早く上達する人の共通点はありますか?

ヒトとしての「自分のやり方」「自分の生かし方」を知っている人のほうが上達が早いです。この世の中には、絶対的な価値や順位などはさほど多くもなく、物理的なことであっても、自分の納得度や満足度が超えることも多くあるわけです。

 

たとえば、寿命はDNAもありますが、その後、どのように生きていくか、どこに行きたいのか、誰と何をしたいのか、などなど、後天的なところも多く、物理的なものを凌駕する重きを置くヒトもかなりの割合でいます。たとえ先天的な理由でガンに罹った原因が高かったとしても、長く生き延びることよりは、どのように誰と残された時間を生きるか、により価値を置く人がいてもまったくいいわけです。

 

英語を早く上達する人は、そうした意味で、自分がどのように生きていきたいのか、自分が何をすれば伸びるのか、などを、よりよく深く知っている人です。

 

Precious One English Schoolでは、心理レッスンの中でかなり早期に「進化論」をReviewします。なぜならば、ここを知ってほしいからなのです。何兆、何京、何垓、何抒、何穣という桁の数の生命体が、生まれては消え、こののちも生まれて消えていく中、この時代に生きる私たちが、どのように自分らしく生命を全うするか?を考えていただきたいからです。ヒトが人になるプロセスを大切にしていただきたいのです。

 

英語を学ぶことなど、たった一角の話です。が、英語ができたらこの自分の生命はもっと充実したものになる、と信じるのか信じないのか、などからまず意識していただきたいのです。

 

そうすれば、この世に今自分が存在していることそのものを愛することができ、Moment to momentをこれまでよりずっと濃密にしていくこともできるような気がします。そうした意味で、英語の学習に心理レッスンを15入れています。それを軽んじて、他者よりもできる、有利である、等の価値に留まるだけでも、まぁ、いいです。残念ですが、年老いていく中、有限の時間に迫られた中、「もっとこうしておけばよかった」などと後悔しないように、今このMomentsを大切にしていけるように、意識を変えていただければ、英語はほんの入り口に過ぎないことがわかるかと思うのです。

 

進化論の大切な概念、拾っておくべき中心概念は、「常に最良・最善の選択を行っていけるかどうか?」です。いつも試されており、試行錯誤がずっと生きていく限り続いていきます。が、長い地球の寿命や宇宙全体にしてみれば、私たちひとりひとりの命は短くて脆いものです。それでも、自分らしく凛として生きていけるかどうか。その中に英語があれば幸いです。そのお手伝いをするためにPrecious One English Schoolは存在しております。

 

できるだけ早く、できるだけ先が見えるように、できるだけ安価で、できるだけ楽しく、をご提供できるように、日々、私たちも試行錯誤しております。

 

早く上達する生徒さんが増えていけば、きっと広告費をかけずとも、わかっていただける日が来ることでしょう(笑)。がんばりまーす!

 

自分をもっともっと深く知ること。

 

そうすれば上達は早いです!

大学受験の英語、これからどうなる?

少子化時代に突入していき、文科省をリーダーとして日本も人材教育のために試行錯誤をしていくのだろうと思います。英語は、2020年からTOEIC・英検・TOEFLなど、外部のテストで受験科目として免除される他、センター試験が廃止される方向になり、ますます Speaking/Writingに重きを置いていく方向性になっていき、4技能をバランスよく習得することに価値を見出していくことになります。

そもそも資源が少なく、領土の狭い日本では、人材や技術・サービスなどに力を入れるしか生き延びる道がなく、それらをしっかりと踏襲・発展させていける人材が必要になってきます。そもそも日本国内だけで、日本語だけで経済を廻せていたわけではなく、一部の英語ができる人々や発想力の豊かな人々が先んじていたのですが、それが「日常的」なことにならない限り、年齢層のいびつな歪みを補完することができなくなっていき、若年層の肩には重い重い比重が課せられていくことになります。

