おなかが空くということ

08/21/2008にアップした文章です。

ここのところ、多少涼しくなってきたようで、あれほど食べられなかったごはんが、少し食べられるようになってきました。食べられないなどと言いつつも、私の場合は、ビールを飲んで肴を少しだけ食べており、特に熱量上の問題もなく、むしろ高カロリーになっていた、という、むしろ通常の夏バテよりもひどい状態だったのかもしれず・・・(汗)。セミの鳴き声が耳についてはいますが、もう夜のエアコンは数日使っておらず、快適に過ごせています。眠ることができるというのは、ものすごい平和なんだなぁと、実感しつつ、それでも時折ぴたっとくっついてくるネコを暑いな、と思ったり(笑)。食べることができるようになったのは朗報で、このあと、断酒日をたくさん作ることができそうなのでした。



飽食の時代と呼ばれてから、日本でもかなり長い年月が経ちました。貧困レベル少し上くらいの食生活をするのが、おそらく最も健康的で、最も経済的にも有効なのでしょうが、どうも西さんがいつも言う通り、「おいしいものは身体に悪い」というのは真実なようで、贅沢をして身体に悪いものを食べて、散財もしてしまい、さらに体調を悪くする悪循環というのを、大なり小なり現代の日本人はしている傾向にあるのかもしれず・・・。

 

アメリカに住んでいたときには、和食といえば、怪しいところに行くか、正統和食を食べさせてもらうお店はうんと割高で、やはりいつも食べたい場合には自分で作るしかなかったのです。そのせいで、以前『決死のおにぎり作り』でも書いた通り、おにぎりごときを作るのに、数日前からものすごい準備をし、体調を整え、3合のごはんを炊いて、海苔をしっかり焙り、具をあれこれ思い巡らせて準備をし、24時間以内で食べられるだけの量をお味噌汁といっしょに食べたものでした。納豆ひとつ食べるにせよ、ヤオハン(今のMitsuwaマーケット)の陳列ケースの前で、「いくつにしよう・・・」、清水の舞台から飛び降りるのでした(笑)。毎月1回くらいしか買い物しなかったのですが、自分としては、フリーフォールに乗るよりも落下は激しいものでした(笑)。しかも、1日のうちに3・4回は飛び降りましたからね(笑)。

 

そういった意味では、私は至って健康的な暮らしをしていたに違いないのです。難を言えば、バターとマーガリンの値段が100円くらいしか違わなかったので、量を食べるものでもないし、と、バター一辺倒にしていたり、牛肉と豚肉の値段に大差がないので、牛肉を多く食べてしまっていたり、アルコールがものすごく安いので(バドワイザーなどは、セール時に買えば1本30円くらいでしたね・・・。ワインもだいたい日本で今売っている値段の半分から1/10くらいです)、その量はちょっと多かったけれど(笑)。

 

が、私は学生を続けていたので、アルコールは週に2日しか飲まなかったんですよ。すごいでしょ?(笑)私の場合、一滴でも入ると酔っ払うまでは続けて飲んでしまうわけです。実際は眠くなるまで、というところなのかもしれず・・・。なので、ちょっとだけ飲んで休んで、また勉強というわけにはいかなかったのです。一度乱すと、ちゃんと7時間から7時間半眠ったあと、起きてコーヒーを飲んですっきりしてからでないと、勉強にはならず・・・。そうなると、多く出ている課題についていけなくなるので、週に2回しか飲めないというのが常で・・・。いや、たまには週に1回だったような・・・。まぁ、酒と勉強とどっちが好きかって、一滴も飲めないわけじゃないので、やっぱり勉強を優先していたのです。

 

その時の経験則でわかっているのが、アルコールを飲むと、私はおなかが空かないのです。いや、誰でもそうだって?でも、つまみを食べまくるヒトいますよねぇ・・・。私は進まないのです。タバコも止まるしね・・・。なので、二日酔いになるくらいの量をいつも飲んでしまうってことになり・・・。そうなると、悪循環に嵌まりまくり、翌日の胃腸の具合はとても悪く、肝臓にも負担をかけており、またもや食べられず・・・。

 

日本に戻って来てこれではいかんと思ったのが、夏になりビールを飲んだときに少しは食べないと、そのあと焼酎やワインだけではなく、ハードリカーにまで手が出てしまうかも・・・と思ったことです。無理やり食べてしまうと、おなかがきつくてたまらなくなり、やがて眠るしかなくなってしまうというわけで(笑)。

 

私は、アルコールなしの食事のときにすら、おなかいっぱいに食べるとしっかり眠くなるわかりやすい身体と生活習慣をキープしているので、腹8分目にしていてもやっぱり眠くはなる。その波を超えると仕事にもなるのですが、仕事がない日は寝てしまえ!と寝る(笑)。やはり狩猟民族的体調管理なんだろうなぁ(笑)。狩に体力をしっかり温存しておくためにも、仕事がないならば寝るんだ(笑)。無理やり仕事は作らない・・・。で、一生懸命仕事をしているとおなかは空くのだけれども、ここのところエセ夏バテで、どうもおなかが空くという実感が、1ヶ月ばかりなかったのです。

 

ええ、ビールと肴やその他の深酒のせいで・・・。

 

校長センセが虫の音がするとおっしゃっていた頃、まだまだエアコン三昧だった私も、ここ数日、エアコンなしにしてみて、秋の訪れを少しだけ予感しているところです。となると、おなかが空くようになるもんですなぁ・・・。身体って便利(爆)。そうなると、飲み会の予約が入っているものはしっかり出席するとしても、家にいるときにはアルコールなど見たくもないと思えるようになり・・・。そうすると、ちゃんとおなかが空く。すばらしい♪今日なども、朝の9時過ぎ、まだエアコンは使っておらず、今日はレッスンまで使わなくてもいいだろうと思えています。東京も29度までしか上がらないらしいし、私はその時間は外に出ているので、母にネコを観察してもらっておいて任せます。

 

昨日もなぜか午後1時、おなかが空いたのですよ(笑)。まぁ、朝ごはんを食べていないのだから当然だといえば当然でしょうが、私は労働か勉強をしないとおなかが空かないやつなのです。ええ、血と習慣が狩猟民族なもので・・・。が、昨日はなんだかおなかが空いてしまい、おなかが空いて切ないくらいにまでなってびっくりしたのです。こんなの1ヶ月ぶりくらいだ、と・・・。

 

MDの親友Douglasに言わせると、おなかが空くまで食べないというのは、糖尿病になりやすくなるから気をつけろ、ということらしいのですが、そして朝ごはんもちゃんと食べろと叱られているのですが、やっぱりなかなか直せず・・・。でも、おなかが自然に空くような暮らしにすればいいんだろうな、と、昨日あたりから実感しています。来週ビラ配りをして、仕事の量を増やし、昼間からのレッスンがゲットできれば、きっと正常におなかも空くんだろうな、と。

 

子どもの頃はいつもいつもおなかを空かせていたのですが、いつからひもじくなくなったんだろうなぁとも考え、なんだかなつかしいほどです。「白いごはんがいっぱい食べられるから、相撲取りになればいいのに」と昔は言っていたのですが、私は子どもの頃、「ちぇっ!女はダメなのか」と思うほど、ひもじかったですね。いつも腹空かしでしたもん(笑)。そりゃぁ、あんだけ野原や川原を飛んだり跳ねたりしていれば、おなかは空くよなぁと苦笑しつつ、最後にスキーやテニスやハイキングをして、おなかを空かせたのはいつだったのか?とも思い、今の生活はいかんと、改めて思いました。

 

