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気持ちのいい瞬間を味わう その2

01/17/2008 にアップした文章です。

差を感じることができるということは、なんとすばらしいことなのか?を、今日は挙げてみたいと思います。知らないうちに受けているたくさんの恩恵。こんな仕組みを進化の長い歴史の中で、得ることがでてきたというのは、私たちが現代にぼーっと生きていても、先人たちの上に積み重なって存在しているという証明です。これを使わない手はないのだよなぁ・・・。無意識のうちにやってしまっている・使ってしまっている身体的・生物的に偏る仕組みは、知れば知るほど、おもしろい。私は30歳過ぎて、生物をもう一度、真剣にやってよかったなぁと、今も強く思います。

たとえば色気。誰に色気があり、誰にないか?という観点がありますが、これは明らかに差です。これがあまりにオソマツで簡単すぎるのは、目に見えるという点。横に並べることができるようになった今、浮気にしろ、異性の品定めにしても、それほど私にとって価値あるものではなくなってきています。まずは写真。次に映像。こんなに簡単な比較はないわけで・・・(汗)。特に、著名人や芸能人の色気などは、比較がひどく簡単すぎて、気づかない人のほうがおかしいのではないかと・・・(汗)。

しかも、言わせてもらえば、生きている人すべてに色気というのはあるものなのですよ。ゼロなんて人はいない。ホルモンがいくばくかでも分泌されているのであれば、色気の元はしっかりあるわけです。あ、ちなみに私は、「異性を引き付ける性的魅力」のことを指しており、他のことはちょっと横に置いてあります。

色気:(1)色の調子。色合い。(2)異性を引きつける性的魅力。女性についていうことが多い。(3)愛嬌(あいきよう)。愛想。(4)異性への関心。(5)おんなっけ。(6)物事に対する積極的な気持ち。野心。

もちろん、個人のチョイスですが、みんなに色気を見せたい人もいれば、そうではない人がいる。見せる気などなくても溢れてしまう人もいれば、鉄壁の守りで決まった人にしか見せないようにしている人もいる。私はむしろ、普段見せない人が、私だけを選んで見せてくれた場合に、ヨロコビやドキドキは数倍になりますが、そうでない人は多いのかもしれません。

この個体での差のほうが、私は妙を感じるわけですよ。私は普段、Androgynous(中性的)な人が、何かの加減で、ある場所で、ある時間に、ある場面で、ふと見せてくれる「隙」のような色気のほうに、ゾクッとするんですが、あからさまなほうが「わかりやすくて好き」という人が多いのかもしれません。でも私は、色気というのは万人に見せる必要もないし、ポーズとしては崩れ易いので、本人もひどくたいへんなのではないかと想っているのです。そんなたいへんなプレゼンテーションを、本来の自分との差があるものを、わざわざ自分を大きく見せるためにするこたぁないと。

溢れてしまって、どうしても出てしまう人というのはいるので、それはちゃんと評価したいと思いますよ。でも、くそ寒いときに薄着をせずとも、健康のために薄着をしたほうがいいし、不愉快なほどでなければ、スッピンでもいいだろうし、武装することはないと思いますけども・・・。いつでも色気光線を出している人には、差がないので、その人をずっと、たとえば24時間見ていたら、飽きると思うんですね。多面性がないと思えてしまう。だったら、ジャージを着ていて、ふと色っぽいほうが、本人にとってもオトクなんじゃないかと・・・。あるいは、いつもは中性的であっても、オペラや歌舞伎に行ったり、特別なところにディナーに行くときや、勝負デートに行くときだけに、色っぽいと思われるようにプレゼンするだけでいいんじゃないかと。むしろ、その「おおぉ!?」という差のほうが、見ているほうもうれしかったりする。

私は加点法をより多く採用するやつなのです。理想などは、私にはほぼなく、自分の将来について、くらいですかね・・・。他人に対しての理想など、あっていいわけもないとどこかで思っており、たまたま、何かの拍子に、自分の好みにぴったり合った人が出現したら、ものすごい楽しいではないですか♪いつも、理想が「セクシーダイナマイト」なんていうコピーだったら、見ているほうだって疲れる・・・。悪いけれども、叶姉妹のような人が廻りにいたら、きっとものすごぉい疲れるに違いない・・・。

それよりも、自分で自分のことがたいていの場合好きでいられる人々が廻りにたくさんいて、どんどん実現していく「なりたい自分」をさらにもっと大きくしていく人々がいたほうが楽しい。そういう意味で、個人の中の「差」を見ることのほうに、私は重きを置いて日々を暮らしています。去年や昨日の彼や彼女よりも、今日の彼や彼女。明日や来年の彼や彼女。想像して、応援したほうが、ずっとずっと楽しいことです。

気持ちのいい瞬間は、瞬間だから味わえるし、待てるんですよ。いつもいつもそんな状態だったら、味わうも何もなくなり、当たり前として捉えられてしまい、ありがたみもなければ、気持ちよさも消えていく・・・。毎日ものすごいグルメなごはんを食べていても、健康には悪いし、いい加減飽きるし、お茶漬けやおにぎりも食べたくなっちゃうのと同じだと思うんですね。

私は日本に戻って来てから、1年3ヶ月。毎月1回か2回しか、お酒を飲んでいないんですが、そのほうが、楽しく飲めることをやたらと実感しています。ブルーカラーでもないので、身体がクタクタになるというよりは、移動してもちろん物理的にも疲労しているのかもしれませんが、頭の芯のほうが疲れていて、アルコールで醒ましたり、熱したりするような類の疲れではないんですね。なのに、アル中だった頃は、なぜかアルコールでごまかそうとばかりしており、ちっとも気持ちいい瞬間にならず、ただ「記憶を失くすための泥酔」になってしまっていて、下手にアルコールに強い私は、翌日に引っ張られるまで量を飲んでしまって、悪循環を招いていたわけです。やっと最近、「入眠までしっかり記憶がある飲み方」ができるようになって、「うひー、こんな歳までかかったぜい(汗)」と反省しています。

差があるからこそ、気持ちのいい瞬間が味わえる、というメカニズムを知っていれば、自分の心持を整えるためにも、緩急やメリハリをつけた暮らしをしていくようになります。いくら好きなことでも、ずっとやっていくのは飽きる。どんなに惚れた異性でも、24時間いっしょに居ることは危険要素も含むし、失礼だけれども飽きるかもしれない(笑)。ヒトの集中力は、90分単位の波があるわけですから、ひょっとするとただやっているだけ、こなしているだけ、だったり、ただいっしょにいるだけで見てもいなかったりすることがあるかもしれない(笑)。だったら、緩急やメリハリをつけて、何かをやって集中したり、短い時間でも充実した時間を過ごしたりするように心がけたほうが、気持ちのいい瞬間が得易いわけです。

とはいえ、私の活字中毒は治らないんだよなぁ。読んでいる書物はその場所によって、どの行や章なのか、物語の進み方によって、気持ちのいい瞬間が訪れるときがあるので、やめられない(笑)。クライマックスだと自分が感じるところに行き当たるために、読書はずっと続いていくのである・・・。

あと2週間以上、完全休日はないのですが、おそらく、もっと長いこと、完全休日がないかもしれないのですが、私も自分の緩急やメリハリをつけるのに注意しなければならないです。戒めのために書いたのか?うん、そうかもしれないです・・・。

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