働き方改革という名目で、シニア層ももっと長く働けるように、と工夫はしておりますが、どこまでできるものなのか?健康な人はいいにせよ、老いていく人々に対しての福祉サポートの課題も山ほど積まれています。

そして、心配する親世代は、学歴社会の崩壊を望みながらも、幼稚園・小学校・中学校の段階で受験をしておき、その後、憂いや負担がないように、と計画することが可能な経済状態の方々はいざ知らず、順当に高校受験・大学受験をせねばならぬご家庭のお子さんたちは、本当にこの「お試し受験制度」「試行錯誤状態」に戸惑っているかと思います。

 

私個人は、小学校から大学まで、ほぼほぼ勉強しないで過ごしてしまいました。アメリカに渡り、英語集中学校に行き、その後、航空学校に行き、仕事がなかなかなかったために、大学に戻ることにして、生まれて初めてあんなに勉強が楽しいと思ったという経歴を持ちます。が、日本に生まれ育った子どもたちは、今、子どもの時代に勉強せねば、きっと未来がない、と閉ざされてしまうことも多いのでしょう。気の毒すぎます。

そんな中、英語ができると入れる高校や大学が増えるので、Precious One English Schoolでも英検縛りでのクラスは持っており、順調に英語力を伸ばしている子どもたちが存在します。

根本的な英語の勉強法・教育法などを検討しきれていない部分が大きいので、この試行錯誤はしばらく続いていき、「ゆとり世代」の頃の大失策である「円周率はきっちり3」などというのと、似たようなことにならねばいいな、と強く願うばかりです。

特に、外部の英語検定試験に依存する状態が由々しき問題だと危惧する専門家は多いです。本当の意味での英語力からは乖離したものである検定試験が圧倒的だからですね。

どうなる?という質問には、「しばらく静観して対応していかないと振り回されることになる」というのが、結論です。しっかり見ていくか、さっさと英語が「使えるレベルになるように学んでみる」のどちらかをおススメします!

イギリス英語とアメリカ英語の違いはなぜ生まれたの?

https://www.ef.com/wwen/blog/language/why-us-and-uk-english-sound-so-different/

違いを5つの項目に分けてしっかり教えてくれているサイトですが、残念ながら全部英語です(笑)。

 

エッセンスを抜いて解説してみます:

 

1. American English is actually older:米語のほうが実は歴史が古い

 

これは英国人に話すと怒られるんだけど、っていう前置きでおもしろい話になっています。移民史を学ぶと、アメリカに移民したイギリス人・アイルランド人・スコットランド人は、

・食えなくなった次男・三男などとその家族

・宗教的・政治的な反発分子

が多かったのですが、彼らが移民したときに輸入した英語は、実は「当時イギリスで話されていた一般的な英語」だったのですが、当時のイギリスで何が起きたか?というのがおもしろい(笑)。豊かな南側の地方で、貴族などの上流階級に属している人々が、「一般的な英語を捨てて、r をしっかりではなくソフトに発音したり、発音を怠けたりするようになって、一般人も「上流階級が使っているんだから真似っこしなくちゃ!」となったせいなのです。これを Rhotic Speechと呼びます。そしてアメリカではもともとの英国とその近辺で話されていた英語がずっと続き、地域などでの変遷を体験していくことになります。

2. British English is more like French:イギリス英語のほうがフランス語に近い

 

ウィリアム1世 が11世紀にNorman Frenchを持ち帰り、それを「上等・上流」のものにし、学校・裁判所・大学などの特権階級が使うようにしたのでした。けっこうすごかったようです(笑)。そのあと17世紀にフランス語スタイルのスペルや語彙を取り入れることがトレンドとなりました。アメリカに渡った人口も当時すでに多く、米語のほうは影響を受けずらい状態だった模様です。

3. American spelling was invented as a form of protest:Noah Websterの策略

アメリカで一番大きくて基盤になっている辞書は、Websterです。私はこのヒトと同じ誕生日なのです(笑)。Noah Webster この人が colourからu を取り除き、color にしたヒトです(笑)。他にも yse, ise を izeに変えちゃったんですよ!動機としては、「反骨精神」が大きいらしいです。Wikiを読んでみてね!

