成長期の不思議

01/05/2008 にアップした文章です。

どうしてこのニュース?とはお思いでしょうが、私はこの手のニュースがたいへん好きだ・・・。メシの種にならないことをしつこく続けることは、ある種、私の誇りでもあり、うまいこと行ってメシの種になればいいな、とは思っているのだけれども、それほど世間は甘くない、と(笑)。けれども、研究者になるのはとても怖い。世間が狭くなってしまいがちになることもあるし、チームワークが大切なこともあり、しかも選んだトピックに基金(政府や公的機関や学校などの)がもらえなければ、ゼロのまま進まないのである。そこにはやっぱり政治が絡むのだ。心理学を選んだ時点で、「お金にならない分野」と諦めていたのだけれども、本当に日本では特にそうです。かといって、もうひとつの航空学のほうも、この歳になると、日本での蓄積・履歴がない私は、もうダメだしなぁ・・・。

さて、今日のニュースはこれ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080101-00000050-jij-soci 私の目標は、生涯学生で居続けられる環境を獲得して、死ぬまで学生を続けることなのですが、それにはお金がかかるので、目下、働きながらいろいろ模索しているところです。理想的には、高等教育を受け続けていくために、アメリカに戻ることなのですが、西さんの仕事の関係もあり、それにはどんなに早くとも3年から5年はかかることでしょう。そのあいだ、日本で可能なだけ、自分のフィールドを広げておくために、いろいろな分野を見て廻っていますが、「食べていくだけ」であれば確保できることがわかり、あとは貯蓄部分にもがいています。

ヒトが成長していく不思議というのは、私にとっては大きな興味で、このおサルさんの研究は、「うーん、やはり・・・」と思えるおもしろいもの。これはあと2年以内には心理学の教科書に載るんだな。

この研究の含蓄は、「実際の顔の表情を見ずとも、表情の違いを見分けられる」という結果から、表情を見分ける能力は、すでに脳にDNAとして内包されていることがわかるというもの。しかし、おサルさんが、人間かサル、どちらかの表情しか最長2年後、1ヶ月どちらかしか見ないで育つと、そちらしかわからなくなる、というおもしろい結果が出たわけです。

1個目の「実際の顔の表情を見ずとも、表情の違いを見分けられる」というのは、生きていくためのサバイバル確率を増やす大切なツールで、保護が必要な年齢である2歳までに、どうしても必要である「大丈夫か大丈夫でないか」という安全基地ルールを読み取るための必須。子どもが、たとえおサルであっても、Mobility(可動性)を身につけたあと、世界を広げていくためには、親あるいは親代わりからの「Go、Don’t Goサイン」を見分けていくことで、生き延びる確率と行動範囲を増やします。

鬼ごっこでいうところの「鬼に捕まらない安全地帯」が、正常時、親がいる場所であり、そこから離れるときに、GoかDon’t Goなのかのサインを発してくれる親か親代わりがいるかいないか、その表情が読み取れるか読み取れないか、は、自然界では、結果に大きな違いをもたらします。実験での、2年間、サルとヒトの表情を見ずに育っても、最長2年までであれば、その表情が読み取れる、というのは、歩行や行動範囲の広がりに比例している時間の幅で、とても納得できるもの。

その後、1ヶ月、どちらかの顔の表情にだけ露出されると、その露出された方の表情しか読み取れなくなるというのはおもしろく、その後の「依存度合い」が大きく哺乳類の脳に作用するという証拠になりえるという、すばらしい結果です。ある時期までに何かをやったり、触れたりしなければ、その後、花開かない能力は、これまでもいくつか見出されてきました。Critical Period(重要な期間)とされています。その逆で、「サルとヒトが生まれ持っている能力が、ある時期の偏り露出により、変化される」というのは、本当におもしろいことで、共存への大きなヒントになっていきます。

考えられることは、1.最長2年間、実際には見なかった表情をやっと得られたことにより、ヒトかサルかどちらかの表情に絶対価値を見出し、その他の哺乳類の表情は「ないものとみなしても大丈夫」という削除が行われる、のか、2.最長2年間の露出がなく、補強・反復学習がなされなかったために、神経回路の中で、表情を読む能力が萎んでしまい、キャパが減り、自分という個体に最も密接な親あるいは親代わりの種の表情しか読めなくなる、という2つの可能性。あるいは、両方かもしれず・・・。

ここから学べることは、1.たとえDNAにインプリントされているにしろ、人生の最初の2年間に、同種や亜種の顔の表情を読み取れたほうが、その後の人生にはよく作用する。2.同種や亜種の顔の表情を読み取る能力は、神経回路として他の能力とは別回路なので、キャパを増やすためには補強・反復学習をしたほうかいいかもしれない。

母親だけに密室で育てられるよりは、父親、デイケアや託児所、祖父母や親戚、兄弟などによる育児は、よい影響のほうがきっと多いのではないかと推測できる。信用できて、危険にさらされることがないのであれば、子どもは大勢で育てたほうがいい、ということが、推論として仮説が立てられるのではないか、ということ。

トラの赤ちゃんが、犬に育てられるというニュースを、昨年見ましたが、トラの赤ちゃんのほうがずっと大きくなってしまい、ふたりは引き離されてしまったようです。あのトラの赤ちゃんは、トラの親の表情が読めないのか?あるいは、身体が小さい犬である親の表情は読めたのか?セオリーがここでも通じると考えると、犬の親の表情は読めたはず。そして、2年以内に引き離されたので、その後、トラの仲間の中に入れられても、彼は充分に同じ種の社会の中で生き延びることができるはずです。

少し考え難い状況ではあるのですが、自分の種に育てられない赤ちゃんというのは、いかほどいるのだろうか?昔、オオカミ少女が実際にいましたが、彼女が見出されたのは、もう10歳近かったので、彼女は死ぬまで人間の言語が話せないままでした。人工的には、動物園で、上記のような擬似親子は組み合わせられることがたまにはあるようです。自然界では、どのくらいの頻度で起きるのか・・・。

ヒトだけで考えてみても、養子や養女を他の種が行うことは法律的にできないにせよ、そうしたアクシデントは、本当に稀なことで、報告されているケースはごくごく少ない。

核家族化が進んできた戦後、高齢化が進んでいく社会の中で、やはり祖父母が担ってきた役割を、もう一度返してあげることを検討したほうがいいと、私などは思います。相互自助ができるという意味で、社会はメンバーがたくさん詰まっているわけです。特に、離婚率が増えて、子どもを育てるのがたいへんな、女手ひとつの家庭などでは、こうしたボランティアを使いたい家庭は増えることでしょう。責任問題が伴うので、システム化するのはたいへんでしょうが、不可能なことではないです。考えてみたらいいと思うなぁ、行政・・・。

ことわざや慣用句を教えていて、やっぱりそう思うし・・・>子どもは大勢のバラエティがある人々の中で育つほうがいい。成長期の不思議を探索する研究者はまだまだたくさんいて、また新しい説をどんどん教えてくれるんでしょうね。楽しみです。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その75

Q75.

お勧めの作家を何人か教えて下さい。お勧めの理由もお願いします。

A75.