今日もおなかは空くのか?今は涼しくなってきたので、コレが楽しみです(笑)。

女の友情

08/20/2008にアップした文章です。

私は生物学的に♀に属しているわけなのですが、どうも性格的には女性らしいところがかなり少ない・・・。というか、見当たらない(笑)。小さい頃は、スカートを穿かないでなるべく過ごそうとした少年のような女の子で、英語でいうところのTomboyでした。日本語に直すとお転婆ってことなのだろうな。でも、この漢字もすごいよなぁ(笑)。おばあさんを転がすほどの勢いってことなんだろうか?うーん、気になるので調べる(笑)。いや、違った。オランダ語のOtembaarが鈍ったそうです。よかった、おばあさんを転がすなんてことがなくて・・・(汗)。http://gogen-allguide.com/o/otenba.html 10代も後半になればきっと女の子らしくなるだろうと、高を括っていた父親は、さぞかし落胆したに違いなく・・・。



やはり、言動を発している側が気づかぬまま、回りの人間というのもそれに呼応してくれるようになるわけで、私のメンタリティは変化することなく、スカートをなるべく穿かない少年のままだったので、バイト等でおいしい話には乗りましたが、そのまま心のど真ん中はいわゆる男らしいと言われるような特徴ばかりを持ったまま、どんどん大人になり、今に至っています。いまさら直そうとは思えず、それもそのはずで、Raymond Chandlerやその他のハードボイルドが美学だと思っているうちは、直せるわけもなく・・・。好きな人とも相手のためなら涙を飲んで別れるし、自分が決めたことであればたとえ大損してもやる、というのが、私にとっての美学なので、おしゃれやらその他は優先順位はうーんとあとに来るわけです。ましてや、学校のトイレにいっしょにつるんで行くなんてことは、かっこ悪いことこの上なく・・・。

 

24歳半まで抵抗していたのですが、料理は『愛と名誉のために』を読んでから、しっかりと学びました(笑)。掃除は今でも泣きながらたまにやりますが(笑)、家事は料理以外は平均くらいしかできませんね。その代わり、モノをたくさん持たないことでカバーしています←どんな妥協点なんだか(笑)。

 

選択肢の多さに戸惑わないのは、私が自分が欲しいものを知っているからで、ショッピングでの迷う醍醐味などは、カケラくらいしかわかりませんねぇ・・・。迷うという心持は、ショッピングではなく他のことで代替できるので、そんなに毎回やらなくても・・・と思うのです←醒めてる醒めてる(爆)。迷うためには、何かの問題を解いたり、ギャンブルしたり、まぁ、いろんなことがありますってば・・・。そのたびのドキドキ感というのは、ショッピングでなくとも得られますしねぇ。所有するというAnticipation(期待感)が欲しいのであれば、私はもうすでに必要なものは持っている気がしていますし。ほら、親知らずが1本もないこの身体とかね(笑)。

 

つい最近ストップウォッチを商売用に買ったのですが、それなども苦痛以外のナニモノでもなく、SEIKOが出した安価バージョンのALBAのものを買いました。陸上競技をやるわけではなく、Reading Speedを測るだけのものですから。マイク付ヘッドフォンは高いけれども、やっぱりPlantonics社のものを買おうと思っています。

 

そこで、私が男っぽいオーラを発してきているあいだ、女の友情というのは育っているのかどうか?ということを検証してみたら、やっぱり私の女友だちというのは、真ん中のほうがスカートを穿いた少年のようなヒトが多いということに気づく・・・。そうでなければ、長くは続かないのだ、と。動物園の檻に入れられた珍しい動物を眺めるように、短期間であれば楽しく遊んでいただけるのですが、いずれ動物園は閉園し、人々はお家に帰っていくのでした。

 

食べることは熱狂的に好きでもないらしく、昨日もレッスンが終わったあと、飲み会だったのですが、選ぶことに積極的には参加せず・・・。メンツは、男性2人と私だったのですが、その場で出たのが、「メンタリティは中年のおっさん」という言葉。ふたりは初対面だったので、私が「さあさ、知り合いなさいよ」と言ったことが、とてもめずらしい表現だったらしく、レッスン後の夜の9時半過ぎに、「はじめまして。私は・・・」とやるよりは、どんどん話をしてわかりあったほうがいいと思ったまでで(笑)。英語ではMingle with themというのがあるんだけどなぁ(笑)と言い訳をしつつ・・・。私はどうも、中間管理職で世の中を斜に見ているようなおっさん的視野で物事を見ているらしく(笑)。昨日はワインだったのですが、お酒さえあれば、つまみなどはけっこうなんでもよかったのだった・・・。日本のバーのつまみで、返品したくなるほどオソマツなメニューなど、私はラッキーなことに一度も出遭ったことがなく・・・。

 

休日のパチンコ屋さんへ行くいでたちも、こざっぱりはしているものの、とにかく目立たないように、というテーマだけで着ているような状態で(笑)。買い物なんかもレジ袋はもらわず、ズタ袋のようなバッグに入れて持って帰ってきます(笑)。近所のファミリーマートでは了解済みで、会計が始まるとシャカシャカと詰め始めることになっており・・・。

 

実際、圧倒的に男の人と親近することが多く、女性にしても、やっぱり男っぽいと表現される人のほうが多く、私は生物学的にヤワで、それでも虚勢を張りつつ、伊達男を振舞う人が好きなんだろうなぁ(笑)。私がメスなことで、生物学的にヤワではないところが、すでにうれしいのではありますが(笑)。

 

しかも、女の友情というのは、女性の生き方が年齢を経るとどんどん強い絆が保てなくなる傾向にあるわけですよ。結婚前は、デート優先。結婚後は、家事優先。子どもができると育児優先。そうして、友だちというのはSecond-class Citizenのような扱いになってくるわけです。特に働いている女性たちの場合、もちろん彼女たちの人生が幸せなことがイチバンですから、それに対しての文句も不満もないですよ。が、そうして絆はどんどん緩んでくることが多い、というだけの事実。

 

昨日もバカみたいに大笑いをして、刹那的に見えるが楽しい時間を過ごし、きっとこれについては忘れないが、それについて今後語ることはほぼない・・・。それがどうも男っぽいようなところなのだと思われる・・・。産業カウンセラー講座でも、13人のうち4人しか男性がいないのですが、私は男性軍からは親しみやすいと思われており、それは一重にこの性格のせいなのでしょう。特に女性を避けているわけではないので、きっと私の発するサバサバしているところや、こだわりが少ないところが、とても無神経に思わせてしまうのかもしれず・・・。なかよしの女の子は、クラス最年少の24歳で、なんでなかよしなんだろう?と思うと、やはり性格的に男っぽいところが最大の共通点なんだろうな、と改めて感じるわけです。

 

でもなぁ、女の友情を長く続けている方々もたくさんいるので、一概には言えないです。私がたまたま強く男っぽいだけで、きっと女性らしくとも長い友情はちゃんと成立するに違いなく・・・。私はもうハワイに住む親友とは2年会っていませんが、また昨日の続きができることはわかっているので、かなり平気です。西さんとももうそろそろ2ヶ月くらい会っていないのですが、それも平気(笑)。

 

とりあえず毎日会えないとつらいなぁとひしと感じるのは、ネコたちだけですね。ハードボイルドとしては、犬のほうが絵になるんですが、ズボラなので、散歩に行けないからなぁ(笑)。犬との友情のほうが、きっと強くていいんだろうとは思うのですが、男っぽいところが悪く作用して、あまりにベタベタされるとつらくもなるので、やっぱりネコでいいのかもしれません・・・。

 

女の友情が長く続いているケーススタディあったら知りたいものです>ドラマじゃなくて、リアルで。

選択肢が多いことに戸惑う その2

08/19/2008にアップした文章です。

結婚年齢が上がっているのも、この選択肢のせいらしい。なぜならば、「もっといいヒトがいるに違いない」と躊躇するのだそうです。Pre-internet時代の前は、Pre-TV時代。その前がPre-Radioと飛行機で、その前がPre-新聞&鉄道。こうなると、行動範囲が広がってくるし、見聞が広くなるので、やっぱり他にもいいヒトがいるかもしれない可能性に、ついつい目が行ってしまうのでしょうねぇ・・・。それが証拠に、お見合いの数は減っているし、お見合いの種類も「人づて」ではなく、コンピューター診断なども入ってきているわけです。とうしても譲れない条件に、旅行が入ったり、見聞の広さが入ったりするのもうなずけるところ・・・。こうして、世の中は混沌としてきているわけで、選択肢は確かに多いと困ることもあるのかもしれないねぇ・・・。

