嫌われたくない心

08/23/2008にアップした文章です。

私はこれをとっくのとうに卒業しているので、生きていてかなりキラクです。いつからなのか?と不思議に考えていると、おそらくもう高校生のときには、かなりどうでもよかったなぁという確信が・・・。そもそもの嫌われてもいいや、というめばえは、開き直りから出発したので、オソマツなのではありますが、それをよりよく使っていこうという、けなげでしぶとい生命力があったことは確かです←かなり言い訳がましいのか?(笑)人に嫌われるのが怖いだとか、怖いまで行かずとも不安だという人は多いです。私が見てきた中でも、そうした行動を取る人々は多く、思ったよりも根底的重圧になっているし、行動規範になっているようなところはあります。それがなかったら、どんなにいろいろなモノごとにその情熱やエナジーが使えるか?と考えてみると、ぞっとしませんぜ・・・。

 

嫌う:(1)(人や動物が主語となって)(ア)いやだと思う。(イ)(好ましくないものを)避けようとする。(2)(無生物を主語として)それがあると具合の悪いことが生ずるから避ける。(3)区別する。えり好みする。打ち消しの語を伴って用いる。(4)好ましくないとして退ける。(5)連歌・俳諧で、句の配列上、同類の言葉を付けることを避ける。また、ある特定の語を特定の場所に使うことを避ける。

いや:(1)きらうさま。欲しないさま。(2)不愉快なさま。(3)好ましくないさま。

好ましい:(1)感じがよくて、心を引かれる。好感がもてる。(2)望ましい。そのようになればいい。(3)好きである。好みに合う。(4)風流好みである。凝っている。(5)色好みである。

 

改めて、嫌う・イヤの意味を並べてみると、かなりネガティブではある(笑)。

 

すでに何度か書いているのですが、私は嫌いな人というのは、極端に少ないのです。全体的にトータルに嫌いだということはほぼなく、ある部分をピンポイントして嫌いなので、私に対してそれが向けられないのであれば、あるいは私がそれを引き出すようなことさえなければ、特に気にしないのです。が、長くつきあっていれば、そのイヤな部分というのはかなりの数が出てきてしまうことになり、それをお願いしてみて、それでもダメであれば、やはり離れていくことになるのでしょう。が、大人になってからは、ケンカして別れてしまうようなことはなく、だんだん連絡を取らなくなり、消滅していくことが多いのです。

 

やっぱり私も大人になったってことなんだろうなぁ・・・(苦笑)。

 

なぜ嫌いなのか?という根本的理由は、生物学的なものから生じており、「その行為あるいは言動が、私という生命体にとって危険極まりないから」ということから発しており、それ以外であればかなり何でも引き受けるのです。

 

では、逆のことを考えてみると、私が嫌いの元を渡してしまう側にもなっているので、やはり、私が誰かに「その行為あるいは言動が、生命体である他人にとって危険」ということはままあるに違いないのでした。私は、躁鬱病のせいで、たいへんにハイパーなので、その率はとても高く、小さい頃のことを考えれば、怪我の危険にお友だちをさらすことは多かったです。が、特に強制していたわけでもなく、私が勝手にやるところを見て、それで安堵し、やってみてケガをする、というのは枚挙に暇がないほどあったので、ある子のおかあさんは、「もうくーちゃんと遊ばないで!」と怒鳴ったというのはよくあった話です(笑)。木登りもあったし、切り倒しになっている粘土質の台地が顕わになっているところに、丸い穴を開けて断崖絶壁風のところを登るのもあったし(正式にやればロッククライミングみたいな・・・)、それがスロープになっていたら、切り傷なんていっぱつのトタンを拾ってきて、そり遊びはするし、坂道でブレーキをかけずに自転車で下ったり、手放し運転を何mできるかなんて毎日だったし、知らない動物と遊んだり、ザリガニやカエルやおたまじゃくしを取るために水にはバシャバシャ入るし、大きな河川でも泳ぐし、穴を掘ったり、危険だらけな遊びばっかりしていたからなぁ・・・。

 

青くなられたのは、ゴルフボールをバットで打つようなバカなこと。あれは当ったら、打ち所が悪ければ本当に即病院行きだったでしょう・・・。

 

なんだか書いていてぞっとしていますが、私、よく生き延びているよなぁ(爆)。奇跡の連続だったのか・・・?