アメリカに20年いたので随分アップデートされてない部分も多くあるんですが、私はなぜか日本の大学が文学部国文学科だったので、古典を読むのは全く苦痛ではないのです。むしろ喜びと言っていいかもしれません。子どもの頃ド貧乏だったので、他の子どもたちが習い事に行っている時には、私は一人で遊ばなければいけませんでした。いい加減自分の順番がたくさん来てしまって疲れると、本を読むことになっていましたし、雨の日には必ず本を読むことになっていました。

小学校3年生か4年生ぐらいから、江戸川乱歩全集というのを全部読んでしまい、すんなり横溝正史も読んでしまいました。小学校5年からは大人の本を借りることが可能になり、ミステリーのいろははここでかなり習得したつもりでいます。ただ大人になってからは、渡米して しまったこともあり、ミステリー大賞などは全て網羅できておりません。

https://matome.naver.jp/odai/2147713936052807601

ザラッと見てみたんですが、過去30年出版のもので選んでいないものがちらほらあります。乗せられて読んでみる、という手もありますが、どうしたもんでしょうか(笑)。 こっちに帰ってきてからは、明治時代以降の作家を読んでおこう!という意欲があって、 作家ごとに住んでいます。 http://www.coara.or.jp/~dost/bun1-2.htm こんな感じですね。その中で誰がおすすめか?というのは、人の自由でいいんじゃないかなと思います。ただ古典は読んでおいて損は本当にないんじゃないかと。

昨今、時代小説も 古い時代に書かれたものを読んでいて、岡本綺堂・林不忘・野村胡堂・久生 十蘭・佐々木味津三など、全巻が100円程度でKindle本で読めるものは、かなり楽しめます(笑)。

藤沢周平・海音寺潮五郎・司馬遼太郎・池波正太郎・山本周五郎・吉川英治・大佛次郎・柴田錬三郎・子母澤寛・山手樹一郎・山田風太郎など、作家ごとにあらっぽく読んできました。昨今の方々では、佐伯泰英・浅田次郎・小杉健治など、数冊読んでまだ全巻制覇しておりません (・・;)

日本にいるあいだに、手に入るものを読んでおきたいというのがあって、古いものにこだわる傾向が昨今あります。東野圭吾や宮部みゆき、売れている作家のものはいつでもまだ読めるんじゃないかと思っているところなのです。淘汰されてもまだあったら、おばあちゃんになって読めばいいじゃーないか、というところがありますね(笑)。

絵本もまた読み直しています。大人が読んでもいい絵本はたくさんあって、https://honcierge.jp/articles/shelf_story/869 
https://mamagyutte.jp/otonaehon/ 
昨今は立ち読みを3冊はしてから書店を出ます(笑)。

とはいえ、商売で英語をけっこう読んでいるので、自分の時間がなかなか取れないところです。スキマでけっこう読んでいますが、昔ほどではないのかなぁと思う、けふこのごろです。

Rescue Personality

01/04/2008 にアップした文章です。

近頃、英語の本を読んでいなかったので知らなかったのですが、いや、生活に追われていたので、ネットで検索する事項が多岐に渡っていなかったのですが、どうやら心理学界では、Rescue Personalityという新たなる展開があるらしい。うーん、おもしろい。アメリカのドラマを見てもわかるように、たくさんの「人助け」な人道的ドラマが人気が高い。それもこれも、911以来のことなのですが、ドラマや映画の人道的風潮は世界的な常識になっている。実際に、日本でも24やらERやらずっと「人助け」は流行ってきたんですもんねぇ。

http://www.massey.ac.nz/~trauma/issues/2005-2/wagner.htm オーストラリアには災害ジャーナル(学界論文をジャーナルと呼ぶ)があるのか・・・。さすが自然災害に準備を怠らないところは違う・・・。
http://www.defrance.org/artman/publish/article_1491.shtml が、これを全否定している学会もあり、けっこう物議をかもし出しているようである。

レスキュー:〔rescue は救助の意〕消防や警察に置かれて、火災や大事故などのときに人命救助を主目的として出動するチームの通称。
救助:災難や危険にさらされている人をすくいたすけること。
災難:思いがけない不幸な出来事。わざわい。難儀。災厄。

Fictionなのか、Factなのか?(事実か虚構か?)というところで、性格とするのはどうなのかな?と私もそれは思う・・・。長らく心理学を学んできたものとしては、やはりこれは性格の中のある一部で、大きな一部だと考えるかどうか?という度合いの問題であり、それに支配されてすべての言動が動いたり、決断をしたりすることは、ごくごく稀なことで、ゼロと決して否定はできないものの、おそらく天文学的確率になるのではないかと・・・。なので、性格として既定するのには、かなりな難易度がある、というのが、私の早々とした結論。

しかし、これについて考えてみるのは、とてもいいことだと思える。

たとえば、Critical Incident Stress Debriefing (CISD):危険な事故のストレスについての詳細質問をすること、という能力は、たくさんの職業の人々に要求されていることで、日常の暮らしの中でもこれがあるかないかで、危険回避や危機管理や立ち直りの部分で、たいへんな貢献度をもたらす能力になります。このStressという言葉は、日本人には、ストレスとカタカナでしか意味が取れないかもしれないですが、英語の場合は、事故そのものの中にあった重要性や強勢を解く鍵にもなり、原因究明のための詳細質問をする技術でもあり、警察官や検査官や消防員などにはとても必要な能力です。

少しスケールを小さくすると、それは母親や父親であろうが教師であろうが、兄弟であろうが友だちであろうが、上司であろうが、持っていたほうがいい能力であり、どんな物事でも、問題がゼロだという完璧な世界を確立しているものはなかなかなく、このCISDを持っていることは、オトクなのだ。

実際に、火事やレイプや殺人に直面する人の数はそれほどではないにしろ、愛する人の死や自殺、地震や解雇など、ありえないことではないわけです。そんなに年がら年中起きてもらってはつらいことではありますが、鬱病やPTSDに繋がるほど、立ち直れない落ち込みがこれらを境にして起きることはよくあります。

しかも、災難に遭ったことがゼロ・皆無だという人は、そういう意味ではあまりいないのではないかと思います。たとえば、ある人にとっては、「かけっこをして転ぶこと」は災難かもしれない。昨日までとても倖せだったのに、突然別れを告げられたことも災難かもしれない。その人には「そんなことも起きる可能性はあったのだよ」といくら他人が諭してもわからなかっただけで、聞いてこなかっただけで、青天の霹靂のように起きてしまった不幸と捉える人は、やっぱりかなりの数いるんじゃないかと予測できます。ヒトの成長のスピードはそれぞれなので、それでいいと思うのです。

その点、私はどうも慎重すぎるようになったのか、思うことを低め設定にしているのか、事故確率をしっかり掴んでいるのか、「たとえ自分が万全を排していても事故に遭う確率は、物事によって5%以上はあるし、他人がたくさん関与したり、人が山ほど集まるところでは事故や災難は起こりえるし、物事は予定通りには行かない」ということを、よく知っています。

たとえば、受験や失恋や昇進で渦中にいる人に何が言えるのか?これが、CISD能力なのですよね。この(彼らにとっては突然起きた衝撃的な)事故や問題について、それらの痛みやショックが拡散するように、事故が起きた直後に、詳細に質問をしながらの充分な聴き取りをしていき、その人がその後もPTSDに強く苛まれないよう(あるいはまったくPTSDの症状が出ないよう)にするものです。

その点、昔は井戸端会議などという近所の奥さんたちが集まって、それほど重大ではない会議をしていたものですが(あ、ただの雑談ですし、終わりも始まりも秩序があったわけでもなく・・・)、あれはあれで、役割があったんですよね。実は他の文化にもあのような形態のものは見られており、洗濯場というのが多く、井戸や川や貯水場のそばで、女性たちが話す文化については、けっこうな数の報告がされています。あの頃の質に比べて、今、日本に残されている井戸端会議に近いものは、Openness(開放度)が下がっているように思えます。公園デビューをした子どもたちのそばで、ベンチに腰掛けて見ている母親たちの心の中には、だんなや子どもの悪口をあけっぴろげに言っていたときとは、少し変遷したものが渦巻いているような気がします。そもそも、時間がなくなってきた、というのがあり、幼稚園バスなどの送迎でも同じことが言えるのでしょう。共働きが増えて、手を動かしながら不満を発散するようなシステムは、今、都会に住んでいる人の生活にはなかなかありません。回数が減ったということは、たとえ他人の問題だとしても、問題解決や心の暗さ軽減のために、話しかける言葉も発していないわけで、第三者が別の第三者に対してアドバイスをしている場面も目撃していないわけで、それが殊(こと)自分の身の回りにいる人に起きたときの「いざというときのための練習」も足りておらず、どんどんプロへと行くことになっていくのですが、「プロに行くなんて・・・」という意識もまだまだ確かに風潮としてあり、医師は投薬するばかりで、実際の根本解決には大して貢献しません。