 

取捨選択:悪いもの・不必要なものを捨てて、よいもの・必要なものを選びとること。

戸惑う:〔「とまどい」を動詞化したものか〕予想外の事に、どう対処していいかわからずにまごつく。

戸惑い:(1)とまどうこと。(2)夜中に目を覚まして方角を失い、まごつくこと。ねぼけ。

 

自分というものがナニモノで、どこでどのように暮らしていき、その中で何を成し遂げたいのか?ということがわかっていない限り、この取捨選択の基準点がブレていきます。どんな対象物であっても、自分がない限り始まれないのですが、実際のところは、大人になってもたくさんの人がモラトリアムを続行しています。

 

モラトリアム:(1)戦争・恐慌・天災などの非常時に、社会的混乱を避けるため法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予すること。支払い猶予。(2)知的・肉体的には一人前に達していながら、なお社会人としての義務と責任の遂行を猶予されている期間。または、そういう心理状態にとどまっている期間。(3)実行・実施の猶予または停止。多く、核実験や原子力発電所設置についていう。

 

就業したり、社会人として歩んだりしていても、実際のところはたくさんの「カンベンしてやる」が横行しているわけです。だから、ここのところは「人間関係でカバー」していて、持ちつ持たれつなのですが、感謝の意が薄い人も多ければ、開き直りをしたり、自分がうまく行かないことを他人のせいにする人も増えて、その最悪の形が、まったく知らない他人を殺傷したりする事件にまで発展していきます。

 

そもそも完成などはない人間稼業ですから、このモラトリアム部分というのがどれくらいなのか?というのを、個人個人が把握していくのが大切なわけです。最低限基準に達したあと、Noblesse oblige精神を発揮していくための素地を、社会全体で雰囲気作りすることが大切です。資本主義においては、この精神がなければ、どんどん格差が生まれることは必定論理で・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5 

 

極端な例でいくと、発展途上国では、電気など通っておらず、水すら徒歩で数十分もかかる高低さのある道のりを汲みに行かねばならぬ、ということは、世界のどこかでありえています。その湧き水やたまり水は、疾病をもたらす細菌などに冒されている場合も多く、たとえばマラリアなどは完全に消滅していません。そうした水を飲むしか生きていけない人々というのは、この世界に確実に存在しているのです。灌漑工事をするにはお金がかかり、井戸水を掘り当てるにもお金がかかり、浄水装置をつけるにもお金がかかり、病気になることはわかってきたけれども、それでも飲まざるを得ない人々がいます。

 

アフリカや中国やインドやその他、広大な土地の隅々まで、電気が通ることはまだまだ先の話で、そのために都市に仕事を求めて移動する人々は増えています。それは、勇気を持った最初の人々が告げたことによったり、物好きな人々(あるいは見かねた親切な人々)がその土地に足を踏み込んだためです。

 

その選択肢があることは、幸せなことです。が、日本に住んでいる私たちは、その選択肢が増える幸せというのを噛み締めておらず、却って不満に思ったり、責任転嫁のタネにしたり、混乱の元だとみなしているわけですよ。

 

ここのところは、大いに反省したほうがいいです。

 

何度か二元論の話をしましたが、たくさんの選択肢を絞っていくことができさえすれば、最終的には二択になります。そして最終的な二択は、たいてい「やるかやらないか」までに煮詰まっていきます。その絞り方について、どうして小学校・中学校・高校、大学まで行った人は大学で学んでこないのか?ということが疑問です。

 

たとえば、私は目下、自宅でのレッスン拡張に四苦八苦しているところなのですが、生徒さんとて同じことだろうと思うのです。英語学習は、中高を通じてやってきた。ところが使えるようになった実感などない。というところから、それぞれがニーズに合ったレベルでいろいろなことをして試行錯誤していると思うのです。一般的にNHKラジオ講座などをやったり、学習参考書などのコーナーに設けてあるテキストを独学したり、というののほか、英語学校に通おう!と決意する人までさまざまでしょう。

 

私の実感としては、まだまだ英語学習の方法をわかっていない方々が多いので、英語学校に大枚を支払うことになる。なので、私は英語勉強法に特化して、その入り口から改造計画ができるカリキュラムを作ることにしました。18年半もアメリカに住んでしまったので、英語が話せなかった当初の気持ちを忘れているところもあり、生徒さんとの親睦はかなり貴重なので、いつもやっています(笑)。そのみんなの戸惑いや苛立ちや不満を聴いた結果、やはり結果が出る勉強法とお金と時間の都合なんだな、と思えるようになっています。が、あまりに選択肢が多くて、どうしていいのかわかんない!というのが、正直な雄たけびなんだろうな、と。そして、お金と時間を使い、今に至っている人々が多いんだろうな、と。

 

どんなことを見るにしても、1.生物学的根拠を探す-水を飲まないで生きていけるヒトはいませんし、空気がきれいなことは必須です。2.社会を考える前に自分の主観を確かめ、その主観がどこから来ているのかを分析する。3.社会について考える-自分が置かれている環境。その際、自分に最も近い人間関係や場所から考えていくと、混乱が減っていきます。

 

私はひとつの会社に勤めることを極力避けてきましたが、それは正解でした。生物学的にヒトとしては、原始的なやつなので、どこかにしっかり属す農耕民族でもなく、定住型の人間でもなく、ふらふらあちこちを動き回る狩猟民族な血が多かったようで・・・。その上、主観にしてもそれを支えている言動がこれまでも多く、それに支配されてすらいるようなところがあり・・・。今、日本に戻って2年が経とうとしていますが、やっとまた再学習がほぼ終わろうとしているところ。人間関係の数は少なくてよく、大切なヒトをとことん大切にしていければいいや、と思っており、私の選択肢は自ずと狭まってきます。

 

とはいえ、昨日のマイク付ヘッドフォンについてはまだ解決しておらず(笑)。ここのところ忙しいので、しばらく延期(爆)。選択肢は多くて幸せなことなのです。あまりに多いときには、自分から取捨選択していく勇気を持って、シャカシャカこなしていきましょう♪

デリカシーがない、というのはどういうこと?

和製英語になってしまったデリカシーは、けっこう曲がってしまっているところがあります。

 

デリカシー:感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。

delicacy: 

(和英)

優美、(容姿などの)優雅、上品さ、微妙(な美し)さ、きゃしゃ、虚弱、かよわさ、(機械などの)精密さ、精巧さ、精緻

(英英)

1 [countable] something good to eat that is expensive or rare

2 [uncountable] a careful and sensitive way of speaking or behaving

3 [uncountable] the quality of being easy to harm or damage

 

心配りのほうに集中してしまって和製英語になっているわけですね (・・;) 英語で頻繁に使われるのは、「珍味」という意味です。かよわさ、などは伝わっていないことになります。

 

さて、本題に移ると・・・。

 

心の動きに対して大雑把である、あるいは、その心の動きに配慮せず、言動に反映させられない、ということですよね。簡単に表現すると、「心に鈍感」ということでしょう。

 

日本文化では、昔むかしは、この自然に対する心のビンカン度の尺度の振幅は大きかったように思うのですが、欧米の合理化や論理性が入って浸透して以来、曲解して、「二極論」で簡単に処理していく場面が多くなってきてしまったように感じます。

 

明るい・暗い

正しい・間違っている

つきあう・つきあわない

得意・苦手

いい・悪い

のあいだには、とても細微なものさし尺があっていいと思うのですが、わかりやすくするために「二者択一方式」を多く採用してしまっている場面が多くなってきました。

 

憲法改正に賛成か反対か、もその結論に至るプロセスのほうがずっと大切ですが、そのプロセスには細かい尺度があって、たくさんの軸に支えられていなければ、デリカシーがない、ということになるんですが、そう思わない人はたくさんいるように思います。

 

英語スクールなので、比喩としては、英語ができる・できないが展開できるのですが、それをTOEICや英検、TOEFLなどで測るという便宜的なものを選ぶ人もいます。その軸だけで、英語ができる・できないは測れません。実際にTOEIC高得点を取っていても「話せない」という現状はよく聞く話です。

 

デリカシーがない、と誰かを責める人たちですら、この軸をたくさん持っていないかもしれず(笑)、結局「ある・なし」で決めつけてしまっているのかもしれませんぜ?? (・・;)

 

Delicacyという言葉は、脆弱で特別なものを内包した心の動きに、たくさんの軸で対応できる、というすんばらしい能力なのですね。他者の心の動きにビンカンなのは、ゆとりがなければできませぬ。心と時間のゆとり、ぜひとも持っているかどうか、常日頃チェックしてみてください!

