GWにはあまり印象に残り得る想い出がなーい!なぜならば、子どもの頃は貧乏だったのでどこかに連れていってくれる、という感じもなかった。強いて言えるのは、父が不義理をしていると思っていた小田原の親戚の家に行ったことや、お彼岸に行けなかったお墓参りを静岡にするくらい。
子どもの頃はそんなわけで、日常のいい習慣を崩すために、朝から晩まで外で遊んでいたという記憶がある・・・(笑)。まぁ、私は朝と学校から帰ってきたときに自分に与えられていた仕事をやる以外、ずっと遊んでいたも同然なんだけど、夏休みはうんと長いお休みなので、仕事が増えたんだけど、冬休みは父の故郷に行くし、春休みは短めなので、余分に増える仕事はなかった。当然!GWも余分にしなければならないことは、父や母が思いついた片付けの手伝いくらいで、それは物置や押し入れにある荷物を片付けることや、ちょっとした掃除くらい。あ!あとは自分が書いたいたずら書きを消すってくらい(笑)。
そしてアルバイトができる高校生になってからは、もう書き入れ時ですもん・・・。よく働いたー!8時間シフトに入れておいて、残業までやった感じ。8時間超えると1.25倍の時給になるのを見つけて新鮮すぎて、ありがたすぎて、本当によく働いた(^^♪ もちろんこれは夏休みのお盆などでも、年末年始などでも使えたのであった。
というわけで、GWには格別な想い出がないのです・・・。小学校の頃の遠足なども5月ではあったんだけど、GW後だったし・・・。(^_^;)
たぶん、5月病という言葉ができたのが1960年代の後半で、おそらく受験戦争に勝ち抜いて入ったはずの学校で、どうしていいのかわからないとか、フィットしないとか、思ったよりつまらなかったとか、っていう理由から生まれる虚脱感や、逆に、自分よりもずっと優秀な人たちばかりがいるという焦りなど、メンタルの不安定に加え、春の新陳代謝後、しゃかりきになっていた身体が疲れを訴えかけたところから始まったんだろうと思うのです。
私が子どもの頃、小学校2年くらいまでが1960年代で、その後もびったりと、そうした虚脱や焦りで疲れた学生さんたち、確かに見た気がする・・・。(^_^;) あ!近所の当時の大学生のお兄さんも、そのあと大学辞めちゃったっていう事件があった・・・。なぜか事件(笑)。彼にとってみたら、あんなにはしゃいでイキイキと走り回っていた私たちのことを、見るのもイヤだっただろうなぁと、今は思う・・・。(-_-;)
そしていつもよりはしゃいで遊ぶと決まってお風呂が面倒だとは思えないくらいに汚れていて、けっこう楽しく入って、気持ち悪さとさっぱりした気持ちよさの差異をものすごく感じつつ、かなり質素な食事をもりもり食べようとしていたあの頃。あれが日々続いてたってことがすごいけど、GWはもっとすごかった。もっと楽しかった。すごいなぁ・・・。
そして、還暦を1年過ぎたおばあさんの域に達する年齢になっても、私は自覚がない。こうして書かないと、自分が還暦を過ぎたってことがなかなか気づけないし、体力が落ちたっていうのも、40代の頃よりちょいと、母が亡くなる前の介護前よりちょいと、大動脈解離後はむしろ介護中よりよかったくらい(笑)。
そして、ここ2年くらいでずいぶん戻ってきたとすら思っている。GWありがとう!私の健康貯金はまだまだありそうだ(^^♪






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