企業では、産業カウンセラーを置くところも増えてきましたが、パートやアルバイトに対しての措置がない会社も多いです。ましてや、家で子育てや家事に専念している人たちには、公的機関のカウンセリングやセラピーはめったにないわけです。ましてや、介護をしている人々に対してのヘルプは、時間的に穴が空けられないという、切ない現実もあり、どんどんと煮詰まっていくのでしょう。

Critical Incident Stress Debriefing (CISD)とまで行かずとも、人の話を、特に不幸なことを聞いて、アドバイスをしてあげられる能力は、あったほうがいい。共感して、自分のことのように扱って、問題が軽減するようにしてあげたいと思える熱意があったほうがいいです。

その機会(チャンス)が減ってきたことを知っている人々は多いはずですが、その措置はなかなか為されていないのが現実です。Rescue Personalityは社会に生きていれば、各個人の心の中にあって然りな性格の一部であってほしい、と、強く願います。

バイオリズムをもう一度考えてみる

01/03/2008にアップした文章です。

物事が周期的に起こるのだ、という自然法則を見逃して日々暮らしている人は、けっこう多いのではないかと思うのである。新年の始めに、このポイントを押さえておくと、気分が萎えることを避けられたり、来るべき不調な時期や出来事に備えたりすることができるのではないか?と、ちょっとお節介かもしれない提案。とはいえ、これは自分に向けての啓蒙であり、あまり他人様には影響がないかもしれない(笑)。あ・・・、生徒さんには直接関係あるよなぁ・・・。

周期:(1)一まわりの期間。(2)〔物〕 一定時間をおいて常に同じ現象や運動が繰り返される時、その一定時間。(3)〔化〕 周期表中で、横に配列した一群の元素。
自然法則:(1)自然界の現象や秩序を支配していると考えられている法則。自然律。(2)当為を表現する規範法則に対して、自然界における事物や出来事の間に成立する普遍的・必然的な因果関係を表現する法則。
バイオリズム:生物体の生命活動に生じる諸種の周期的な変動。体温・ホルモン分泌・代謝・月経など生体の重要な機能にみられ、一日を単位とする睡眠と覚醒はその典型例。人間の知性の働きや感情の変化の周期性についてもいう。生物リズム。→生物時計

ヒトの周期は、身体的なものを考えるだけでも数多くあり、ここにすべてを掲げようとしてもできないかもしれません。1日をつかさどるのが、体内時計ですが、そのほかにも、月・季節・年・数年(たとえば細胞周期は事細かく、ここに記載するには大きなジャンル)で、最後が人生という単位になります。生命体のすべての連鎖の中に組み込んで考えていくと、もっと大きく世代なども枠組みとなり、ヒトの周期にはいろいろなものがあるということがわかります。

学校の理科や科学で、これを教えてくれたはずなのですが、日常と密接に関係あるように説明してもらえないものだから、どうも忘れてしまう。「へぇ・・・」と思うに留まり、あるいは「試験に出るかもしれない」に留まり、ものすごく高学歴でも、すばらしいお仕事をしている人であっても、これらを無視するような暮らしを続ける人々は多くなってしまいます。

ただし、バイオリズムという考え方そのものは、統計学的なものであり、実際に女性の月経にズレが起きるように、内因&外因の影響を受け、絶対値があるものではないので、擬似科学とするのが一般です。自然界から遠く離れるように文明や利器を使い始めてから、脳が大きくなってから、ヒトは「自然だけではなく、人工的に作られた物事からの影響」を大いに受けるようになりました。国際化が進むことにより、メディアが発達することにより、その影響の受け方はさらに細分化し、影響の強弱にも個人差が大いにあるようになってきました。そのため、自然法則である周期が崩れ、疾病や精神疾患などが起こるようになっています。交通手段が発達したり、メディアが発達するということは、物理的な移動が叶うことになり、会える人間の数が増えたり、処理しなければならぬ情報が増えることになります。

バイオリズムの基本情報>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 
http://en.wikipedia.org/wiki/Biorhythm >英語の解説

この英語の解説の中にあるように、この9つの周期だけは確かですから、これがズレた場合には、内的あるいは外的要因に左右されたがゆえにズレた、と考えられます。
Ultradian :24時間以内の周期。たとえばヒトの集中力など。鍛え方にもよるが、45分や90分など。睡眠ステージサイクルも90分刻み。
Circadian :およそ24時間周期。太陽に支配されているリズム。
Infradian :3・4日周期。
Exogenous :外的要因に影響を受ける周期。
Endogenous :外的要因に影響を受けない周期。
Circatrigintan :25-45日周期。月経や皮膚細胞などの周期がこれです。
Circavigintan :3週間周期。
Circadiseptan :隔週周期。
Circannual :年周期。

http://home.att.ne.jp/yellow/tryspace/ このサイトは、疑似科学になる感情・知性・身体の3つのサイクルを生まれ日から計算するもので、外的要因を含みませんが、参考にはできるかもしれないので、覗いてみてくださいね。

たとえば、大食い。「年末年始に過食をしてしまい、元に戻したいのに戻らないよぉぉ!」というのがあるかと思うのです。今年、私はそれがないんですけれどもね(笑)。食べ物がしっかり消化されて体外に排泄される周期があります。それが、24時間以内の周期なのですが、これが過食してしまったために作業時間がかかってくるようになる。ゆえに全体的時間がズレてくると、活動している胃が大きくなったために、さらに食べ物を欲する。精神的にも食べたくなる。食べてしまう、と、またこれが繰り返されて、ズレは後ろに時間が足されていくことになる。女性の月経前後の過食はこれに当たりますが、ホルモンなどがサインを出してくれれば停まるのですが、内的影響がない限りは、飽食の時代、たくさんの食べ物があるので、なかなか歯止めが利かない・・・。ここにまた、食事の内容や、いっしょに食べる人たちや、機会(忘年会・新年会・誕生会などなど)も違って、好き嫌いやその他まで加味されていくと、リズムが変わっても、なかなか戻すのが難しいことになります。

睡眠もそうです。一度夜更かししてしまうと、リズムがズレてしまいます。私は睡眠が足りないとまったく使い物にならないので、食事を抜かすことよりももっと注意を払っています。

こうした周期について考えてみることで、「しないほうがいいな」だとか「こうしたほうがいい」というアドバイスを、自分の身体の自然なリズムから聞き取ってあげることができることは大切です。最初は、ただの知識かもしれないですが、直に、自分の身体が訴えてくるものがわかってくるようになります。

私がいつも驚いてしまうのは、自分の月経周期がわかっていないお嬢さんたちが多いことや、わかっていてもすぐに忘れてしまっている女性が多いこと。男性にしても、疲れのピークがどこに来ているかに鈍感になっており、休息が必要だということが認められず、降参してバケーションやお家にじっくり居てお休みすることができない人が多いこと。

校長センセは、睡眠確保のために、時差ボケで苦しまれたこともあられるようで、メラトニンをネット購買していらっしゃるようですが、こうした努力は必要ですよねぇ。そして、こうした努力をしたあとでも、やはり海外出張の直後に出社せねばならぬのであれば、休息の取り方もしっかり心得たほうがいいです。無理をして、その疲労を蓄積していくと、どこかでやはりツケは払う羽目になるものですから。

さらに、精神的なことも加味して、自分の周期を掴んでみる。これは今年の抱負にしてみてもいいかもしれません♪ご自分の睡眠時間は何時間がベストかわかっていて、それを実行していますか?

