SNLはすでにもう40周年を迎えてしまったのですが、当時の私はこんなふうに考えていたのでした。
うわぁ、もう25年。私はオタッキーではなく、ただ「あ、私も見てたよ、全員集合♪懐かしいよねぇ」程度にのみ、Saturday Night Live(サタデーナイトライブ)に慣れ親しみ、育ちました。そんなに詳しいテレビ番組はなかったし、洋モノが苦手だったのです。ここでバラすと、私は小さい頃かなりのとろちゃん(ちょっと蛍光燈ぎみにぴんぽーん!が来る子)だったので、冗談の質に追いつけなかったり、カタカナにものすごく弱かったです…。キュリー夫人(Madam Curie)をなぜか「きゅーりぃふじん」とアタマのなかで書き直したり、ビートルズはずっと「びぃとるず」のままでした。
そんなわけで英語の授業が中学1年で始まったときも、発音記号が読めなくて(ああ、あれは屁のつっぱりにもなりませんな…汗)、みんながカタカナで英語にふりがなをつけていたときにも、私はなぜかひらがなでつけていました。世界史も同様で、一段階どうしても作業が増えるのです。カタカナに弱かった…。なので、高校生になって社会科が選択になったときにはすかさず日本史にしました。理由はただひとつ、「カタカナを避けるため」です。驚くことにそれは大学受験のときもやっていました。
渡米して英語を勉強するときにもこの「カタカナをひらがなに直す一段階がたいへんに面倒だった」という動機ゆえに、英語はそのまま英語並びのアルファベットのまま憶えることにしたのです。そしたらものすごい時間の短縮になり、結局この長年の面倒さを引きずったおかげで英語に関しては純粋培養になったような気がします←意味わかんないか?
だから訂正しましょう。Saturday Night Liveについての知識・先入観はまるっきりゼロだったのです。渡米するまでずーっとその存在まで知らない Hip((最近の流行事情に明るい・進んでいる)からほど遠い子であったのです。日本で得た知識が少なかったせいもあり、アメリカやらヨーロッパ文化に対する自分なりに培ってきたモノを投げ棄てるのに、まったく抵抗はありませんでした。もしも中国留学で「漢字棄てろ!漢字に関する概念や知識棄てろ!」と言われたらわんわんおいおい泣いていたと思います。
映画と読み物を主にしていた私にも、テレビにケーブルという味方がつきます♪三大放送局(NBC・ABC・CBS)だけじゃなくていろいろ見れるじょ!と興奮していくわけです。
コメディー映画の英語で笑えるようになり、日常会話でそのWit(機智)に笑えるようになったある日、「受け取り笑わせてもらうばかりじゃフェアじゃない♪」となぜか思ってしまいます、この律義な私。初心者としては質問リサーチののち、どうやら30分のSitcom(シットコム:Situation Comedy:登場人物と場面設定とのからみのおもしろさで笑わせる連続放送コメディー)がいいとの結論に出ます。昼はシリアスボキャブラリー昼メロを1時間(ランチタイム)と、夜はクイズと Sitcomと決めたわけですね。そして出逢ったのですよぉ、Saturday Night LiveのRerun(再放送)に。
「あれれれれれれれ、この人ってぇぇぇぇぇぇぇ!」の連続でした。すごいすごいすごい。「この人もこの人もこの人もみーんなSaturday Night Liveの出身なわけ?そうじゃない人どこにいるのぉ?アメリカのコメディー界」っていうくらいのすごさです。誰かアメリカ人でおもしろい人って思い浮かべてみて、過去25年のなかのコメディー映画の出演者でここで下積みのあとテレビデビューしてない人って何人くらいいるのか、計り知れないですよぉ。
日本に渡っているコメディに出ていない人もおそらくダウンタウンの所得くらいは時間給としては稼いでいるんじゃないのか?と思われます。こちらではレギュラーは2本以上持てないでしょう。映画がクランクインして、1本以上成功すると、SNL(以下Saturday Night Liveの略・アメリカではこれで通用します♪)から卒業、ってことになります。そしてSNLのスタッフたちは、ライブショーで流行しているバーでStand-up Comedian(独演コメディアン)として地方成功している人たちのスカウトに励みます。新しい人材の発掘なのですね。
