Love of Hockey

アメリカに住んでいる頃、日常としてのアイスホッケーについての話題を書いたものです:

コレ、好きでもない人は胸はおろか、財布も指もなーんにも震えませんが、私は3年半前ほどからホッケーキチガイです。なぜ3年半前までは見なかったのか?というと、ホッケーの放映はStanley Cupの前だけ、のような扱いで、メジャーリーグサッカーができるまでは、イチバン下位な取り扱いでした。

それが、あるひとりのホッケーキチガイの出会いによりドラマを帯びてきたのです。まぁ、なんとすげぇドラマだったことか・・・。去年は、リーグ全体がキャンセルされるという大恥な事件で、シーズンすべてがキャンセルされましたが、今年からまたアレが楽しめると思うと・・・。

日本でも去年あたり、プライドというドラマがあり、ホッケー好きだと言うとチャットでよく、キムタクの話をされたもんです・・・>ちと違う・・・。いや、ちょっとじゃなくて、大きく違う・・・。

ホッケーの何が胸を熱くするかというと、

1.かっこいいプレイヤーだらけ!もうアレもチェック!コレもチェック!
2.かなり頭がよくないとスタープレーヤーにはなれないスポーツである
3.野球やフットボールのようにテンポが遅くなく、観客までもが動体視力を要求される
4.1点の重さが、サッカーと他の競技のあいだくらいで、ちょうどよい塩梅
5.アリーナの観客動員数が少ないので、臨場感に一体感あり>が、敵チーム応援だとうんとさみしい
6.すでに有史100年ちょっとで、誰にもこの先破られないと予測できる記録を作った神様が実在する>Wayne Gretzky

私のお気に入りは、Colorado Avalancheで、なかでもキャプテンの Joe Sakicが大好きです。パートナーには申し訳ないが、「Joeが浮気しよう、本気でもいいよ」と言う奇跡が起きたら、よろめきます>許可はすでに取ってあります(笑)。でも、かわいい子どもたちにも恵まれ、Debbieという奥様もいるので、間違いなくそれが起きることはないでしょう。

私が起業して、お金持ちになりたかった動機のひとつには、またしてもホッケーがありました。まとまったお金を払えば、選手たちと飯が食える!そうです、そうです。寄付のバンケットです♪>おいおい、そこまでしたいのかよ!?という声も聞こえてきそうですが、ええ、ええ、したいのです!! Denver,COまで出向いてゲームを年に最低1回(まとめて3試合ほど)見ますから、それにバンケットやチャリティゴルフをつけることが出来れば、私はもう満足この上ない人生になると、堅く信じております。

そのチャリティの主旨にも賛同でき、おとといも Joe Sakic主催のコンペがあったのですが、Denver付近のホームレスの子どもたちに、最低30000食以上のごはんがあげられる金額を!という目標でした>当然クリアしました。他にも、Children’s HospitalやCancer Researchなど、彼らが「裕福になれた人」としてモラル高く、社会に還元していることに、私もいつか一体感を持ち、賛同できたらなぁ、と思うのです。しかも、あんなかっちょいい人たちと Side by sideなら至福でしょ♪

私は生涯ずっとあらゆるスポーツ観戦をこよなく愛してきたのですが、けっこうクールに一体感など求めず、野次も飛ばさず、泣いたりわめいたりすることもなかったのです。が、ホッケーは私の人格の一部、世界観の一部を変えましたね・・・。いいのか?ってくらい叫びまくり、すぐに席は立つし、腕をぶんぶん振り回してしまい、すごいプレイには涙し、翌日は二日酔いなく、喉が枯れたりします。が、今でもホッケー以外のスポーツはクールに見ていますね・・・。

Denverまでそうそう行けないので(学校もありましたし)、San Jose Sharksが Avalancheと対戦するときは必ず行きました>シーズンで6・7回くらいの顔合わせのうちの半分。もう、けなげな私は、ケーブルチャンネルで、ホッケーのシーズンチャンネルを購入するのです(シーズンは10月からStanley Cupが終わる6月の2週目くらいいまで)。今年ももうその季節が迫ってまいりました。これまで見逃した試合はただのひとつもないのですが、今年は10月と11月の一部、見逃すことになりそうです>仕事だい!でも、DSLならビデオ中継が見れるからいいや、と、あきらめたくないけれども、あきらめることにします。

私の元祖・ホッケーキチガイ友だちは、Peter Forsberg(スウェーデンの記念切符にもなっている人)がPhiladelphiaに移籍してしまい、そのショックを隠せず、一言もそれについて触れられませんでした>いまだに(笑)。なので、私もこの哀しさをまだ昇華させぎっておらず、Salary Capの仕組みをもうちょい理解して、2年後に戻ってきてくれることを祈るばかり・・・。

近辺のお友だちにもホッケーを詳しく教えて洗脳してしまうとか、財布にプレーヤーの写真を入れて持ち歩きたまに祈るとか、ヤバイことになっています。日本にこの前行ったときには、Denver Broncos(フットボール)のジャージを着ている人がいたので、思わず反射神経で、なーんも考えず、”Go! Broncos! We are going to Superbowl!”と右腕をグーにして話しかけてしまい、相手はとても驚いて凍っていました。「うーん、ここは東京だったんだ」と後悔したのは、2分も経ったあとでした・・・。(フットボールもやっぱりBroncosが好きで、次がRaidersです>この組み合わせは2チームの関係を考えると犯罪に値しますが、いいのです・笑)