思ったよりいいかも

01/02/2008 にアップした文章です。

今だから言えることなのですが、毎日の日々をこなしているだけではなく、それなりに思い通り・計画通りに行っているという実感を得られるのは、やはり毎日にチャンスがいくつも転がっているのだなぁと、久々の発熱に喘いだあとに思うのです。医者がどこも閉まっていたせいで、市販薬しかなかったのですが、母が買ってきた1800円で18カプセルのもの、今回ものすごく効きました。それも「思ったよりもいいかも」で、それには根拠がたくさんあるにせよ、期待値が低かったがために、余計にヨロコビもでかいのだろうし、立てないくらいになっていたので、もうすでにピークだったからなんでしょうが(笑)。思ったよりいいかも、と思えることが1日何度くらいあるのか、ちと考えてみる・・・。

私は楽観的な人間のはずなのに、自分でやること以外に関しては、何も期待しないよう、自分を躾けています。世間に対してはそれほど楽観しておらず、他人に対しては期待せず、に徹しているところが、私がチームワークやオフィスワークに向かない由縁です。うーん、こう表現すると語弊がありすぎますが、信頼していないから、ということでもなく、人としてある段階までについては、最初に会ったときにスクリーニングをしており、それにクリアしていれば、そこそこは信頼しています。が、人というのは状況やメンツやプライベートなことで左右されて然りなので、いつもそのたびに、内容(Context)と登場人物(Characters)と起きている時期(Timing)とそれらが位置している器にもなる環境(Environment)を、チェックリストで、もちろん行き届かないにしろ、チェックを心がけることは忘れていません。やはり被害者になったことがある人間としては、面倒でも、「もうあんなことは繰り返したくない」という大いなる決意のようなものがあるんでしょうねぇ。もちろん、どんな問題にしろ、いくらでも「うまく根本解決してやりぬく道」というのがあることは信じていますが、人がたくさん関与することに積極的に関係していくようなエネルギーはないのだということがわかっており、自分が求められている範囲が明確であれば、そこまでであれば、という心持になるんですが、キリのないことにはどうしても参加できない勇気のなさがあります。

逆に言うと、ダメであろうと思ったことにやはり心が萎えるために参加することはできない、ということですか。学びの場としてナニモノも得られず、徒労になることをわざわざやろうとする勇気は、誰かの生命が掛かっているなどがなければ、とてもできそうにないです。けれども、私は怠け心があるわけではなく、働かせてもらえたり、招いてもらえたりすればどこにでも出向きますしね。学ぶ場と必要とされている技術が提供できる場があれば、条件が整っていさえすれば拒否はほぼありません。

私がOLにならないと決めたのは相当に早く、「将来何になりたいか」というのが夢ではなくなったステージ、だいたい中学生くらいのときだったと思います。小学校でも中学校に入っても、私には団体による達成感というのが、どうもうまく得られなかったことにあります。中学のときには、合唱部だったのですが、部活動なのに、合唱部だけは、合唱団と自称しており、全国大会に出るいい成績の中学校だったのですが、そこには中学生が充分考えられるくらいの政治が渦巻いており、パワーゲームの縮図を見るのはそこから始まったとも言えます。そこでは、ピアノやその他の楽器を今までに習ったことがある人のほうが、やはりチャンスは大いに増えたし、先生に気に入られたり、先輩に気に入られたりした人のほうがずっとコンクールに出られるチャンスがたくさんありました。なんだか暗い気分になったことが多かった。クラシックコンサートは嫌いだったはずで、それでも入賞した賞品として案内されるコンサートに行かされて、眠らないように努力した記憶があります。

「合わせる」というのがいかにたいへんで、団体の中で行動することをミニマムにしようと心がけてから、私は「思ったよりいいかも」と毎日感じることができるようになったことに、ものすごく驚きました。「自分が」考える・予測する期待値に左右されればいいことになったからです。第三者の感情的な物事が左右する回り道を迂回することができるからです。

たとえば、多摩川までの冒険決行にしろ、子どもたちの人数が増えれば増えるほど、決行までの道のりは遠くなり、ハードルは多くなる。子どもたちの年齢やその能力、親御さんたちの意見、行く手段に関するいろいろを考え、何を以って冒険とするか、などなど。さらに第一歩をよしんば踏み出したにせよ、泣き言を言われたり、アクシデントがあったりすると、冒険はおろか、家路に戻ることすら覚束なくなる。

大人の世界では、特に仕事では、これらがもっと顕著に顕れて、私はどんどん何もしたくない病になるわけです。

一時期、自分のことをずーっと責めてばかりいたわけですが、そこで誰かが「君は君らしくいていいんだよ」と言ってくれただろうか?という記憶をなぞってみました。やはり私には死ぬほど殴ったし怒られたけれども、褒めてくれる父はいたし、文句も多かったけれども、優しく励ます母はいたし、知らないおじさんや、近所の人たちも決して直接嫌味なことを言ったわけでもなく、「楽しいな」と思えることはあったのです。けれども、どうしても他人に決められたことがうまくできない。

他人が決めた尺度・期待値・規範などに合わせようとすることは、私に気がないあいだは、何もうまく行かず、よしんばうまく行ったとしても、私が「思ったよりいい」ところまでは行かないし、感じないということに気づき、図書館通いのほうに逃避するわけですが、あの選択は本当によかったのか?そして、他人と違うことを貫き、特例としていくつかのことを許されてしまったがゆえに、仲間の年代からの不評を買い、それでも生きてはこられて、尖がりながら、やはり就職はせずに渡米したことは本当によかったのか?と、その後の積み重ねについても考えてみています。

今、こんな大人になった私は、負け惜しみではなく、「よかった」と思っています。もちろん、「威圧感」「違う」「変」「社会経験が少ない」などなど、今でも支払わねばならぬ代償はありますが、私がやっていることは、私が決めたことを目標としたことを達成するためのGive and Takeを伴うが、必ず自分の信念のうちにある品格を落とさぬ範囲のもの、と決めている譲歩です。

自分が考える正しいことや、恥ずかしいことや、やったほうが学びになることや、決められたルールの向こう側にあることを、ずっとずっと考えながら来たことに関して、とてもいいことだと思っており、マニュアルや他人が考えたルールにただすんなり乗らないことが、日々の「思ったよりいいかも」をどんどん繋げてきてくれていると、今では、子どもの頃のけなげな態度を貫いたことを、なんだか宝物のように思えています。

私は質問魔のようで、どこに面接に行っても、どこに営業に行っても、質問をたくさんして、「お!?」と思ってもらえる半面、「鬱陶しいやつだな」と思われるリスクも持っています。いつも何かに対して疑問を持ち、こうかもしれない、こうなるだろう、こうなってほしい、こうなるようにこうしよう、と考えながら、何かを行う。もう癖になっていて、考えるのをやめろ!と言われても、高熱が出て考えられないだとか、酔っ払いすぎたとか、眠くて死にそうだとかいうとき以外は、もう無理なようです。

「思ったよりいいかも」とそれでも謙虚に出てくる結果について考えられるゆとりもあって、毎日いくつもの「思ったよりいいかも」があると、「ああ、今日もいい日だった♪」と思えるバロメータ。ひとつひとつの授業もそうだし、乗った電車での時間の使い方もそうだし、手に取った本もそうだし、料理にしてもそうです。買い物はめったにしないんですが、買い物も同じ。

今年もたくさんの「思ったよりいいかも」が増えていき、たまに大いに「世の中捨てたもんじゃないな」があると、元気に生きていけるような気がします。みなさんは、「思ったよりいいかも」を感じていますか?