 

とにかく、小さい頃から、近所のおかあさんたちには評判がよくなかったので、そこで嫌われていることに落胆していたら、せっかくの楽しい遊びも楽しくはないので、へこたれなくはなりました。その評判に対して、母はものすごい剣幕で怒るのですが、改めるわけなどなく、父などは横で笑って応援をしてくれていたので、それで相殺ゼロのような気持ちにすらなっており・・・(爆)。

 

中学に入って、幼い恋愛事件などがあってからも、私は嫌われることは私の宿命なのだなぁと思っていたくらいで、特に気にしていなかった模様です。いや、最初はたぶん気にしていたのですけれども・・・。好きな男の子に好かれないような噂を流されたりすることで、なんだかそれなりに塞いでいたような記憶もあるのですが、けっこうそれもどうでもよくなってきていたのは事実。高校は志望校に入れなかったこともあり、高校生活すべてが灰色だと思っていたせいもあり、その中で誰かに嫌われたとて、大したダメージでもなく・・・。バイト先では嫌われたことがなかったので、そこでも相殺されていたのだろうと思います。

 

その10代の頃にすでに気づいていたのですが、本質的な私の欠点について、親切でやさしい人は、含むような言い回しをせず、しっかり目を見て、説諭してくれたものです。ところが、ただの感情から発しており、妬みや嫉みなどから発している悪感情は、大勢を巻き込み、噂を流し、というまぁ、面倒くさいエセ民主主義の段取りを辿るんですよねぇ・・・。

 

で、私としては小娘だったのだけれども、もう本当にどうでもいいや、と思っていた。負け惜しみでも何でもなく、「万人に好かれても身体が1個しかないんだからしょうがないじゃん・・・」と、心から思っていたんですが、それがよかった。決めてしまったら、未練などほぼなく、渡米できるために邁進できたからです。

 

うつ病のところで調べたところも、人間関係のまずさからうつ病になる人が最も多い。それは、他人の顔色に左右されなければある程度のルールが守れない人間だという烙印が押されてしまうからなのかもしれません。そのルールを決めているのが誰なのか?というのに、私は小さい頃からずっと闘い続けてきて、渡米して、「そんなの自分で決めればいいじゃん方式」を採用することに自信を持ってきました。もちろん、論理的でなければならず、法律を犯してはならず(とはいえ、ゴルゴ13とか大好きよ♪笑)、他人を多少不愉快にさせようとも、職場であれば、仕事を達成させることのほうが大切です。

 

誰かに好かれることで、どうも面倒なことが多いということがわかってきた私は、ひとりで行動するのが大好きになってしまい、今日も、アマゾンからまた洋書が届いたので、没頭しようと思っているところです。ついでに、ストップウォッチが届いて、これで商売も円滑に行くのだ♪

 

嫌われたくない心を強く持っているかどうか、チェックしてみるのはきっといいことだろうと思うのです。わざわざ嫌われる必要などはありませんが、私はBitchyだと言われてもそれをむしろ褒め言葉だとすら思います。あまりに強い、嫌われたくない心を持っている場合、女性では化粧の時間などがきっと長いのだろうし、洋服を選ぶ時間もとてつもなく長いだろうし、お金もそれなりにかかっており、それについて誰かが褒めてくれないことに対しての落胆も大きいに違いない。そういった他人からもらうものに関しての期待感を持つことは、決していいことでもなく、小さい頃に親を頼っていたような、純粋な愛を求めていたような、「見て!見て!私ってこんなにいい子なのよ」という危なげな心を、大人になっても強く持っているのは、なんだかそれこそが危険です。

 

他人の期待に応えるよりは、自分に期待をかけて、自分に応えてやってくださいな、といつも私は思っているのです。

ブームにのってしまう人間の心理とは?

 

ブームにのってしまう人間の心理とは?


ブーム:

1 ある物が一時的に盛んになること。急に熱狂的な人気の対象となること。

2 急に需要が増して価格が急騰すること。にわか景気。


いくつかこれに乗ってしまう人について説明できますが、順にわかりやすく説明できるか?(笑)


赤ちゃんには Novelty:新しいもの、おもしろいもの、他と違うもの、に着目してしまう本能が備わっており、大人になると少しずつ減っていくのですが(理屈としてはさほど新しいものが多くなくなり、他と違って見えても同じだと認知できるものが増えるため)、これには理由があり、「生き延びる」ためには、これに気づかなければやっつけられてしまう、健康が損なわれるなど、物理的な理由が優先されています。大人になると、赤ちゃんや子どもよりは「時間軸」を長く見ることが可能になってきて、自分の個性を認識できるようになってきて、「新しいもの・おもしろいもの・他と違うもの」に何でも反応することは少なくなってきます。


