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至福のとき

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07/19/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、寝る間際がとっても心地よいのである。まさに、至福のとき。子どもの頃からの経験則で、日々が充実していると、寝る間際がこうした天国となり、入り口のはずなのに、実際はそのまどろみがひどくうれしく、眠いんだけれども、長く続いてほしいような微妙な気分(笑)。きっと肉体的にも適度に疲労しており、精神的にもかなり満足している証拠なのかな、と、自分では思うのだった。みなさんはいかが?

いや、まぁね、夏が本格的になったら、こんなことも言っていられないとは思うのだ。台風が遅めに来ており、いきなりのすごい規模になっていて、梅雨明けもまだ来ないようなので、今は精神的な圧迫がないから、こんな悠長なことを言えるのだけれども・・・。横田基地の滑走路横の、冷房がまったくない、消防訓練用の建物にまたもや機材をつける作業の通訳は、きっと地獄でしょう。体感温度がどれくらいになるのか、天気予報とにらめっこをしており、「とりあえず、最初の週は30度か」と、安心もしていつつ、私が耐えられるのかどうか、ちと不安でもある・・・。

過去2年ほど、日本・台湾-アメリカを行ったり来たりしていたときに、「熱帯夜」というのを経験したことは、確かに台湾ではある。亜熱帯なので、30度を割らない日はあるわけで・・・。ただ、東京に居て熱帯夜を体験したかどうかは、うろ覚えなので、きっと母が先回りをして、冷房をつけていたのかもしれないです。だって、私は、過去2年、夏らしい夏を体験して、すごいあせもができたのだ・・・。まるで赤ちゃんのようだった・・・。台湾では、朝・昼・晩と3回シャワー浴びていたしね・・・(汗)。なので、この夏、熱帯夜になったときに、眠れるかどうか、まだ何も言えないところなのである・・・。

特に、アンチ-エアコン派だと強く主張できないのは、私がカリフォルニアの地中海性気候に馴れ親しんできたせいで、もしもずっと日本に住んでいたとしたら、かなりエアコンなしの生活も「フツーじゃん」と交わせたような気もするのです←まぁ、やってないから、いくらでも言えることなのだけれども・・・。私の家は、私が中学校1年まではエアコンが存在しませんでしたし、最初のエアコンは、誰かの家のお古でしたし。しかも、そんなに使っていた記憶もなく(きっと効かなかったんだと思われるし、電気代がバカ高かったんでしょう)、高校になってすぐにバイトに出たので、エアコンが気持ちよかった記憶があるのは、図書館とバイト先と車の中なのだ。

ただ、至福のときを阻まれるのであれば、エアコンはきっと使うんだろうな、と予測。

健康にいいのは、寝る前の4時間は何も食べないことだし、成長ホルモンが分泌される寝入りばなの時間を大切にするのは必須なのですが(しかも、人間の体内時計によれば、午後10時から午前2時くらいのあいだに設定するといいらしい)、来週からはそんなことも言っていられなくなるのだろうな、と。みのもんたほど早起きではないにしろ、横田に8時に到着するためには、朝の6時40分に家を出なければならず、起床が5時45分くらいか?(どうしてもメールチェックだけはしたいんだよね。シャワー後、化粧はしないんだけれども・・・)だとすると、7時間の睡眠を確保するためには、10時45分に眠らなければならないのだけれども、24日から夜の英語講師の仕事が始まるので、数日は、胃袋に食べ物を入れたまま眠りに就かなければならなくなるわけです。1食くらい断食したほうがいいのか?うーん・・・。それもアリかもしれない。帰宅が、10時半なので、15分で眠れるとは思えず、寝不足は必至。私は、片道が1時間はないと、電車ではあまり眠れないタイプだし、疲労が絶頂に至らない限り、「しまった!寝てしまった!」というのもないのです。あまり疲れないタイプらしいし(笑)。