新しい年が始まった

01/01/2008 にアップした文章です。

大晦日は大事を取って、PCの電源をなるべく早く落とし、ハロゲンヒーターを使って、ネコたちと安眠しました。が、今朝は早く起きてしまい、ゆっくりとシャワーを浴びて、しっかりと髪を乾かしました。ここから髪にタバコの匂いがつかぬよう、風邪が悪化しないよう、ちと禁煙を試みます。こんな気持ちになったのは久々で、気管支炎になっても「タバコは吸いたくないっ!」と思ったことがないので、かなり今回のぶっ倒れたことはショックだったようです。風邪の最中にカフェインはいいのか悪いのか、ひとしきり調べてみたのですが、まぁ、悪いとは書いていなかったし、むしろ「副交感神経を刺激して風邪を早く治す働きがある」とあったので、ブラックで飲んでいます。

なんとなく治ってきたとは思うので、緩めに今日を過ごして、明日ゆっくりして初詣に行きたい誘惑に勝てれば、きっと13日まで休まずともやっていけると思うのです。年越しまで起きていたのか、うつろだったのか、0:00になった瞬間の記憶がないので、小学校低学年のとき以来ぶりに、年越しの瞬間に起きていなかったことにカウントできてしまい、かなり損した気分ではあります。が、身体が資本だし、しょうがないよねぇ・・・。

今朝はお雑煮はやめておいて、昨日のスープの残りをおなかに入れて、戻って来てから身体と相談して、何を食べるか考えようと思います。おせちは用意しないでくれと、そもそも母には頼んでいたんですが、こうなるともう何が食べたいか、よりは、何が食べられるかという選択なので、けっこうよかったかもしれないです。明日になれば、もう少し選択肢の幅が増えてくることでしょう。母がボーイフレンドの家から戻ってくるのが、2日の夜なのです。出たり入ったり、ボーイフレンドのほうもけっこう迷惑なのではないかと思えるのだが(笑)。

シメシメと思うのは、ネコたちには行事の通念がないので、特にお刺身を買いに出かけずとも大丈夫なところ。わざわざ出かけるのはちょっときついので、仕事の帰りに気が向いたら買ってこようと思っています。彼らは私よりもある意味大切なので、ご機嫌よく私のそばで癒しのセラピストでいてほしいわけで・・・。今日の残りと、明日1日、彼らによって癒されないと、3日から13日まで保ちませんから。

母がボーイフレンドの家に行ってくれていいなと思うのは、やはり、眠っている身では、彼女の話している内容やその数がとてもいらついて、邪魔になることが多いこと。健康な人にはわからないことなのでしょう。私がいつも他人に威圧感を与えているかもしれないことを、彼女は私にここのところやっていたわけです(笑)。

子どもたちを教えていて思うのは、「大人だからわかるよ」という自信は必要なものの、彼らが自分で理解して解けるようになることを教えることであり、「こうでしょ、こうじゃない、こうじゃないとね」と見せておしまいなわけじゃないなということ。英語学校では、中学・高校・大学など、バックグラウンドが違うので、共通の理解ポイントを探すのはたいへんですが、その分、お互いが教えあう雰囲気もできていいのです。が、プライベートレッスンのときはやはり違い、「わかって当たり前」ということは何ひとつないのだという探りあいから始めなければならぬということ。

物欲がない私ですが、ここ2日間うつらうつら寝ていて欲しいなと思ったのが、DS Liteでできる大人の漢検ソフト。本を読む時間を減らしてでもいいから、ちょっとやってみたいなぁと思いました。で、値段を調べてみたら、20000円は切っているんですね。ソフトのほうは3000円もしないようだ。うん、考えておこう。結局、年末はものすごく忙しくて、母に図書館に本を返却しに行ってもらって、私は借りてはいないのです。年始の開始が、4日ですが、開館時間が朝9時からなので、8日まで行けません。まぁ、電車移動で実際に本がどうしても必要な5日と8日以降からのことを考えれば、5日だけ我慢すればいいんですけれども・・・。

今年は何冊本を読んだのか、記録しておくのはいいかもしれないと思っています。

西さんからはメールが来ましたが、クリスマスのときや誕生日のときもくれるし、今日のもけっこう節目にぴったりな、いいことが書いてありました。西さんは、この数ヶ月で台湾と蘇州の行ったり来たりの往復を何度やったことやら・・・。しかも、新年の実感はさほどないことでしょう。日本人暦で生きていないのかもしれず、あるいはどちらでもいいや、とも思っているのかもしれず・・・。

年末年始の番組で楽しみなものは、TVの番組表のマガジンを見たのですが、特にありませんでした。ひとつだけ、海音寺潮五郎の『天と地と』のドラマ化を、1月6日にやるので、見たいとは思うのですが、見られません(笑)。仕事が9時間も入っています・・・。休み時間を入れて、拘束10時間半くらいなので、その日もほぼ何もできないくらいの状態で、1日が暮れていくのでしょう。

きっと8日までは、ニュースもろくろく見られないような状態だとは思います。が、2日がお休みなので、どのくらい復活できるかわかりませんが、なるべくエッセイは休まないようにしたいと思います。新年早々ケチがつくのも縁起が悪いですもんね←とはいえ、私の縁起担ぎは、こうしたことにはあまり根ざしていないような気もするんですが・・・。

そういえば、風邪薬を飲むとやたらと喉が渇きます。これが最もマイルドな副作用なんでしょうか?30日からこっち、1日5リットルくらいの水分を摂っていると思われるのですが、さらにものすごい量の汗をかいていると思われるのですが、それでもまだ喉が渇くのです。授業の最中は、ペットボトルすら持ち込めないのが、続きますので、ちときついですね。5日の英語学校はノビノビできますが・・・。

のど飴もきっといけないんだろうなぁ・・・。

具体的に何か今年の抱負を考えようと思っていたのだけれども、今はまだ少し朦朧としたところが残っており、それほどはっきりしたものにはなりそうにない・・・。新年は始まったものの、仕事が12日一杯までこなせなければ、きっとこのままでなし崩しに抱負が出てこないまま終わってしまいそうである。

新年になって何がうれしいかというと、年末のときのように待ち時間は減るだろうと思うのだ。さらに、生徒さんのキャンセルの時間もぐんと減ると思うのだ。新年はやる気が高まっているときなので、学習効率もとてもいいはずで、教えるほうとしてはやりがいがあります。

今後、何かまた抱負になるようなことが出てきたら、エッセイの中に盛り込むということで、許していただきませう・・・。

明るさに救われる

01/11/2008 にアップした文章です。

新年になって、寒いことも手伝って、年末に高熱でぶっ倒れたこともあり、なんだかメリハリがそれほど利いていない2008年を開始したのですが、時間の合間を縫って、髪をまとめに行き、そのあともわんさか入ってくる授業の内容が、英語ばかりであることを祈り、英語の生徒さんたちに逢うと、明るいことに救われます。受験生も、私が思っているより深刻でもなく、明るいのです。特に明るいのは、私の母で、彼女は何があっても明るい。「ボケているんだけど・・・」と自分のマヌケなことをいろいろ話していますが、彼女は決して認知症の傾向があるわけではなく、30代から今とまったく同じなので、性格なのでしょう。さらに、ネコたちはいつも救ってくれます。おとぼけ、と簡単に片付けられないほどの明るさです。

明るい:(1)光が十分にある状態である。また、そのように感じられる状態である。(2)色が澄んでいる。黒や灰色などがまじらず鮮やかである。彩度が高い。(3)人の性格や表情、またかもし出す雰囲気などが、かたわらにいる人に楽しく、朗らかな感じを与える。晴れやかだ。楽しそうだ。(4)物事の行われ方に、不正や後ろ暗いところがない。公正だ。公明だ。(5)未来のことに対して、希望をもつことができる状態である。(6)(「…にあかるい」の形で)その物事についてよく知っている。精通している。くわしい。
救われる:悪条件の中にも良い条件がある。悪条件が一部解消される。

この語彙を読んで思うのは、「ひょっとするとイチバン暗いのは私か!?」というもの(笑)。特に暗い人間でもなければ、隠すことがあるわけでもないのですが、やはり疲れているのは確か。昨日、自分でもすんごく驚いてしまったのは、続けて9時間半も寝てしまったことである(笑)。いくら大人になっても、老化しても、私は睡眠ということで悩むのは、かなり先の話になるのではないか?という予兆です。しかし、いかんせん健康なもので、太陽が出てくるとなかなか眠り続けていられないのがミソで、朝早く起きるのはさして苦ではなく、自然な成り行きで、夜遅いのが続くと、ぐったり疲れてしまうんですなぁ。とはいえ、1時に眠っても7時間睡眠確保だと、8時までですから、お天道様がカンカン照らしている時間にもならないのではありますが・・・。

