まずは「英語」と限定しないことです。自分の耳そのものがどの程度退化しているのか、進化の芽を摘み取って暮らしているか、を意識したほうが有効です。
例を挙げると、6SLDK の家に住んでいるのに、実際は2LDKしか使っていない、という人はかなりたくさん実在します。裏庭もカーポートもボーボーで放置、といった感じで、せっかく耳があるのに、目ばかり使っている、などという現象は現代社会ではありがちです。
自分の身体をくまなく知ることにより、たくさんの生活面での利益がありますし、英語だけではなく、日本語のコミュニケーションがよりよく取れるようになるので、まずはここから手をつけることです。
なぜ、英語、英語、英語と唱えてしまうのか、そもそもどこがスタート地点なのか、をよくよく考えていただきたいのです。
ヒトは、得る情報の8割を目から入れているのが平均値です。それをわずか1割か2割、減らしてみるという目標によって、英語を聴ける耳ができるとしたら??やったほうがいいですよー。
Readingが遅いから悩んでいる、助けてほしい、という相談があったのですが、びっくりすることにその方は、日本語の「起承転結」という概念を知りませんでしたし(いくばくかは自然にやっていたとは思いますが、効用があるほどではなかった)、日本語を読むことそのものもけっこう億劫で、いちいち脳内で音読するだけではなく、気づくと声に出して音読してしまっていました。日本語での包括理解が低いのですから、それが他言語になった場合、そのキャパを超えることはありません。そうした意味では、日本語をまず洗練させる必要性は高いです。
耳も同じこと。
英語の早期教育が定着しつつあり、小学校から英語の授業が開始されていますが、本当にいいことだとは私個人は考えていません。英語が本当に聴けるようになる素直さは、確かに乳幼児期のほうがありますが、咀嚼し、オートマチックに聴くほどの量は聴いてはいませんし、教育現場ではその量を増やすことにばかり気が行っているため、定着するほどの脳のクセを変形するほどには導けていないのが現状です。むしろ、日本語での生活音をどの程度聴けているのか?に注目すれば、量はさほど多くなくともいいかもしれないのに、と、いつも残念に感じています。
大人の英語学習者にも同じことが言えます。
ひたすら英語検定試験の過去問題を聴いたり、まったくの赤の他人のカンバセーションを繰り返し、あらゆる種類を聴いたり、ドラマを無作為、あるいは好き嫌いで聴いたり、日本語訳がついたもので強化するなどとほざいている教材を選んだり、と、かなり間違ったことをしているのに、そもそもの「耳の能力」を鑑みることはしないのは、英語教育現場の態度として間違っている、と申し上げたいです。
鳥の声・水音・人の声から感情がわかる・足音・風の音・ドアを閉める音・車の音・火加減で生じる音・風音・音楽・タイプ音、車の排気音・電車の音・擦れるさまざまな音、などなど、生活の中には音がたくさん詰まっています。
事実として怖いのは、耳を発達させてこなかった人は、救急車・パトカー・消防車の警音が、確信を持って区別することができないです。「あれ?これ、どれだったっけ?」くらいにしか浸透はしていないのです。
かちこちに固くなったスポンジに水を浸透させようとしても、なかなか吸い込んでくれない現象のように、そもそもの耳のキャパが開いていない場合、英語を入れてもなかなか聴けるようにはなりません。
さらに、「耳がいい・悪い」の二択のような判断の仕方では、到底英語の音をすべて拾えるようにはなりにくいです。
Precious One English Schoolでは、こんなことから開始し、聴覚を科学し、実際に日本語の耳のキャパを増やしたあと、じっくりと英語の聴き方をお教えしています。だから成功者が多いわけです。自然と聴けるようになっててびっくり!という生徒さんの声を、ちゃんとアップしないとな、と思ったので、早速生徒さんに記事依頼しましょう(^^♪
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