05/12/2006 にアップした文章です
経済的に自立しているはずの大人でも、成長は死ぬまで続くことは、繰り返ししつこく書いてきました。経済的自立は、サバイバルの大切で大きな部分なので、ヒトという生命体としては、進化によく作用していることになります。が、問題なのは、マクロの進化だけではなく、ミクロの進化で、生きている生涯中に;1.先人からの伝承文化や英知を受け取る、理解する。2.同胞に混ざって、現在の時間帯で起きていることについて、文化や英知を磨く、理解する。3.さらに人類の未来を考えて、自分ができることを次世代に伝えていく。これらのミクロの進化のための努力は、子どもを持つ・持たないに拘わらずできることです。
これを踏まえた上で、Peer Pressureに負け続けてしまうことは、パワーゲームに参加する消極的な態度を表現します。さらに、Peer Pressureの存在や力関係を助長し、増強することは、積極的なパワーゲーム支持者となります。
子どもの頃のイヤな想いを、まだまだ他人に与え続けることを是とする態度はどんなものなのでしょうか?
私がたいへん短い契約社員10ヶ月のあいだに驚いたのは、20代や30代であっても、女性は女子高生だった頃と同様、ランチ後の連れトイレに行く習慣を止めない人たちがいるのだ、という事実でした。仕事も近辺のデスクでしたあと、ランチまでべったりし、トイレにもひとりで行けないという狭苦しさ。さらに、歯磨きをしなければいけないだの、化粧直しをしなければいけないだのと、その小社会の基準は、私などには到底理解しかねるものでした。男性であっても同じことで、残業の後に飲みに出かけたりするのも、誘っている相手により断りきれないことがあるなど、仕事での力関係が大きく関連していることを見て取りました。しかも、社宅などに住んでいると、仕事場の上下関係から離れられず、全体主義的行動に絡め取られていくことになります。
あまり陰湿なものではなくとも、人々が全体主義的傾向にあり、Peer Pressureを意識的に感じない場面は、私にとってはたくさん見て取れます。たとえば、『流行』。選択する能力を先天的に持っていながらも、髪型や服装など、私たちは流行に左右されて生きています。何がかっこよく何がかっこ悪いかを決めるのは、デザイナーのネームバリューや流行を先取りする著名人の人気度のほうが先行しており、個人のセンスが反映されている部分はとても少ないのが事実です。
私の経験範囲内だけで話すと、私が留学した18年前は、”Don’t Worry, Be Happy”が流行った年です。が、その曲は、その後3年以上ラジオから流れ続け、全米中に浸透するまでにたいへんな歳月をかけたことになります。ですから、アメリカでは、レギュラー番組を1本持つだけで大金持ちになることができ、クイズ番組などの準備が必要ではないものは、2・3本が持てるというわけです。亡くなったJohnny CarsonはTonight Showのホストを30年ほど続けましたが、リタイヤ寸前の彼の一晩のギャラは、7000万でした。週に4日彼がホストをし、現在のホストであるJay Lenoが1日担当していましたので、彼の月収は、12ミリオンドル(13億2千万ほど)だったことになります。彼を30年も支持し続けたアメリカの視聴者は気が長いのでしょうか?他にも、昼メロ(Soap Opera)には、30年以上続いている番組がたくさんあります。キャラクターの核は変わらず、どんどん子孫や恋が増え、職業が変わり、ストーリーはずっと続くのでした。
それに比べると、日本の流行の寿命は極端に短い、と私には思えます。特に、身につけるものなどの流行はスパンが短く、くるくる変わる流行に、人々は弄ばれているように見えます。その心は何なのか?「要するに大して好きじゃないんだよ」ということなんだと、個人的には思いますよ。Louis Vuittonのバッグにしても、私のアメリカに住む友人たちの9割は、おばあちゃまやお母様やおばさまからいただいたものを使っています。自分で買ったものにしろ、長くしつこく使うのですね。バッグは親の敵のように使い、学校用や会社用レジャー用くらいにしか分けておらず、たくさん持っている人は少ないです。本当に愛着があり、好きだから使っているというのが、私にも伝わってきます。が、日本人にありがちなのは、すぐに飽きるという傾向。流行なのだから飽きるんだよね・・・。好きだったら流行が終わっても使えばいいのにな、と思うのですが、これもPeer Pressureなのでしょう、使うのを止めてしまうのです。
