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狭量な自分に気づくとき・・・

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09/06/2007 にアップした文章です。

 

地獄のスケジュール一段落中です(笑)。ただし、遊びも入れてしまい、またまた久々に二日酔いになり、翌日は深大寺にお正月ぶりに行ったというのに、けっこううなだれて元気がありませんでした。子どもの頃のように、カキ氷を2杯も食べてしまい、おそばを残すという大失態を演じてしまい、樹木の揺れや匂いにも、おそらく鈍感だったに違いない・・・。そうした生理的な、生物学的な平常を保てないときには「しょうがない」と人々は諦めるのでしょうが、私はどうも、それが殊自分に関しては許せない狭量なところがあるようです。

とはいえ、遠方からわざわざ訪ねてくれた友人には、結果的に許していただいており、母にも大笑いされており、物事は表面的には丸く収まっているんですが・・・。それでも、私は自分が時間を無駄にして、さらに人々に無理を強いたことに、たいへんにムカついてしまうわけです。体調がよくない上にムカついてしまうので、治りもきっと遅延するのでしょうなぁ・・・。今後、コレについては検討しないと、地獄のスケジュールになったときに、狭量大爆発の事態が起き、悪循環に嵌まってなかなか脱出できないかもしれない、と、今日は真剣に考えてみることにしました。

狭量:一つの考えにとらわれ、異なる考えを受け入れられない・こと(さま)。度量の小さいさま。心のせまいさま。
度量:(1)物差しと枡(ます)。長さと容積。(2)心のひろがり。人の言動を受け入れる寛容な性質。(3)物の程度や内容をおしはかること。

一般に、私は理想論や理想像というのを、他人に関して持っておらず、たいへんに希薄なところが多い熱血からは遠い人間なのですが、自分に関してはどうしても譲れない理想論や理想像があるようです・・・。そうなんだよねぇ、自分のことに関しては熱血なんだ(笑)。なので、一般的には第一印象からしても、基礎体温の高い人間だと思われがちです。が、さっぱりしているという第二声をいただくように、実際は他人に関してあまり関知していない(爆)。求められれば他人の話も聞くし、他人にもアドバイスしますが、気づいても余計だとみなすものが多いんでしょうね・・・。

若い頃は、他人に関しても「こうでしょ」「こうじゃないの?」「このほうがいいじゃん」というのがあって、さまざまなことで支障を生んでいたし、それで問題が解決した例(ためし)があまりに少なく、どうも放棄した傾向にあります。こうした淡白さは、子どもを持たなくてよかったことの理由付けになっており、友人の数が少なくてもかまわないという平静さにもなっています。

それに仕事柄、新しい生徒さんたちと邂逅して、彼らが必要としていることがかなり情報収集しやすい立場にいることもあり、あらゆる角度で見てもキリがない事実は、最初から境界線が引けており、英語に関して、学習や記憶や対人間関係の情報に関して、「オトク感」情報をさささっと付け加えるだけで、充分「親切な人」「義理堅い人」「規定以上のことをやってくれる人」と誤解され(笑)、支障を生むことがない対処ができるようになったことも現実です。満足していただければ罪悪感もなく、お節介や迷惑を掛けたとも思わずに済み、かなり精神衛生的にはいいのです。そこには、自分の狭量を反省するような場面は、あまり出てこない。まぁ、サービス残業が多いことで有名になっており、プライベートレッスンの指名や依頼なども多いので、「ここまで+α」の均衡がうまい具合に保たれているのかもしれません。

↑ほらね、こういうことを描写するときも、私は自分本位なんだよなぁ(爆)。物事の視線がどうも自分からしか発しておらず、他人がどう見ているかをあまり気にしていない。開き直っているわけではなく、実際、これまでの経験則からして、他人もやはり自分本位で物事を見ており、過剰な共感や思いやりは、時として迷惑だということをわかっているせいなのかもしれない。ただし、下町のおばちゃんテキ要素は私にもあり、場面によっては歓んでやるんですが・・・。

父や弟といっしょに暮らしていた頃は、母は私のことを「おねえちゃん」と呼んでいたのですが、最近なぜか「あんた」を頻発するようになり、この語彙は私の狭量バロメータになっています。「あんた呼ばわりされる筋合いはないよっ!」とどうも言いたくなるような狭さ(爆)。ウェイトレスをしていた頃も、ラッシュ時(夕方6時頃から9時くらいまで)は、ひっちゃかめっちゃかになってパンクしそうだったりすると、知らない人に「おねえさん」「おねーちゃん」などと呼ばれると、笑顔が出ず、凍ってしまうことも多々ありました。日本に戻ってから、まだ不思議と誰にも「おばさん」呼ばわりされたことがないのですが(姪っ子たちは除く:彼女たちにとっては私はおばちゃんなので宿命である・・・)、もしもされたら、コンディションによりますが、相当に腹が立つに違いありません。

目下、英語を教えている中で、パニックしたり、イライラしたり、狭量を感じる場面に遭遇したことは一度もなく、やはりコレは私には相当向いている仕事なんだろうと思えます。通訳では、待ち時間が多かったりすると、かなりつらかったですし、社内政治などに巻き込まれたりするとイライラしましたが、特に私のPsyche(確固とした心構え, 集中した精神)を崩すようなことは起きていません。

私は身体的にもダメージがあり、精神を崩す要因のある外的要因を、ストレスとはあまり呼びません。耐性がある人間でいたいという理想像が自分にあるので、身体的ダメージを受ける前に調整できたいと思うし、精神を崩す要因をそもそも避けたり、遭遇しても対処の仕方を弁えていたいと願っているようです。ストレスになるものには、ネガティブなものだけではなく、宝くじで3億当たったってストレスはストレスだし、結婚して新しい希望に満ちた生活をするのもストレスですもん。楽しいことを楽しめない「日々平常心」も味気ないので、グラデーションをつけて対処できたら、と高度な希望や理想像があるので、狭量に気づいてしまうこともあるわけです。

身体的なこと、特に匂いや温度や湿度や狭さなどが引き金になるようで、その蓄積のひどさがどのくらいなのか?で、精神的なダメージは受けずとも済むようになっていることが多いので、くれぐれも地獄のスケジュールの中、それだけには気をつけたいと思います(笑)。私の生徒さんたちがすごいのは、圧倒的に授業が夕方6時以降が多いというのに、その時間には8時間のフルの仕事や学校を終えてきて疲れているはずなのに、まぁ、元気♪たまにしか、調子が出ない人を見ないのです。私も、自分の狭量に気づいたら彼らを思い出し、お手本としようと思っています。

狭量のバロメータとして有効なのは、もうひとつ、「ありがとう」が簡単に出なくなっているとき。感謝の気持ちがもてないときには、たいへんにヤバイです(爆)。英語圏で暮らしていた私には、Thank youとPleaseが出ないことは、本当にヤバイのだ。さらにもうひとつは好奇心。好奇心がむくむくともたげさせられる対象物って、こうした慣れの中でどんどん減っていくんでしょうか?だとしたらたいへんに哀しいので、それは避けたいことです。

以上のことを頭に入れて、地獄のスケジュールを地獄と思わないようになるようがんばりつつ、それでいて、いつも物事には興味が持てる心のゆとりを持ち、人々や物事に感謝できる人間でいたいと思いますっ!