お金持ちになれたら、DenverにSecond Houseを買って、ついでにAvalancheのシーズンチケットも買って、好きなだけ見たいなぁ、というのが夢ですね。が、Joeも36歳、あと何年プレイできるかわからないのです。なので、私はとっても焦っています。彼はカナダ人なので、引退したらカナダに戻るかもしれないです。Vancouver Olympicはどんなことがあっても行きますぜ。

あああああ、早く『ごぉぉぉぉる!!』と叫びたいものです。そこで、コレを読んでいるミシガンのすまいるさん!>Red Wings Suck! 応援しないでねー!(くれぐれも釘を刺しておきます)GretzkyがPhoenixのヘッドコーチだから、その試合もできるだけ見てねぇぇぇ!

5月のプレイオフの頃は、とってもご機嫌がいいか、哀しくて仕事に埋没しているかどちらかになると思います。またリクエストされなくても、ホッケーのことは書いてしまう予定です・・・。

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私のお気に入りのふたりです♪

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日本に戻ってきてイチバン悲しいことは、ホッケーの試合を見られないことですね・・・。まぁ、他にもワインやチーズ、その他いろいろありますけどね・・・。でもホッケーは大好きで、日本だと冬季オリンピックのときしか観れませんもんね。悲しすぎる・・・。とはいえ、ちょいちょいyoutube 観てます(笑)。

ちなみにJoe Sakicは現在引退。ところが、ちゃんとColorado Avalancheの首脳陣として監督やってます。なので、本当にオンタイムで試合が観られるサービス欲しいです。

悲しいけど時間に追われる

 

ゆとり:物事に余裕のあること。窮屈でないこと。

ゆとりがあるって本当っっっっっにいいですよね♪年末年始もそんなに働くの?とびっくりされつつも、「うーん、別に♪」と思っている大平です。何もせず、地上波でバカになる危険に自分を晒したり、暴飲暴食をしてしまったり、初詣で人混みに洗濯機の中の洗濯物のように揉まれたり、電車や飛行機で待ち時間が長いことに我慢したり、立ちっぱなしになったりするよりは、私は自分がイチバン好きなことをしつつ、年末年始のタイミングを過ごしたいと思っています。

英語スクールなのに、心理を入れ込んでいるために、英語基礎コースでは、P-13 という項目で、時間管理について学びます。

時間を捻出することは、限られた24時間という中では個々人の創意工夫や効率追求の他、抜本的なライフスタイルの見直しやらその他、多岐に渡ります。ですので、時間について嘆いている方々は、まずはもっと基礎力となることを、ガッチリと学んでいただきたい、というのがミソなお話です。

なぜに、P-13 なのか?に着目してください。ヒト→人になるためのプロセスは、けっこうたいへんなのです。けれども、インフラがこれだけ整い、大きな戦争は日本には来ず、伝染病も未然な状態にごく近い状態で防げており、ぼんやり生きていても生き延びることは可能になりました。

そのポロポロと落としてきてしまったこと、学びきれてこなかったこと、当然のように受け止めてきて、実は実体からは遠く離れてしまってきたこと、などなど、をしっかり学んでいただき、時間管理も自然にきっちりできるようにしていただけるように、完成していくわけです。

なぜならば、英語スクールといえども、英語が使えるようにせねば存在意義がないわけです。集金制度として存在し、長く通い続けてもらい、お金を徴収し続け、少しずつできるようになったことに対して、「うわぁ!できるようになったね♪」などと、嘘っぽいことを言うのに、私個人が耐えられないことが大いにあります。そんなことを続けていたら、死後もう一度人間修行をやり直し!と、天国?どこか?から追い出されることは必定ですし、地獄に行ったらシャレになりません・・・。

本日、年末年始分のBlogを準備しているのですが、12の文章を1日で書くと、フレッシュなところが抜けてしまうので、いくつかは前日と当日に書くとしても、けっこう準備をしておき、レッスンに120%投球できるようにしています。

文章を書くことはさほど苦痛でもないので、800―1200字X12編は、特に大した量ではありません。他にもやること Things to doがたくさんあるので、ここから手をつけている理由としては、量が多いものを先にやると、半分くらい終わった気持になるからです(笑)。

そしてがんばったら、お取り寄せのカニを食べたいと、生徒さんにも宣言しております。うちのたった1匹残ったネコ、さくらもカニが大好物です。本当は甲殻類はネコにあまり食べさせてはいけないのですが、おすそ分けという程度には、食べてもらいたいと思っています。

みなさん、時間に追われているのは師走だから、ですか?それともいつも?ちょいと考えてみてくださいませ。

 

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クリスマスの意味って?