4. American English likes to drop words completely:米語は動詞を省略する

英語では、

Do you think that you can write to me again?

の答えは、

Yes, I think that I will write to you again.

なのですが、米語では

Yes, I will/can

と動詞を省略します。そのほうが速いから、という説が定説です。

5. The two types of English have borrowed words from different languages:進化の違い

 

英語と米語は多く触れあってきた文化圏が違うため、語彙の取り入れ方も違いが出ます。パクチーのことを

英語では coriander (フランス語の影響)米語では ciantro (スペイン語の影響)でお店に並んでいます。わかるけどね(笑)。茄子も英語はaubergine (アラビア語から)、米語は eggplant (紫色した卵に見えるから)という感じですかね。

 

しかも、距離もうーんと離れているし、変わるのは当然かと。だってぇ、日本語でも秋田や津軽の人々と、沖縄や鹿児島の人々が話す日本語、まったくっていいくらい違うじゃーないですか。それに比べたら、英語と米語はそんなには違わないです(笑)。

英語でも日本語と同じくらい方言は多いですか?

日本語より多いかもしれないです。なにしろ、使っている総人数が多いことや、地域の広がりが物理的に大きいので、日本語よりも「標準語に揃える意識」が見いだせないことが多かったかもしれません。そうした意味では、日本語は特異な言語だと言えます。

 

ただ、日本語の相違よりは幅が狭く、微妙な違いのほうが多いです。英語と米語、豪語、加語(カナダで使われる英語)の4つの差や、母語が英語以外の人々が話すものに、「通じないほどの差」はなく、会話内で「それはどういう意味でしょうか?」「もう少しわかりやすくお願いします」などで解決できる範囲です。

 

単語の意味や使い方にしても、「地方ルール」「文化ルール」「小社会ルール」など、割とわかりやすく発展してきているので、一度わかると法則性も掴めてきやすいかもしれません。あるいは、前後の話の流れで推測しやすいものになっているような印象です。

 

その他、意味や文法よりは、語彙の違いの他、アクセントやストレスの違いのほうがずっと強烈で、Listeningが追いつかない日本人には圧倒的なたいへんさを感じるかもしれないです。

 

逆に日本語では、薩摩語(鹿児島弁の中でも生粋のものなので現代では一部の人々しか話せないし、理解できない)は、多くの日本人にとってチンプンカンプンですし、昨今吉幾三がリリースした ”Tsugaru”というラップナンバーは、秋田や岩手の人々にだいたい聴けばわかる範囲ですが、まったく同じに話せたりするかどうかは疑問です。さらに、近くない地域の人々は、きっと何を話しているのか、想像するのがたいへんかと思います。ゆえに、違いの幅が広く、わからないヒトにはまったくわからず、わかるヒトには感情やニュアンスなどの含蓄を多く包みこんでいるもので、不思議な存在です。

 

そうした意味では、日本語では、文法そのもの・語彙・ストレス・トーン・アクセントなど、かなりなバラエティが発展してきており、しかも方言を話す人が「標準語となる日本語」を認知してそれに合わせることができる、そういう意識がある、という意味では、たいへんにおもしろい現象なのかもしれません。やはりこれは、歴史・技術史・産業史・政治などなど、いろいろな分野から検討してみないと、どうして??どのように??というのがあまりわからないのかもしれないですね。

 

日本語の方言 これによると、5つの分類の中で微妙に枝分かれしている様子です。この5つの分類の中ではわかりやすいか?と問われると、そうでもない印象も見えます(笑)。うーん、深い・・・。

 

逆に英語のほうは、インターネットで調べてみると、Slang wordsと語彙に着目する確率のほうが高く、方言をしっかり分けている言語学者のサイトなどは上位に来ません。ちょっと時間がかかりすぎてイヤになってきてしまいました。言語学のテキストなどはとうに捨ててしまいましたし (・・;) 論文系のものをこの記事のためだけに2時間くらいかけて読むのも、今は苦痛に感じるスケジュールになっております <(_ _)>

