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時間の管理

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05/02/2007 にアップした文章です。

人が人たるゆえんには、時間を管理できる能力があるというのがひとつ挙げられます。体内時計ではなく、時計という道具を用いることで、生活を管理しようとしてきました。ここでもサバイバルのための能率や効率や生産性を考えたり、人を束ねたりすることや政治についても時間は便利に作用します。私などは、時給で働くことが多い暮らしをしてきたので、誰にとっても平等に訪れる時というのは(今この瞬間与えられているものは同じという意味で、生きる時間が多いとか、楽しみを感じる時間が多いというのは個人差です)、なんだかたいへんにめずらしいシロモノです。

お約束通り、性質理解から。時間>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93 最初の行に書いてある通り、「変化を認識するための概念」というのが、なんだか端的で心にすら響く。なのに、時間を便利に使っている状態で変化を否定し、自分でできる変化のコントロールについて考えないでいたりするのは、あんまりにも愚かなことだと思ふ。ここからいろいろなリンクに飛ぶだけでも、相当に楽しいので、ぜひぜひどうぞ♪
時計についてはコレ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E8%A8%88 計る道具としての時計は、今では美術的価値やらいろいろをつけ、多様化していますが、基本は知ってる?歴史としては、紀元前2000年前から、日時計(日光を使うもの)がありました。よく読んでみるとこれもおもしろいので、ぜひぜひどうぞ♪

私は、こうしたことに歓べて、いつも楽しそうだと、西さんはぼやきます(笑)。今、西さんのススメで、陳舜臣の『鄭成功』を読んでいるのですが、もー、中国の歴史を習ったことがないので、いちいち調べつつではないと、どうもちゃんと理解していないようだ。うっとうしいというよりは、無知から有知になれるという事実が楽しい。が、楽しくないのは、それを「どの程度うれしいと思っているかで、記憶に残るかどうか」なのだった。しかも、漢字の読みのチャレンジングなこと!面倒くさい地名とか、その由来とか、考えているとどうもキリがないのだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%88%90%E5%8A%9F ←鄭成功について。

(あ、余談すぎるんだけれども、岐阜という地名は織田信長がつけた説があるのは知ってた?池波正太郎が書いていたので、これをWikiで確認>「岐阜」の由来は諸説あるようだが、一説には織田信長がつけたものとされている。「岐」の字は中国の「岐山(きざん)」からとり、周の文王が立って800年の太平の礎を築いたことにちなむ。「阜」は孔子の生誕地「曲阜(きょくふ)」からで、ここが太平と学問の地であるようにとの願いが込められている。都道府県名のなかで中国の由来を持つのは岐阜が唯一である。)

時間&管理という言葉を検索にかけると、すごい人たちがこの世にたくさんいるのだなぁ、と、思い知らされる。私も、効率を追求する人間なれども、あんなにも手間隙を省くことに徹しているのか?と問われると、贅沢ながらの答えは、「先天的な脳のつくりがゆえに、そこまで骨身を削っていない」ということになります。

管理:(1)管轄・運営し、また処理や保守をすること。取り仕切ったり、よい状態を維持したりすること。(2)私法上は、財産などについて、その性質を変更しない範囲で保存・利用・改良を目的とする行為。または、他人の事務について、その内容を現実化するための行為。

他人から見ると痛々しいらしいのですが、私はエレベーターの中でさえも本を読みます。電車の中では本がないと、強迫観念に駆られてしまい、Kioskで文庫本を買います。読むのが速いので、雑誌では物足りないのです。新幹線に乗って広島に行ったときには、行き用に文庫本ミステリを3冊準備したのですが、2冊を読んでしまい、1泊した夜と朝に3冊目も読み終わってしまい、帰りの新幹線に乗る前に、2冊買い込みました。4時間弱で2冊というのは、やはり効率はよくとも、お金がいくらあっても足りないことになってしまうのです。

「生き急ぎ」といろいろな人に言われてきましたが、どうしてもそうしなければ自分のリズムに反することになってしまう。これは、時間の管理をしたい人たちから見ると、贅沢すぎる悩みなのかもしれません。なので、時間給で働いていても、どうしても速くやってしまう。能力給であれば、出来高でたいへんに笑えるのですが、実際には、複数で同じ仕事をしていると、損した気分に陥れられてしまうのです。こうなると、自分にコントロールがないような気分になり、それでいて時間に管理され縛られているような気もせず、不思議な不公平感を持つようになるわけです。

西さんとオフィスで並んでPC画面に座って仕事をしていても、それは同じ。彼には彼のスピードや効率や順序があるように、私には私のスピードや効率や順序があり、どうも私はいつも他人と足並みを合わせられない。一時期、掲示板にいろいろな書き込みをしていたのですが(10年くらい前だろうか・・・)、事情を知らない人からは、「1日中PCにへばりついている」となじられたものですが、実際には、それほど時間を費やしていたわけではないのです。毎日書いているこのエッセイも、調子がよくてお題が決まっていれば、30分。どんなに時間がかかっても1時間ちょっとで書けてしまいます。タイプも自然に速くなったのは、自分がイラチなせいでしょう。恐ろしいスピードと音がするのですが、キーボードも数ヶ月に一度買い換えます。指についている脂がキーボードを侵食し文字を削りますし、叩いている回数が並ではないので、キーが戻ってこなくなるのです。

料理をしても速く、西さんといっしょに暮らしていた頃には、毎月のように我が家でパーティーをしていたのですが、10品ほどの料理は、2時間で作れました。鍋釜もちゃんと洗って、です。アメリカのキッチンには、ストーブ(レンジの上にある火をかけるブツ)が4つあり、さらに、オーブンと電子レンジがありますし、収納に困ることなどなく、必要な数だけの鍋釜を持っていたので、時間はいくらでも短縮できました。段取りも、広いところでやるのと、狭くて低いところでやるのは違います。なので、私は帰国してから母の料理のすごさには驚いています。まぁ、私自身がでかいというのがまず致命的なのですが・・・(笑)。自称168cmですからね・・・(汗)。

そして、究極の楽しみを殺がれている部分というのは、おそらく、「迷う楽しみ」なのでしょう。私は決断が速いので、迷う楽しみがほぼないのです。時間の管理をするにも、頭が目いっぱいのときにはTasksを書き並べ、リストにして消去していくので、端から見ると「いつもいつもやっつけ仕事をしている」ように見えるかもしれません。違うんだよ。私は私なりの丁寧さで、自分にできることをやっているんだけれどもね・・・。ドレスや靴やバッグを買うにも、迷う楽しみはありません。合理的に過ぎる人間なので、「組み合わせが面倒なもの」は選ばない。はっきりした色調を選び、パステル系は遠慮しておく。顔がはっきりしているので、やんわりとしたものは、不気味にしか見えないのだもの(笑)。

こうした速さが、私が「いやらしいほどの効率追求」をしている原動力になっているのですが、いっぺんに何個ものことをしているので、管理という次元ではないのかもしれません。思い立ったらすぐにできることはやるし、気分が乗らないとダメであれば待つ。それにはあまり他人との差があるようには思えない。フツフツとやる気が湧いた絶頂期にやる、というのが最も効率もよく、吸収もよいし、結果も出せるわけです。ただし、これが私にとってのイチバンいい状態を保つ方法だということは知っており、管理といえば管理と言えるものなのかもしれない。

ただし、私は他人のことは一切決めませんから・・・。私基準で物事は動いていないので、私が管理するとたいへんなことになる・・・。そんな想いもあるので、人の親にならなかったことは、不幸中の幸いなのかもしれないです。

3d design of a strange antique clock