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無為のための罪悪感

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09/01/2007 にアップした文章です。

 

 

これだよ!昨日のエッセイの続きです。おそらく、「忙しい=美徳」と考える人たちの中には、「無為=もったいない、罪悪、申し訳ない」などという構図が出来上がっているに違いありません。私も、実際はそのひとりで、【もったいないオバケ】を深く信じています。かと言って、時間を膨大に無駄にしてまでも、手作りのデミグラスソースに費やすということはしないです。私より腕がよく、安価で高品質の材料で、安全の高いレトルトパッケージや缶詰や粉末で発売している会社や職人さんはいて、1週間の光熱費や自分自身の手間隙や失敗したときのリスクや材料費を考えると、やはり「デミグラスソースは買うに限る」となりますもん。まるで失敗してしまい元が取れなかったときのことを「無為に等しい」と考えるのでしょうなぁ・・・。

無為:(1)あるがままにして作為しない・こと(さま)。ぶい。→無為自然 (2)何もせずぶらぶらしている・こと(さま)。(3)〔仏〕 因果関係に支配される世界を超えて、絶対に生滅変化することのないもの。すなわち、涅槃(ねはん)・真如(しんによ)といった仏教の絶対的真理のこと。無為法。ぶい。

注意したいのが、有為は無為の反対語には決してなっていないこと。
有為:ういと読む。〔仏〕 さまざまの因縁によって生じ、常に生滅し永続しないすべての物事・現象。有為法。
有為:ゆういと読む。才能のあること。役に立つこと。また、そのさま。

ただただぼーっとしていることが、ついぞできないワタクシですが、生産的なことをしていない状態についての、罪悪感というのはかなり大きい。どうしてなのか?【もったいないオバケ】のせいだと思うのです。

罪悪感:悪いこと、非難されるべきことをおかしたという気持ち。
もったいない:(1)(有用な人間や物事が)粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ。(2)(神聖なものが)おかされて恐れ多い。忌むべきだ。(3)(目上の人の好意が)分に過ぎて恐縮だ。かたじけない。(4)(あるべき状態からはずれて)不都合だ。不届きだ。

そもそも罪悪感というのは、自身の理側から来るもので、その個人の価値観から生まれており、社会的圧迫や多数決的規範などに大きく左右されては、本来あまり健全でもないのですが、まぁ、日本はそういう傾向があって、美しい場面を数々生んできました。なので、否定するわけにもいかず・・・。

文化心理学的に、Totalitarianism(個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。そこでは、国家・民族が優先し、個人の自由・権利が無視される)を行く、日本の土壌ですが、それに影響され、鬱陶しい・逃げたいと思い、それが募ってアメリカくんだりまで行き18年半も暮らしてしまったのですが、そんな私とてこの美徳になりえる可能性は否定できません。そして、図らずもやはり罪悪感を持つわけです。

その根本にあるのが、もったいないという概念で、【有用な人間や物事が粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ】というのは、まったくもって合理的な考え方になります。なので、この点においては、個人主義(個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想・行為を重視し、そこに義務と責任の発現を考える立場)傾向が強い私としても、なんら意義を唱えることなく、賛成しまくりなわけです。もったいないことはしてはいかんよ、と、本当に、心の底から、強く、熱烈に、同意してしまうのです。

そしてまたもや追加要因として、「時間だけは万民に平等に今このときもたらされているもの」という事実が、拍車をかけていく・・・。貧乏人にも金持ちにも、才能があってもなくても、男女関係なく、年齢にも関係なく、どこに住んでいるかにも関係はなく、時間だけは、天文学的ズレが多少生じることも含めて、みんなに平等に行き渡っているすばらしいものなのですよね・・・。まぁ、時差を何度もまたいで暮らしている人々でも、生まれてから死ぬ時間までのことを考えると、相殺して平等なわけよ・・・。

しかも、私の場合には、躁鬱病で、Manicなエピソードが数年おきに来て、日々だいたいHypomanic(それほど極端ではないが、平均値よりもずっと顕著なハイパー度)なので、無為な時間がほぼない。ただし、Depressive(落ち込み)に入りそうな状況のときには、ただただ何もしたくなくなり、眠りたいだけになってしまうので、すぐに眠れればいいのですが、神経が冴えすぎていて、身体がまだ起こされている状態のときがあり、今までの経験からいくと、長いときにはこの状態が4日ほど続くことがあるので、このときにひどいひどい罪悪感にさいなまれるのです。「寝るなら寝ろ!休んでまた復活して再生だ!」と、どうも焦るようだ・・・。

なので、日々Hypomanicなときでも、睡眠時間の確保には相当に慎重です。まずくするとちょっとした要因が重なって、ManicかDepressiveなステージに移行してしまうことがたまにあるのです。睡眠は大きな鍵で、私にとっては対人関係よりも大きなファクター。

ここ7年くらいは、寝息を立てて眠る時間が多いことはとてもいいことだと思えるようになりましたが、ハイパー全開で、Manicエピソードが2年おきくらいに来ていた頃には、「とにかくナポレオンのように眠らないことがいいことだ」と勘違いしていた模様。それでも、生まれつきなのか、躁鬱病に関係があるのか、エピソードが起きている以外のときには、私は7時間睡眠をきちんと確保しておかないと、昼間ゾンビのようになってしまうのです。40歳過ぎても子どものように長く深く眠るので、母や西さんの「歳を食ったら眠れなくなる」という生物学的事実を体験している人の軌跡をしっかり辿れるのかどうか?も、けっこう楽しみではあります。

長く眠ることに関して、罪悪感はなくなったものの、眠れもせず、ただただ無為に過ごすことには大いなる罪悪感があることは確か。なので、本を読んでしまったり、いきなり大掃除や整理整頓をしてしまったり、と、またHypomanicがFull-brownなManic状態になることを、若い頃はしがちだったのですが、今は「じっとしてなくちゃ」と日ごろと同じだけのハイパーさ加減を保とうとするわけです。でも、脳内ケミカルのせいなのか、何もする気が起きず、同時に2・3個のことができなくなることもあり、そんなときは本だけ読んでいて、タバコを吸うこともごはんを食べることも忘れてしまうことがあり、ネコたちが寄ってきても撫でることすら面倒に思えることもある。やはり、Counter Culture shockのアジャストメントでうまく行かなかったり、夏の酷暑に耐えられなかったりしたときには、何度もそういうことがあったのです。明け方まで眠れないことがあると、本当につらく、翌日を潰してしまうと、その夜また緊張して眠れず(笑)。

思ったより日本にやっつけられていることを、改めて再認識しつつ、秋を待っているわけですが、サンマが食卓に上がったりすると、きっとけろっと治っているかもしれません。ただ、罪悪感があるからこそ、躁鬱病克服にはたいへんなことがあるという例で、特に疾病がなくとも、心の動きというのは微妙で、人に大いなる影響を与えるので、「無為=罪悪」とはぜひぜひ思わなくなる工夫というのを、個人こじんが持つことが大切かと思うのです。でないと、鬱病などにかかったときに長引くし、状況はひどくなる可能性が高いです。

私は、あとどのくらいでこれを9割がた克服できるのか?けっこうな課題だなぁ・・・。