 

時間を作って、ここのところをもうちょい掘り下げたほうがいいのだろうか?いや、コレは趣味や専門の範囲だよな、と思ったりもしており、迷うところです(笑)。More English and PsychologyというESL取り放題のクラスで取り上げてみるのもいいのかもしれないです。

 

米語用の方言辞書:

https://www.daredictionary.com/

 

ただ、英語をマスターするのであれば、Middle of Nowhereから来たような標準語をまずマスターするのをおススメします。そこからSlangに気がいけば、自分なりに法則性がわかってきます。しかも、すべての方言など、まったく理解する必要はないです。英語は、互いが通じないような文法の差などはなく、話は「質問できる範囲」で通じます。

 

 

英語がなかなか聞き取れない原因とは?

昔むかし、日本人は「日本耳」というすばらしい耳を先祖代々持っていたということです。現代では、その日本耳を持つ割合は、10%、10人にひとりになってしまったということなのですが、近代化から現代化が進み、自然の音に触れあい、生活の中で音を使うことが減り、鋭敏度が減ってしまった結果、視覚ばかりを使い、聴覚が鈍化してきています。そのため、英語だけではなく、Listeningそのものの能力が目減りしており、そこを改善したあとのほうが、英語のListeningも順調に運ぶ、と考えているのが Precious One English Schoolです。しかも、Listeningの学習だけで3-6時間ほど、基礎コースの中に採り入れています。

 

単なる多聴では、あまり効果がありませんし、教材選びも入念にしたほうがいいですし、目的意識を高めたり、何を聴くのかはっきりさせたり、語彙に関しての疑念や自信のなさなども明瞭にしてどのような態度で臨むのか決定づけ、日本語に決して直さないようにして聴くように、という方法をしっかり身に着けることが大切です。

 

日本語でListeningをマスターしたプロセスを、残念ながら多くの私たちは記憶していません。なぜならば、それは胎児の頃から生まれた環境が与えた音を、最初のうちは「言語」として捉えておらず、さまざまな音を脳が成長するにつれ、どんどん区別したり、分類したり、無意識のうちに聴いていたからです。

 

現在、Listeningに喘いでいる方々は、おそらくたくさんのノイズをいっしょに取り込んでしまっています。音がもたらすものがイッタイ何なのか、その中で優先順位として何を聴くようにしたらいいのか、どうすれば「理解」に到達するのか、などなど、あまり順番を組み立ててもいないのです。

 

日本語では子どもの頃、本能の命ずるままにしてきたはずです。そこには心理的な動機の第一義は、「Survival:生き残るため」しかなく、それに沿った聴き方ができていたのですが、大人になり、さほど不自由をしていないので、しかも第二言語なので、聴くことを何か特別なことのようにして、特に母語に置き換えることを「当たり前」としているわけです。

 

英語は英語で。

日本語は日本語で。

自然音は自然音で。

などなど、聴くことに関してもう一度、初心に戻ってみることが大切です。

 

でなければ、音を捉えているのではなく、「意味」を捉えている自分に気づけません。英語のListeningはなぜか、「意味を捉え理解すること」としているのです。が、実際に音から理解できることは多岐に渡り、「意味」限定ではないことに気づいてください。

 

感情もたくさん入っています。喜怒哀楽だけではなく、皮肉や反意、戸惑いや強調、本当にいろいろが入っていて、母語では「言葉が与える意味」だけではなく、かなりまんべんなく優先順位をつけて聴こえるようになってきたはずです。

 

そこに戻ることができる学習法を得ること。

 

でなければなかなか聴き取れません。しかも多聴から離れる勇気持てますか??

 

 

よく日本人は間違いを恐れて英語を話せないと言いますが、間違えてもとりあえずどんどん話したほうが良いでしょうか?