私は、と言えば、ブランドにはまったくこだわりなく、着ている洋服を選ばないショルダーバッグで口が大きいものを毎回買っています。基本的には破壊王なので、3年から5年ほどでダメにしてしまいます。お財布もバッグも靴もそれくらいでダメになるのがわかっているので、自分が洋服と行く場所にあわせやすいものであれば、ブランドは追いかけることもしないし、形もかなりスタンダードなものです。
洋服も同じことで、「年を食う前から、上品で長く着られるものをだんだんと買っておいたほうがいいわよ」と、21歳のときに言われて以来、流行に左右されないクラッシーなスタイルのものは集めてきました。が、ここで問題が・・・。体型が変わったんだよっ!(爆)体型のほうを戻さねばなりません・・・(汗)。普段着ている洋服は、タラタラのぐちゃぐちゃの清潔感だけはある、どうでもいいようなカジュアルなもので、流行も何もありません。袖ぐりや襟ぐりがほつれるまで着て、ぽいっと捨てることにしています。少し着て気に入ると、まだ同じものが売っているあいだに、さらに2・3個買っておくようにしています。私は徹底的に流行を追わないようにしているバカモノなのかもしれないです・・・。
時計はしていないですし、携帯もやっと去年から持つようになりました。車ももう同じものを5年乗っており、壊れる前に新車に乗り換えようと思っていますが、今のところはマイル数が行っていないのでまだ大丈夫そうです。音楽も流行を追いかけていませんし、日本に戻ってきて流行を追いかけようとするのは、私には高等技術すぎます。私の中での時間は、私のペースで流れていかねば、頭と心が混乱しすぎますので・・・。それに、自分が心から納得し、選択したものでない限り、気にかけなくなり、使わない無駄をしてしまった自分に気づいてしまうことになるので、私は流行に囚われないことにしているのです。
当然、勝気な私は、子どもの頃から連れトイレにも参加しませんでしたし、流行のお洋服が買えるような経済状態でもない家に育ったので、誘惑などありませんでした。遊び道具も同様ですし、塾や習い事も同じです。環境に左右されにくい条件が揃っていたので、Peer Pressureがあっても、それに歓んで反応することができなかった、というのが実際なのかもしれないです。が、それを長く続けていくうちに、大人になってからは、自分が選んだことを責任を以ってやることに徹するようになりました。物事を他人のせいにすることは一切なく振舞うよう決意しています。
食べ物にしろ、「あ、同じものでいいわ」という妥協がないことは、堅苦しく感じる人もたくさんいるかもしれません。家で母が作ってくれたものは食べますが、食べられないものを出そうとする母に、最初から「○×なら食べないから」と言うことは、冷たいことではなく、むしろ母にとっては手間が省けることだそうです。外でごはんを食べるときには、お金を払っているのだし、選択肢が多くあるのですから、私は自分で考える機会を大切にしようと思っています。
こうして、Peer Pressureに抵抗していると、脳みそもきっと活発なままで老いていけそうな気がするわけです(爆)。
さらに、子どもたちにみじめな姿を見せたくもなく、とりあえず姪っ子たち3人には、気の強いアメリカのおばちゃんでいたいと思っています。彼女たちがPeer Pressureに負けぬよう、背中を押してあげるには、私からして率先せねばなりません。大人になっても、他人の意見に振り回されていること、あなたにはありませんか?頭をフルに使って考え抜いて、自分ひとりだけが違う意見だとしても、決して恐れることがありませんように。
コメントを投稿するにはログインしてください。