けっこうな長い期間、英語を教えてきました。まだまだ精進せねばならぬところはあるものの、基本的な態度は大きく間違っていないと自負しています。なぜならば、私の生徒さんたちには、一定の成果が出ており、Precious One English Schoolでは、成果保証制度が導入できるようになっているからです。もしも、成果が上がらなければ、スクールは潰れているところです (・・;)
TOEIC中心に英語力を測る風潮が、長らく日本に根付いていることを知ったのは、2008年です。10年前のことですが、10年経ってもまだまだその悪い風潮は残っています。政界でも経済界でも、少しずつではありますが、このTOEIC神話をどうにかして変えねばならない、という態度を示してきつつあるのに、ニュースにビンカンではない方々は、その真意やバックグラウンドについて、取り残された感もあるのかもしれません。
英語教育には2面あります。
文部科学省が推奨しているもの
商業的英語スクールが実践しているもの
そして、私はまぎれもなく後者なのですが、教育支援という本質から外れないシステム・料金・レッスン内容にするために、日本に戻ってきて10年、まだまだ試行錯誤しております。そして、限りなく、自分が英語を学んできた立場にいつも立ち戻り、どうにかして、安価で修得期間が短く、同じ行動でいくつものスキルや考え方が身に付き、通いやすいあるいは学びやすい、時間が経ったあとも振り返りやすい、などと、いろいろなことを考えながら、まだまだ進化中です。
さて、文科省が推奨している内容は、かたつむりのスピードで進化していることは、みなさん気づいておられると思います。実際には、未だ日本の英語教育はBritish寄りで、実際に世界では、British EnglishがAmerican Englishにどんどん影響されている事実に、寄り添っていないものではあります。Harry Potterの作者:J.K. Rowlingが、映画を作るときに「キャストは全員イギリス人で」としたのには、やはり理由があるのです。Americanを入れないことによって、古いイギリスの文化に根付いたストーリーをしっかりと流布したかったためでしょう。
そうなんです、古いんです。日本語を学んでいる外国人の方々がたくさんいらっしゃいますが、彼らも同じ悩みを抱いています。しっかり学ぶと、文語を多く学ぶので、口語での展開・応用がかなり難しい、と。
文科省の悶絶はこのへんなのだろうと思います。実際に使えないわけです。読んだり書いたりはできるが、聴いて話すことに関しては、まだまだ課題が残る教え方しかしていないわけです。
そこで、国策としてやったことは:
- 外国人講師の招聘
- ListeningとSpeakingの強化
- 英語教育の小学生までの引き下げ
- それに伴い J-SHINEなどのシステムを作る
- 小学生に英語の成績がつくことを表明
- AO入試に留まらず、2020年から入試に英検・TOEIC・TOEFLにより英語試験の免除
- さらに、2020年からの英語入試問題は、考える力の他、日本人が苦手としてきた分野を強化する
ただ、悲しいことにこの成果が上がるのには、気の遠くなるような時間がかかるのです。現に、私のTeensクラスの、小中学生は、帰国子女・インタースクール経験者と、生粋の日本教育システム経験者では、英語力に雲泥の差があります。たとえ部分的な駐在に帯同した数年があるかないかであっても、ここには大きな差が出ます。
なぜなのか?
英語教育が始まったのは、明治時代ですが、その頃から、本当にかたつむり程度のスピードでしか変わっていないことが最も大きな原因です。時代が変化していることに、行政がついていっていない。もちろん、政治においては、教育を整える以外に手をつけねばならぬことはたくさんあるかもしれません。現に、災害・テロ・DVに関する法律・法令・条令なども、さっぱり追いついていません。
であれば、官民の方向性がズレを生じていてもかまわないが、少なくとも「進化」に向けたものであらねば、国民や消費者としては困ったものなのです。
現在、官がアテにならないと感じた人々は、商業的英語スクールに対して
・補完として
・メインとして
・両立として
選ぶ選択肢があります。
ところが、商業的英語スクールも、「儲けるありき」の傾向が強く、これまで長きにわたり、成果を上げてきてはいません。なぜならば、「いったん集客したら長く集金できたほうがいい」からです。あまりに成果を上げてしまうと辞められてしまうので、また集客せねばならぬからです。
1980年以降、30数年の長きに渡り、たくさんの人々が、この英語スクールに行き、実際に話せるようになった人の割合を、もしも統計で取ったらどうなることでしょうか?恐ろしい数字になることは、すでに予見できるのではないでしょうか?