うーん、間違いの回数によります(笑)。たとえば簡単な三単現(he/she/it は一般動詞の現在形では does になる)を何度も何度も間違えていても、聴き手が「間違い」だと指摘してくれないまま、ずっとフツーに暮らしていくとします。そうなると、その間違いは間違いとして存在することがなく、「正解」として存在し続けてしまいます。

 

その思い込み回数は、個体差です。学び方にもよりますし、自分の能力をどのように捉えているかにもよりますし、何を理想形としているか、などなど、さまざまな要因が織り交ざってできています。そのために、さまざまな心理レッスンを通して、自分を知っていただくことを英語学習と並行して行っているので、Precious One English Schoolの特長になっています。

 

恐れる、という心理的な側面は、日本人の「勤勉」「細やかなことに気づける」「洞察力が高い」などの特長と併せると、諸刃の剣となり、ネガティブに顕れるとやはり「腰が引けてしまう」「トライしないで諦めてしまう」「仕方なくやる」などになってしまいます。

 

なので、Precious One English School では、間違いを恐れないようなマインドづくりをしつつも、お試しで話す前に「チャットワークの添削にかけてみる」を促進しています。書いてみて間違えていないと確信できたら、話してみる。その段階では、言い回し・文法・相手によってタイミングによって場合によってこの言い方はぴったりフィット感、という自信が持てるわけです。その上で実際にESLで口にしてみて、通じるヨロコビや充実感を繰り返し得ていただきたく、そのために私個人は主宰として、24/7みなさまと繋がっていきたいと考えているわけです。

 

もし、物理的に観られない人数になったら、他の講師に分担していただこうと考えていますが、できる限りはチャレンジしていく所存です(^^♪

 

間違えて何が悪いのか?と考えてみていただきたいのです。一発で何かができることなど、本当にそんなに頻繁にあるのでしょうか?試しに、パートナーやお子さん、親御さん、ご友人に、愛しているという気持ちや感謝を口にしてみてください。本当に一発で通じましたか?繰り返し出遭い、繰り返しのチャンスがあり、それでも100%満足の行く伝え方など、本当には存在しません。それが「たまーにある」「ごくごく稀にある」からこそ、がんばれる気がします。

 

英語スクールを運営していて感じるのは、日本人はこの「英語」というジャンルをものすごく特別枠に置いている気がしています。英語ができる人をすごいと思う過剰さから、英語が難しいと思いすぎている感や、英語ができないことで未来が閉ざされてしまうと思ってしまうところや、その他、さまざま、すごく特別に感じていませんか?

 

所詮、言葉です。日本語をそれほどに特別枠に置いているでしょうか?逆に、日本語のほうが、言語としてはとても珍しい存在と質なので、そっちがマスターできているのであれば、英語は簡単だと思うのです (・・;) 簡単ではないのは、社会が及ぼす影響にどのくらい Resistant:抗うことができるか?当たり前を当たり前と受け止めないような眼を以って、世のなかを眺めることができるのか?です。

 

なので、Precious One English Schoolでは、心理レッスンでそのへんを磨いていき、間違いを恐れる力、バランスが取れた「怖れではない慎重さや計画性」を学んでいきます。

 

ぜひとも新しい世界のドアを開けてください(^^♪ 無料体験レッスンは随時ご対応いたします。

 

今、英語を習い始めた子供たちにまず知ってほしいこと

この子どもたちの年齢が問題なのですが、英語だけではなく、多くの習い事をしている子どもたちにも共通するお願いは、

 

自分で考える力を身に着けて、毎日それを使って考える層を深めてほしい

 