とはいえ、本能としては残っています(笑)。少し幼い人のほうが、このバラエティを脳内でしっかり整理できていないため、飛びつくようなところがある傾向があります。


次に「多数決」に対する態度の問題があります。「多数決」に乗ることが「安泰」と思い込んでしまう「in group意識」というのがあって、そのグループに入らないと、「仲間外れ」になってしまったり、「損をする機会が増える」という心の動きがあるのです。しかも、同じ考えや感性の人々と言動を共にすることは、エネルギーをたくさん使う必要がなくなり、「生き延びる」観点から言ってもとってもエコなのです。


定義としては:

内集団。個人がみずからをそれと同一視し,一般に愛着忠誠の態度により所属意識をもつ集団で「われわれ集団」 we-groupに等しい。内集団は外集団に対応する概念であり,W.G.サムナーにより使用されはじめた。その性格は客観的な社会学的集団概念というよりも,個人の観点から主観的同一視を規準にした心理学的集団概念である。内集団への愛着や忠誠は自己愛に根ざす人間自然の傾向といわれ,そこに共通の対外的敵意や恐怖が現れると内集団の結束はさらに強化される。民族主義,特にナチズムはその典型といえる。


ここに、あまりうれしくない極端な例が挙げられていますが、多様性ではない社会では、こうしたことが頻繁に起きます。アウトグループに対する冷たい仕打ちや偏見などもここから生まれます。


アウトグループの定義:


外集団。自分と競争し対立していると感じる他者または集団をさす。外集団に対する個人は恐怖敵意,無関心などの態度をとる。内集団 (イングループ ) の対概念として,W.G.サムナーにより導入された。その性格は客観的な社会学概念というより個人の観点から主観的同一視規準にした心理学的概念である。外集団への敵意や恐怖は内集団への忠誠と相互関連的であり,このメカニズムは国民の内的不満を対外的憎悪へそらすといった国策にも使われる。ナチズムにみるように外集団への敵意は宣伝によっても発生する。


いじめなどもコレにより起きているのですが、その対策は効果がないものばかりで、相変わらず続いていますよね。


もうひとつダメ押しで、この心理状態があります。

Escapeseeking dichotomy model: This model attempts to describe people’s motivation in terms of the dichotomy between escaping and seeking. For example, someone who is poor may want to escape the unfavorable situation but at the same time strive or seek for better opportunities.


現在の不満の多い状態から脱け出して、もっとすばらしい状態になりたい、という欲です。日常生活が安定していてそこに留まりたい、という気持ちは50%、もっと上や新しいものを求めたい、非日常に何かがあるかもしれない、と期待する気持ちが50%と、ニンゲンはわがままにできているのです(笑)。


3つほど使って説明してみました。あなたはブームに乗る派?


私個人は、あまりに面倒すぎて、乗るなんてことは小学生の頃から「ほぼなかった派」です。スマホも導入してからわずか半年です(笑)。

チラシ配りをがんばる

08/22/2008にアップした文章です。

散りばめて書いてきたのですが、チラシを作成しました。昨日入稿したので、あと3日くらいで出来上がってきます。自宅のレッスン拡張のための一貫ですが、マーケティング方法としては、最も安価なものから開始するのがいいということで、第一弾のHP改訂を西さんに頼んだのです。が、結局は西さんの会社である母体を改造しただけなので、どうも企業色が強く、一般に英語を習いたい人にとってはたいへんにとっつきが悪い。とはいえ、自分でHPビルダーを使って変更できないセンスのない私ゆえ、まったく文句も言えず・・・。西さんが余暇を使って、少しずつ変更してくれることになっていますが、では、2番目に安価な方法でマーケティングをやるには?と考えたのが、チラシ配り。



裏メールで、校長センセにもご相談申し上げ、チラシの内容等を検討したのですが、やっぱり私は欲張りなやつで、文字が多かった(笑)。そこで、少し割高にはなるのですが、裏面を真っ白にしておくのはもったいない、と、裏表にして、表にキャッチコピーとサブタイトル。対象者への呼びかけを簡素にまとめることにしました。そして、裏面には詳細情報を。興味のない人は裏面はしっかり読まないのでしょうが、表面で、少し脅し的なことを書いておいて・・・(笑)。

 