Home AloneのMacaulay Culkinが、なぜかyoutube 動画で話題になっています。こちらに解説があるので、読んでおいてから観てください。Kevinくん、その後 

 

私自身は、これを1990年にオンタイムでUSで観て以来、彼が子役として消えるまでもずっといろいろ観てきたのですが、あれだけ稼いでしまうと、親子・夫婦・兄弟の仲がギクシャクするのもわかります。

つい最近、お金はあるだけあったほうがいい、という人がいて、「うーん、そうかな?そんなに要らないけど・・・」と言ったらびっくりされました。私はそもそも持っていない家庭で生まれ育ち、貧乏だったがゆえに学べる機会や学び方がとてもよかった、という結果論があるので、キリというのがあると思っています。数十億円も持っている人々などは、とっても不自由なんじゃないか?などと考えており、実際にそんな不自由や苦労は背負う気持はありませぬ。

イマドキは、お家が1億超えするような場所もたくさんあるので、1億くらいはあってもいいかなと思いますけどねぇ・・・。

そして、商業主義に乗っかるChristmasではなく、Valentine’s Dayでもなく、Halloweenでもなく、人類のひとりとして、クリスマスを考えてみるMomentを持っていただけたら、と思うのです。まぁ、子どもがギフトの季節だと思い込んでいてもしょうがない、と思いますか?Santa Clauseを信じる気持を踏みにじらないでもらいたいですが、それがイチバンではないこと、伝えていますか?

ごちそうでもケーキでもなく、ヒトとして生まれたことや、宇宙や創生や創造について考えて、他者にうんと優しくなれる日にしてくださいませ♪ 子どもたちにも、自分の心にもいい映画を英語で観られるようになったら、ますますいいですよ♪

 

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ジンギスカンの夏

 [1999年07月31日(土)]に書いたものなのですが、あまりに寒いので夏を感じていただければ、と念じて。

 

夏っていう体感がないんだけれども、北海道に住むある人に「海の幸がだめならばぜひぜひジンギスカンをどうぞ」なんて誘われちゃって、メールのお返事を書いていたらばんばん思い出があふれるようにアタマから去らないくらいの量が出てきてしまいました。

東京と夏休みの長野県飯田市の夏休みのスケジュールは明らかに違った。東京の方がなぜか長かった。今思うと両親が経済的ピンチになると子どもふたりを新宿から中央線に乗せて預けちゃってたんだろうけれど(食い扶持が減り、どこにも遊びに連れていかなくて済む)、私はこの夏の体験をとってもとっても感謝しております。

父の田舎は23代続いた神社を持った神主。つい15年くらい前までは市ではなく郡で、国定公園まで車で15分という距離に位置してます。

(小さい頃は信じてましたが、今冷静に考えると家系図はでっちあげできるし、どこまでが本当かはわかりませんね。史料というのは読むのは楽しいですが、判断はとってもむずかしいし。)

まぁ、野山をよく駆け回って真っ黒なマッチ棒になって楽しかったです☆

屋号と苗字の違いをようやく飲み込んで、私と私よりひとつ学年下の本家長男の長男とそのまたひとつ学年下の私の弟と、「遊ぶこと以外は何も知らない天然お馬鹿」になって徹底して遊びましたね。他人の家のやぎを小屋から出してみたり、他人の家の土間から台所に上がってねずみいらずから食べ物いただいちゃったり、りんごを洗ってその場で勝手に食べたり、蚕をぐらぐら煮ている仕事場で蚕と遊んだり、川に飛び込んで樽ボートで流されてみたり、アオダイショウやガラガラヘビをつかまえて真剣にペットにしたり、まぁ、なんと楽しい日々だったことか☆

おやつは決まってとうもろこしかトマトかお芋で、アイスクリームを買うためにお金もらえるとうれしかったなぁ。夜は別棟にあるトイレに行くのが怖くておもらししたこともよ~く憶えてます。中座敷には能面が飾ってあってモナリザみたいにどこに行っても睨まれてる感じがして怖かったし、家のなかにつばめの巣があったり、氏子さんたちからもらった日本酒の一升瓶や砂糖がどどどんと積んであって、それに躓いてトイレ行けなかったり・・・。

しかも私は東京から来た従兄弟です、って県立か群立の小学校に通って聴講してたよ(爆)←法律違反だったらごめん・・・。

あああ、だめだ。想い出がまとめられないぃっぃ!ってくらいたくさんの出来事があったっけ。

で、ジンギスカンはその従兄弟(長男の長男)の8月のお誕生日に決まって行われていたのですね。その日は親戚中が集まって近所の仲のいい人たちも招待されて、全部で50人くらいになる。いつもは遊びに行くんだけれども、その日だけは昼からずっとお手伝いをします。にんにくとりんごと醤油だけで作るジンギスカンのつけだれ。これ絶品ですね。擦って混ぜるだけなんだけどすごいおいしいです。この前ちょっと懐古主義やっちゃって作りましたが、まぁ昔みたいにおいしかった☆たれだっていうのに人数が多いから大きな鍋(当時12人家族くらいのけんちん汁を作るようなときの鍋)にいっぱい作る。すごい量でそこに手をぐちゃぐちゃ入れてかき混ぜるの好きだったぁ☆

茣蓙を敷くのも蚊取り線香を焚くのも子どもがやりました。田舎だから上座とか下座とかうるさかったですね。で、大人がジンギスカン鍋(知ってるでしょ?あのままヘルメットみたいになりそうな、丸くて脂が下に貯まるやつ)とプロパンを設置すると、子どもは箸とお皿とコップを設置する。お肉と野菜を女の人が持ってくるまで、子どもはその後胸を期待でわくわくさえながら柴犬と遊ぶのです☆柴犬に「あんたにも上げるからねぇ」と訳のわからないことを言いながら(爆)。

