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テロリズムに対しての考え方

06/29/2008 にアップした文章です。

 

北朝鮮へのテロ支援国家解除がなされました。これについて、猛反発な方々がたくさんいて、なんだか立派だなぁ・・・と感じています。私はMitch Rappシリーズを夢中になって読んでいるところなのですが、世の中というのは、一般市民にはわからないところで、複雑に絡み合った物事というのがあると私などは信じており、誰もが参加しない物事があってもいいのではないか?と考えてしまうようなところがあります。それはおそらく、面倒くさがりでズボラなところからも出ており・・・。ただ、やるならとことん責任を持ったほうがいいと考えているので、口を出すならばしっかり行動を伴わせないとならん、とも思うからで、ある種の逃げでもあるのでしょう。なので、発言をしている人々に対しては、「それだけの国防や世界平和についてのコミットメントがあるのか・・・」と、畏怖の気持ちと共に、「言動が伴ってないじゃん・・・」という不可思議さも感じることが多いのです。

 

まずはテロリズムについての理解を。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 

 

スタンスをはっきりしなければ、テロリズムについては語れないということがわかってきます。自分、周囲、国家ごとの主観が、この考え方に反映してくるので、私などは、自分の主観で周りや国が動かれても困るよな・・・と思うやつなので、これについては大声を高らかに上げられないわけです。世界平和が来るとは思っておらず、では、どの程度の世界平和が実現可能なのか?ということを掘り下げて考えるには、ヒトが進化の中で獲得してきてしまった、心的進化なども文化・文明と共に考えるという、面倒くさい作業をしたのち、やはり私は、世界平和の実現は、かなり確率論としては低いと考えており、「みかん箱の中にはやはり腐ったみかんが実在する」という事実を否定するのは、知性をいくばくか持つモノとしてはできないでいます。

 

そこで、それに対してどの程度の努力をするか?ということが問われるわけです。

 

私はどうも緩やかすぎるほどの人間なようで、不良行為と言われることや、全うではないとラベル貼りされてしまうようなことも、甘受します。できる-できないの問題ではなくて、多様性を認めるということを第一前提に考えると、「それもあり」と認めなければ、私がただの偽善者になるから、するわけです。そして、それを続けているうちに、本当に「アリだな」と思うようになり、どうせ生命体などは、みな、混沌の中でそれぞれ生きているのだから、何かの基準や何かの規律などは、それぞれが作り、それに対してそれぞれが責任を負うことだな・・・と、とても緩くて、とてもラクな結論を持つことになってしまっています。

 

誰かを自分の思い通りにしよう!という情熱がどうしても持てない・・・。

 

そのくせ、英語講師なのである(爆)。なので、日々、「中学ではここまで」「高校ではここまで」「受験を通ってきたらここまで」「仕事で使うならここまで」などという概念に、たいへんな反撥を覚えつつ、押し付けがましくもなく、宿題もさほど出さず、ゆるやかーにレッスンをしています(笑)。ただし、成果はそれなりに上がる生徒さんは多いです。それは、その人の目標は他人と同じではない、ということを是認しているところから始まると思うのです。

 

『英語力と英語の問題を解く技術力はふたつの違うものだ』

というところから始めているので、技術力が欲しいヒトはそれを教えるし、長い目で見た英語力が欲しいヒトにはそのように教えるという、私主体の考え方を押し付けないように、と心がけているわけです。

 

回り道をしましたが、テロリズムに関しても、私はアクション映画肯定派なので、やはり暴力を行使しなければならない場面があるという考え方の全否定はしません。さらに、Mitch Rappシリーズを読み進めていて、泣いたり感動したりする場面があるわけで、国防に人生を賭ける人々に感謝こそすれ、否定などは一切しません。逆に、平和そうに見えていても、牛や鶏や魚を殺して食べているのは事実で、それも暴力の一種と考えるヒトがいても、それも否定はしません。行き過ぎな考え方だという意見は言えても(じゃ、何を食って生きていけばいいのだ?という問いはでき、それに対する充分現実的な答えがなければ、否定するというのもあまりしたくはありません)、それぞれが持つ考え方の自由というのは、保障したいと思っています。

 

でなければ、私などはここまで存在してこられたかどうか・・・というのも疑問になり・・・。

 

ただし、こうした緩やかな考え方をしており、誰も否定しないでおきたい私が、無差別テロに遭ってしまったらどういう考え方になるか?というのは、まだまだ想像の域を超えないので、Mitch Rappシリーズを読み続け、Tom Clancyを思い出し、今度はゴルゴ13なども読んでみようかと思っているわけです(マンガを読んでこなかったので、いまさら新鮮かもしれないと思い・・・笑)。

 

無差別テロが有効に機能するための条件は以下のようです。

1.十分な破壊力を持つ武器が入手可能であること。

2.世論に働きかけるための十分なコミュニケーション手段が確保できること。

3.国家主体が世論(支持)の変化に敏感かつ脆弱であること。 

 

つい先日は、秋葉原事件のことを、芥川賞作家の平野啓一郎氏が「テロ」だと言っており、新作の『決壊』は奇しくも、容疑者の談と被るところがいくつかあったと、ジャーナリストとの対談で話していたのです。TBSの夜の番組だったような・・・。私は最近の直木賞・芥川賞作家を知らず(過去20年分くらい知らないようだ・・・爆)、ちょっと読んでみようかと・・・。

 

日本もこの条件を備えているということを、認める人々はどれくらいなのかなぁ・・・。3.などは、愚民政策の主たるもので、消費生活や流行などに顕れるように、政治がそれに向けられると脆弱以外のナニモノでもなく・・・。2.の意味では、マスコミは大いなる役割を持っており、その責任がいかに大きいのかを、知っていてやっているのかどうか、疑うところ大です。

 

アクション映画を見ていると、1.の破壊力のある武器などは、いくらでも転がっているわけで、そのせいもあって、「よくもまぁ、ヒトは他人を信用して暮らしているなぁ・・・」と思うのです。バッグの中にナイフを持っているヒトというのは、かなり多いと思うんですが・・・。アメリカはライセンス制度ではありますが、日本よりも銃器を持っているヒトは多いし・・・。いまさらそんなことに驚くこともなく、けっこうみんなぼやーっと過ごしているのでしょう。

 

私はボケないためにも、やはり国防について命を張っている人々の小説を続けて読み、自分の意見は自分の意見として、象って行き続けたいと思っています。ただし、他人様に自分の考え方は、今後も押し付けないように・・・。

 

 

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