そこで、チラシを作る原案を作るときに調べたのが、日本では比較広告はありなのか?という問題。アメリカはすごいですよ。他社の値段まで書いていい(笑)。本当の意味での弱肉強食・資本主義が展開されており、あまりにえげつないことをすると、企業イメージも悪いので逆効果になることは多いのですが・・・。ただ、車のように値段が少しでも違うと、生活費のその他に廻せるようなものであれば、かなり効果は高いらしい・・・。人間の心理は同じなので、値段は8・9などの端数を使うと心がくすぐられることに変わりはなし(笑)。マイルドな比較はありでした。他社を特定できるような表現は許されていないのですが、一般価格等であれば、比較してもよくなっていることが判明。やった♪安価なのが売りですからね。自宅なので、しょぼいのですが、まったく同じかそれ以上の質であれば、英語学校よりも学び率が高いということを、どうやってアピールするのか?ということになっています。

 

他にも、炎天下の中、私には配れないので、どんな人から配られるともらってくれる確率が高いのか?などを調べてみたところ、やはり見た目がよろしい女性のほうがもらってくれるらしい。相手が男性にしろ女性にしろ、あまり変化はなく・・・。そこで、70歳の母を炎天下で酷使するのもナニなので、私が監督となり、友達その他を集めることにしました。プロに任せようとも思ったのですが、実際は、最初に数を500部と決めたので、それほどの人員は要らないのです。だいたい1枚2円くらいで配ってくれるのですが、最低が3000だとかいうのが多く・・・。

 

なぜこのような少ない数にしたのか?というと、私ひとりがやっていることなので、人数がむしろ多く来てしまうと、教科書作成や(手作りですから・・・)、集金制度や、スケジュール調整など無理があり、小さい規模から始めようということで。

 

数を見て、その後、第二弾・第三弾を実施すればよいということになりました。1%の反響があっても5人。5人いれば5コマ埋まるということなので。1%ラインというのがただの反応であって実際の集客にならないにせよ、手始めは5人を相手にする、でいいなぁと。

 

私の水曜日のスケジュールがやっと空いたので(というか、調整して無理やり空けてもらったので)、9コマしか夜は空いておらず、そのうちすでに3コマは埋まっており、6コマ対応なのです。だからそのうちの5コマ埋まれば万々歳で・・・。反響がよければもう1日減らしていく、という運動に入ろうというもの。スケジュールとしては、プライベートレッスンをやっている日からしか減らせないので、徐々にやっていき、グループのほうは3ヶ月単位なので、どう考えても3ヵ月後になってしまうわけです。最後が土曜日で、繁忙日の土曜日を辞退するのであれば、それはもう英語学校を辞める日ということになります。

 

が、昼間がまったく空いているので、主婦や学生さんで昼間の時間帯に来られる方々というのも、密かに集めたいと思っており、そちらのほうがさらに割引をしてもいいかなと思っているところなのですが、値段を下げることはできても、あげることはできないので、書きませんでした。

 

第2弾は、9月の連休が2つあるうちのどちらか。第3弾は、目の前にある国立電気通信大学の学園祭の日にまたがらせてやろうかな、と。が、これはチラシの反応がいいかどうか調べるための実験みたいなもので、マーケティングの入り口にしか過ぎません。

 

生徒さんの中で、大企業のマーケティングをやっている方が、「おもしろそうだからやらせて。タダでいいよ」とおっしゃってくれているので、ぜひぜひ任せてしまおうと思っています(笑)。沿線にあるキャンパス用のマーケティングを考えてくれる予定らしい。ウヒ♪

 

校長センセには、タウン誌掲載はあまり反応はよくないよ、とアドバイスをいただいていたので、実感が目に見えるチラシを最初のマーケティングプランに持ってきたのですが、試行錯誤の末入稿し、月曜日には届きます。そのあと、警察署に「道路使用許可書」を提出し、2100円を添えて、許可書を持った人を混ぜて、チラシ配りを実施します。28日(木)の午後、駅前と大学前でやろうと思っています。500枚を3・4人で配るので、2時間半くらいで終わるかなぁと。警察署に届けておかないと、違法行為らしいのですが、イチイチ届けている人々は少ないらしいです。ポスティング会社の人たちは届けるらしいですが。なので、派出所で褒められました(笑)。いい心がけですなぁ、と。

 

しかも、そろそろ暑さが緩やかになってきたので、配れるであろう、と。電通大の前には、メガロスというスポーツジムがあるので、そこから出たり入ったりする人たちにも配れるので、けっこういいかもしれないです。我が家はそのまん前なので、スポーツと英語、両方やりたい人というのはきっと居るに違いなく・・・。

 

マーケティングの次の作戦としては、まぁ、常勤英語学校の日数が減らせないとまずいのですが、近所のお店にパンフレットを常設してもらうことを考えています。ただ、仕組みとしては、そのパンフレットを持って来てくれた数だけ、報酬を払う方法で営業していこうと思うので、少し営業が複雑になるかもしれず・・・。パンフレットを作るにも、やはり10万単位のお金が必要なので、しばらく資金のためのタダ働きは続きます(笑)。