じゅーじゅー焼ける音と匂い、大人がコップが割れるほどに乾杯している真似っこをジュースでして、焼けたか焼けないかを自分で判断して、自分で取って、自分で「あつあつあつぅ」と言いながら食べる。たまに弟に「野菜も食べなくちゃいけないんだよ」と牽制したりして・・・。人数が多かったからなのか、そこに私の両親がいることが半々くらいの確率だったからなのか、祖父が全盲だったからなのか、祖母が私を好きではなかったからなのか、大人はみな忙しかったからなのか、私はなぜかいつも「鍋・焼き物」の類いは小さい頃から自分でやるという独立心旺盛な子でしたね。今でも他人が「これ焼けたよ」なんて菜箸で面倒見ようとすると怒っちゃいます(爆爆)>お気をつけくださいませ。けっこうまじで怒ります>食い物系(爆)。

たれににんにくが大量に入っているからファンタなんかの炭酸ジュースを飲むと舌がビリビリビリィ!と痛いんですね。これ痛いけどやたら好きな感覚だった(爆)。

でも不思議だったのはお誕生日の歌もプレゼントを開けることもしなかった・・・。一度もなかったですね。ただ伯父さん(父の兄・長男)が「誕生日だしな」なんてぽろっと大きな声で言うだけ。何だか誕生日はついでだけど、親戚集まるし、イベントだな、って感じだったでしょうか。

けれど、これは毎年毎年行われたのです。

最後に私がこのジンギスカン鍋に参加したのは21歳の夏。バイトも忙しくて滅多に田舎にいけなかったんだけれども、行ったときに「懐かしいよね。もうあれやらないの?」とぽろっと言ったらおじさんがやってくれたのです☆その時の私はもう大人でおじさんといっしょにビールを最初に開けたのですが、あの舌にびりびりする感覚はまるっきり同じだった。ちょっと泣きたくなるくらい同じでした。

風景も変り、謎のマレットゴルフなどというゴルフ場まで山の上にできてしまったらしいし、私ももう7年も帰っていませんが、今度帰ってもジンギスカン鍋、夏だったらやってくれるんだろうか?なんて考えてしまいました。

「女は髪が命よ」というのを強く信じていた母に髪を伸ばされていた私は、毎年懲りない伯母に床屋さんに騙されて連れていかれ(大抵は食べ物系)、新宿の駅に再び立つときに、母は毎年人込みのなかで泣いていたものです。ある夏、私はジンギスカンイベント直後に帰り、母に「えっとね、ジンギスカンの匂いがついてたから切れっておばちゃんに言われたの」と言った記憶がある・・・。

私がParty 好きなのは、やはりこのジンギスカンのせいではないだろうか?と強く強く思うのでした・・・。

____ジンギスカン1____________________

冬に、少しだけ春夏な気分になっていただけましたでしょうか?のんきな子どもで、まったく勉強をしてこなかったことの一例でもあります。

ESLレッスン結果報告

楽しんでいただけましたー!先ほど終わったのですが、

Reading/Listening/Speaking/Writingすべての要素が入っており、心理の要素も含め、アクティビティややる気を支えたり、いろいろ考えてみましたが、結果オーライなので、このまま続けます。

が!反省点は、てんこ盛りだったことで、1回2時間のボリュームが実は4時間かかる、という事実がやってみてわかりました。また来週のレッスンでSharpen upしたあと、正式に1月からのレッスンに入れ込みます。

実は、私のほうが英語が話せるので楽しいのであるのかもしれない…。

ESLクラス開始!

ESL1

本日、第1回の米国ESLと同じスタイルのレッスン開始です。どんなスタイルか?というと・・・、宿題で、Readingをしてもらい、考えてもらうレッスンに関することをスキマ時間に考えていただいたのち、ついでに話すであろう語彙を調べ、本気で使う英語センテンスを話せるように練習してもらいます(これは毎回3-6文くらいの無理のない感じのやつ)。

少し心理学要素も含め、テーマは毎回変更。

第1回はこんな感じ:

ESL Lesson #001

I. Homework

  1. 英語が話せるようになったらどんないいことがありますか?箇条書きにしてみてください。
  2. 英語が話せるようになるために、あなたが生活内・習慣として工夫していることを教えてください。
  3. 日本語と英語で話すと、どのくらいの差がありますか?

II. Reading & Writing

  1. 上記の1・2・3を英語で表現してみてください。
  2. Lesson内容を眺め、自分が必要になると思える単語を和英で引いてきてください。
  3. 次の文章を読んで、わからない単語に線を引き、クラスディスカッションに使うので、あらかじめ準備してください。意味がわからなくてもOK。クラス内で理解していきます。

Does Speaking Another Language Change How You Think?

(この文章は長いです:940単語、5000字くらいを毎回読んでもらいます:基礎コースが終わればだいたい読めます)

III. Lesson内容

  1. How great is it for you to speak English fluently?

Reading Homework:Read together and understand the context!

  1. What we can do in everyday life in order to think in English.

2-1. Think back when and how you were growing up talking in Japanese

2-2. For your English baby steps, what can you do in everyday life?

  1. Frustration/Dilemma and Solution

3-1. What is your frustration speaking English?

3-2. Do you have any solution to your frustration?

Ⅳ. Goals

  • Know for sure how fabulous for your speaking English, and the days you will feel comfortable speaking English in your brain; and it is soon!
  • Don’t give in your frustration; it will soon be gone.