選択肢が多いことに戸惑う その1

08/18/2008にアップした文章です。

私は選択肢が多いことに、さほど困らないやつだとひとりで結論づけていたのですが、日本に戻って来てからは、少し考えを改めています(笑)。昨日、電気屋さんに行ったのです。冷蔵庫のときには、母が主導権を持っていたので、特に比較対象などをするにも資料が先にあり、それほど迷わなかったのですが・・・。スカイプに使うためのマイク付ヘッドフォンが壊れたので、買おう!と思い立ち、売り場に行ってわからなかった・・・。アメリカに居た頃には、価格競争の仕組みが単純明快で、「安かろう悪かろう法則」というのが使えたのです。あるいは、老舗ブランドであれば、かなりの信頼度が置けるというのもあり・・・。ところが、マイク付ヘッドフォンというのは、それだけ、あるいは近辺機器のみを作っているブランドもあるんですねぇ・・・。何も老舗がいいわけじゃーないらしい・・・。そして、すごすご戻ってきました(爆)。



そもそも、このマイク月ヘッドセットはすでに3年以上使っており、スカイプ当初から使っていたもの。ひょっとするともう4年になるのかなぁ・・・。私は、アメリカ製のPlantronicsという会社のを使っていたのです。Santa Cruzという、私が住んでいたところから車で1時間ほどにある会社で、シリコンバレーからちと外れたところ(あるいは縁に乗っかっているという解釈もできる。なぜならば拡張はしているので・・・)、そもそもその町は、サーフィン関連のブツを作っていたり、UC Santa Cruzというのがあって海洋系の学問が進んでいるところなのです。で、40年以上の歴史があるその会社のヘッドフォンシステムは、NASAにも技術提供をしており、1962年に使われたのをきっかけに、1969年には月面で使われ、その技術の高さから、アメリカではFAA(Federal Aviation Administration)で採用するほどになったわけです。私がこの会社を知っていたのは、管制官全員がこのヘッドセットを使っていたためで、私がヘリで使っていたのは、David Clark社のものだったのですが、それはきっと機種別の特化したものだろうと考えたせいで・・・。そうなんですよ、管制塔に行って、人々が働いているのを見るのは、英語の勉強にもなったし、航空学の勉強にもなったし、本当によかったのです。こんなことから、このヘッドセットを憶えていたため、Fry’s(PC関連その他の大手チェーン店)で、このブランドに決めたのです。

 

ところが、私が見に行った電気屋さんにはなかった・・・。そこですでに途方に暮れたのでした(笑)。そして、戻って来てAmazonその他を見てみたところ、日本では高級品らしいことが判明(笑)。7000円もするんかい!私は20ドルで買ったっつーのに・・・。そしてワイヤレスにしてみようかと思ったところ、Plantronics社のやつは、15000円以上するわけね・・・(汗)。

 

うーん、ということでまだ買っておらず、ちょうど時間も無駄遣いして動画を見てしまうので、しばらく検討しようということに・・・。

 

前置きが長くなりましたが、このように私は文化のハザマと商業地帯のギャップにも喘ぎつつ、「選択肢が多いってどうなんだろうか?」ともう一度、ハタと思っているわけです。

 

たとえば女性の生き方。フツーに親御さんたちの言うことを聞いて、しっかりとスタンダードなお嬢様の道を歩む手もあり。財閥とまで言わずとも、深窓の令嬢風に、お茶やピアノやその他を習いつつ、女子校にてつつーっと修学し、最後には頭の程度でお茶の水や東京女子あたりか、そこで初めて東大あたりに行くという手。それでも、いわゆる政略結婚が匂うような「家に有利な結婚」へと進み、キャリアを持つか持たないか、そこで決めていく。

 

うん、これもひとつの生き方ではある。そこここでチョイスがあるものの、そこでどのようなチョイスになるのか、狭めて生きていく手はあり。

 

中流生産階級に生まれた場合には、都立(公立)か私立か、今の時代であればかなり選べるので、チョイスは増えているはず。キャリアにしても、勉強する分野にしても、それに海外が加わってきているのがトレンドなので、本当に選択肢は山ほどあるのです。女性でも理系の仕事をする人々が増えてきて、これは望ましい在り方なのですが、それゆえにひょっとすると行動範囲なども狭められているのか?選択肢の数は、増えたのだろうか、減ったのだろうか?と考え込んでもしまうのでした。

 

私のように超下流階級の出の場合、自力で懸命に働いたからこそ留学できたものの、そうでなければどうなっていたのか・・・。小学校2年のときに、社会科の教科書にあった「みかん工場の写真」がどうしてか頭に今でも焼きついており、今はまさかあんな手作業をしているわけもないというのに、なんだかあのラインに並ぶことだけは、どうしても避けたかった、というのが、私の将来への漠然とした夢でした。あれじゃなければいい、というわけでもなかったし、あれをDisrespectするわけじゃないです。ただ、生涯あれをするという目標はいかんな、と、小学校2年で思ったわけで・・・。でも昭和40年代当時は、アノ手の手作業はしていたんだろうなぁ・・・。今もハンドメイドが流行しているから、アノ手の手作業をしている人々はきっといるに違いなく・・・。

 

でも、りんごの種付けやら色調整や虫除けのための嚢被せや収穫は大好きだったんですよ。ただし、あれが延々と生涯続くのは、とても耐えられなかっただろうけれども・・・。

 

そこで、選択肢の多さに気づくのですが、私は今でも選択肢が多いことを前提にして、考えたり動いたりするようにしています。なので、迷ったときには納得するまで調べないと最終行動には出ない。人とつきあったりする場合も、段階的になり、若い頃のように知らない人に誘われてキラクに話すこともなくなってしまいました。お店のママさんや常連さんにチェックすることができる場合は別ですが・・・。

 

選択肢が多いことは、私にとっては感謝感激雨霰(漢字が並びすぎた・・・汗)なのですが、どうもこれに戸惑う人々も多いようだ、というのは、昨日のヘッドフォン事件で少しわかりました。が、調べればいいだけの話なので、調べる手間というのを苦だと思わない耐性を作るのがイチバンかと←結論だな・・・(笑)。

 

超下層階級の出の私としては、もう自分の行きつけると他人様が思ってくださったところ以上の場所に居るので、蒙昧な目標や身の丈に外れた野心はもうなく、ただただ生涯学生という夢だけを追いかけていけたらと思っているところなのです←相当な野心だろうと言われたら、そりゃぁそうなんだけどさ・・・(汗)。それもこれも、選択肢が多かったためで、自分に合致したものをその都度選んでこられたという思いがしているのですが、選択肢が多いと困る人々というのは、なぜなのだろうか?