若い頃は、夜中まで働いていてもまったく元気だったのですが、アメリカで早寝早起きな暮らしを続けていたせいなのか(勉強に焦っていたとしても、どんなに遅くとも夜中の1時には必ず眠っていたし、何もなければ12時前になるべく眠るようにしていた)、日本の23時から開始するTV番組を見ていると、どうしても遅くなってしまいます。TVを点けなければいいのですが、図書館にしばらく行けなかったので、本がなかったのですよ・・・。今日、行ってきたので、明日からは特にTVを点けなくて済むのですが、どうも「何もしない状態」というのがどうしても耐えられず、睡魔がぐわーーーんと襲ってくるあの瞬間まで、どうしても何かしていたいらしい(笑)。

母も私と2・3日ズレて、風邪っぽい症状が出ていたのですが、彼女は鼻がかめるので、威勢のいい音を立てて鼻をかんでおり、食べるものも拒絶することは一切なく、むしろ、甘いものを摂らないように心がけるほどの元気さです。彼女の明るさの原因は、おそらく、独り言が多いからなのでしょう。何をやるにも、リズムがあり、音といっしょに動いています。音がしない場合には、さみしいのか何なのか、ひとりで話し始める(笑)。そして、着るものもなんですよ・・・。明るい基調の色が大好きで、今月ちょっきり70歳になるというのに、オレンジや黄色や赤をしょっちゅう着ます。さすがに最近ピンクは減ってきたものの、私とは正反対の明るい色が好きで、私の洋服は「黒や茶ばっかり」と言いながら、洗濯物を干したり、抽斗の整理をしたり、と忙しくしているのですね(笑)。確かに、彼女の持っているワードローブと比べれば暗いだろよ・・・(汗)。

ネコたちも1日14時間も寝る割には、起きているときはうんと明るい。かわいそうなのは、広さが圧倒的に奪われたことなのですが、発作的に飛び跳ねたり、走り回ったりしています。その意味がありそうでなさそうな行動を見ていると、思わず笑みが漏れてしまい、救われますねぇ・・・。ちょこんと座って、お約束行動である、見上げをするときにも必ず笑ってしまいます。すでにごはんを食べ終わっており、残っているネコ用ごはんがあったとしても、私が帰ってきてごはんを食べ始めると、決まって横の下に陣取り、見上げるわけです。「もしかすると、人間ごはんでもらえるものがある場合に備える」というかわいらしい行動(笑)。もちろん、上げすぎてはいけないんですが、楽しみの大きなひとつですから、上げられるものがある場合には、ちょこっとだけ上げることにしています。

さらにかわいいのは、トイレに入る私にくっついてきたり、お風呂のあいだドアの向こうで待っていたり、眠るときには移動して私が寝やすいようにしてくれたり、ハロゲンヒーターをつけると、「おいおい、毛が焦げるよ・・・」と思うほどに擦り寄ったり、腕枕と私の身体のあいだにすっぽり包まれたりするときです。ネコが喉を鳴らす音は、あんなに大きいものなのか?と思うほどに、うどちゃんのゴロゴロ音は大きい・・・。疲れないのか、この人・・・、と思えるほどに長いあいだやっているわけです。捨て猫だった期間が長くなればなるほど、このゴロゴロ音は小さいし、短いのは、偶然ではないと思えます。彼らには彼らの成長のプロセスがあったんだろうな、と。

そこで、明るい気持ちになったあと、少し切なくなる・・・。

完全休日まであと4日ほど。とにかく1日ゴロゴロしていたいし、読書三昧したいものです。明るい人とネコに救われることを期待するのも申し訳ない。私のほうが、明るさで誰かの心をほっとさせたいものです。

ネットでも、惰性&習慣でニュースを読んでいて思うのは、明るい話題のほうがアクセス数が多いこと。もちろん、話題性があるのがイチバン多いんですが、意味もなく「どうした、このアクセス数!?」と思えるのは、明るいことのほうが多いです。みんな疲れているんだろうなぁ・・・。

今の私の救いは、周囲が明るいことに加えて、化粧をして出なくていいこと。これで、さらに化粧の義務が発生したりしたら、疲れは倍増します。化粧を落としたり、コンタクトの洗浄をしたり、とさまざまな小さい義務が発生すると、ますます疲れが溜まってきます。家の外であったことを、私は家に持ちこまないで済んでいます。母には、いろいろなことを話してもスルーされてしまうだけで、「のれん状態」が続くので、こちらとしても張りがないので、話すのはよっぽどのことでないといけないわけです(笑)。しかも、いい話を持ち込むのであればいいのですが、悪い話をしても、彼女の明るさに水を差すことになり、特に話す必要もなく・・・。根本問題を解決するのは、あくまで私で、それを母に話したところで、「救われる材料」にはならないのですね。私は愚痴や不満を表現して、「ほっとする」「すっきりする」性質ではないようなのです。

あちゃー、私のメンタリティはやっぱり中高年の中間管理職のおっさんくさいところがあるなぁ(爆)(爆)。そうして、家族がうまく行かなくなったら、やっぱりこの私のメンタリティのせいなんだろうなぁ・・・(汗)。

とはいえ、それほどマグニチュードの大きな揺れはないし、崩壊して立ち直れないほどのひどい結果にもなってはいないので、彼らが明るく私を救ってくれるところを見て、ありがたいなぁと思うのはいいことだろうと思っています。それに気づけなくなるほどになると、疲労も私のキャパを超えることになるので、そうなったら少し仕事を引き受けることを調整しないとね・・・。完全休日は夢と消えました。日曜日も返上で、わずか3時間ですが、仕事は引き受けてしまいました。1月一杯、完全休日は1日もありません・・・。

大晦日の心持

12/31/2007 にアップした文章です。

『10年に一度しか寝込む風邪はひかない伝説』は脆くも崩れてしまいました。まぁ、15・6年ぶりに、たいへんに狭い容積しかない空間に、夥しい数の雑菌が浮遊している場所を体験していたのだから、これは少しフェアではないとは思うのですが・・・。アメリカでは、クラスルームそのものがとても大きく、マスクなど必要ではないほどのスペースが個人のために確保されているので、他人からもらう雑菌で感染するような場所は、それこそ病院やスポーツジムくらいしか思い浮かばないのですが、やっつけられましたねぇ・・・。が、今日はこのヘロヘロ状態の中で、来年の抱負を考えてみる日なのだった。

振り向いて考えると、私は日本に居た24年と、戻ってきた2回分の大晦日を入れて、生涯のうち26回の大晦日を日本で迎えているのですが(渡米したあとに、日本に里帰りするにしても、この時期は狙わない)、16歳以降は、24歳まですべて労働をしており、去年も働いていましたし、今年はぶっ倒れて眠るしかないという情けないことになってしまいました・・・。来年は働いていたいのだけれどもなぁ・・・。なぜ?と聞かれても、やはり他人様が働いていないときに働くくらいの気持ちがなければいけない、というのは、私が自分に課していることなので、働けるところがあるということはありがたいことだと思うのです。とはいえ、今年も1月1日も仕事がありますし、3日からフルタイムで働くことができるので、まぁ、よしとします。ということは、やはり私は歳の変わり目に具合が悪かったことは、少なくとも16歳以降は皆無だったんだということを思い出します。子どもの頃は、父の田舎に行くのが慣例で、おそらくそのときにも寝込んだことはなかったと思うんですが、100%正確ではないかもしれないです。

ぶっ倒れたのは、本当に残念で、あと4時間ズレていれば、キャンセルする必要もなかったのですが・・・。本当に悔しいのは、朝9時には、しっかり歩いて学校まで行ったんですよ。ところが、キャンセルが私に知らされておらず、4時間後ということになった。そうしたら、なんとなく体温計に手が伸びてしまい、どうしても測りたくなり、測ったら38度を超えていて、1時間後には39度を超えてしまい、「もうダメだ」と思ってしまったことが敗因。30日のキャンセル以外の2コマ、3時間をしっかりこなせれば、大晦日の今日を休息日に充てれば、何とかなったんだけれども、本当に悔しいなぁ。

