ。身の回りにある物事や起きていることに関するボキャブラリーは、江戸時代の人々は、田舎であろうとお江戸であろうと、8・9割くらいはわかっていたに違いない。専門的なことをしている人々とは、四民平等でもなかったので、触れ合う機会が極端に少なかったわけで・・・。

便利になった世の中に変遷してきて、まずはラジオでみな驚く・・・。方言の違いや食べ物や習慣の違い。そのあと、それをしばらくエンジョイしたあと、映画のスクリーンスターと自分たちはまったく違うのだから、と羨望の的になる。でもちょっとだけスターな華やかな気分が味わいたいと、そこを狙った商業主義が起こる。そして、世界はTVによって右往左往するようになり、どこに居てもどんな暮らしをしていても、「平均化」を習慣的な考え方を持ってきた国民には、つんとしたスターよりは、「隣のお姉さん」「庶民派」を肯定することで、自分たちの在り方や生きがいや希望を持てることに繋がり、カリスマと庶民が混在していくようになる・・・。今、その混在が、ネットによってさらに細分化しているわけです。だから高い専門性だということではなく、オタクと呼ばれる実は誰にでも手が届くところにある物事に関しての専門性が追求されているところ・・・。

そうなると、その世界が中心になるよう生活がズレていき、共通言語を持たずとも生きていけるようにはなる・・・。ことわざも四字熟語もさして重大でもないし、接する人々の数もつきあいの浅深もかなりはっきりしていくようになります。悲しいかもしれない・・・。

語彙量が減ってもフツーに生きていける。専門性の高いレベルに行く必要がなければいいわけで・・・。そして自らを「私、バカだから・・・」と最初から低く見積もり、読書はせずに雑誌を手に取る。モンスターペアレントが生まれる由縁も、少し見えてきたかもしれない・・・。

しかも、核家族化はしっかり進み、実際に世代格差がある人々や、趣味やその他の格差がある人々とのふれあいの機会の数が減り、共通語彙そのものが減っても生きていけるわけで・・・。方言はすばらしいと思うのに、どうしてかみな標準語を話せるようになっていく・・・。

自分の語彙量がどのくらいあるか?に、私はけっこう自信がありますが、それもこれもまだしつこく読書を続けているためなのだろうと思うのです。ただし、日本不在のあいだに欠落してきた語彙もたくさんあり、それらをこの1年でどのくらい学んだのか?は、触れ合う機会問題で、けっこう生き延びていけるんだ、という実感もある。

日本はこの先、一体どうなって行くんだろう?と、少し空恐ろしい気分になっている年の瀬です。

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