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責任の取り方 後編

10/28/2007 にアップした文章です。

 

いやー、全部見切れなかった(爆)。家に戻れたのは、8時25分頃だったのですが、そのとき把握したのが、すでに「家庭における責任感」というテストが終わっており、舛添厚生労働大臣がわずか10分ちょいで退席した、という感じ。そのあと、「社会における責任感」というテストを画面でやっていたので受けたのです。もちろん、正確に測る(順位が出るらしい)には、携帯からやるのがよかったのですが、どうも頭がデジタルになりきっておらず、アナログ部分も多いので、ごはんのしたくのほうが優先であった(爆)。そうそう、私は時計の表示もデジタルはダメですね。どうしても円形になっている時計表示のほうが実感と計画が立てられる。

時期がぴったりと合ってしまったために、亀田家問題を取上げており、今朝のニュースを見ても、いろいろなところで星の数ほど取上げていて、いいことを言っている人々がいるにも拘らず、やはりメディア全体での反省感、責任の取り方というものには、反映されていない模様であるのはわかった・・・。校長センセがコメントでおっしゃっていたように、責任の取り方というのは5時間の枠であっても、てんこ盛りに問題提示は可能であっても、解決への方向性を提示して一丸となって進むまでには至らず・・・。カリスマ性を持つ才能あるビートたけしを以っても(やはり疑問なんだけれども、どういうラインで、北野武とビートたけしを使い分けているんだろうか?)、人々にどの程度訴えかけられるか?というのには、限界があるんだろうな、と思えたのです。

しかも、私は見ながら満腹になってしまい、その日の授業が10-20だったこともあり、疲れていて寝てしまった(爆)。というのも、私がぐいぐい引き付けられる内容ではなかったってことなんでしょうね・・・。久米宏とテリー伊藤と小倉智昭も出てきたのだけれども、私はその論議の途中で力尽きてしまい、「そんなにすごいこと言ってくれないんだな」と思いつつ、ネコたちを撫でつつ、TVをつけっぱなしにして眠ってしまっていた・・・。タイマーもつけておらず、起きると2時だった(爆)。情けないことに、自分が22時までは起きていたのか、いつ寝たのか、まったくわからない状態になっていたのである・・・。

東国原知事も遠隔中継出演をしており、番組全体の構成や仕掛けは、それなりに「悪くない」とは思えたのだけれども、まぁ、寝てしまったくらいなんだから、大したことがなかったと言える・・・。あれだけの資金力とコネクションを以ってしても、やはりテーマが壮大すぎるというのは、そもそも思っていたことなのだけれども・・・。

日本での会社社長や役員などの引責辞任の話についても見たのだけれども、尻つぼみで終わってしまった感があり、そのあと久米宏たちが出てきたので、どうもやる気が持続できなかったように思える。辞職をすることで、どんな責任が取れるのか?という話をスタジオでしていたのだけれども、予測通りというか、斬新な答えをしてくれる人々がおらず、そこらへんからすでに興味が失せた模様。東国原知事が、「欧米諸国では、すぐに記者会見を開いて謝ると、賠償金・保険金などの問題が出るからでしょ」という発言があったときに、そこから話が発展するのか?と思いきや、発展しなかった・・・。

私のスタンスは、当然、留任して責任を取る、のほうで、辞職して次に任務に当たった人たちは迷惑千万すぎます。日本の伝統としてすぐに記者会見をして謝罪しなければいけないというのが主流であれば、謝る内容を工夫すればよい・・・。とにかくすぐに謝るのではなく、「事実を確認してから謝る」でいいんじゃないかと私は思っています。「疑いを招くようなことになり申し訳ございません」という謝罪をしたのち、事実把握や調査委員会などの担当責任者で、問題解決に最も近い人間の記者会見を数回に分けてしてもらったほうが、消費者の立場としては安心できるんだが・・・。