 

中学生向け・高校生向け、なども準備できればいいのですが、いつになるかはまだ具体的には考えておらず、先に大学生をやります。おそらく某大学で週に1・2回教えることにしてしまう予定です。ある程度負荷をかけないと、やらないワタクシなので、なんとかやる方向に無理やり(笑)。

英語を学びながら、考える力全般をつけ、生活に応用し、考えていることを次々に表現できるようにする!

これが、このレッスンの目標です。楽しいので、ぜひとも英語基礎コースから楽しみを体験してくださいませ♪

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Be Positive!

寒いってだけでネガティブになっている場合じゃないんです。確かに寒いと憂鬱だって方々がいらっしゃるのはわかりますが、それは学びの機会でもあります。これまで低体温だったことや、低血圧だったこと、あるいは温める場所に間違いがあったかも?など、振り返るいい機会なのです。

これだけ先進国になってしまったニッポンでは、インフラが整い、便利がたくさんあり、知恵を使わずとも生きていけるのですが、これがアフリカやらチョモランマ近くだったら?と、想定してみてください。ニッポンに住むことができるだけで、ポジティブでいられる理由があるわけです。

Californiaに住んでいた頃は、サンダルを履いて「ちょっとおにぎり買ってくるー!」などということもできませぬでした。納豆だって、買うためには清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気が必要でした。なのに、1パック3個で100円だなんて、すごく倖せ♪

当たり前のことを当たり前ではないと受け止めるだけで、すでにポジティブな気持になれる材料だらけなのです。でも、日本はうつ病の人たちが本当に多い。人間関係に疲弊したり、時間外労働が多かったり、通勤時間で消耗したり、遊びにもお金が掛かるのでため息が出たり、子どもたちを育てるのにつらかったり、などなど、確かに原因はたくさんありますが、絶望的なものではないのです。ひとつひとつ、解決できることを解決したあと、本気で悩んでいただきたい。

Back to the Futureが30周年を迎えました。ゼメキス監督が考えていたことは、かなりの確率で実現しています。生きるために走るのではなく、ヨロコビのために走る、というセリフに、パートIIIでは、西部の人々が大笑いしているシーンがありました。生きるために、馬に乗れない人々が、走らなければならなかったことを思えるだけで、すでに電車やバス、バイクや自転車があるだけで、とってもポジティブになれるではないですか!

2016年があともう少しで来ます。年明けが迎えられることは、昔の人にとってはとてもありがたい、めでたいことでした。ですから、1月1日にみんな歳を取っていたわけです。数え年と満年齢の差はここでも顕れています。イマドキの人々は、長寿になってきたので、数え年で年齡を言われると、「まだ誕生日が来ていないから」ととてもビンカンです。

いろいろなことに感謝できるはずなのですが、どうも欲は上り詰めることしかできないようで、感謝の念が足りない暮らし方をしているのかもしれません。2016年を笑顔で迎えられるため、ますますの目標を確固たる意志で持つため、まずは自分の廻りや今に感謝していただけたら、と思うのです。

Be Positive! 楽観的であることは本当に救いですし、心理的にもここからすべてが始まる、と言っても過言ではありません。

Be positive2

何歳に戻りたいか?

10年以上前に書いた文章です:師走だから手抜きをしているわけではありませぬ!膨大な数の文章をどうしても、このサイトに保存したいためなのです。1,300ほどあるので、ちょいちょい登場します。

前にもちょろっと書いたかもしれませんが、よく「できることなら何歳に戻りたい?」という仮想質問が飛び交うことがあります。夕べもTomというミシガンに住む男性に “Where in the world would you like to build your dream house if money wasn’t the object?”(「もしもお金に制限がなかったら世界のどこに夢の家を建てたい?」)と質問して悩ませていたおおだいらです♪(^○^)>ちなみに彼は南仏でした。前の会社で20回以上出張に出向いていて、南仏まで足を伸ばしてバケーションをよくしたんですって♪そもそもこの質問は、カラオケの画面で透き通ったきれいな海を見たからなのでした>連想ゲームはこんなときでも続いているアタマであった…。

ちなみに読書中の西さんに質問したところ、「別に戻りたいとは思わないね」でした。理由は、「かなわぬことを思ったってしょうがないじゃん。今あるものを大切にするのよ」でした。←鹿児島弁のイントネーションが伝わらなくて残念である。(>_<)

何歳に戻りたい

けれども、ゆうべの質問には、「スペイン」と答えていたので、スペインに夢の家を建てることは可能なターゲット範囲だと思っているらしい…。まぁ、別荘だっていいんだし、カトマンズとか答えなくてよかったなと思う。チョモランマで遭難でもされた日にゃぁ、ちとたいへん♪(・o・)

たとえそれがかなわないとしても、私は仮想ゲームがかなり好きです。
>もしも1億あったら。
>もしも男に生まれていたら。
>もしも理科系に小さい頃めざめていたら。
>もしもオリンピック級のスポーツ選手だったら。
>もしもガン家系ではなかったら。
>もしも日本人に生まれていなかったら。
>もしも戦中に生まれていたら。
>もしもうどちゃんと近所のネコに生まれていたら。
>もしも安保や大獄事件に巻き込まれていたら。
などなどと、果てしない「もしも」遊びは続きます。その都度、ちゃんと私なりに答えが出て来ていて、その答えは時間が経過してもそうそう変化していなくて、それもまたおもしろいことです。←多少はもっと具体的になっていたりとか、可能性がより広がっていたりとかね。でも確実に肉付きがよくなっているって感じで、明後日の方向でない確率が高いです。