 

しかも、9月から3ヶ月の企業派遣講師の仕事も朝っぱらのものが始まります。8:30-10:00といういい条件なのですが、朝の通勤ラッシュをどのように最良の方法で駆け抜けるか?というのが、今の課題です。チラシ配りをがんばったら、きっとこれも3ヶ月でお断りできるのですが・・・←そんなに電車が苦痛なのかって?ええ(笑)。

 

コメント欄に感想を書いておいていただけたら、と思い、PDFをアップしておきます。ごらんくださいませ♪

 

おなかが空くということ

08/21/2008にアップした文章です。

ここのところ、多少涼しくなってきたようで、あれほど食べられなかったごはんが、少し食べられるようになってきました。食べられないなどと言いつつも、私の場合は、ビールを飲んで肴を少しだけ食べており、特に熱量上の問題もなく、むしろ高カロリーになっていた、という、むしろ通常の夏バテよりもひどい状態だったのかもしれず・・・(汗)。セミの鳴き声が耳についてはいますが、もう夜のエアコンは数日使っておらず、快適に過ごせています。眠ることができるというのは、ものすごい平和なんだなぁと、実感しつつ、それでも時折ぴたっとくっついてくるネコを暑いな、と思ったり(笑)。食べることができるようになったのは朗報で、このあと、断酒日をたくさん作ることができそうなのでした。



飽食の時代と呼ばれてから、日本でもかなり長い年月が経ちました。貧困レベル少し上くらいの食生活をするのが、おそらく最も健康的で、最も経済的にも有効なのでしょうが、どうも西さんがいつも言う通り、「おいしいものは身体に悪い」というのは真実なようで、贅沢をして身体に悪いものを食べて、散財もしてしまい、さらに体調を悪くする悪循環というのを、大なり小なり現代の日本人はしている傾向にあるのかもしれず・・・。

 

アメリカに住んでいたときには、和食といえば、怪しいところに行くか、正統和食を食べさせてもらうお店はうんと割高で、やはりいつも食べたい場合には自分で作るしかなかったのです。そのせいで、以前『決死のおにぎり作り』でも書いた通り、おにぎりごときを作るのに、数日前からものすごい準備をし、体調を整え、3合のごはんを炊いて、海苔をしっかり焙り、具をあれこれ思い巡らせて準備をし、24時間以内で食べられるだけの量をお味噌汁といっしょに食べたものでした。納豆ひとつ食べるにせよ、ヤオハン(今のMitsuwaマーケット)の陳列ケースの前で、「いくつにしよう・・・」、清水の舞台から飛び降りるのでした(笑)。毎月1回くらいしか買い物しなかったのですが、自分としては、フリーフォールに乗るよりも落下は激しいものでした(笑)。しかも、1日のうちに3・4回は飛び降りましたからね(笑)。

 

そういった意味では、私は至って健康的な暮らしをしていたに違いないのです。難を言えば、バターとマーガリンの値段が100円くらいしか違わなかったので、量を食べるものでもないし、と、バター一辺倒にしていたり、牛肉と豚肉の値段に大差がないので、牛肉を多く食べてしまっていたり、アルコールがものすごく安いので(バドワイザーなどは、セール時に買えば1本30円くらいでしたね・・・。ワインもだいたい日本で今売っている値段の半分から1/10くらいです)、その量はちょっと多かったけれど(笑)。

 

が、私は学生を続けていたので、アルコールは週に2日しか飲まなかったんですよ。すごいでしょ?(笑)私の場合、一滴でも入ると酔っ払うまでは続けて飲んでしまうわけです。実際は眠くなるまで、というところなのかもしれず・・・。なので、ちょっとだけ飲んで休んで、また勉強というわけにはいかなかったのです。一度乱すと、ちゃんと7時間から7時間半眠ったあと、起きてコーヒーを飲んですっきりしてからでないと、勉強にはならず・・・。そうなると、多く出ている課題についていけなくなるので、週に2回しか飲めないというのが常で・・・。いや、たまには週に1回だったような・・・。まぁ、酒と勉強とどっちが好きかって、一滴も飲めないわけじゃないので、やっぱり勉強を優先していたのです。

 

その時の経験則でわかっているのが、アルコールを飲むと、私はおなかが空かないのです。いや、誰でもそうだって?でも、つまみを食べまくるヒトいますよねぇ・・・。私は進まないのです。タバコも止まるしね・・・。なので、二日酔いになるくらいの量をいつも飲んでしまうってことになり・・・。そうなると、悪循環に嵌まりまくり、翌日の胃腸の具合はとても悪く、肝臓にも負担をかけており、またもや食べられず・・・。