ということ。2歳くらいまでは「やりたい!」を本能的にアピールできた子どもたちですら、学ぶことに関して、歳を取るに従い「従順に」なっているかのように見えて、実は心の中ではネガティブな感情を抱くようになっていきます。小学校・中学校・高校と進み、大学生や専門・高専などで専門性を学び、その授業内容や形態が「受動的」なことから「強制感」を覚えるようになってくる確率も増えます。ここで、「聴いているフリ」を身に着ける子がほとんどで、「やりたいことをやる一辺倒」では社会では生きていけないことを知っていくのはとてもいいことなのですが、「やりたくないことをどのようにやりたいこと・好きなことに繋げるか?」を考えていってもらいたいのです。先生も大人も、ましてや最初は好きだと思って始めたピアノや英会話の先生も、そして廻りの仲間たちまでも、「あれ?」「違うかも?」と自分の感性や考えとは違うことをシャワーのように浴びせることもあるかもしれないです。でも、それを一旦飲み込み、そのまま受け止めるのではなく、「自分なりに考える」「自分なりの答えを出す」をクセにしていってほしいと願っています。

 

自分が知っていること・経験したこと・さまざまな気持ちを総動員して、本当にいろいろと考えてもらえたら、きっと大人になって「ラクで楽しくなる日は来る」と思えるようになります。特に10代は苦しいと思うのだけれども、苦しいと思うこともこの先たくさんある、と真摯に教えてくれる人、解決策を考えてくれる人の話に耳を傾けてもらいたいです。

 

さて、英語に特化したことですが、今日本で提供している英会話教室に通ったから英語が話せるようになるという確率は、とても低いです。ご両親や先生たちも「しっかり話せるようになる」ことは期待していないはずなので、まずは安心してください。親御さんや先生の期待に応えなくてOKです(笑)。では、何をやればいいか?「英語の音に慣れること」「楽しくなる工夫をしていくこと」「たくさん観察すること」で、自分ができることをうんと増やしている最中なのだ、とわかってください。赤ちゃんの頃から、驚くほどたくさんのことができるようになりました。ひとつはこんなにも話せるようになったこと、さらに、自分の身の回りのことがかなり自分だけでできるようになったこと、友だちや知り合いがたくさんできて、その人たちとお互いに理解し合いながら聴いて話せるようになったこと、など、本当にいろいろできるようになってきたのです。英語でそれができるかどうか、想像してみてください。できたら、うーんと楽しくなります。だって、アイアンマンだってスーパーマンだって、ピクサーだって、英語のままわかるようになるんですから(^^♪

 

一生懸命にひたむきに、自分のために観察して、考えて、楽しくなる工夫をした結果、迷うことなく、自分がやりたいことができるようになっていきます。英語ができるようになると、うーんと楽しいです。大人になってからもとっても楽しいですよ(^^♪

字幕なしで鑑賞するのにおススメな映画は?

 

まずはしっかりListening の学習方法を学んでいただきたいのですが、Precious One English School 以外でどの程度のことを教えているのか、想像でしかないので、どうしたものかと、この質問には悶絶します(笑)。

 

弊校では、「とにかく好きなもの」としています。結末までどうしても見続けたいくらい好きなものだったら、ジャンルなどは自分の好きなものでいいです。ただFrustrationが溜まってしまうのは、American Jokesが多いものかなぁと。文化背景的に何がおもしろいのかわからない場合には、きっとそばに「質問できるヒト」がいなければかなりモヤモヤするので、そういうヒトがそばにいることが前提です。

 

Precious One English School で学んだ生徒さんたちは、最速で4か月ほど、平均で8か月ほど、遅くとも1年2か月ほどで映画は、「さほど不自由なく見られる」ようになります。字幕なしで、です。

 

ESLでも9月からは、毎回30分、ディスカッションを含めたMovieをシェアすることになっており、そこでは、社会問題・コメディ・ロマンスなどジャンルを分けてやっていくことにしています。途中退席もありですので、最後の30分をコレにすることにより、生徒さんがより効率よく学べるように、としております。

 

Summer Boot Campでは、心理を教えた私のクラスで、途中古典を読む、というものでyoutubeなどをフルに使ったあと、Sense and Sensibilityを見たかったのですが、重すぎたのと音声が小さすぎて観られず、急遽 A Street Cat Named Bobを見たのですが、私は不覚にも生徒さんに見られないように泣けてしまいました(笑)。Amazonでは、あれを☆1つにした方々がけっこうな数いたのですが、ネコの不思議さも人々も本当によかったです。とはいえ、British Englishは聴いていて遅く感じるので、ちょっといらつかないでもなかった(笑)。