 

そこのところを明日はもう少し考えてみようかと思っています。ええ、買い物の例ではなくて、もっと身近なところで何か例を考えて、今日ひとりで練ってみようと思います(笑)。簡単に結論づけるというのは、かなり失礼なので、買い物は調べればいいことがわかっただけでよかったですが、その他のことは難しいので、もう少ししっかり考えてみようと思います。

 

お盆休みの過ごし方

08/16/2008にアップした文章です。

小さい頃は、ナスときゅうりをおがらで脚をつける細工をして、盆の入りにはワクワクしながらお線香を焚いたものなのですが、我が家には、小さい位牌があるだけで、おがらを燃やして、「おいでおいで!」をできるような場所もありません。ベランダで火を使ったら、さすがに怒られるよなぁ・・・(汗)。ふとした疑問なのですが、屋上があるヒトはいいのかなぁ?花火は屋上でしていいわけなの?というか、子どもたちは、どこで花火をして遊んでいるのだろうか?近所の公園?川原?どこなのだろうか・・・・。ここは駅前なので見かけないのですよ。



私にはお盆休みがないので、何をどうして過ごしたらいいか?という画期的提案や夢や希望などはないのですが、たいていの人が実家に帰るのでしょう。終戦記念日を挟んで、日本は民族的な大移動をします。これがアメリカになると、Thanks Giving(感謝祭)とChristmasなんですが、子どもの頃、父が生きていた盆暮れどきには、その大移動戦線に加わって、車で大移動をした記憶が強烈です。田舎の子になって、野山を駆け回って育ち、終戦記念日は消え去ったような夏を過ごしていました。小学校1年から6年までは、ほぼ丸1ヶ月は長野にいましたから。その後もお盆は父の田舎で過ごし、16歳以降は、それがバイト三昧の稼ぎ時に変わるんですが(爆)。シフトがやたらと長くなり、人手不足なので、稼ぎ時なのです。東京に残っている人も多いので、それなりに需要はあり・・・。

 

私はすかいらーくで初めてのアルバイトをしたのですが、今度の新社長の記者会見の写真を見てびっくり!私が高校1年のときか2年のときに、いっしょにフロアで働いた谷さんだった・・・(汗)。えらくなったんだなぁ・・・・。ほぼ27年くらい前の話なのですが、彼はその時からかなり老けて見えたので、今もそれほど変わりがないことに、こんなに長い歳月が流れたことが嘘のように思えた瞬間でした。当時のすかいらーくは、キッチン3人、フロア3人の社員体制で、あとはすべてアルバイト。アルバイトの階級が3つほどあり、私は最もペーペーなところから始めたのです。ハイパーだった私は、決まった時間帯に同時に数卓の責任を持つという仕事が大好きで、楽しかったですねぇ。料理提供時間などをチェックしたり、前回来店のときに食べたものなどまで記憶しており、これでバイト代がもらえるのはすごいと思っていました。さらに、ヒトがたくさんいるということで、私の存在が掠(かす)れてしまうというのがよかった。

 

アメリカには当然お盆はなく、終戦記念日について、いろいろと考える時期でした。今年で、終戦63年。ということは、終戦時、母は7歳だったことになります。強烈に記憶していることは、疎開先が静岡だったので、安全についてはそれほど怯えてはいなかったものの、やはりひもじかったことらしいです。あれほど、海と山に恵まれた土地ですら、社会階級はあるものの、ひもじかったのか、と驚かされます。

 

今日なども、冷蔵庫にお餅があることを発見してしまい、いくら冷蔵庫を買ってうれしいからと言っても、こんな季節はずれのものを冷蔵庫に大事に入れておくことはないだろう・・・などと思ってしまうのです。さらに、彼女はタッパーの女王で、ものすごい数のタッパーを持っています。たぶん、100個はあると思う・・・。それにシールやその他でラベリングをしつつ、いろいろなものを小分けして壮観に入れておくのですが、それでも傷ませてしまうことがある・・・・。でも、大事にしておいてなかなか高いものをいっぺんに出さないのです。やっぱり戦中派だからなのかなぁと思ってしまうのですよ。いつもであれば、バカだなぁと笑えるのですが、あまりに自分のことを棚に挙げて、私のことだけを攻め続けることが続いたり、言い訳がましいことをくどくどと並べ立てたりしたあとは、粗い口調でいろいろなことを責めてしまうのです、私・・・。いい歳こいてとは思うんですが(爆)。が、怒っているわけではなく、ポイントを示すためにどうして合理性がないのか?ということを説明しているだけなんですが、彼女にとっては宇宙語にも近いようなことらしく・・・(汗)。

 

年老いたから向上しなくていい、というような気持ちは持って欲しくもなく、できる限りのトライをしてもらいたいという願いがあり、それは伝えようと思うんですね。せっかく生き延びたのだから。生き延びることができなかった人々がいたにも拘らず、彼女は生き延びることができたことは、やはり幸運のうちのひとつですし。

 

やはり昨日は、オリンピックだらけのTVの合間に見た、終戦記念日式典に関するニュースで、少しほろっと泣いていました。自分の小さい頃のことを思い出していたのでしょう。

 

私は今、コンビニで売っていたあやしげな本を読んでいます。『連合艦隊のすべて』双葉社というやつなんですが、昭和16年から終戦までにかけての海軍が闘った連合艦隊を使っての主要海戦が30ほど載っています。基本的に、連合艦隊は非常時に編成されるものだということすら知らなかったので、まぁ、500円はいい勉強代になっています。

 

他にも日本にいれば、戦争意義そのものについての番組や媒体を見ることがたくさんあったのだろうか?と、去年から考えているのですが、どうやらそうでもなく、今年は特にオリンピックにお茶を濁されていて、それどころの話でもないような・・・。むしろ、アメリカに居て、カジノで出会ったフィリピン人に責めとがめられたり、各国の人々に折に触れて質問されたり、世界平和そのものについて考えさせられたり、というようなチャンスが多かったことで、平和へのありがたみは感じてきたような気もします。が、比較できないのです。日本にその期間いなかったので。ネットができるようになってからは、いろいろな人がかなり好き勝手に、世界平和についていろいろなことを書いていたりするのを見ていました。私は世界平和に関して、誰かと論議しようとは思っておらず、日本が平和ボケならボケで、幸せだということだけは実感してもらいたいと思います。そんな中、右翼の書き込みが増えたような気もしていたり、戻って来て安倍内閣のときに国防に一気に偏りを見せようとしていた憲法第9条問題やら、『美しい日本』というテーマやら、ちょっとびっくりしたものでした。

 

政治的動きはどうでもいいですから(私は昨日の主義で言うところの、古典的自由主義を信じているところがあるので・・・>なので、独立宣言の文章が好きで、哲学的な経験主義は基本として信じており、だからこそ心理学も学んでこられたのです。この古典的自由主義がどうした経路で、日本に利己主義を運んでくることになってしまったのかとても遺憾です)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9 、ひとりひとりが、心の中と頭と身体全部で、平和に対するありがたみを噛み締めるためには、体験しなかったことについても、想像し、共感できる能力を身につけてほしいなと願っているところです。

 

ここ20年くらいお盆休みはないのですが、いつも戦争というのは心に留め置いており、世界のどこかで今も常に戦争が起きていることにも、無関心ではおられず・・・。この時期は特に、見てもいないのに、玉音放送を聴いた疲れきってしまった日本人の姿が、陽炎の向こうに木造建築や畑や焼け野原を背景に見えるようなのです。その幻想が見えてしまう中、レジャーやオリンピックに湧いている人々を見るのは、少しキツイ。なので、お休みがあったほうがいい時期なのかもしれないですねぇ・・・。

 

が、今日も朝10時から夜8時まで働きますよ!

主義はありますか?

