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夏休みの終わり

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09/03/2007 にアップした文章です。

 

私個人が気づかぬうちに、夏休みが終わっていたのですが、子どもたちは明日がたいへんだ・・・。宿題の提出日であるとともに、始業式。防災訓練なども行事として迫っており、ゆとりのない1週間が続くことでしょう。私は、自慢ではないはずのことですが、夏休みの宿題はほぼやりませんでした。それでどうして通用してきてしまったのか、不思議でならないのですが、大人になりましたし、大人になってから大学に戻ることにもなってしまいました。まぁ、子どもの頃の強制的勉強は、特に私には役立たなかったという証拠のようなものなのでしょう。

夏休みの宿題には、絵日記などという不思議なものがあり、どうして子どもにあのようなコツコツした日々続けねばならぬことを強いたのか?しかも、お天気を書き入れたり、どこかに行ったことなどを書かねばならず、どこにも行かなかった私にとっては苦痛以外のナニモノでもなかった・・・。学校のプールと父の田舎以外、私には行くところはなく、家の事情が許したときに、府中の市民プールまで行ったのよね・・・。当時にしては、流れるプールがあり、滑り台があり、けっこう豪勢で、よみうりランドばりの施設があったのに、安かった。今どうなっているんだろう?

健在だった!しかも料金は、市外の人でも子ども100円。大人300円。市民だったら50円と100円だ!すごーい!

それに比べて調布はしょぼい・・・。

大人150円で、2時間以上には超過料金あり。子どもは50円で、市民は倍なので、府中と同じ。私が生まれ育った深大寺の近くに、総合体育館があり、屋内プールがあるのですが、そちらは2時間半で400円。子どもが150円。

話は脱線しましたが、昨今では、宿題代行業者というのがあるらしく、ネットで大阪の20代男性がやっているらしいのですが、賛否両論があり、非難のほうがもちろん多いらしい・・・。私も、昨今、添削業務の在宅アルバイトを請け負っているのですが、あくまでやるのは本人で、道筋をつけたり、ヒントを与えたり、説明をしたり、などということしか基本はしません。代行業者の場合は、宿題を完成品にして納品するわけです。卒論を30万で引き受けるというのは、私にはおいしい仕事ではありますが(笑)。1ヶ月に1本やれば、他の仕事をたいへんに緩やかにできるということですもんねぇ・・・。

他にもここまで露骨ではないにしろ、けっこう商売にはなっているよなぁ・・・。倫理観というのは、個人が持つものなので、誰が何を言おうと自由なのだけれども、そもそも親も子どもも、宿題ってことには迷いがあるだろうな、と思えるのだ。家庭での学習の癖をつけるのが宿題の目的だというのが建前なんだろうけれども、実際は、塾があるし、習い事があるし、子どもたちのスケジュールは詰まっていて、優先順位をつけなければ、とてもこなせない量をすでに持っているように思うのだ。もちろん、どのように生きていくかを決めるのは、親ではなくて本人であってほしいのだけれども、親がAuthoritative(権威を振り回すタイプ)だと、やはり子どもは愛が欲しいので従ってしまうしなぁ・・・。

ネットでの宿題代行の依頼も、高校生以上であればきっと手続きも自分がやるのだろうし、料金も自分で工面するのだろうけれども(親に報告して出してもらうのか、嘘をついて他のことに使うと言って引き出すのか、アルバイトするのか、わからないが・・・)、小学生や中学生の子どもたちの場合のほとんどは、親が依頼しているんだろうしなぁ・・・。

私の親たちは、父が図工・美術、母が家庭科を代行してくれていたのですが、それは夏休みも同じで、彼らは「きくみが提出できないとかわいそうだし、親として面倒を見る」という心から来ていたわけでもなく、「純粋に自分が手出ししてやってみたいから」という子ども心から来ていたのが一位です。母などは、パジャマなどは、「せっかく高い生地代を出してるのに、着られなかったらもったいない」と来たもんだ(爆)。フランネルは高くて、ボタンも自腹で、きっと本気でそう思っていたんだろうなぁ・・・。あれが、木綿だったらもうちょっと気乗りしていなかったかもしれない(笑)。父も、彫刻刀や水彩道具が大好きで、私の宿題が終わっても自分でいろいろやっていたから、特に、私は止めもせず、罪悪感もないまま、ずっとやっておいてもらったのですが、自分から親に泣きついたわけでもなく、「宿題なんだよね」「課題なんだ」とは言っていたのですが、「やらないんだ」と言い張っていたことに対して、「出さなければまずいだろ・・・」と焦るわけでもなく、義務教育でクビになることもないだろうしと高を括っていたようです。現に、他の科目の宿題は一切手伝ったこともなく、私が提出したかしていないかなど、まったく気にも留めていなかった模様(爆)。

私の9月の最初の週は、毎日居残りで、そこで宿題をさせられていたわけです。わずか1週間くらいでできてしまうくらいの量でしかなかった、という結果論をここで申し上げているわけです。先生たちも、絵日記については放棄。やらなくていいことになるのですね。「特に書くことないよ。どこも行かなかった」と報告すると、何か思い出があれば、それについて2個か3個書けばいいということになるのですね。絵がイヤだと主張すると、原稿用紙で作文を書けということもありました。工作は父がやってくれていたので、算数や国語、社会や理科などが残っているのですが、理科はその週、ムラサキツユクサを取って押し花にするだけ、とかなの(笑)。あとは、散々遊んで死んでしまったカブトムシやクワガタについて、父に絵をつけてもらって2枚くらいでまとめる(笑)。

私はやり始めればかなり早く物事を仕上げることができたので、こうして子どもの頃から世間を舐めてきたようです。こうした態度は今も健在で、電車の中で授業の準備はできてしまいます。1日掛けるセミナーなどとは違い、既存の教科書があったり、テープやCD-ROMがあるので、教師がやる分は説明補足などだし、弱点を手作業でその場で見つけることなので。

ところが、私は家庭で学習をする癖は一切つかなかったにも拘らず、大人になってから机にかじりついての勉強にはまったく苦痛を感じなかった。それはなぜなのか?母の内職を手伝ってお小遣いを稼いでいたからなのです(爆)。1時間一生懸命やっても、手の速い大人の母にはいつまでも叶わず、実際、30円くらいにしかならずとも、半日ほどは飽きずに稼いでおり、辛抱は勉強ではなく、そこでつきましたね(爆)。扇風機のスイッチも今のようなものではなく、ガチャンと押す形状のものだったりしたし、充分子どもでもできる内職が山ほどあって、いつもひもじかった私は、買い食いがしたかったために、本当によく働いたよなぁ・・・。

夏休みが終わるたびに、私はいいときにいいように、子ども時代を過ごしたなぁと思うのです(爆)。子どもの頃はあんなにも時間が経つのが遅く感じられて、暇だったし、お金もなかったし、ロクにどこにも連れて行ってもらえなかったのだけれども、妙に充実していたという結果論。てんこ盛りで、今の私ができるようなプログラムが組まれていたことに驚くのですわ・・・。父も母もまったく物事を強制せず、伸びやかに育ててくれて、貧乏なこともよかったなぁと、つくづく今思えるのです。が、同じ親に生まれても、弟は違う人生を歩んでおり、おもしろいなぁと妙を感じますねぇ・・・。

今日は日本中で、多くの小学生と中学生たちが、鉢巻を締めてがんばっているかもしれない。でも言ってあげたいよなぁ・・・。宿題をまったくやらなくても、大人になったやつがここにいるんだよ、って(笑)。