 

弊校の生徒さんには、子ども時代にNativesが聴く歌などもシェアします。https://www.youtube.com/watch?v=O468nZrSGp こういうやつですね♬ とってもかわいいやつがたくさんあります。勝手に流しておいてもらいます。英語に抵抗感がなくなったら、会話もシェアしますし、映画もシェアします。リクエストがあれば、何でも検索して差し上げております。

 

ミステリーでもホラーでもラブコメでも、好きなものを見ればいいのです♬ どんどん次へ!となってきます。

 

Summer Boot Campの最中に、Forensic Psychologyもご紹介したのですが、Profilingについて少し学んだあと、Forensic Filesという映像を2本ほどいっしょに観ました。楽しかったです!こんなに科学調査が進んでいるというのに、人殺しをしようとすること自体が挑戦的すぎますよね (・・;) 人殺しではなくとも、犯罪者は遅かれ早かれ捕まる確率はぐんと高くなりました。なので、Unsolved mysteryなどは人気があります。

 

とにかく好きなものを!とおススメしています。自分が好きなものがわからないことは、大問題なので、ぜひともPrecious One English Schoolで心理レッスンを受けてください <(_ _)>

勉強に挫折したときの立ちあがり方って?

勉強をするから挫折すると思うんですよ。私は勉強したという自覚がまったくないのです。子どもの頃から再び大学に戻った一時期まで。UC Berkeleyに入ったあとは、少し勉強をせねば、と構えてしまったのですが、スランプを抜けたあと、もう勉強をするのは止めてしまえ!と思うようになってからこっち、ひどくラクになりました。

 

勉強というのは、他者や社会から査定・評価されるためにあります。あるいは、他者を査定・評価しやすいので存在します。知識をたくさん詰めこみ、暗記する感じのアレです(笑)。そしてテストなどで査定・評価されてしまうわけです。

 

が、Learning:学習、学ぶと思うと気がラクになると思うのです。昨日の夜寝たときの自分よりも賢くなっていればいい、といつから思うようになったのか・・・。たぶんかなり早い時期だったと思うのですが、それを続けることにしたのです。UC Berkeleyはやはり賢い人たちがたくさん集まっており、ノーベル賞受賞者も排出している生き馬の目を抜くようなところなので、少しストレスになってしまったこともあるのかもしれません。が、勉強するのは止めました。とにかく「へぇぇぇぇ!」「そうだったのかぁぁ!」「ふむふむ、そういうことね」を続けていくことにしたのです。

 

それは、野菜炒めを手早く作ったり、掃除を短時間でピカピカに終わらせたり、本を読み終わったり、旅行のプランを立てることとさほど変わりはない、と思うことから始めたから成立したと思うのです。

 

あー、ダメだ!わからない!と思わないようになったのは、インターネットもあり、質問をしてもいいことがわかり、検索をしてたどり着いたり、訊いたらしっかり答えてくれる人を確保したおかげもあります。必ずわかる、必ず答え合わせができる、と思えるようになったので、挫折したという記憶は、UC Berkeleyに入った第一学期のみでした。

 

今でも、私にとっては、新しいPositive Psychologyについて理解することと、安くてオトクで劇落ちする洗剤を探すことに大差はありません。とにかく答えにたどり着き、私の生活がもっとうまく廻ること以外に目的はないのです。脳が歓んでくれる栄養をあげることは、マッサージを受けることや、眠ることと同じくらい、とっても自然なことなので、勉強だけに挫折することはもうこの先もないのかなーと思います。

 

むしろ、関係者が多くなって複雑化する人間関係の答え合わせや最良・最善の選択のほうが難しくないですか??と感じています。ヒトはそれぞれ自分の価値観が違い、世界観が違い、それぞれを尊重しながら共存共栄していくことのほうが、自然の摂理に沿った勉強の内容よりはもっとバラエティがあって、本当にたいへんだと思うのです、つくづく。

 

ゆえに、Summer Boot Campのあとにいっしょにごはんを食べに行って、かけがえのない気持ちいい時間を過ごせたりすると、うれしくてたまらなくなります。

 

勉強をそもそもしないほうがいい、というススメになってしまいました(笑)。

 

好きな勉強だけしていても学力は伸びる?