08/15/2008にアップした文章です。

小学生の頃、私は○×主義という語彙に遭遇するたびに、「あ、もう少し大きくなってからでいいや」とすっ飛ばしていたことを思い出します(笑)。大混乱な言葉なわけですよ。何かの難しい語彙に、主義をくっつけると、相当重い言葉になる、という認識だけはあったようで、しかもニュースなどから流れてくることが多く、父に聞いてみてもかなり曖昧な返事しか返ってこず・・・。というわけで、中学に入るくらいまでは、すっ飛ばしていましたね(笑)。中学になって、すっ飛ばせない○×主義がいくつか出てきて、少しずつ、この「主義」が帯びている意味がわかってきます。ところが、今大人になってもたくさんありすぎて、心の地図であるSchemaにどのように組み込んでいいのか、すべてが網羅しきれていないようなところがある・・・。うーん、すごい言葉なのである(笑)。



主義:(1)常にいだいている主張・考えや行動の指針。(2)特定の理念に基づく、学説や思想上の立場。また、体制や制度。

 

Wikiに載っているだけでこんなにあるんですよぉ。この数と来たらびっくりしちゃいます。ちょっとクラクラしてくるほどです←こんなことを書くと、見てもらえないかもしれないが・・・(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E7%BE%A9 私がざらっと数えただけで550くらいありました。こんなすごい考え方がたくさん跋扈しているとは、世の中混乱するわけですよ(笑)。うーん、跋扈という言い方には語弊があるのか?存在していて、核になる考え方も多々あるし、瑣末な派生も存在としてはそれなりにいい主張もあるし・・・。でも、要らないだろよ、それ、というのもけっこうあるしなぁ・・・。

 

さて、私の主義は何だろう?と、自分に引き寄せてみる・・・。私は至っていい加減でユルユルな人間なので、大した主義主張を持っているわけではないのだけれども、ゼロでもないし・・・。

 

真っ先に気づくのが、Dandismで、私はハードボイルドが好きだし、鬼平犯科帳の鬼平が大好きなのだ(笑)。必殺仕事人のような人殺しだって、彼らの主義主張の中でしっかり生きていると見えるので、大好きだし。その語源がこれなのですが、汲み汲みとした流れの中で現代にも生きているダンディズムは、日本では高倉健だとか、Vシネマの任侠モノだとか、愛国者のその行動などに生きており、海外では、国防に生命を賭けるスパイやら、テロに対峙するボディガードやその他、美学を身体と生き様で実践しつつ、多様化しているとはいえ、まだまだ残っていると、思いたいのが私なのですねぇ。なので、自分がどうであれ、どうも彼らに対しては100%の敬意を抱いており、読むだけで、見るだけで、泣けますねぇ・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0 

 

さらに私が生きていくうえで、ものすごい影響を受けているのが、Darwinismで、生命体としての宿命から逃れられないことを、しっかりと認識しながら生きていこうと、謙虚に、感謝の意を忘れずにやっていけるための礎になっています。ただ強いだけではなく、社会動物の一部としての存在意義などもそのあと考えていくことにはなるのですが、アリやキリンやネコや鳥などなどに比べてヒトが偉いとは思わないようにしてから、その後をケースごとに考えていける態度が保てるのは、この主義のおかげです。非常に感謝していますし、何か問題があったときには、生物学的観点からの逃れられない宿命や仕組みに関して物事を見ていこうという、態度が定着しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 

が、このDarwinismを理解した上で、社会動物として生きていくには、経験主義が欠かせず・・・。たくさんの可能性を持った大脳を使う限りにおいて、ヒトは無限大(∞)に自分を広げていけるのだ、ということを、どうしても信じたいせいなのでしょう。この主義を唱えた哲学者たちの中から、アメリカの独立宣言が生まれ、その独立宣言の文章は、私が最も好きな英語のまとまった文章なのです。Thomas Jeffersonを尊敬していますが、彼も奴隷であった黒人女性とのあいだに子どもを作りました。彼女が彼の豪邸の納屋に住んでいたのに、そうした矛盾に見える行動をした根底には何が根ざしていたものか、考えるととてもドキドキします。とはいえ、たくさんの学者が解析しているのですが、本当の彼の気持ちがわかるのは、本人だけなのでしょうし、愛された女性だけなのでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9 

 

私が到達したいと思っているのはAltruismで、造語ではあるのですが、他人の幸せを自分の幸せより重要視しようという態度。これができるヒトになって死んでいきたく、いつもそうしたいと思っているのですが、相手の負担になりまくるといけないので、生きて命がある限りは、やはり大げさなことはできず・・・(汗)。しかも私は険しい登山をするわけでもなく、生命のかかるようなことを日常的にやってもおらず・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9 私の飛行機学校の先生であったBob Kiesserという先生は、同乗していた生徒に折り重なり、最後まで彼女を助けようとした形で海底から発見され、死んでゆきました。1994年のことです。その前にも、お友だちのお父さんは、自分の甥っ子と姪っ子を助けるために高波の海に飛び込んで死んでしまいました。こうした事故のときに、私も必ず、勝算だけを顧みない行動ができたら、といつも思っています。一度交通事故(向こうが反対車線から突っ込んできたもらい事故)に遭遇したのですが、そのときの咄嗟の自分の態度で、私はこの資質があるのではないか?と思っています。死ななかったのでよかったですが・・・。

 

他の545くらいの主義については、言いたいことがけっこうたくさんあるんだなぁと、つくづく眺めていて、エッセイを書くいつもの時間を大幅にオーバーしてしまいました。おもしろいなぁ、と思いつつ、リンクに飛びまくって読んでいたら時間が経ってしまった。そりゃそうだよね、これだけの数あるんだもの(笑)。

 

しかも○×主義という言葉を子どもの頃すっ飛ばしてきた割には、けっこう知っているじゃん。ずいぶん学んできたんじゃないか・・・と驚いてしまったことも、けっこう感動。経験主義ではないけれども、学んでいけばいいわけで・・・。

 

私がはっきりと今言えるのは、この4つの主義なのですが、自分にぴったりなものが見つかれば、他者に説明するのに容易になるかもしれません。あなたの主義主張は見つかっていますか?他の人が唱える主義主張の本質をわかっていますか?

 

ちなみに昨今大嫌いなのは、本当は利己主義なのに、個人主義だと誤解している、日本の欧米個人主義の輸入です。欧米に申し訳が立たないので、ぜひそれはやめていただきたいものです。

 

明日を心待ちにできる理由

08/14/2008にアップした文章です。

ここのところ、夏バテ気味で、この「明日を心待ちにできる理由」が、かなり少なくなっており・・・。しかも、今月末には、うどちゃんが17歳になるので、あとどのくらいいっしょに居られるのかなぁと、命を祝う日にもかかわらず、少し憂鬱なところがあり・・・。他人様が夏休みを取っている最中、私には夏休みはなく、ここのところ、夏休みをチャンスに!と、飲み会の申込みも多いのです。夏バテをしているので、アルコール+肴は歓迎ではあるのですが、これが悪循環の元なんだろうなぁ・・・とも反省気味だし(まぁ、直前になるとドキドキなんですけども、こうして冷静でいられるときにはやっぱり反省モードだよねぇ・・・)、実際に身体はだるいですしね。明日を心待ちにできる理由を持っていることは、とてもとても心強い。それを持っていることすら、気づかないで生きているのは、ちともったいないくらいです。



と冒頭をポジティブできないまま、さらに今日は11時間も眠ってしまったことを付け加えておきます。夏バテは身体にしっかり顕れており、昨日は11時に眠ったのに、起きたらすでに10時であった(笑)。この年齢でこれだけ眠れるというのは、むしろ幸せなのだ、と母には言われたんですが、私としては、これはこの先も相当長く続くような気がしています。主として躁鬱病のせいなんですけども。

 

何度も書いているように、私は戸籍上の配偶者と別居しています。すでにかなり長い歳月になっており、この先も一体いついっしょに住めるようになるのか?ということには、あまり未来展開が開けていません。プランニングが大好きなわりには、これに関してはLet it be(なるがままに)な状態ですね(笑)。ところが、コレがむしろ、「明日を心待ちにできる理由」のひとつだったりもします。

 