 

日本に戻って来てこれではいかんと思ったのが、夏になりビールを飲んだときに少しは食べないと、そのあと焼酎やワインだけではなく、ハードリカーにまで手が出てしまうかも・・・と思ったことです。無理やり食べてしまうと、おなかがきつくてたまらなくなり、やがて眠るしかなくなってしまうというわけで(笑)。

 

私は、アルコールなしの食事のときにすら、おなかいっぱいに食べるとしっかり眠くなるわかりやすい身体と生活習慣をキープしているので、腹8分目にしていてもやっぱり眠くはなる。その波を超えると仕事にもなるのですが、仕事がない日は寝てしまえ!と寝る(笑)。やはり狩猟民族的体調管理なんだろうなぁ(笑)。狩に体力をしっかり温存しておくためにも、仕事がないならば寝るんだ(笑)。無理やり仕事は作らない・・・。で、一生懸命仕事をしているとおなかは空くのだけれども、ここのところエセ夏バテで、どうもおなかが空くという実感が、1ヶ月ばかりなかったのです。

 

ええ、ビールと肴やその他の深酒のせいで・・・。

 

校長センセが虫の音がするとおっしゃっていた頃、まだまだエアコン三昧だった私も、ここ数日、エアコンなしにしてみて、秋の訪れを少しだけ予感しているところです。となると、おなかが空くようになるもんですなぁ・・・。身体って便利(爆)。そうなると、飲み会の予約が入っているものはしっかり出席するとしても、家にいるときにはアルコールなど見たくもないと思えるようになり・・・。そうすると、ちゃんとおなかが空く。すばらしい♪今日なども、朝の9時過ぎ、まだエアコンは使っておらず、今日はレッスンまで使わなくてもいいだろうと思えています。東京も29度までしか上がらないらしいし、私はその時間は外に出ているので、母にネコを観察してもらっておいて任せます。

 

昨日もなぜか午後1時、おなかが空いたのですよ(笑)。まぁ、朝ごはんを食べていないのだから当然だといえば当然でしょうが、私は労働か勉強をしないとおなかが空かないやつなのです。ええ、血と習慣が狩猟民族なもので・・・。が、昨日はなんだかおなかが空いてしまい、おなかが空いて切ないくらいにまでなってびっくりしたのです。こんなの1ヶ月ぶりくらいだ、と・・・。

 

MDの親友Douglasに言わせると、おなかが空くまで食べないというのは、糖尿病になりやすくなるから気をつけろ、ということらしいのですが、そして朝ごはんもちゃんと食べろと叱られているのですが、やっぱりなかなか直せず・・・。でも、おなかが自然に空くような暮らしにすればいいんだろうな、と、昨日あたりから実感しています。来週ビラ配りをして、仕事の量を増やし、昼間からのレッスンがゲットできれば、きっと正常におなかも空くんだろうな、と。

 

子どもの頃はいつもいつもおなかを空かせていたのですが、いつからひもじくなくなったんだろうなぁとも考え、なんだかなつかしいほどです。「白いごはんがいっぱい食べられるから、相撲取りになればいいのに」と昔は言っていたのですが、私は子どもの頃、「ちぇっ!女はダメなのか」と思うほど、ひもじかったですね。いつも腹空かしでしたもん(笑)。そりゃぁ、あんだけ野原や川原を飛んだり跳ねたりしていれば、おなかは空くよなぁと苦笑しつつ、最後にスキーやテニスやハイキングをして、おなかを空かせたのはいつだったのか?とも思い、今の生活はいかんと、改めて思いました。

 

今日もおなかは空くのか?今は涼しくなってきたので、コレが楽しみです(笑)。

女の友情

08/20/2008にアップした文章です。

私は生物学的に♀に属しているわけなのですが、どうも性格的には女性らしいところがかなり少ない・・・。というか、見当たらない(笑)。小さい頃は、スカートを穿かないでなるべく過ごそうとした少年のような女の子で、英語でいうところのTomboyでした。日本語に直すとお転婆ってことなのだろうな。でも、この漢字もすごいよなぁ(笑)。おばあさんを転がすほどの勢いってことなんだろうか?うーん、気になるので調べる(笑)。いや、違った。オランダ語のOtembaarが鈍ったそうです。よかった、おばあさんを転がすなんてことがなくて・・・(汗)。http://gogen-allguide.com/o/otenba.html 10代も後半になればきっと女の子らしくなるだろうと、高を括っていた父親は、さぞかし落胆したに違いなく・・・。



