09/08/2007 にアップした文章です。
そもそも、ListeningのことをHearingと訳している概念から変えなければならないことが、たいへんに残念というか、億劫というか・・・。センスとも言える言語操作能力について、生徒さんご本人に考えてもらうことを、最近多用しています。カウンセリング段階で、どのような勉強方法がいいのか?を考えていく導入なのです。考え方としては、イタリアンにしろチャイニーズにしろ和食にしろ、料理をするのに必要になってくる、「野菜や肉などの名前を知っているかどうか」「包丁を使えるかどうか」「野菜を洗えるかどうか」「火を操れるかどうか」「お皿を選ぶセンスがあるかどうか」などなど、基礎と言える能力があるわけです。それが、日本語で培ってきた基礎能力。日本人は、何料理をするにしろ、動作を日本語で培っているし、それについてくる基礎知識やその論理も日本語で培っているはずです。ただ、メインは言語よりも、味覚や色彩センスや、実際の技術に頼るところが多く、言語は「強化のためのツール」だったはず。では・・・。
操作:(1)機械・器具などを動かして、作業させること。(2)自分に都合の良い結果が得られるように手を加える。
というわけで、言語そのものを「道具」として捉えてもらいます。その中で、能力の現状を捉えてもらう。便宜上、理解を簡素にするために、Reading, Writing, Speaking, Listeningに分けていますが、もっと細かくやってもいいし、ニーズに合わせてもいいわけです。この4つにそれぞれカテゴリーわけをして、ランキングをつけてもらうのですね。参加型です。
1. 英語における現在の自分の能力
2. 将来的にどのような英語能力にしたいか
3. 平均的日本人の能力Average (Reading→Writing→Listening→Speakingの順)
では、考え方を変えて
4. 日本語における現在の自分の能力
5. 将来的にどのような日本語能力にしたいか
6. 平均的米人の能力Average(Speaking→Listening→Reading→Writing)
これを資料にしてみる。論理としては、4.がすべての基礎になってくるわけです。第二言語は、第一言語を超えることはなく、その何割(何%)かで停滞します。引越しや結婚やその他、劇的な密閉社会を作り、その中に入らない限り、しかもかなりの長期間でない限り、母国語が基礎になります。
私はおよそ20年英語を話して暮らしていますが、
1. Reading→Listening→Writing→Speaking
2. Reading→Listening→Writing→Speaking
3. 同上
4. Reading→Listening→Writing→Speaking
5. Reading→Listening→Writing→Speaking
6. 同上
と、理想と能力が合致しているので、これまでしてきた勉強方法もよかったのだろうし、今後もこの方向でやっていこうと思っています。が、最初に英語を習い始めた頃には、こんな状態ではむろんありませんでした。ReadingのほうがWritingよりまし、ListeningのほうがSpeakingよりまし、で、私も平均的日本人の能力を持っていたわけです。
日系人の女性で、アメリカに36年もおり、英語だけしか使わないと、日本語はどんどん錆びついて語彙が減ります。が、文法がめちゃくちゃになることはまずありません(が、めちゃくちゃに聴こえることはあります・笑)。ただし、わからない語彙に英語を入れるので、たいへんに聴きづらい会話となっていくわけです。私はコレにはならぬよう、日本語スイッチと英語スイッチを自分で厳しく管理してきました。この状態を続けると、どちらの言語も、余地がある「この先の学習の伸び」が期待できなくなります。言語操作能力は、使っている限り、伸びる余地はあるわけです。そもそも、コレを信じていない人は多く、母国語に関してはさらにそれが深まります。
大人になってから、一切本を読まないという人は実在します。仕事の上でメールや書類や関連雑誌を読むことはありますが、必要最小限の量で留めたいし、質を偏らせていきます。そういう人たちは、英語でもそうなる傾向は簡単に予測でき、頭打ちが来るのも早いことになります。日本語で他人の話を聞かない傾向を持つ人は、あるいは耳が決定的に悪いせいか何かで聞き漏らしが多い人は、第二言語でもその傾向を受け継ぐことになっていきます。ここで、意識的な調整が必要になるわけです。
が、何度も言うように、スイッチの違いは大切です。何語と対峙しているのか?という意識が大切で、それにより、使う脳細胞が変わってきたり、スピードが違ってきたり、労力などの合理性が違ってきたり、文化的含蓄の切り替えが違うわけです。
英語を話せない人に多いのが、英語の構造や英語の質や英語を母国語にする人々の言動や心理を知らないことなどがあり、I・・・・やYou・・・・と一言発しただけで止めてしまい、考え始めること、がイチバンに挙げられます。コレをやるくらいなら、口を開かないほうがいい・・・。I am・・・、You are・・・でならば止めてもかまわないのだけれども、He said, You wentなど、S+Vの主語と結論だけは伝えてから、「何を」という部分だけにタックルしていく間は、歓んで与えてもらえることは知ったほうがいいです。英語の配列では、とにかく論旨が聴きたい。まず「誰がした」「誰がある」などの部分を伝えてから、待ってもらう忍耐力を相手に求めるのは、多少ならば許されます。
が、日本語では、主語が多々の場面で省略できるので、このようなことは起こらず、人によっては、目的語からも話せるし、形容詞節や句からでも、助詞でいくらでも繋げていくことができます。日本語は、結果がとにかく最後に来る。その違いは、心理的にもかなり自由ですし、このあいだ書いたHigh-Low Contextの違いに顕れてきます。
基本と言えることを網羅したあと、この例で言うならば、Speakingの能力について考えてみる。自分はどうなりたいのか?と。コミュニケーションツールであれば、やはり日本語の特質をそのまま押し通すことは無理です。
英語を習得するときに考えなければならないのは、そもそも自分が持つ言語能力というのを査定することで、文法のおさらいなどではないと思うんですね。私などはこの年齢になって、このあいだ、漢字の書き順を間違えていたものがあって、ショックでした>必勝の必。うーむ・・・。私は、国語辞典(岩波)を2度ほど通読したことがありますし、広辞苑にもチャレンジしました。が、インターネットが発達してからやっていません。やってみるのもおもしろいかもしれないです。日本語を失わないということは、私にとって優先順位の高いことでした。畢竟、言語操作能力が高いことは、あとになって知るのですが、ヒトとして生まれた醍醐味を、とことん味わいたいということだったように思えています。しかも、私は自分が能動的で積極的な性格だと、回りに判断されていましたが、実際はたいへんに受動的で、必要ベースの積極的な性格であったことに、30歳くらいになってから気づくのですね(爆)。たいへんなオマヌケ野郎です(汗)。
ちょっとご自分の能力と理想について、考えてみるとおもしろいかもしれませんよ。
コメントを投稿するにはログインしてください。