ついこのあいだの日曜日も、産業カウンセラー講座の帰り、例のごとくなかよしのビジネスマンとふたりで飲んだのですが(あともうひとり女の子がなかよしなのですが、彼女は『熱闘!甲子園』の最中なのでさっさと帰った・・・)、いろいろな話題が出たものの、熟年離婚についてもつくづく話してしまいました。結婚前は、精神論をたくさんブチつつも、実際には伏線としての経済的サポーターとしての役割をしっかり求められて、それを全うするために、必死に働いてきた揚句、だんなが精神的サポートをなかなかきめ細かくできないまま、定年を迎えた途端、経済的サポーターが要らない状態になると、離婚されるという状況は一体何なのだ?という、男性側の論理のほうに、私などは、常日頃から共感しているわけです。「だったら、最初から半々なイーブンなサポーターを求めて、そうした人と結婚すりゃぁよかっただろうよ」と。私などは、超がつくほど批判的なので、この熟年離婚現象を、「年季奉公が明けた愛人や女郎の身請け現象」とすらみなせるケースが多い、などと考えているのです。まるっきり、「金の切れ目が縁の切れ目」になっているところが、カラカラした粋さのない、人生の後ろのほうでのオソマツさを見るようでつらいのです。

 

しかも!男性諸氏はこの孤独や、生活環境の変化に耐えられず、自殺に成功してしまうことも女性の数倍となっている統計があります。むしろ、経済的サポーターを求められてた長年の中、精神的サポーターが必要だったのは、彼らだったわけですよ。ただ、「欲しい」と一言が言えないだけで、これだけのツケを支払うことになってしまっているわけです。

 

そこで、私はこんなことなど我が家はないぞ、というのが、明日を心待ちにできる理由のひとつになり、さらに、いっしょに住むことができたら、さぞかしくだらないことでの新発見が多いのだろうな、と、前に長々いっしょに暮らしていて楽しかったことばかりを、(都合よく)思い出すのですねぇ(笑)。西さんが学生のときには、毎日運動をいっしょにしていたのです。テニスやウォーキングをして、その他休みにはバックパッキングやスキー。そして、週末には映画に毎週行っていたし、いっしょにCDを聴きつつイタリア語であれば、カンツォーネにチャレンジしたり、オペラだったら泣き所には泣いていたのです。でも、それも緩急があって、ふたり寄り添えるところだけで、かなり身勝手にそれぞれが行動していたところも多々あり、おもしろい生活だったなぁと。駐在員となってからも、ビジネスディナーに呼ばれては、いそいそと出かけたり、少ない休みの中でレジャーをあれこれと模索したり。勉強をするにも、私が乗らないと、いっしょにダイニングテーブルで教科書を広げてくれたなぁと、なつかしく思うのです。だから、この「明日を心待ちにできる理由」になるんですよねぇ。

 

英語学校にしても、現在は雇われと自宅でやっているのですが、潤沢な資産があれば、駅前に出したいという「明日を心待ちにできる理由」は、これにもでかくあります。そうすれば、貯金をせっせとして、最大目標である「生涯学生」に近づけるわけで。とはいえ、自分が英語学校を持てたとしても、私は生徒さんをはじめ、英語講師の方々から搾取しようとは微塵も思っておらず、I am happy, You are happyという両方の均衡を保ちながらやっていけるに違いない、と思えることも「明日を心待ちにできる理由」になっているのです。それが、日本人の元来の流れができてしまっている英語学校業界というのに、どれくらいの影響を与えるかわかりませんが、とにかく、自己実現ができる場があるというのは、とにかく、明日を楽しく過ごせる期待感をもたらすわけです。

 

なので、チラシのダメ出しをしていても、HPデザインに関して注文をつけているあいだにしても(このふたつ、最終的には西さんにやってもらっているので。とはいえ、悪妻というわけでもなく、西さんはそれを歓んで手伝ってくれているし、私の夢が叶うことに関して本当に心から願ってくれていることを感じています)、チラシ配りのための警察署への申請をするのも、なんだか苦にはなりませんしね。

 

レッスンそのものは、日本でこれまで1年やってきた中、楽しくなかったことは片手で数えられるほどです。うんざりしないでもない過密スケジュールの中でも(土曜日などは10-20時のあいだ5分休憩しかないこともままあり・・・)、生徒さんを目の前にすると、やっぱり楽しいですから。昨日も、大学院試験のための日本語訳をする技術についてレッスンをしていたのですが、目の前でミルミル解けるようになるのを見ると、自分が道筋をつけられる可能性に対して、「明日を心待ちにできる理由」を見出せましたねぇ・・・。

 

さらに、悪癖が私にはいくつかありますが、それを直そうと思えることがチャレンジ対象が残っているという、楽観的解釈をしてしまうと、「明日を心待ちにできる理由」になります。喫煙は最後になるとは思うのですが、定期的エクササイズは少し定着しつつあり、週に3回というのは現実化しつつあります。毎日はもうちょいかかるかなぁ・・・。今、夏バテ中だし・・・。それにこんなにモノが食えないまま死にたくないと思えるので、やっぱり明日に賭けてみたいと思えるんですねぇ(笑)。

 

さらに、帰国してから映画を本数見ていないので、やっぱり戻ってケーブルでも劇場でもいいから、映画三昧したいというのも、「明日を心待ちにできる理由」にもなっており、アイスホッケーも同じです。いつかまたアリーナでナマを見たいなぁと思えることは、きっと実現できることなので、プランニングに付け加えないといけません(笑)。

 

「明日を心待ちにできる理由」にいつも気づいていれば、犯罪者になることもなく、自殺することもなく、けっこう毎日が楽しいはずなので、ぜひぜひ自分の理由を挙げる癖をつけて暮らしてほしいなぁと思います。私の場合、ネコたちと母の存在を時としておざなりにしてしまうのですが、彼らは理由そのものですしね。しっかり向き合って暮らしていこうと思えるのがいいことなので、たまにはチェックしてみてくださいね。

 

 

人の生活に口を出す人の心理とは?

可能性としては、2つの面から考えることができます。ポジティブな気持ちから出ているものと、ネガティブな気持ちから出ているもの。2つの可能性を模索していくと、

 

<ポジティブ>

  • 便宜を図ってあげたい
  • 苦労がないようにしてあげたい
  • つらさを軽減してあげたい
  • 私が手を出していいのか確認したい
  • 心配している

など

 

<ネガティブ>

  • 自分の思い通りに動いてほしい
  • どうして社会の基準と違うことをするのかいらだっている
  • 単純に妨害したい
  • 八つ当たり

など

 

この2つに共通することは何でしょうか?

 

ある一定の基準点を見出していて、口出しする本人自身が「その基準」が正しいと思い込んでいるところです。口出しする人が、優秀であろうとエゴの塊であろうと、問題なのは、「他人の自由意志に積極的に影響したい」というパワーゲーム思考だということです。

 

たとえその口出しが、+であろうと-であろうと、他者に「干渉」していることは動かしようのない確かなことで、なぜそうなってしまうのか?

 

ひとりの人間が「生き延びるため」にすることは、ものすごく不思議に複雑です。できることなら、「ラクに楽しく生きたい」わけで、そのためにさまざまなことをしようとしますが、結局「苦労の多いつまらない生き方」になってしまうかもしれない可能性を秘めています。

 

苦労しないためには、「予測が当たり、先読みができ、自分が努力しないでいけたほうがいい」なので、他者も自分の思い通りに動いてくれたほうがいいわけです。たとえ、ポジティブな気持ちから来ていたとしても、他者に苦労がなければ自分がこれ以上面倒を見る必要がなかったり、想定外の出来事が起きないで済むようになります。

 

逆に、部下や家族や友だちが、失敗ばかりしているときには、ある一定の予測できる基準を「やってくれよ」という要求にすらなってしまったり、自分の基準超えをする優秀な人たちに「脅威」を覚えることになります。そうなると何が不都合か?自分が相手の基準に合わせていかねばならないのでものすごく努力をしなければならなくなる。これはコレで不都合なのです。充分忙しいんですから(笑)。

 

こうして社会の中で上手にやっていこうとすると、他者が自分が生きていくのに邪魔になるので、「自分が独自に考える一定の基準」を他者に要求する心持ちになり、それをパワーとしていくわけです。あるべき健全な他者との境界線をうやむやにしていき、本当の意味での「一体感」とは違うものに満足していくことになります。

 

