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近視の進み

06/30/2008にアップした文章です。

ちょっとびっくりしているのが、帰国してからの近視の進み方。そりゃぁ、特記したいくらいの進みなのです。子どもでもあるまいし、どうしてこんなに進むのか?PCを使っている時間はまったく変わらないし、TVも真剣には見ておらず、むしろアメリカに居た頃より時間は減っている。難を言えば、画面が少し小さくはなったのですが・・・。中学の頃、最初にめがねをかけ始めたときには、0.5という緩やかさだったのですが、どんどん進み、渡米したときには0.2を切るようになりました。そのせいで、日本ではパイロットができないのだ、というのも選択肢が閉ざされた理由。

 

そもそも、どうしたメカニズムで近視が起きるのだろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A6%96

なんとなくはわかっていたものの、こうして説明されるとクリアだなぁと感心してしまった(笑)。

 

私の場合、遺伝による要素は低いのではないかと思われるのです。母方には近視は2代前までは誰もおらず、父方では父の6人兄弟のうち、2人が近視だったのですが、後天的だったため。ひとりは、洋裁学校に通い、それを職業とした結果、近視になり、もうひとりは兄弟中で最も勉強したために近視になったのが19歳のとき、ということ。

 

私は、小学校5年くらいから遠くがあまり見えなくなってきていたものの、周りの大人は誰ひとり気づいてくれなかった、という有様。なぜならば、近視という選択肢すら彼らは持たなかったわけで、家が狭かったために、TVは1mくらいのところで見ていて、不自由な態を見せなかったこともあり、勉強など家でしたことはないので(笑)。私自身も、黒板さえ見えればいいのだ、という程度にしか認識しておらず、イチバン後ろの席から(勉強しない子って、後ろの席が好きだよね・・・汗)見えなくなりつつあったときでも、特に授業中は勉強をしていなかったため(学校には遊びに行っていた・・・)、特に気にしてはいなかった・・・。

 

そして、年に1回ある身体検査で引っ掛ったのが始まりで、学校の先生が親に言うことになったという事実。それが中学2年のときかなぁ。母の第一声は、「まったくこの子は金食い虫だねぇ・・・」というもの(爆)。めがねは確かに高いし、本来なら無用のものであったはずで、申し訳なかったよ・・・。

 

私が近視になった原因は、ただひたすら読書のせいです。しかも暗いところで少ない灯りで読んでいたため。寝ろ!と言われてからも読んでいたのですが、布団の下で懐中電灯で読んだこともあり、後日、それがバレて、「電池のほうが高い」という結論に達したあと、「昼間読め!」モードに変わり、それも外で遊ぶことに優先されてしまっており、みんなが起きているときにTVを見ないで読む、というルールに変わったのだった。だが、それでもやっぱり読んでいて、ひとりの部屋がなかったために、母が起きて何かを続けているときに読み、真っ暗になったら寝るということに落ち着いたのだけれども、中学になって、一部屋がもらえたときには、あまり関係なく、スタンドを点けて読んでいましたね。

 

同時に、私はあまり煌々と明るい光が好きでもなく、乱視もあったために、アメリカの間接照明は不愉快ではありませんでした。日本から来たヒトはみな、口々に、「アメリカの家って暗いね」と言うのですが、西さんは未だに言うんですが(爆)、私は特に暗いと思わないくらいで・・・。

 

やはり24歳過ぎてから勉強をするようになったので、それからもまたもや近視は進んでいきます。10代の頃、本はまだ読み続けていましたが、バイトのほうが優先されており、私の生活の優先順位は、1.バイト 2.恋愛 3.読書 うーんと順位が下がって勉強だったのです。でも、恋愛というのもいい加減なものだったなぁと、今にして思えばわかるんですが(爆)。まぁ、あそこでやっておいてよかったのでしょう。そのあいだ、近視はあまり進まず、0.2くらいで安定していました。

 

バイトでせっかく稼いでも、容姿を気にする10代では、定期的にコンタクトレンズにかなりの金額を持っていかれ、それに関してはかなり痛みを感じていました。同時にコンタクトを外したあとにはめがねも必要で、両方にかなりのお金を持って行かれてしまうわけです。バイトが優先なので、図書館に行ける時間も限られており、買えるものなら買いたいという願いもあり、お金を稼ぐようになったあとは、物欲がたくさん充たされると思い込んでいたのですが、どれに対してどのくらい費やせるか?というのは限られていましたよね・・・。結局、私の場合は、学費も自分で高校から出していたし、生活費も入れるように指示されていたし、自分のものは自分で当然買えと言われており、毎月4万ほど稼いでいたバイト代も、夏休みには12万にもなったバイト代も、瞬く間に消えるわけです。何の贅沢もしませんでした。必要なものだけしか買えなかった(爆)。

 

めがねは当時でも2万くらいはしたんですよねぇ・・・。

 

アメリカに行ってびっくりしたのは、医者からの処方箋がないとめがねが作れないこと。なので、賢いお店は、お店内に目医者を置いているのです。なので、最初はそれを高く感じていました。でも、めがねは分厚いし、コンタクトのほうがずっと安かったので、コンタクト1本にしようと思ったほど。でも、やっぱりめがねは必要なんですねぇ・・・。私はパイロットの学校に行っていたので、Ray Banのサングラスに度を入れる、というのが主流でかっこよかった(爆)。光度に応じて黒くなってくれるという先進技術を使っためがねを作ったのですが、1年も経つと、光度が強すぎてなかなか透明に戻らなくなっていき、2年くらいで使えなくなってしまったのだった(爆)。

 

しかも、パイロットの試験といえども、座学がけっこうあり、勉強はしましたねぇ・・・。近視の度合いは進んでいきました。そして大学に戻り、PCを導入し、ますます近視は進んだのですが、0・08くらいで止まっていたはずなのです。

 

が、このあいだ、帰国したばかりのめがねがどうも見えないので、めがねやさんに行ってみたところ、1年半ちょいで0.02もなかったという事実。なぜにこんなに進んでしまったのか?めがねをかけているのに、TVが見えないというこの不具合(笑)。もうコンタクトでは矯正しきれないかもしれず・・・(乱視があるので余計に。私はソフトしかできないんだよぉぉぉ)。

 

なんとなくわかる気がするのは、全体的に狭いところにいろいろな色でいろいろなものが詰まっている感というのがあり、目に大きな負荷をかけているなぁとは思っていたんだ・・・。アメリカに居たときには、どーんと3車線か4車線ずつのフリーウェイがあり、その右か左には海が広がっており、反対側には山があり、という風景は、私の視力にはなかなかよく作用していたのです。ところが、日本に帰ってきて東京ではそのような風景はあまりなく・・・。

 

今悶絶しているのは、アメリカに行く8月に新しいめがねとコンタクトをアメリカで購入するか、近所のめがねやさんで購入するか、というもの。技術的には日本のめがねは進歩しているんですが、値段が倍だな(爆)。コンタクトはアメリカのほうが進んでいるし・・・。だったら、コンタクトはアメリカで、めがねは日本、というのが妥当なんだろう・・・。また、大きな金額がこれに持っていかれてしまうのだ。お金をたくさん稼ぐようになっても、なんだかやっぱり腹立たしいのはなぜなんだろうか?(爆)

 

 

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