私の幼少時代は決して誰かが羨ましがる種類のものではなかったと思います。けれども今私が考えるに、とてもとてもしあわせを招く環境と事件に満ち溢れていたと思うのです。今でもそれは続いています。しあわせになれないとはまったく思ってないし、今でも8分のしあわせは常に感じていて、足りないものに向かっていける前のめりな態度があるのは、やはり子どもの頃からの慣れや当時の学習の獲得から来ていると思うのですね。

あの事件があって、あのときと違うことをしていたら、と仮想することはあります。けれども、どう考えても違う選択をしていたとは思えないわけです。それは私が聖人のような完璧な選択をしてきたからではなく、その失敗をしなければ私は今の私にたどり着けなかったからです。ええ、ええ、散財もしました。馬鹿なこともやりました。たくさんの場面でたくさんの人を傷つけてきたし、ケンカも大袈裟なのをたくさんしました。たくさんの人に死なれたし、たくさんの生命の誕生も見ました。すべきだとわかっていることも何度となくスキップしちゃいましたし、やりすぎて失敗も招きました。肩に力を入れすぎたり、のんびりしすぎたり、調整が効かないオロカモノに成り下がったことも千回や一万回では足りないことでしょう。こんな年齢になってまで、ネットでの見えない実体があるのかないのかわからない論争やイメージや悪意にもならない人間の性や業がクリアに説明できずに、Self-presentation(自己表象)を大失敗してしまった、というのも数度あります。でもそれらも必ず無駄にならずに糧になっているし、なかったもの、として処理して忘却するつもりはありません。

失敗や挫折を恐れない自分になれたことが宝物であると思っています。誰かの顔色を窺いすぎないことがアダになることもあります。けれども私はそれを出発と考えます。Guess Game(推測ゲーム)をやっているほど私には時間がないように思うのです。せっかちと言われるゆえんもここにあるかもしれません。コミュニケーションの過剰というのはあまり目の当たりにしませんが、不足というのはしょっちゅう見ます。サイキックになれと言われてもムリなものは無理です。人がそれぞれ感性が違うのは、尊ばなければなりません。引っ込まれてあとで恨まれるよりも、「何でも言ってね」が得策です。私も他人に期待して恨みたくないので、フランクにコミュニケーションします。押しが強いと誤解されても仕方ないことです。

まちがいから学ぶことはおそろしく大きいものです。少なくとも私はそうでした。何度も同じ失敗をしたらやはり私のやり方が間違っていたのだと降参せねばなりません。けれども失敗しなかったらわからないことも多かったと思います。そうやって少しずつ共感することを学び、自分で失敗せずとも臨場感を得ることができるようになってきたと思います。

やりなおしたいことは大筋としてはありません。同じ、あるいは似たような系統の選択をしていたことでしょう。今と同じ智恵と知識と感情幅とコントロールを持っていたとしても、私は何歳にも戻りたくないですね。あんなに一生懸命だったことをもう一度やりなおすと思うだけで、ため息が出て来てしまいます。(・o・)←おばば発言なのか?

戻したいものは年齢でも環境でもなく、強いて言うなら体力ですか…。フィジカルな重力に負けないおっぱいや筋肉とか。(-_-;)

でもそれは身体のことで、私は生命力の強さを強く信じているので、ある程度までならいくらでも戻せるような気がしています。新陳代謝が落ちてしまった身体機能を戻すこと、それに成功すればたいていのことは可能じゃないかと思っています。もちろん私には決定的な心肺機能や血液やホルモンの病気がないから言えることです。持病がありますが、それも長年のデータ集めと実践がもたらした自信があり、それに支配されずにうまくやっていくことは可能であると思っています。

フィジカルに年を取ることは、メンタルに充実することにしたいと思っていますが、それに対して抵抗することはあきらめません。あきらめることが自然なことかどうか、というのはその人の考え方にもよりますが、私はあきらめないことが自然なような気がするのですね。

こうしていろいろなことがクリアになると、どうもやっぱり年は楽しくとって行きさえすれば、べつだん若い頃に戻らなくてもいいんじゃない!ということになります。あ、ひとつだけ大きな後悔はありますね。10代のときに、10代の男の子ときちんとつきあってこなかったこと(爆)。私は同い年の男の子と高校生を過ぎてからつきあったことがないのです。なぜかいつも年上で(昨日のFabに繋がっていますな♪)、それでも特筆すべきなほどの年上でなかったことがあります>2・3歳とか6歳とか。9歳がいちばん大きい年齢差かなぁ。で、今の体質や考え方でいくと、もう10代の男の子とは到底恋愛などできるわけもなく、これは果たせぬこととなりました。(>_<) でも、やっぱり既に20代の男の人とはおつきあいできないだろうしなぁ>特例はあるかもしれないけど…、そっちが私を選ぶとも思えないし。(-_-;)

と言うわけで、あなたは何歳の頃に戻りたいですか?もしも中学生や高校生に戻してもらっても勉強を一生懸命しないだろうか?するなら戻ってみるのもいいかもしれないです。今日のテーマのおススメ映画は、Peggy Sue Got Married(邦題わからず)です。キャサリン・ターナーとニコラス・ケイジ(まだ髪がふさふさ♪)主演の映画です。見てみてね♪

 