いや、実際は、私は記者会見は要らないと思うんですが、アナウンスメントをパブリックにしなければならぬ、という考えが日本ではまだ主流ならば、ですよ・・・。

インターネットのHPでするのも、TVのための映像を撮るために会見を開くのも、意義は大して変わりはなく、「国民・消費者が知りたいこと」を網羅していればかまわないわけですよ・・・。東国原知事は、「賠償金・保険金の関連性」を示唆したけれども、実際に、資本主義の中に位置していれば、これに対する懸念は、営利団体としては持っていなければつぶれるでしょう。つぶれたときに、社員の家族や地域社会に対するモラルと秤にかけろってことなのかしら?「騒動を引き起こしたこと」に対しては謝辞をしっかりして、迅速な根本的問題解決のために、すぐに調査委員会を発足させるとか、外部の調査諮問を使うなど、オープンに問題を解決する姿勢を見せてくれるのが、重役たちが辞めるよりよっぽど大切なんだけどねぇ・・・。辞めて何になるのよ?と・・・。私的財産を没収する権利が、会社という団体や日本社会にあるわけでもなく、横領や贈収賄の疑惑があれば、調査次第では、のちのち没収できるし、いつでもクビにできたり、辞意を表明することはできるのだから、あんな早期に辞めてもらっても、消費者である私には何の感慨もないのだけれども・・・。

潔いという言葉の意味が、実際のところ、あまりよくわかっていないのではないかと・・・。

潔い:(1)卑怯な点や未練がましいところがなく立派である。悪びれない。(2)汚れがない。清浄だ。(3)心やおこないにやましいところがない。潔白だ。(4)清らかで気持ちがよい。

社会的な地位を剥奪することが、この世の死以外の最も重い制裁であるという考え方が、どうも違うのだろうと思うのです。だから、いじめをつらく感じる子どもたちも増える。私などは、そもそも社会的役割そのものを軽視している部分が大いにあり、その社会的役割に対する誤差を充分にターゲットに入れて、個々人の別を考えていけるので、社会のスタンダードがどうであれ、地位剥奪は大した制裁ではないと考えています。地位にしがみついている人にとっては、確かに重い制裁なのだろうけれども、世間を見てみてよ。アメリカ式に、ステップアップ転職が流行になってきた現在、終身雇用を貫く人々はだんだん減ってきました。「しめた♪」とばかりに解雇される人だっているかもしれない。それよりも、針の筵(むしろ)にずっと留まらなければならないほうがつらいと思う人には、留任させたほうがいいでしょう。まぁ、最終的には本人の意志ではありますが・・・。

この引責辞任というのは、ゲームが害悪だと言っていた人々の「リセット」と同じ機能を果たしていませんかい?と思うのです。もちろん、念入りに取材や調査ができる人に遭遇してしまえば、辞任したあとの人生は難しいものになりますが、このご時勢、他人にそこまでの関心を寄せる人々が少ないだろうと高を括ることだってできます。経済的蓄積をすべて取上げられなければ、辞任した人々はそれなりにうまくやっていけてしまうことでしょう。

ああ、この話題ひとつでここまで書いてしまいました・・・。眠って失敗したなぁ、と思いつつ、眠ってしまえるくらいの意見しか出ていなかったとも思えて、それでも「私が眠ったあとにお歳暮やお中元でもらった桃の缶詰を内緒で食べていた両親たち」を思い出し、どうも「楽しいことは私が眠ったあとに起こった」という疑いからも抜け切れない(爆)。ブログを検索してみたのですが、大した意見はまだアップされていなかった。それでもやっぱり「逃がした魚が大きかったらどうしよう・・・」とは思っており、自分の豪胆さの欠落に嘆くのである(笑)。

ちなみに、私は誰かが見ていなくても赤信号は必ず止まりますし、空き缶も拾いますし、丸裸のお金でも交番に届けますし、余分なおつりは返します(たまに気づけないこともあるんだけれども)。そのときに、たけしが「こんな小さなことで運を使うのはイヤだ」と言っていましたが、なんだか共感。でも、そのあと「だからギャンブルはやらないの」という発言があり、ちょいと反省(爆)。私はギャンブルをし通しで、人生だけでは飽き足らず、カジノもパチンコもやっています。やっぱり全体の運っていうのに影響あるんだろうな・・・などと、オカルト的なことを考えてしまいました。

責任の取り方は、またどこかで論じているブログやHPを探して、もう一度真剣に書こうと思います。

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