要点としては、「確固たる自分を持ち、他者のスタイルを自由に放置しておける勇気を持つこと」が大切です。たとえ、その他者が学ぶことを放棄しているように見えても、その人の人生です。子どもは別としても、大人にあれこれ指示をしないで生きていける世の中のほうがきっと、楽しいしラクなはず。

 

最低ラインをいくつか設けて、それ以上のことは他人の自由にしてさしあげてください<(_ _)>

 

呆けすぎてしまって戻らない体調と心持

08/13/2008にアップした文章です。

昨日、一昨日と、あまりに暑いので、呆けてしまっており、やっとの思いで書いたお題は、うつ病。しかも、駄作の部類になってしまっているのに、アクセス数が多くてちょっと腰が引けているところ。昨日、一昨日は、久々にゆとりでパチンコに続けて行ってしまい、合計で65000円ほど勝ちました。なので、夏バテ気味な身体に、ご褒美として、坦坦麺&餃子をご馳走したり、いつもは読まないコミックブックを買ったりしました。ええ、さいとうたかをの『鬼平犯科帳』です(笑)。どうしてこんなに鬼平が好きなのか、自分でもわからず・・・(汗)。私は剣道をやったことがないので(合気道で杖道というのは多少やったのですが)、劇画によりその構え等を見ておきたかったせいです。下段だの大上段だの正眼だの、いろいろ曖昧だったのでした。今、たいへんに納得しています>想像通りだったので、なかなか満足。



そして、明らかに体調がすっきりしておらず、だんだん「冷房病」の意味が身体でわかってきたところ。去年の夏はそんなことはまったくわからなかったのです。ただただ涼を求め、人工的であっても、暑さから逃れられればそれでよし!な身体と気分だったのですが、今年は違う・・・。あまりにエアコンが効いた部屋に長居すると、足元が寒くなったり、肩先だけが冷えたり、と、きっと内臓や自律神経にもけっこうな影響が出ているに違いなく・・・。そう思ってしまうと、見えない対流がなんとなく見えてきてしまい(笑)、エアコン機能としてついている風量調節や風向き調節が物足りない気分になり・・・。

 

外には、去年と同様、扇子を持って出かけており、冷房車輌に乗って、足を止めたあとに吹き出てくる汗が止まるようにと、風が直接来るところに立って、せっせと扇いでいるのですが、それがまたもよくないのか?私のサーモスタットは最近忙しいようで、そのせいか、食欲が落ちてきています。

 

ビールとチーズと枝豆だけあればいいや・・・というような(笑)。いけません。調布駅からトボトボと歩く夜の10時過ぎにコンビニに寄って、ビール購入がほぼ毎回になってしまっており、ごはんを食べていません。そうめんですら「え・・・いいや・・・」という状況で、今朝などは、母が残り物カレーでコロッケを作ったのですが、半分残しました。くどいって・・・(汗)。おそばやそうめんに納豆などを入れてみるのではありますが、悪循環は続き、ビールとチーズとたまにから揚げ、というような状況がすでに2週間以上続いているような・・・。

 

そこで、昨日と一昨日は、パチンコで勝ったせいもあり、外食してみたのですが(普段は母に外食はなるべくしないように、と諭されており、理由は「何が入っているからわからないから」という・・・)、やっぱりそんなにおいしいとは思えず・・・。残しましたよね・・・。

 

そして、ここのところ、ぼけーっとしているせいで、レッスンのほうも「でまかせモード」になっており・・・。特に口からでまかせを言っているつもりはないのですが、ぼーっとしているので、「あれ、何話していたんだっけ?」と思うこと多し・・・(汗)。私としては一生懸命全力を尽くしているのですが、なんたってクラスルームが暑い。エアコンが午後8時になると止まってしまうので、クラスの人数が5人+私の場合、9時すぎには充分暑くなってしまい、扇子が大活躍し、それでまたもや気が散るのかもしれず・・・。

 

そして、思うのです。これじゃ、まるでうつ病のようだ、とも。体調不良の悪循環から抜け出せないのよぉぉぉ。悪循環から抜け出すためには、ビール断ちをし、まずちゃんとごはんを食べる。エアコンがなくとも安眠できるように、運動をして、熱いお風呂に入ったあと、とにかくぐったりする(笑)。ベランダで自力で涼んだあと、お休みタイマーを1時間だけにして、そのあと朝までぐっすり眠れるよう、アイスノン枕にしてイヤでも汗を吸収するパジャマを着る。

 

わかっているんだけど、どうしてもエアコンに頼ってしまいいかん・・・。

 

しかも、パチンコやさんなどに行ってしまったものだから、空気が悪くタバコは増えて、エアコンは効かせ放題。足元が冷たくなったり、血流が鈍くなっていることがさらにわかってしまうのでした。

 

いやぁ、勝ったんだからよしとしないといけないんだけどさ・・・(汗)。でも悪循環から抜けたいのよぉぉぉぉ。

 

そして、今、チラシを作っているのですが、そのチラシのダメ出し状態も、西さんに頼っており、待っている状態。それができて、印刷所に廻したあと、私は教科書作りをしなければならないのですが、今始めたっていいのです。が、しかし、体調だけではなく、気分も晴れやかではないので、どうもできない。

 

それは、一重にオリンピックのせいだとも思えてしまっているほどの悪循環螺旋です(笑)。日本人選手が金メダルを獲ることって、それはそれでいいんだけども、号外などを手渡されると、なんだか途方に暮れてしまう・・・>夕べ、号外配ってたんだよね・・・。しかも、アメリカ人が殺される被害があって、ウイグル自治区で不穏な動きなどもあり、なんだかまだまだ波乱含みなことも心配のタネではあります。校長センセが東京にいたら、毎晩、この話だけで4・5時間は語れそうな(笑)。それくらい、晴れやかさには到底持っていけないくらいの人々の話題とマスコミの露出に、とても鬱陶しいものを感じているわけです。

 

さらに、人々が夏休みなのに、私は細かく仕事ばかりしており、お休みはないわけです。気づくと、去年の8月あたりから、私はまとまった休みなど一度も取っておらず、この夏、アメリカに渡る予定だったのですが、それも変更。留学生として出した看護師さんが、引越し先をタイ人のお友だちといっしょに決めてしまったことと、車購入はもう少し先にするというので、その時に来てくれれば、というリクエストだったので、延ばしたのです。

 

そして、だったら箱根に行こうかな、と思っていたら、なんと、神奈川県は禁煙になったのだとか。公共の場では全面禁煙で、観光協会などは頭を痛めているという記事を読み、温泉があっても、おいしいお料理があっても、タバコ吸えないとストレスじゃん・・・と思っているところ。箱根や強羅あたりだったら、小田急線で1本なので、1泊2日ができるのですが、それ以上足を延ばすとなると、2泊3日くらいしないと、疲れるだけです。となると、今のようなレッスンの入り具合では、とてもじゃないが休めない・・・。求められているというのは、うれしいことではありますが、やっぱり1年に一度や二度のまとまった休みがないと、こうして夏バテなどになったときに、悪循環から抜け出せないのでありますなぁ・・・。頭でわかっていても、どうしても心が納得してくれず、ビール断ちもできず、ごはんをまともに食べられず、エアコン依存症になっています。

 

昨日、連合艦隊についてもう一度復習しておこうと思っていろいろ調べ始めたところ(NHKで『坂の上の雲』が来年やるはずなので)、なんだか頭にすすーっと入ってこなかった・・・。

 

今日もレッスン、明日もレッスン、と、日々レッスンは続きます。完全休日に次になるのは、25日の月曜日。17日には産業カウンセラー講座はないのですが、レッスンが2個入っています。無料診断カウンセリングをするのです。そして、9月20日に学校の場所が移転するので、そのときにもしかすると連続4日休みになるかもしれず・・・。いや、1日は産業カウンセラー講座があったんだ・・・。となると、2泊3日は無理か?と、ちょっと考えているところです。呆けすぎてしまって、なかなかいつものシャープな頭に戻らないのがきついです。うーん、体調からなんだろうなぁ・・・。