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Yes-No Questionsで話す?

01/28/2008 にアップした文章です。

いわゆる、相手に有無だけを訊く質問をする人のことを指しているのですが、私はこれが多くなると、自分がどうしても嫌になってしまうのです。英語を教えていると、わざわざYes-Noを明確にせねばならぬ事項は、いわゆる5W1Hの質問をしてキャッチボールをする、物事の進捗や状態がわからないからこそ話す、というコミュニケーションの領域にはならないわけです。たまにYes-No  Questionsが混じりこむのは、念押しや状況把握などを確認するためのツールなのです。日本語でも注目してみるといいのですが、英語ができないから、Yes-No  Questionsをしている場合と、日本語からして念押しや自明のことを他人に尋ねている人がいて、なんだか見ていておもしろいわけです。いや、おもしろいのではなくて、「どうして?」と思うのかな。

「あなたは本気でこの仕事を終わらせる気持ちがあるのですか?」などと言う人がいたら、どんなに鈍感な人でも、責められていることには気づくでしょうし、何度も何度も「本当ですか?」などと言われたら、「うひー、まったく信頼されてないよ・・・」と思わなかったらまずいです。これほど極端ではなくとも、口を開くたびに、ただの確認を(仕事の進捗方向が正しいかどうか、お休み時間なのでランチに出かけてもいいかどうかなどの許可、判子をもらえるかどうかの依頼などなど)するのは、どうも味気ない・・・。見えない路線があって、そのレールの上を滑っている最中に、線路が続いていることやスピードが遅かったり速かったりしていないかどうか、のマニュアルに則った流れになるわけです。

Yes-No Questionsの害のほうを考えると、たとえば、学校などであったテスト問題に直すと、2択や4択ばかりに強くなり、書き込み問題や作文問題に弱くなる、というような気がしています。とは言っても、悲しいことにその形式の問題ばかりが増えており、採点するにも採点者にお金を払わねばならぬ、というマンパワーへの代価があるので、仕方ない傾向なのかしら・・・。

それは、日本語が持つ、「推測しやすい」「洞察力が持ちやすい」「他人に共感できる」という側面がもたらしているのだろうと思うのです。だからこそ、他人やある物事に対して自分が推測したり、洞察したものに関しての「確かめ」をするということが多くなる。ただし、それがあまりに多くなると、「当たり前のルール」「常識」を廻りに押し付けられたり押し付けることにもなるマイナスの側面を持つわけです。他人に語らせる前にこのYes-No  Questionsを投げかけてしまう人や場合は少なくありません。親が子に、上司が部下に、先生が生徒に、と、大いにこの「相手に語らせることをしないYes-No  Questions」が横行しています。そうなると、コミュニケーションの質は大いに落ちるのかもしれないなぁと、ふと考えたりするわけです。

日本語は英語やその他の言語が持たない、いいところがたくさんあるので、他言語がいいところとしているところを、積極的に真似ていけば、さらによくなると思うわけなんですよ。

なぜ?どのように?どこで?誰と?誰が?誰の?どれが最も?いつ?などなどを駆使していけば、会話というのはもっと個人の頭の中や心の中を覗ける、いいツールになるわけです。あまり不躾に踏み入ることはオススメしませんが、ある程度の距離感を確認したあとであれば、Yes-No Questionsよりずっと深みや幅をもたらしてくれる豊かな会話になっていきます。

それをベースにして、他人に対するときにも慮り、他人の事情をすべてわかっていないのだ、という前提で話をすることができるようになると思うんですよ・・・。わからなかったら、勝手に推測したり、平均値の中に話し相手を入れ込んでしまうのではなく、直接本人に、尋ねられる範囲で訊ねてみる。これは大切なことだと思います。言いたくないことは言いたくないと言えばいいだけのことで、「言いたくない」とそっけなく言う人ばかりではなく、「ただ必要資料かと思って質問してみたのだ」という概念が浸透していけば、不愉快になる確率はぐーんと減っていきます。

英語ではそのような距離感の取り方は、かなり楽しく展開されています。よく話す人はあけっぴろげに、知り合いにでもいろいろなことを話してくれますが、あとあとよく考えてみると、誰かを傷つけているわけでもなく、個人情報をばら撒いているわけでもなく、話を聞かせてもらった私の知識が増えていた!というようなことが、よくありました。

私は行きつけのお鮨やさんでよく、「あなたはハーフ?日系人?日本人?それとも他の血も混ざっているの?」とよく訊ねられていて、この一見、Yes-No Questionに見える質問も、実は幅のある選択肢であることが、あとあとよくわかったものです。ひとつひとつを区切って質問するとYes-No Questionなのですが、いっぺんにこの可能性の幅を入れてくるので、大して気にも留めず、すらすらと「純血の日本人よ」と答えていたものなのです。そのあと、畳み込むように、「こちらには何年住んでいるの?」と来る。そして、日本文化(まぁ、鮨やなので、鮨のネタが多いんですけども、どんどん展開してゆくのですよ・・・)へといろいろな話ができて、私も聞かれた分だけは、相手の文化について質問を投げかけていく。比較対象をするために会話をしているわけではなく、「違うおもしろさ」や「偶然のような、けれども理にかなったここでの出会い」についても話す。そんなことが度重なると、政治についてや世界平和について、哲学的思考などが盛り込まれるような話ができるようになっていく。たとえ、きっかけがお鮨や映画や折り紙であっても、です。

私はまともなお勤めをしたことがないので、制限を加えられたことがあまり記憶にないのですが、ウェイトレスをしていた16歳から24歳までのあいだですら、「お客さんとこんな話をしてはいけない」ということは言われたことがありません。メニューに載っているのに、「こっちのほうがおいしいですよ」とオススメしても、怒るような上司(社員さんなのですが)はいなかった。

英語学校にしては変な宿題なのですが、『自分の泣けた映画ベスト3』だとか、『裁判員制度になっていいことと悪いこと』『10億あったらどう使うか?』だとか、いろいろ投げかけをしています。ただし、『10億あったらどう使うか?』の質問などは、石川遼選手に関しては、現実の悩みになっていくんでしょうねぇ・・・(笑)。などという冗談も忘れずに入れています。「練習問題はできましたか?」では芸がなく、「どの練習問題ができなかったのか、その理由は考えてみましたか?」などと、ひねるようにして、例題をいっしょに見てみることにして、大勢の中で、みんなができないであろう問題をやったり、優先順位をつけて「今はこれだけマスターしましょう」と、ゆとりを持たせて、質問をバンバン受け付けることにしています。ただし、生徒さんには、「なぜ?」「どのように?」などは、自分である程度まで考えてきてもらってからでないと、受け付けることはしません(笑)。質問に質問で答えることもしばしばです←掟破りなのだけれども(笑)。

ぜひぜひ自分の会話が、Yes-No Questions寄りになっていないか、確かめてみてください。特に家族に「ねぇ、シャンプーはこれを下ろして使っていいの?」「パンツが見当たらないんだけど、私のパンツある?」「ねぇ、最近、オレ太ってきたと思わない?」などという会話では悲しい(笑)。せっかく、パートナーが「何が食べたい?」と訊いてくれたのに、「何でもいいよ」では切ない(笑)。Yes-No Questionsではない質問にも、相手が望むことを答えられているのか?を自問してみるのもいいです。会社では、しょうがないのかなぁ・・・・(汗)。

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