というスケジュールなので、あたふたしないように、エッセイの貯め書きと、1か月分の授業の準備をしているのですが、どうも読書がやめられず・・・。夕べも、京極夏彦を読んでいたのですが、気づいたら明け方の4時半になっていた・・・(汗)。確か、西さんがUAE vs 日本のサッカーを途中まで見ていたので、12時半頃には床に就いたはずなのですが、それから4時間読んでいたのか・・・。あっという間だった・・・。1冊半読みましたね。どうもキリがない。起きなければならない、という強迫観念があれば、あまりこういうことはしないのですが(テスト前とか眠れない人がいますが、私はそういうときはグースカ寝ます)、今日は、課題をこなすことだけだったので、どうものんきすぎたようだ・・・。

そして、4時半に眠り始めたときには、なんだか読書の充実感も+して、ものすごい心地よさで困った(笑)。

おなかがいっぱいになったときも、かなり倖せではあるし、おいしいものを食べたときも、かなり倖せではあるのだけれども、私の中では、やはりこの「寝入りばなのまどろみ」が至福王#1なのだ。テストでいい点数を取ったときよりも、ゲームがうまくいったときよりも、泣くほどいい映画やTVを見たときよりも、ちょっと次元が違うほど、身体も心も気持ちがいい。なんだろう、かなりベーシックで、本能に近すぎる、ただ「心地いいか悪いか」の原感情的な、わかりやすい倖せなんだなぁ。

大人になると、なりたかったからいまさら文句は言えないのだけれども、なかなか単純に「倖せぇぇぇぇ!」とは言い切れない場面が多くなってきており、ひとりだけ倖せでも周りの人で誰か不幸せな気分だと、まったく幸せな気分が打ち消されてしまう、数学的方式も芽生えてきて、「至福のとき」を考えると、非常に孤独な作業になると思うのだ。しかし、私は、身体的なことにそれほど快楽を求めておらず(まぁ、フツー並み・基準程度よりも低いんだろうと思う・・・)、不快でなければ、かなり我慢してやり過ごす性質なので、身体的至福というのを、あまりエンジョイしてこなかったのは確かかもしれない。特に、子どもの頃の、遊びハイ(ランナーズハイだとか脳内ケミカルバコバコ分泌系のハイ)からは、かなり遠くに来てしまい、復活させたいのは山々なのだけれども、ゆとりがなく、駅前暮らしの制限はきつい・・・。

そこで、クイズやらゲームやら、勉強やらの、孤独作業の、脳内ケミカル(真空管実験)ハイというのを得ようとしており、それでもインスタントな倖せは、到底「至福のとき」からは程遠いんだなぁ・・・。

大人が子どもっぽいところを併せ持っており、時折子どもの顔を覗かせるというのは、見ていてとっても微笑ましく、愛おしいものなのだけれども、自分がそういうことができているのか?と、ひしと考えると、どうも皆無に等しいか、あるいは誰にも見せないような防御システムがついているように思われてならぬ・・・。なので、私が寝る間際のあの波間だとか胎内にたゆたうような、ぼけーっとした単純に気持ちのいい時間は、やはりランキング1位の輝かしい倖せなのだわ・・・。

母がしたり顔で、「歳を食うと、長く続けて眠れなくなるから、寝入りばなもそれほどエンジョイしないんだよ。だって、すぐ起きちゃうかもなぁってすでに心配しちゃうんだもんね」などと、かなりリアルなことを言い放ち、私はいったいいくつくらいまで、この至福のときをエンジョイできるのか?と、不安をすでに彼女にもらってしまったのだった(爆)。いぢわるばばぁだなぁ・・・。

でも、何が好きって、やっぱり寝ることがイチバン好きです。休むと動くのメリハリをしっかりするためにも、眠りを粗末にしてはいけません。季節によっても、眠りの工夫というのはあって、それを取り入れてこそ、充実した生が送れるってもんですぜ。