母は強し

アメリカに住んでいる頃に書いた文章で、10数年前のものです。母はすでに77歳になりました。来月78歳になります。

 

私は、母をとにかくあらゆる人に会わせてしまいます。私が小学校3年のときに、家が貧乏だからイヤだと言い張り、彼女を大きく傷つけて以来からの習慣です。それまでは、着たきりスズメな私でしたが、立ち居振る舞いに貧乏を出したくないといつもびくびくしていましたし、近所の友だちと放課後は遊ぶことにしていて、学校の反対側に住んでいる友だちとは遊んでいませんでした。

母は、私が幼稚園の年長のときに、自分の母親を子宮ガンと転移ガンで亡くしました。もともと引っ込み思案で、どもりや対人恐怖症があったのに拍車をかけ、裡にこもり泣いて食事もしない日々が続きました。お手上げ万歳になった父の計画で教習所に強制的に通わされ、教習車で教官が何度も母を送り届けてくれました。運動神経も鈍い上に、心理的負担が大きく、彼女としては未知の世界であり、母親を亡くした傷も癒えているわけではなく、かなりのオーバータイムの上、やっと車の免許は取れました。が、その頃から少し、母のなかで何かが変わってきたようです。

その後、家で内職をしているときに、カルピスにジンを入れて飲むようになりました。カルピスを飲むと舌に膜ができ不愉快だという話をすると、叔母(母の妹)が、「おねえさん、ジンをちょっとだけ入れるとなくなるよ」と言ったからです。その頃の彼女は、とても無知で、アルコールは「ビール」「ウイスキー」「日本酒」しかないと思っていたので、ジンがアルコールだとは思わなかったのでした(笑)。そして、朝、家事を済ませたあと、内職をし始め、私たちが学校から戻る頃にはすっかりいい気分になっており、なんと、2ヶ月以上もその原因がわからなかったのでした・・・。

ある日、お友だちの家で開かれるお誕生会のことについて話すと、「うちは呼べないね」と。そこで癇癪を起した私は、「貧乏なんて大っ嫌い!なんで私を産んだのよ!」と致命的な一言を発してしまったのでした。近所の友人が、影でそれぞれの家の経済事情などを話すこともなく、幼いときはそれでよかったのです。が、新興住宅地で建売がたくさん建ち始め、粋でおしゃれなお誕生会をやることが流行になり、私はとても肩身の狭い想いをするようになりました。「一生懸命なんだけどどうしてだろうね」と、祖母が死んでしまったときの後のように意気消沈した母を見て、私はものすごい反省をしたのです。

そして、「貧乏でもいいから友だちを呼ぼう。母を見てもらおう」と決意したのでした。それから、学校に忘れ物を届けに来てくれた母をバンバン紹介するようになり、「引っ込み思案じゃダメだよ」とPTAの役員の書記を薦めたりしました。洋服をとっかえひっかえしたり、楽しそうで、それでも緊張して、PTAにも参加できるようになりました。

明るくなった母は、それから外のスナック通いを始めます。2学年年下の弟は、まだ夜が怖く、暗闇を怯えて姉としてはたいへんでした。外から鍵をすべて掛けて出かけてしまっていたのです。今レポートすれば、虐待母として家裁に連れていかれちゃうことでしょう・・・。が、時代はそうではなかったのでいいのです。叔母のジンをアルコールだと理解してから、お酒を飲んで酔った気分が大好きになり、現実逃避の場所をやっと見つけたんでしょうね・・・。

明るくなった母は、それからもだんだん明るさと強さを増していきます。どんな友人も、私の母を楽しい人だと褒めてくれますが、母親じゃないからラクだろね、という感想はあります(笑)。私が体験したよりもずっと、想像を絶するほどの貧乏暮らしをした母は、一度も新品の教科書を使ったことがありません。民生委員の人が中古の教科書を家に届けてくれ、土間にはだしで降り、畳のない暮らしをしていたくらいです。そんな母は食べ物に弱いっ!

隣のおばちゃんがおまんじゅうを1個くれると、母親らしい母親ならば、弟のいる私と弟に、半分づつ割ってくれると予想することでしょう・・・。が、私の母は違うのですね。お風呂や物置やトイレ!に隠れておまんじゅうを独り占めして食べてしまいます(爆)。「ただいまー!」と駆け足で玄関に入ると、口をまだもぐもぐさせた母が立っていたりしました。今でも、「あげるよ」と譲ることはあまりせず、してくれるときは、何が彼女をそうさせているのか?と疑問を抱えてしまいます。「具合悪いのかな?」「コレ嫌いなのかな?」と。

私がバイトで稼ぐようになって、最初にしたことは、自分の口紅を自分で買ったり、下着や洋服を限られた予算のなかで買ったことですが、二番目は「母に食べさせること」でした。ウェイトレスをしていたので、家の食卓に出ないものが出ると、社食割引で半額になるので、母を連れて行ったものです。彼女の誕生日のときには、盛大に都会のど真ん中に連れていったり、USに来たときも同じように食べ物で釣るのですね・・・。

ちなみに、USの一皿の盛りは、日本人が慣れているものとはまったく違い、とてもとても量が多いです。シックなレストランは別としても、ファミリーレストランの量はハンパじゃありません。私の長い渡米の17年のなかで、そのお皿を平らげた女性は二人しかおらず、ひとりは母で、もうひとりはまだ21歳だったわが社で働いてくれている女性です(笑)←登場させてごめんよぉ。ちなみに、彼女と母はなかよしです。私は17年のあいだ、一度も完食したことはありません。

