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父親になっていく男たち

10/26/2006 にアップした文章です。

 

母になるのは実感できる準備期間があります。ここはたいへんにうまくできているなぁ、と自然界の摂理に感心せざるを得ません。哺乳類の場合、社会生活を営む確率が高く、さらに「関係」に重きを置いた身体的システムやメカニズムがたくさんあるので、遠大な進化のロマンティシズムを感じます。自然の摂理と雖(いえど)も、その軌跡の後ろに山高く積み上げられたものは、生命体の知恵の結晶でもあるわけです。クリスタルクリアなものもあれば、地方ルールがあるものもあれば(季節や地形や文化の発達によって相違が生まれる)、まだまだわからぬ脳神経学の分野でヒトが決め付けてきたものもたくさんあります。

進化心理学というエリアをかなりしつこく勉強したのですが、私には「自然の摂理」を主に動いている人々をどうも哀れむようなところがあります。せっかく持ちえている大脳をどうしてさらに使わぬのか?という素朴な疑問ですらあるのかもしれません。

撒き(蒔き)散らす性であるオスと、育む性であるメス。この違いは「永遠の謎」のように語られているのですが、本当にそうなのでしょうか?特に飲み屋で知ったかぶった人々が、「男には女はわからない」「女には男はわからない」などと、そのミステリーを解こうともしないところに腹すら立ってしまう私は、進化しているのか退化しているのか・・・。しかも、最近、森村誠一の著作を読破しようとしているので、その性に関する傾向や違い、ステレオタイプなどなど、本当に食傷ぎみなところはあるのです。真理がいくばくか伴っているにしろ、私は典型的にはどうも振舞えず、考えることはできない。女であって女でない、という自分の部分をたくさん繰り返し認識してきたはずではありますが、自分で否定するのはかなり難しい作業でもあります。が、しましょう。私の存在は第一義として「女」ではないようです。なので、「男女」「オスメス」の話を多く語る人を敬遠する傾向ありありです。

が、それでも悲しいことに、私もいつしか「流し目」ちっくにあるオスに対しては見せているのかもしれず、純粋無垢なヒトが第一義存在なのだとも言い張れず・・・。が、しかし、ナリを見ていただければわかるように、私は女としての装いを極力軽減するように暮らしています。髪が長いのは、一重にメインテナンスが面倒なのでショートにできないだけだし、ショートのほうが実際は色っぽかったりする、というのが私の意見です。うなじですよ、うなじ・・・。オードリー・ペップバーンが世界の中でも一番日本で好かれているのは、彼女のうなじのせいなのです。鶴みたいですもん。なので、長い髪をアップにするのがイチバン効果的なのかもしれないです。私はドレスを着るとき以外はアップにはしません。アジアでの夏場はしてるけど(あせも対策)。

そんなこんなも踏まえて、さて、男は父親になっていくのか?私は母親になっていっていません。なりたくてもなれない。が、心持はどうなのか?と聞かれれば、おそらくAloparental Behavior(哺乳類が持つ本能のひとつ;同種の未熟メンバーに対して、親のような行動や守り育む行動を示すこと)があるので、それが強いか弱いか?ということなのでしょう。この本能は強弱があれども誰にでもたいていあり(完璧に100%ではありません)、乳幼児と密室にふたりっきりにされたら、やはりあやしたり、食べさせたり、遊んだり、排泄の手伝いをしたり、と、まぁ、いろいろやってしまうのです。親がいようとも赤ちゃんと目が合えば、ついつい顔で話しかけてしまう私なので、私も人並みにはAloparental Behaviorがあるのです。が、コレは本能の話ではありません。とりあえず、子宮もまだあるし、卵巣も卵管も無事ですから、ホルモンもそれなりにはしっかりしていると思われる。が、身体的・生物学的な話ではなく、私がしたいのは後天的な、環境による要因がもたらす変化のことです。いくら生物学的存在であるとしても、のちのちのことについて考えてみたく、だからゆえに「父親になっていく男たち」なのでした。

そもそも受胎という実感がなく、裡側に育っていく生命を日々体感するチャンスがない男たち。ただ単に「告知」され、それを信じるしかないわけです。経済的に恵まれていれば、Paternity Test(DNA鑑定;父性テスト)ができるものの、それを「しよう」「してくれ」とクチに出すのもおぞましい。なぜなら、それは自分の子どもを宿したかもしれない女に対する侮辱にもなり、信頼関係をそこで著しく損なうことになるからです。