やはり、言動を発している側が気づかぬまま、回りの人間というのもそれに呼応してくれるようになるわけで、私のメンタリティは変化することなく、スカートをなるべく穿かない少年のままだったので、バイト等でおいしい話には乗りましたが、そのまま心のど真ん中はいわゆる男らしいと言われるような特徴ばかりを持ったまま、どんどん大人になり、今に至っています。いまさら直そうとは思えず、それもそのはずで、Raymond Chandlerやその他のハードボイルドが美学だと思っているうちは、直せるわけもなく・・・。好きな人とも相手のためなら涙を飲んで別れるし、自分が決めたことであればたとえ大損してもやる、というのが、私にとっての美学なので、おしゃれやらその他は優先順位はうーんとあとに来るわけです。ましてや、学校のトイレにいっしょにつるんで行くなんてことは、かっこ悪いことこの上なく・・・。

 

24歳半まで抵抗していたのですが、料理は『愛と名誉のために』を読んでから、しっかりと学びました(笑)。掃除は今でも泣きながらたまにやりますが(笑)、家事は料理以外は平均くらいしかできませんね。その代わり、モノをたくさん持たないことでカバーしています←どんな妥協点なんだか(笑)。

 

選択肢の多さに戸惑わないのは、私が自分が欲しいものを知っているからで、ショッピングでの迷う醍醐味などは、カケラくらいしかわかりませんねぇ・・・。迷うという心持は、ショッピングではなく他のことで代替できるので、そんなに毎回やらなくても・・・と思うのです←醒めてる醒めてる(爆)。迷うためには、何かの問題を解いたり、ギャンブルしたり、まぁ、いろんなことがありますってば・・・。そのたびのドキドキ感というのは、ショッピングでなくとも得られますしねぇ。所有するというAnticipation(期待感)が欲しいのであれば、私はもうすでに必要なものは持っている気がしていますし。ほら、親知らずが1本もないこの身体とかね(笑)。

 

つい最近ストップウォッチを商売用に買ったのですが、それなども苦痛以外のナニモノでもなく、SEIKOが出した安価バージョンのALBAのものを買いました。陸上競技をやるわけではなく、Reading Speedを測るだけのものですから。マイク付ヘッドフォンは高いけれども、やっぱりPlantonics社のものを買おうと思っています。

 

そこで、私が男っぽいオーラを発してきているあいだ、女の友情というのは育っているのかどうか?ということを検証してみたら、やっぱり私の女友だちというのは、真ん中のほうがスカートを穿いた少年のようなヒトが多いということに気づく・・・。そうでなければ、長くは続かないのだ、と。動物園の檻に入れられた珍しい動物を眺めるように、短期間であれば楽しく遊んでいただけるのですが、いずれ動物園は閉園し、人々はお家に帰っていくのでした。

 

食べることは熱狂的に好きでもないらしく、昨日もレッスンが終わったあと、飲み会だったのですが、選ぶことに積極的には参加せず・・・。メンツは、男性2人と私だったのですが、その場で出たのが、「メンタリティは中年のおっさん」という言葉。ふたりは初対面だったので、私が「さあさ、知り合いなさいよ」と言ったことが、とてもめずらしい表現だったらしく、レッスン後の夜の9時半過ぎに、「はじめまして。私は・・・」とやるよりは、どんどん話をしてわかりあったほうがいいと思ったまでで(笑)。英語ではMingle with themというのがあるんだけどなぁ(笑)と言い訳をしつつ・・・。私はどうも、中間管理職で世の中を斜に見ているようなおっさん的視野で物事を見ているらしく(笑)。昨日はワインだったのですが、お酒さえあれば、つまみなどはけっこうなんでもよかったのだった・・・。日本のバーのつまみで、返品したくなるほどオソマツなメニューなど、私はラッキーなことに一度も出遭ったことがなく・・・。

 

休日のパチンコ屋さんへ行くいでたちも、こざっぱりはしているものの、とにかく目立たないように、というテーマだけで着ているような状態で(笑)。買い物なんかもレジ袋はもらわず、ズタ袋のようなバッグに入れて持って帰ってきます(笑)。近所のファミリーマートでは了解済みで、会計が始まるとシャカシャカと詰め始めることになっており・・・。

 

実際、圧倒的に男の人と親近することが多く、女性にしても、やっぱり男っぽいと表現される人のほうが多く、私は生物学的にヤワで、それでも虚勢を張りつつ、伊達男を振舞う人が好きなんだろうなぁ(笑)。私がメスなことで、生物学的にヤワではないところが、すでにうれしいのではありますが(笑)。