昨日はトイレに立つのがやっとだったのですが、最高で39度8分まで熱が上がってしまい、40度超えたらどうしようと怯えていたので、とにかく水とビタミン剤を大量に摂り、母がボーイフレンドの家から戻ってきた夜9時に、やっと「やっぱり解熱剤だけは必要なんじゃない?」と言われるまでは、食えていないし、薬もなかったわけです。で、母があわてて買ってきた薬は、すごく効きましたですよ。飲んで3時間後に、1度下がり、翌日起きたらもう7度台になっていましたから。めったに飲まないせいで、薬がよく効くことは私の中での常識になっているのですが、これほどラクになるとは・・・。今朝は、「もう午後からなら仕事したい」という気分だったのですが、母に窘(たしな)められ、しばらくじっとしていました。そして、母がまたボーイフレンドの家に行ったので、こうしてむくむく起きてきて、エッセイを書いているわけです←どうして40歳を過ぎて、母に管理されているのか?と悔しくもあるんですが、まぁ、愛情ですからね・・・。○×しろ!とは言わないんですが、するな!とはよく怒られます、今でも・・・。

私の具合が悪いので、母はもう昼間のうちに年越しそばになるものを準備してくれたのですが、私がどうしてもざるそばがいいと言い張るので、彼女はおそらく今晩も、ボーイフレンドといっしょにおそばを食べることになるんだろうなぁ・・・。ごめんねぇ・・・。

12月24日からお休みなしで働いていて、28日には朝7時前の電車に乗り、遠征して仕事に行き、戻って来て11時から夜の8時まで働いてしまったことがあり、それが風邪が熱になる分かれ目だったんだろうと、今になれば思うんですが、29日は朝の9時から夜の8時まででしたから、その日にもがんばったのがまずかったのか・・・。いや、ひょっとするとそのあとの忘年会だったのか・・・。

でも、ねずみ年はいい年になる予感が大いにしており、ぶっ倒れてしまったとはいえども、今の気分は悪くないです。いつもの気管支炎にはなっておらず、咳は1時間に1回くらいなもので、それもこれも私が完全にタバコを止められない大バカモノだからです。鼻水はあくまで水で、粘状ではなく、よく汗が出ているので、明日の課題は、10時に家を出るのですが、何時にお風呂に入って、丁寧に髪が乾くまでは家を出ないということなのか・・・。30日の朝、出る間際にシャワーを浴びて、髪が濡れていたのがいけなかったと、今でも思うんだよねぇ・・・。いつもの体力ならばいいのだけれども、あの体力じゃダメだったんじゃないかと。

西さんともメールで2日間も連絡が取れずに心配させてしまっていたのですが、さっき、メールは送っておきました。そこには「深大寺におまいりに」とあったのですが、いつもだったら行くかもしれないのですが、やはり松の内に行けばいいや、と体力優先を考えた返事をしておきました。彼は私が40度手前の熱を出したことは知らなかったので・・・。

明日は、授業が終わったら、まっすぐ帰ってきておとなしく眠っていようと思います。いや、でもエッセイは2個くらい書こうかと(笑)。外に出れば頭に引っ掛る何かがあると思われるので、きっと2個くらいの題材はあるかと。なぜならば、ネットやTVはあまり当てにならず・・・。13日までは完全休日がないので、少し貯めておかないと、きっとまた身体を酷使することになってしまいます。英語を教えるほうが、受験科目を教えるよりも楽しいことに気づいたのはよかったのですが、子どもたちのけなげさはまた別で、やっぱり私を当てにしてくれる子どもたちとは、今後もおつきあいしたほうがいいのか?ということにも、1月は考えていかねばならず・・・。中学校1年生の男の子で、将来はNASAで働きたいという子がいて、英検4級を持っており、英検2級までに進めば、英語学校のほうがいいんだろうなぁ・・・。わずか6日働いただけで、本当にいろいろなことを考えさせられて、やっぱり仕事の場というのは、いろいろ見てみるのがいいのだろうなと思ったので、ネズミ年は、お仕事をさせてくれるところがあれば、バンバン出かけていこうと思います。

占いサイトで、来年の運勢を見てみたのですが、やっぱり占星術・血液型・タロットその他、いろいろな占い方法で、大矛盾が出ますよねぇ・・・。神社仏閣に行くのも、体力的に今年はちょっとまずいだろうから、松の内に行って、やはりここまで生かされてきた感謝だけはしてこようと思います。あとは、これまでの知識や経験や人間関係による蓄積を、どこでどのように生かすか?だよねぇ・・・。

もうひとつ、来年仕事や勉強以外にやりたいのは、体力についての再検討。血液検査の結果が思ったよりよかったので、たいへん気をよくしており、体力が年齢の割りにまだあることもわかったので、やっぱり運動をどこかで取り入れねばならぬ、ということ。どこで?がまだまったく考えておらず、何を?もまだ考えていないのですが、ご意見ご拝聴させていただきたいので、もしかして80歳過ぎてまで生きてもいいように、何とかこの体力を維持できるように、いい運動を教えていただけたら幸いです。母親があんなに元気なので、彼女のDNA分をもらっていたら、私もうんと長生きしてしまうかもしれない・・・と、このごろはちと恐怖です(笑)。

悪くない1年だったし、来年はもっとよくなるんだろうな、と思わせてくれる材料が多い年末でした。さぁて、どんな年になるのかなぁ・・・。みなさんのネズミ年がいい年になりますように・・・。

風邪は気合で治るか?

12/30/2007 にアップした文章です。


免疫性の高い、丈夫なDNAをもらって生まれた私は、本当に倖せモノなんでしょう。昨日の夜、喉がイガイガするなと思っていたら、朝起きて痛くなり、その朝というのが3時半という曲者で(笑)、6時50分の電車に乗って出かけなければならず、8時に目的地に到着し、仕事を済ませて10時にまた都内を出て、10時50分に調布に戻り、冬期講習会に出たのですが、その頃にはどうしようもない悪寒がして、「どうしよう、倒れちゃうかもしれない」と思うほどになっていました。寝込むほどの風邪は10年に1回しか引きませんが、この程度は毎年1回ほどあります。どうやったら寝込まないで完治するか?

ただ不思議なもので、私は丈夫なんですなぁ・・・。11時から19時までの授業は、休み時間50分も含み(とはいえ、授業準備があるので、コピーをしまくり、30分は終わる。ペーパーワークもあるので、休みという名の仕事ではある・・・)、誰かにくしゃみの飛沫(ひまつ)を吹きかけることもなく、終わってしまったんですよ。ところが、提出して判子をもらわねばならぬペーパーワークに苦笑いつきのクレームがつき、いつもであれば、+15分から20分である翌日の準備やその日の〆が、なぜか1時間にもなり、私は具合が悪いのもあって、相当ご立腹でした。本当に呆れてしまい、こんな状態で子どもたちを教えていいのか?とも思ったわけです。だってぇ、受験期にある子どもたちに風邪を感染していいわけもないのに、「熱があっても具合が悪くても穴を空けずに仕事に出ること」などと言うわけで・・・。私の日ごろの信じていることと反対なことがかなり多い職場ではあります。契約とは雖も、けっこう抵抗感は募るのであった・・・。

そして、わずか2分しかかからない道のりを、フラフラになっていた私は、5分かけて、しかも傘なしで雨の中を歩いたのであった・・・←天気予報は聴いていたのであるが、こんなに具合が悪くなるとは思っておらず(いや思っていたのだけれども、コートがあるから2分くらい濡れてもいいやと思っていた・・・)、けっこう足元がフラフラしており、思ったより長い時間、ぼーっとしながら歩いてしまった(笑)。

