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Second Nature

12/17/2007 にアップした文章です。

これは、日本語でも使う人は使うんだろうな。英語では、本能の次くらいに上手にできたり、しょっちゅう自然にすんなりやっていることなどを指します。ヒトの本能に根ざしたものは、すべての人が持っているもので、強弱があったとしても、さして驚くべきことではないですよね。けれども、不思議なSecond Natureを持っているヒトというのは、けっこういるようです。それに、心理学的な潜在的パワーや能力の種々のものは、開花し、そのまま続けていけば、簡単にSecond Natureとなりうるものなのです。習慣化、というのがキーですね。どのくらい定着するか?ということで、Second Natureになるかどうかが決まります。

Googleってみると会社やバンドの名前に途轍もなく多いんだなぁ。これは、「私たちのしていることは、自然で、生まれつきの資質があることなんですよ。ちょこっとやったらこんなにすごいことになった」と示したいわけですなぁ・・・。

癖とSecond Natureが違うのは、その効用性でしょう。癖はいいものもあれば悪いものもあるけれども、Second Natureは往々にしていいことを指すはずです。努力を要さずともらくらくとやすやすとできる、というような自慢の種になることが多いのでしょう。が、一般的には、「根付いた習慣」を本質としています。定着するには、それこそ本当に繰り返してやったことなのでしょうが、生まれ持った性質というのと密接な繋がりがあります。

OCD(Obsessive-Compulsive Disorder)の人々は、自分でコントロールしきれないほどのSecond Natureをたくさん持っているのです。あんなに物事をきれいに整理整頓したり、物事にこだわりすぎて、時間の感覚や経済観念をかなり長いあいだ忘れることができるというのはすごい。私は無になることができないと、これについては諦めきっているので、全体とはいかずとも部分を忘れられるような集中力や、ひとつのことにこだわることは、よく顕れればステキなSecond Natureだと思えるわけです。

それに、自閉症の中でも特にサヴァン症候群に類する人々は、魔法のような記憶力や数字への強さを示すことが多いです。サヴァン症候群でなくとも、一芸に秀でている人々が多いことは知られています。彼らにとっては当たり前の能力ではありますが、日常生活を過ごすのに必要な能力に欠けることがあるのも確か。なので、訓練により日常的なことがある程度できるようになると、スーパーな人々ではあり、彼らにとっては私たち凡人が「日常的な能力」とみなしていることがSecond Natureのように花開くものであったとしたらいいのだけれども、自閉症はまだまだ未知なことが多く、本当に残念です。

私の場合も、躁鬱病を持っているので、NatureなのかSecond Natureなのか、微妙なところがたくさんあり、「ただの強弱問題なんじゃないか」と思えるところがたくさんあるのですが、活字中毒なのはやはり典型的なSecond Natureです。つり革広告をひとしきり読み終えるというのも、なぜかプログラムされており、このところ困っているのが、近視がさらに進んでいるところ。本当に近場のものしか読めず、すぐに自分の手元にある本に落ち着いてしまわねばなりません。

人間ウォッチングも私のSecond Natureなのですが、これのせいでの功罪の罪はあり。髪が細くなったのも、近視が進んだのも、東京では、狭いところにモノがカラフルにたくさん詰まっているからですし、それぞれの動体(Animated objects)の動きが狭さに伴い大きくないことのせいです。なにしろ、アメリカでは、フリーウェイどーん!山どーん!海どーん!キャンパスどーん!というスケールの大きなものばかりで、学生街の町並みは小さくてかわいらしくて「なんだか、清里や軽井沢のお店の並びみたい」と思えるほどに小さく感じたのですが、東京では大型量販店以外は、みなあんな感じだ・・・。人々は、小さい空間でコマコマ動いており、それは当たり前のこととは言え、なんとなく目は疲れる。このSecond Natureはやはり自然に出てきてしまう類のものなので、意識的にやめようと思わない限りは続いてしまい、こうしたネガティブな結果も得られてしまうわけです。ポジティブな結果としては、逆カルチャーショックが多少軽減したことがあるので、大いなる文句は言えないんですけれども・・・。彼らがいなければ、私は駅構内をまともに歩くことなどできなかっただろうし(なんだか暗黙のうちの了解というのは多く、券売機にしろ歩行にしろ、リズムってぇもんがある)、人々の真似(モデリング:模倣学習)をしたがゆえに買えたものがけっこうたくさんあったり、使えた品物もたくさんあります。

Second Natureの中でおもしろいのが、どんなに酔っ払っても、ちゃんとコンタクトを外して眠ったり、化粧を落として眠ることができる人がいるのに、それらができない人々がいること。もちろん、酔っ払い程度にもよりますし、そのときのムードにもよるのでしょうが、なんだかすごい。私は正体がなくなるまで酔ったとき以外は、コンタクトも外しますし、化粧も落とせます(笑)。時計ですら「うっとうしい」と思うやつなので、普段お化粧をしないわけです。だから、酔うと余計にうっとうしさ加減が増すのでしょう。そんなに正体がなくなるまで酔うことは、日本に戻ってきてから一度もありません(笑)。Social Drinkerに再生しましたからね♪

他にも私のSecond Natureの顕著なものは、「余剰なものを持たない」というのがあり、母とは正反対で、すぐにあげてしまったり、棄ててしまったり、処分しようとする傾向があります。クリスマスがあって、クリスマスプレゼントをたくさんの人に配りました(笑)。英語学校の生徒さんには、英語の本をあげたのです。もちろん私の読み古しだということは納得済みなのですが、洋書は日本ではやはり高いので、けっこう歓んでいただけたし、先生のほうから生徒さんにクリスマスプレゼントなどということは期待されていなかったようです。他にも景品ライターを「いいな♪かわいい♪」などと言われると、すぐにあげちゃいますね(笑)。マニキュアなども同じで、いつまでも持っていても固まってしまうので、「使いかけだけど・・・」と断ってからあげてしまいます。私の気前のよさというのは誤解されているようで、わざわざ買ってさしあげることはたまにしかせず、お祝いもキャッシュ(現金)が多いのです。その人がイチバン欲しいものは、その人以上に知っている人はいないとみなしており、出産や結婚や卒業祝いなどは、決まってキャッシュですね・・・。冷たい(爆)。私がモノをあげる人というのはごく限られており、モノを上げた場合には、私が処分したいもの、ということが多いことは、ここで明言しておきましょう(笑)。

とんだSecond Natureではある・・・。

何かがあればすぐに歌を歌っていたのだけれども、そのSecond Natureは消えたようです。なぜならば、アメリカに住んでいた頃のようにひとりになれる場所が少ないから。母の前で歌うのはいいんでしょうが、彼女の場合、私が歌うと部屋から出てきて「何か言った?」とすぐに質問するんだ(笑)。それに、車に乗らなくなったので、移動のときにあれほど歌っていた歌をもう歌わなくなった・・・。シャワーのときに歌うこともなくなったのは、マンションなので、通気孔は全戸に通じているんじゃないか?と、どうも迷惑を考えてしまうのだった。へたくそでも音痴でもないのだけれども、他人の歌声なんて聴きたくない人は多いだろうし。このSecond Natureがなくなってしまったのは、本当に惜しいのである。私はヘリにひとりで乗っているとき、無線をインターコムにしてよく歌っていたんだ(笑)。

どんなSecond Natureがあるのか、考えてみるのはおもしろいです。癖のほうは悪いこともわんさかあるのでしょうが、Second Natureはひょっとすると長い時間をかけて、あなたをユニークにしてくれたものかもしれない。どうでしょう?

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