もしも、画期的な方法論があれば、もう誰もスクールには通っていないはずなのです。しかも、大人の場合、脳がしっかりと発達しており、一芸に秀でた法則性が助けてくれるはずなので、それほどの時間もかかるはずがないのですが、文科省が与えている義務教育と、その後の高等教育の傾向のため、成人してからの学習も効率が決していいわけではない、という結果が伴っていることが、たいへんな痛手です。
NOVA問題もありましたし、その後も、商業的英語スクールは、手を変え品を変え、たくさんの人々からお金を搾取しながらも、成果を出せないままのことが多いように思います。もちろん、統合的な結果は、受講する個人の態度や動機、生活習慣や考え方に依るものが大きいのですが、それでも、レッスン内容やコースやシステムなど、本当に充実したものだったのでしょうか?
Precious One English School はたいへんに貧乏なスクールです(笑)。まったく儲かっておりません(きっぱり)。なぜならば、これらを踏まえて、肩書として、ポジションとしては、商業的英語スクールではあるが、目指すものがあって安価にしているからです。だったら、マンションの一室で限られた人々に教えて成果を出せばいいではないか、というご意見も、これまで何度も賜りました。
ワタクシ個人の正義感として、やはり商業的英語スクールを部分的に残したとしても、どうしても成果を上げて、みなさまに最短のスクーリング期間で、安価でマスターしていただきたい、という想いがあります。それであれば、どうにかして多くの方々の目に留まるように、と、野望すら抱いてしまうわけです(笑)。
英語がマスターできない大きな原因のひとつに、「日本語教育の程度」があります。戦後しばらくは、教育の機会が問題でしたが、現代は教育の場は与えられる保障があります。とはいえ、国語の重要性が語られることがない、商業的英語スクールで、一体何が学べるでしょうか?
英語を学ぶみなさんの基本体は、日本語で思考し続けてきた事実からは逃れられません。その充実度を測りながら、一般論化せず、必ず理解までに繋げ、暗記・演習の繰り返しを避けた方法を、どうにかして日本中に「あたりまえ」として流布したいという情熱が、私にはあるわけです。
多読・多聴を超えた方法論が求められていると思いませんか?
それゆえ、心理学を英語と同じくらいに学んでいただき、自分を日本語で整える時間と並行させながら、英語を学んでいただいております。
オンラインでの安価な英会話・カフェレッスンなど、いろいろな形で進化していますが、Nativesから学ぶ英会話には、論理がありません。多読・多聴から抜け切れてはいないわけです。RIZAP方式(マンツーマンで充分すぎるほどケアされ管理される)であっても、多読・多聴を推進しますし、それに「見られている」「支えがある」という心理的な面を加えたものです。
実際のところは、お金がない方々は、独学をしておられます。その独学教材も「儲からない限りやらない」「素人があれこれ試行錯誤した結果」が、インターネットに蔓延しており、何が正しくて、何が自分の参考になるのか、まだわからないままの方々が多いのではないでしょうか?
ならば、と、Precious One English Schoolでは、
- 2年以内に独学体制に必ずなる
- 英語を生活に取り入れ習慣化するまで
- 何が正しくて何がそうではないのかを見極められるようになる
- 時間管理ができる
- 自分のことを深く知ることができる
- 使える英語を目指し、いつも使える環境を整える
など
などを実現しようとしています。現在の日本の英語教育の実体とはかけ離れており、「本当にその値段でそんなことができるの?」と、多くの疑念をいただいておりますが、やはり最後には、自分でしか闘えない領域があり、そこをどうカバーしていけばいいのか?を、まだまだ模索中です。生徒さんひとりひとりが、自分の人生をどのように真摯に捉え、英語がどのくらい必要なのかを自問し、そのためにどれくらいの何ができるか、を常に考えていただける1年から2年を提供しようとしております。しかも、できるだけ安価で。
とにかく、今、このコラムを読んでいるみなさまの課題は、「一体どのようにすれば使える英語が身に着くのか?」の問いに答えを見出すことです。それらを考えたくないままでは、今後も、たくさんの教材を買って試行錯誤し、たくさんのスクールに通い成果が出ないままで、よしんばある程度使えると思っても、満足がいかないままになると思います。
次のコラムは、「TOEIC神話」についてです。1週間に1回程度のアップを予定しております。
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