ちなみに私は優生保護法という言葉尻を捉えるわけでもなく、堕胎には反対しません。本人の選択肢なので、する人々のそれぞれの事情を把握しない限りにおいて、ごちゃごちゃ言うつもりもありません。レイプされたから堕胎はいい、などという条件付論理などを振りかざすのは、おこがましすぎます。すべてを引き受けて自分が決断し、歩んでゆく道に、他人が何を言えるというのか・・・。代理母等も同様です。自分の意見と違うからという理由だけで、他人を責め、こき下ろすのはやめていただきたいものです。

愛というのは何か?を考えたことがおそらくほとんどの人々にあることでしょう。こんな大命題に正解はなく、たとえ中途結論を出した人にでさえ、生涯のしかかっていくであろう、でっかいでっかい命題なのです。その愛というものが何なのかをわからないまま、結婚したり、家庭を持つというのは、やはり本人にとってかなりキツいものになるという予測が立てられます。家庭というのは、家と庭でうまい漢字なのです。若いうちは貧乏で賃貸している率が高いので、この家と庭の実感をあまり持てないまま、新しい家族を持ちます。庭があったほうがいいのは(今、マンションに居てたいへんにつらい)、地に足がついているということをいつも実感でき、掃除をするところが増え、四季折々の移り変わりを果たすもがな見ることができ、植物でもあれば酸素の供給が増えて、平和要素が増えるからです。近所づきあいも、昔はそれでよかったんだもの。家というのは、シンボリズムを重んじる人にとっては、自分が成し遂げてきたもの・大切にしているものを表現し、入れる場所です。私にはその帰来がまったくないのですが、気持ちはわかる。空っぽに、大名が建造したお城や、国宝級のお寺を見てため息はついていません(でも知ったかぶって観光にいそしむ人もそりゃいるかもしれない)。愛を育む場所として、物理的空間である家庭を持つことはかなり有効です。見えない神を祀るために神棚や仏壇を置くのと同様で、形あるモノにすがるのは悪いことではありません。特に、愛を実感できない蒔く性のオスには有効なのかもしれないです。そこでだんだん父親になっていく。

私独断の経験則では、男の人のかなり多くの%で「父親になること」について深く考えていない人のほうが多い。「妻が欲しいと思うならばいい」だの「当たり前のことだからいつかは父親になりたい」という、漠然としたなーんも考えていない脳みそのほうが圧倒的に多いのです。が、どうしても性的誘惑には負ける。負ける人のほうが断然多い。そして、実際に精子を蒔き、子どもが生まれ、顔を見てから父親になっていきます。が、うまく父親になれない人のほうが圧倒的に多いのかもしれません。少なくとも、私の父はそうでした。最近、よくいっしょに飲んでいるおじさまもそうです。私の弟は父親であることに大いなる意義を見出していますが、私の考える父親像とはかけ離れているのかもしれません。

そもそも、最初から父親をカウントしないで子どもを作る女性も増えています。そんな女性たちを批判する人々はいますが、私はなぜに批判するのか理由がわからない・・・。「いないほうがまし」な父親がいることは確かです。その個々のケースについて「一般論」「正論」を当てはめようとすることは、たいへんな無理があります。胎児をおなかの中に感じることができない父親は、「なる」ものであって、インスタントになれるものではないわけです。そこには「なりたい」と願う気持ちが必要で、当然のこととして受け止める愚か者には、実際には父親になれていない名ばかりの人々は多い。

飲み屋でよくいるよねぇ。父親なのに、男を前面に出して「彼女」「浮気」「遊び」の話をまだまだ自慢する、男っ気の多い男たち。いつ父親の仮面になるのか?と話題が変わって観察するのですが、やはり希薄だったりする。そしてそれを「男と女の違い」だと主張するだけして、なんら根拠のあることを示してくれない。だから、「こんな父親だったら要らない」と言われたり、熟年になってから奥様に離婚されたりするわけです。世の中、男性にとってつらいことは多いです。が、自分から招いていることもあると痛み入ったほうがいいこともあると、胸に手を当てたほうがよさそうです。

 

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