私とリアルタイムでおつきあいすると、日本での食事にはもれなく母がくっついてきます。韓国料理の冷麺を生まれて初めて食べたときのコメントは;うわぁ、こんなおいしいものを41年も見逃していたなんて!倖せのひとつを見逃してたわ。他の食べ物でもよく言いますが、コレ(笑)。

そんな母が切なくなり、二度目に大きくかばったのは、父の通夜と葬儀のときです。泣いてどうしようもなく、それでもこまねずみのようにくるくる働かなければならなかった母は、泣きながらカツどんを食べていました。「だんなを亡くしてよくもあんなに食欲があるわね」という陰口をたたいた人に、ケンカを売ったのは私です。

こんな母にもらった私の一番の宝物は、楽観的なところです。よく働き、たくさん苦労しましたが、彼女は一度たりともギブアップすることなく、いつも物事を楽観的に見てこれました。ときどき躓いてはいましたが・・・。そして、また数ヵ月後、彼女をUSに呼び、盛大に働いてもらう予定です。掃除や裁縫、整理整頓が得意な母の娘は、どれも平均点くらいしかできません。この前は、ソファカバーと椅子カバー、布団カバーを縫わせてしまいました・・・。貸してほしい人がいたら、私がエージェントですのでご連絡ください>でも、食いますのでご注意を(笑)。

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おかげさまで母はまだまだ食い気中心にかなり働いてくれています。家で英語を教え始め、その後オンライン化し、実店舗まで調布駅前に作っても、彼女だけはあまり変わりません。私のことを「おねえちゃん」と呼ぶので、ガイジンの友人に「あれ?きくみはママのおねえちゃんなの?」と突っ込まれて笑っていました。相当受けたようです。「そうよ、私はまだ40代なの♪」などとおちゃめでした(笑)。

母は強し

TOEICについての考え方

安倍政権では、すでにTOEIC離れを宣言した様子を呈しています。が、安倍政権や文科省が、国力増加として望む理想形は、現在存在する英語検定ではTOEFLが近いとはいえ、ビジネスマンには少し遠いものです。なぜならば、TOEFLは英語が第二言語である人々が、英語で授業を受ける大学受験のための英語力があるかどうか?を問うものだからです。

TOEFLをしっかり勉強しようと思うと、個体差はあれど、TOEICの10倍くらいの時間がかかるのではないでしょうか?なぜならば、Speaking&Writingの要求されるスキルが比せるものではないからです。現在、TOEICは、Listening&Readingしかなく、これまで独学でがんばっていらした方々は、英会話との両立にて、話せるようになることについて、「うんと遠いなー」とばかり思わされてきたはずです。

英会話スクールも、日本人の発想で、さらに日本語で構成を組み立てているあいだは:

  • よくある日常的な言い回しを紹介し、それを話せるようになる
  • 日本語で暮らしている言い方を英語として発する→ それを英語風に直したものを紹介する

という【日本語主体を英語変換する方法】を採用してきました。

そこでの弊害は、考え方や文化への理解が入らないことにより、実際に伝わる:Communicativeな表現になりきらないものが多々混ざる、というとても悲しいものでした。昨今になり、ようやく、

What time is it now? とは言わず、 Do you have time? と表現するなど、けっこう浸透してきたのですが、実にNOVAの台頭→バッシング→再生は、1981年から始まっていますので、日本国民に届くまでに30年以上掛かってきたことがはっきりします。

その他、多くの英会話スクール・英語スクールも、精力的なNOVAに追随し、そこから

【Native講師神話】を披露できる ベルリッツやGABA、ECCなどが、多少値段が高くとも生き残りし、コミュニケーションに着目して、今日に至ります。

日本人の英語熱が、ケイコとマナブで継続的に1位を続けるようになってからは、もう15年以上過ぎています。その理由は、企業で、TOEICで英語力を測ることが主流になったことや、企業での公用語として英語を取り入れる風潮が定着してきたからです。

2010年代、日本の英語事情はますます深刻化してきており、実際に英語を日本語と同じくらいに使えるようになるためには、上記のようなレッスンでは効かない!ということがわかってきています。

【日本文化に着目】

【脳に着目】

を経てきているのですが、Precious One English Schoolでは、これまでのすべてをひっくるめ、まず

【日本語と英語の違い:文化や歴史、生物としての進化を含む】を詳細にレッスンに取り入れ、

【日本語だけで暮らしてきたマインド】に着目したレッスンを展開しています。さらに、英語教育内で大きく顕微鏡検証されてこなかった物事なども取り入れ、Nativesでは説明しきれない細部までを、大人のみなさまにストーン!と腹落ちまでしていただけるよう、身体・頭・心のすべてで理解していただいております。

ですので、TOEICは「やっつけたい事情がある人たち」が取ればいい、という考え方ですし、実際の実力がつき、日本語とさしたる変わりのない英語が使えるようになることを目標にしていただいております。

TOEIC900点超えをしている人たちでも、話せない人たちはまったく話せないという現象ではなく、理由を詳細に説明できるスクールに通ってください。でなければ、あなたのその時間と情熱とお金、全部無駄になります!

が、TOEICのスコア、びっくりするほど上がります。だって、英語力の一部ですもの、TOEICで問われている問題は。

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