そして、家に電話を掛けつつ(こういうときって携帯は便利だよねぇ♪)、母に室内を異常なくらいに温めておいてもらおうかと思ったところ、彼女は外出中。駅前に住み始めてから、なんだか夜になっても楽しげに家の外に出ることは多い・・・。家に戻ってすぐに濡れた衣服を脱いで、母にやってもらえるように重ねておいて、Tシャツとスウェットを重ね着した揚句、靴下を履いて、フリースのパジャマ下を。タバコを、15時間も吸っていなかったので(それだけ+3時間くらい起きていたんですが・・・)吸い始めたところで、母が戻ってきた。弱気になっていたので、とてもうれしく、買物袋の中身を見ると、ビール♪

体温計を出してもらって測ってみたら、わきの下で36.6で、舌下で37.2しかなかったので、熱があるかもしれないというのは、誤解だったようだ(笑)。でも、確実に身体はウイルスと闘ってくれていた模様で、本当にフラフラしていたから・・・。が、喉の痛みはなくなったし、と、ぐびぐびとビールを飲んで、なぜかキハダマグロを食べて、そそくさと寝たのが、10時前。

ところが、昨日3時半に起きていたため、なぜか4時半に起きてしまった(この1時間のスライドは、元に戻そうという力が多少は働いているけなげさを示しているとは思うんだが・・・)。6時間半という中途半端な時間を眠って、今日の授業の準備が気になったから起きていたわけではなく、とにかく喉が猛烈に渇いていたのです。

PCをつけて、このウイルスと闘った白血球の死体を体外に出してしまいたいじゃん・・・、と、本当に想像だけで、熱望したので、起きて2時間。水を飲み続けています。ついでに、マルチビタミンをトイレに行ったら1ピル飲むことにした←まだ1回しか行っていないから、決めただけの段階(笑)。母は気の毒がって、起きてきてスープを作ってくれた。もうすぐ起きて3時間経つのだけれども、野菜スープ+ベーコン+にんにく・しょうがに、パルメザンチーズをかけたものを、どんぶり一杯飲まされているところ・・・。でもやっぱり食欲はないので、あまりがつがつ進まないのだよなぁ・・・。

3時間経過して、いいニュースは、鼻水が出ていること。私の鼻水は、本当にお水で粘液がないので、さっきグビグビ飲んでいた水がそのまま出ているんじゃないか?と、見ている母が疑うくらいなんですが、もしここで鼻水が出なかったら、気管支炎になるパターンが、これまでの統計では多いこと。喉の痛みが進み、咳に移行して、気管支炎になってもタバコを吸い続けるという、バカな悪循環を数日続けることになるんですな・・・。ところが、おそらく、昨日は15時間もタバコを吸わなかったため、喉の炎症はそのままで、気管支の深くまでには達しておらず、とにかく、鼻付近で、なんとか白血球の死骸をたくさん出してやろうということなのでしょう(なぜか私は自分の身体がウイルスと闘うときには、この絵を想像するんだよなぁ・・・)。

今日は、6コマ、9時間労働で、そのあと20時から忘年会があります。翌日30日は、また朝の9時からで、5コマ、7.5時間労働なので、12時くらいまでには飲み終わりたいところですが、そもそも飲めるのかどうかも怪しい・・・。でも、こう思っていると、治らないので、気合で治ると思い込むとさらにいいので、キャンセルはしません。迷惑を掛けないようにはしますが・・・>ほら、くしゃみとかね・・・。

私がなぜ風邪のウイルスをもらったのか?去年は微塵もなかったのに、という疑問はすぐ解ける。去年は、横田基地の極寒の外で仕事をしていたのですが、人と人との距離は電車以外ではとても短かった。しかも、福生までの電車は逆方向なので混んでおらず、他人から菌をもらうことはなかったんですね。

ところが、この5日間、2mX2.5mくらいの小さいブースで、子どもたちとふたりっきりになり、そんなブースがワンフロアに40個もあるという、すごい環境のところで働いているわけです。空気清浄機がついているわけでもなく、加湿器があるわけでもなく、トイレにうがい薬とリステリンがあるだけですね。おそらくこんなすごい近距離に、こんなたくさんの人間が集まっている体験をしたのは、父が死んで以来なので、15・6年ぶりだろうと思われるのです。日本に住んでいなかったし、去年は新手のウイルスにおそらくそれほどの照射(核みたいな言い方だけれども・・・汗)を回数も量もされておらず、いきなりすごい密度にさらされたので、こんなことになったんじゃないかと・・・。

そういう意味でいえば、子どもたちのほうが慣れているのだろうし、来ている先生たちもこの環境には慣れているんだろうなぁ・・・。

それにね、今日の忘年会は看護婦さんとなのです。なので、アドバイスももらえるしね♪母を使いまくって悪いなとは思うのだけれども、私が遅れたときのために、彼女には駅前にいっていてもらい、時間にゆとりがあるようであれば、シャワー&うがいをしてから出かけたいくらい・・・←でもそんなゆとりはないだろう・・・。

もうあと2時間ないので、これから寝ることはできないんですが、ビタミン・スープ・お水攻撃はけっこう効いており、なんだか今日9時間+休憩時間+残務処理は大丈夫そう。忘年会は、場所によるのだけれども、明日1日保てば、31日はお休みなので、気合でお風呂で治せると思います>私の父はお風呂で汗を流して風邪は治ると信じていたので、私も信じている(笑)。

ということで、年末最後にケチがつきましたが、年内中に爽快になることを祈って・・・。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その74

Q74.

好きなアルコールは何ですか?

A74.

これ、心理Blogに関係あるんだろうか?と思いながら書いてますが・・・(笑)。

まずはビールをいつも飲みます。二日酔いしたくない時にはビール一本でその日は済ませることもあります。日本に帰ってきてからはその後、大体焼酎なんでしょうか?冬でも私は水割りです。氷を入れた冷たいドリンクが好きなので、体にあまり良くないことは知っていてもどうしても止められません (・・;)

本当に好きなお酒は何なのか?と考えてみたのですが、やはりワインなのかもしれません。白を軽く飲んでおいてから、食べているものに合わせて赤に変える、というのを、在米の頃は長く続けていたので、今はそれが懐かしくてたまりません(笑)。日本で購入できるワインは、Californiaで手に入れられたものの2倍から10倍ぐらいの値段です。ですので、贅沢にこれをすることなく、日本に住んでいるのだからと、日本のビールと日本の焼酎を今は楽しんでいるところです。

私は日本酒があまり好きではないんですねー (・・;) ワインが好きなら行けるんじゃないか?と思ったことも何度かあるんですが、やはり甘いからなのでは?と思うんです。大吟醸などを飲んだとしても、まだ私には甘く感じられてしまうんですね。白ワインも実は、Chabliなどしか受け付けず、すぐに赤に変えてしまう傾向があります。

ウイスキーやコニャックも嫌いではないのですが、あくる日が仕事だと思うとどうしても堪能できません。1980年代バブルの最盛期には、HennessyのXOをクラッシュアイスでストレートで入れて、溶かしながら飲むというのが流行っていました。今も私はその飲み方が大好きです(笑)。アメリカでもスキーに行ってロッジに泊まったりすると、旦那の前でこれができると、気分は上々でした(笑)。暖炉の火というのがポイントなのかもしれません(笑)。

Napa Valleyで、 大量に良いものを買って、機会を待って開ける、というのをしていた頃が懐かしいです。とはいえ、ワインセラーを持つ程にはこっておりません(笑)。飲んでしまうからですね(笑)。

アメリカでは地ビールを作ってる友達もたくさんいたんですが、私は一度もしたことがありません。夏になれば手間がかかるからです(笑)。 Budweiserなどは、安い時にまとめ買いをすれば一本20円で購入できましたので、なんだかそれをする意味がよくわからなかったわけです(笑)。

というわけで今は、アル中を自認するワタクシは、週に1.5回ほど外で飲むだけにしております(笑)。