残念ながらある程度までしか伸びません (・・;) 文部科学省の学習指導要領が正しいかどうかは別としても、ヒトが「よりよく」生きていくために基礎から難しいものへの、さまざまな分野の知識・スキルを持つことはかなり重要です。いくつか理由があります。

 

あるひとつの物事を極めるほどにマスターしたとしたならば、他にもそれを応用できうるための知識や開放性を持つことができるか?が分かれ目になります。

 

好きな勉強だけしていても、本当の意味で「到達点」まで行くには、あらゆる分野での基礎知識は必要なはずなのです。自然の摂理を理解できる・体感できるほどになっていくことにより到達点までたどり着くはずなので、机上の空論程度のことではやはり他の学科や科目に関しては、伸びません。

 

さらに、心の問題は大きいです。嫌い、と一度思ってしまったものを好きになるには、ある事件や出来事が必要になります。あるいは、時間をかけてやんわりとネガティブを溶かしていくような根気が必要なので、おそらく他の学科や科目が伸びるまでには、就学期間が終わっていることになってしまいます。

 

なぜならば安定した環境を子どもたちに与えることが大人の努めであり、さほど劇的に物事は変わらないわけです。旅行や年長者とのふれあい、職業体験やボランティアなど、義務感に押しつぶされた形でやっている場合には、なんらポジティブな刺激になることはありません。ヒトは楽しかったり、自主的だったり、好奇心をそこそこ持っていたりする状態から、学びを促進させます。押し付けられたり、義務が大きかったり、受け身だった場合には学びの率も格段に減ります。嫌いな勉強には、そもそもそうした態度を持っているはずなので、伸びる要素はそもそも少ないのです。

 

自分の親友が自分の苦手な科目を助けてくれるのではなく、教えてくれたり、自主的に興味を持って観察し始めるチャンスをくれたりすることによって、たまに事件は起きます。が、やはりここでも開放性がない限りは、そのチャンスすら通り過ぎてしまうことになりかねません。他者の意見に耳を傾けられることや、自分が観ている世界がすべてではないことを、少なくともしっかり理解していない限りは、好きな勉強をしていても、好きな部分、自分に有利な部分のみを学んでいるに過ぎません。

 

それらの真理・事実が、嫌いな科目や学科の中にも潜んでいる可能性について、考えが及ばないようでは、好きな科目や学科でもソコソコまでしか伸びないと思われます。もちろん「好きこそものの上手なれ」ではありますが、嫌いな学科や科目も「平均くらいには」「最低限くらいは」と自らカバーしたいと願う気持ちは、素直さとして大切ですし、世の荒波に揉まれて生きていく上で、「知らなかった・・・」で済むことではないことも多く埋もれています。

 

ネガティブを学ぶことはたいへんに重要です。それはヒトの操作が大きく影響して結果に出ない限り、やはり自然界の摂理の中に生きているわけですから、大きな波の中にある二元論については、感覚的に落として体感していたほうが、生きていく中で勉強以外に大いに有利だからです。ネガティブを実際に学んだことがない限り、その「答え合わせ」は生涯できず、想像することもできないので、嫌いなものにタックルするのは先にやってしまったほうがいいような気がしますよね??

 

とはいえ、私個人は、子どもの頃まったく勉強をしないでやり過ごしてきたのですが、バカ殿ではなく、やらない割に成果が出てしまったタイプです (・・;) それは、やはり観察眼や興味、徹底的に追求するなどを、他にも応用できる器用さがあったからなのだろうと思えるわけですが、30歳になって大学に戻ったときには、大いによく作用しました。そして今でもさほど嫌いな科目はありません(笑)。