うーん、私がぱっと思い付くだけで50人くらいは居るからなぁ。オタッキーな人だったら隅々まで知っているのだろうけれども、私は年代順に言えない…。日本で人気がいちばんあるのはエディー・マーフィーかな。彼はSNLの25周年には出演していませんでした。それも笑いのネタにされてました(爆)。日曜日の夜になぜかタキシード来た芸能人たちが、SNLのために集まっていました。「うわぁ、こんな人たちがこのたった2分のクリップのためにわざわざ…?」と感動の連続♪なぜかDavid Bowie(デビット・ボウィ)がギャグかましてたりしておかしい…。Billy Crystal(ビリー・クリスタル。アカデミー賞の司会の回数がもっとも多いコメディアン)が、Danny DeVito(ダニー・デヴィート。バットマンリターンズでペンギン役など)に向かって「あなたは私のポケモン、どんなカードだってあなたのためなら交換するわぁ」とやってました。すっかりかっこよくなって最近ではSpanish Prisoner(スパニッシュプリズナー)でシリアスな悪役をやったSteve Martin(スティーブ・マーチン)にも「あなたぁ、偉くなったらもう遊んでくれないのねぇ」なんてやってました。
そして死んでしまった元出演者というのもたくさん居て、アメリカの番組は決して彼らへの感謝の意を表すことも忘れません。私はBlues Brothersという映画が大好きなのですが、そのなかに出てくる人たちもやはり、このSNLのバックグラウンドで始まりました。音楽もコメディーもSNLが育んだものがたくさん盛り込まれています。John Belusi(ジョン・ベルーシ)も若くして肝硬変→肝臓ガン→OD(overdose)で亡くなりましたが、Dan Aykroyd(ダン・エイクロイド)が彼のメモリーをプレゼンテーションし、サムライコメディのクリップを見たときには笑えました。現代の解釈なら民族侮辱なんだろうけど、うーん、おもしろかった。ちゃんとBlues Brother’s Bandのクリップも見せてもらいました。
最近ではChris Farrey(クリス・ファーリー)・Adam Sandler(アダム・サンドラー)・Mike Myers(マイヤーズ)も日本に行っている映画で笑わせてくれていると思います。
うーん、ひとりでなつかしさに浸っても仕方あるまい(爆)。
私はこのSNLの仕組みというか、「世界にしあわせを送る人々養成講座ステップ」みたいなのがうーんと好きです。日本の芸能界のように芸も能も少ないタレントまがいではなく、がんばった人がきちんと評価されていくように、コメディー発展に真剣な人々が素材吟味をして、個性に合ったSit Comを設定して、脚本を書いて、大人の遊び心をいつまでも忘れないで、収録のために並々ならぬリハーサルをして、お客の前で収録をして臨場感をシェアし、コメディとは縁遠いMC(Master of the Ceremonies:司会者)を選び、反省会を兼ねたパーティーで打ち上げをして出会いとふれあいの場を設け続け、映画やライブの案を広く募り、ちゃーんと映画で独り立ちしていきます。結果(国民・視聴者・観客からの評価)が常に試され、フィードバックをどんどん取り入れ、みんなが初心を忘れない現場。
そういうものが見ているアジア人のねーちゃんにも伝わってくるのってすごいです。日本でも「ゲバゲバ90分」とか「しゃぼんだまホリデー」がありました。青島幸男が脚本書いて、ハナ肇や植木等をはじめ、おもしろい人がたくさんいました。純粋におもしろかったです、子ども心にも。あれがまだまだ続いていると思ってください♪
こういうのがアメリカンドリームをまだまだ信じたいな、という希望へと繋がっていくと私は感じます。インスタントに老若男女を笑わせ、日々の憂いを癒し、明日へと希望を抱かせ、「丹念にこつこつ努力して邁進していけば自己実現はそこにある♪」というメッセージ。
観客のなかにずらーっと有名人が並び、彼らの1本の映画出演料平均金額はきっと東京のど真ん中に、老人介護施設を作れるほどあるでしょう。彼らが、進んでチャリティーに参加している姿を国民が見ていることも忘れてはいけません。たくさんの人に支えられたことを忘れない彼らは、ちゃんとまた人々のためにチャリティーの看板になります。私はアメリカのこういった感謝をどんどん表していく積極的な気持ちが好きです。たとえその何パーセントかには偽善が混じろうと、動機がなんであろうと、希望は持てるんじゃないか?と思います。自分を支えてくれた人たちに感謝する気持ち。嘘が入っているのでは?と疑うよりも、私はまっすぐに受け止めてから眺め回してみたいと思います。
SNLがこうして長く続いていることに、きっと意味があるのだということを再確認し、自己実現するためには努力がうーんと必要であることをまたまた再確認し、笑いを提供できるゆとりや人間性を考え、いつまでも人々に感謝する気持ちを忘れない謙虚さに美を見いだし、またアメリカという国を考えながら大泣き笑いした夜でした。
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