 

しかも、女の友情というのは、女性の生き方が年齢を経るとどんどん強い絆が保てなくなる傾向にあるわけですよ。結婚前は、デート優先。結婚後は、家事優先。子どもができると育児優先。そうして、友だちというのはSecond-class Citizenのような扱いになってくるわけです。特に働いている女性たちの場合、もちろん彼女たちの人生が幸せなことがイチバンですから、それに対しての文句も不満もないですよ。が、そうして絆はどんどん緩んでくることが多い、というだけの事実。

 

昨日もバカみたいに大笑いをして、刹那的に見えるが楽しい時間を過ごし、きっとこれについては忘れないが、それについて今後語ることはほぼない・・・。それがどうも男っぽいようなところなのだと思われる・・・。産業カウンセラー講座でも、13人のうち4人しか男性がいないのですが、私は男性軍からは親しみやすいと思われており、それは一重にこの性格のせいなのでしょう。特に女性を避けているわけではないので、きっと私の発するサバサバしているところや、こだわりが少ないところが、とても無神経に思わせてしまうのかもしれず・・・。なかよしの女の子は、クラス最年少の24歳で、なんでなかよしなんだろう?と思うと、やはり性格的に男っぽいところが最大の共通点なんだろうな、と改めて感じるわけです。

 

でもなぁ、女の友情を長く続けている方々もたくさんいるので、一概には言えないです。私がたまたま強く男っぽいだけで、きっと女性らしくとも長い友情はちゃんと成立するに違いなく・・・。私はもうハワイに住む親友とは2年会っていませんが、また昨日の続きができることはわかっているので、かなり平気です。西さんとももうそろそろ2ヶ月くらい会っていないのですが、それも平気(笑)。

 

とりあえず毎日会えないとつらいなぁとひしと感じるのは、ネコたちだけですね。ハードボイルドとしては、犬のほうが絵になるんですが、ズボラなので、散歩に行けないからなぁ(笑)。犬との友情のほうが、きっと強くていいんだろうとは思うのですが、男っぽいところが悪く作用して、あまりにベタベタされるとつらくもなるので、やっぱりネコでいいのかもしれません・・・。

 

女の友情が長く続いているケーススタディあったら知りたいものです>ドラマじゃなくて、リアルで。

選択肢が多いことに戸惑う その2

08/19/2008にアップした文章です。

結婚年齢が上がっているのも、この選択肢のせいらしい。なぜならば、「もっといいヒトがいるに違いない」と躊躇するのだそうです。Pre-internet時代の前は、Pre-TV時代。その前がPre-Radioと飛行機で、その前がPre-新聞&鉄道。こうなると、行動範囲が広がってくるし、見聞が広くなるので、やっぱり他にもいいヒトがいるかもしれない可能性に、ついつい目が行ってしまうのでしょうねぇ・・・。それが証拠に、お見合いの数は減っているし、お見合いの種類も「人づて」ではなく、コンピューター診断なども入ってきているわけです。とうしても譲れない条件に、旅行が入ったり、見聞の広さが入ったりするのもうなずけるところ・・・。こうして、世の中は混沌としてきているわけで、選択肢は確かに多いと困ることもあるのかもしれないねぇ・・・。

 

取捨選択:悪いもの・不必要なものを捨てて、よいもの・必要なものを選びとること。

戸惑う:〔「とまどい」を動詞化したものか〕予想外の事に、どう対処していいかわからずにまごつく。

戸惑い:(1)とまどうこと。(2)夜中に目を覚まして方角を失い、まごつくこと。ねぼけ。

 

自分というものがナニモノで、どこでどのように暮らしていき、その中で何を成し遂げたいのか?ということがわかっていない限り、この取捨選択の基準点がブレていきます。どんな対象物であっても、自分がない限り始まれないのですが、実際のところは、大人になってもたくさんの人がモラトリアムを続行しています。

 

モラトリアム:(1)戦争・恐慌・天災などの非常時に、社会的混乱を避けるため法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予すること。支払い猶予。(2)知的・肉体的には一人前に達していながら、なお社会人としての義務と責任の遂行を猶予されている期間。または、そういう心理状態にとどまっている期間。(3)実行・実施の猶予または停止。多く、核実験や原子力発電所設置についていう。

 

就業したり、社会人として歩んだりしていても、実際のところはたくさんの「カンベンしてやる」が横行しているわけです。だから、ここのところは「人間関係でカバー」していて、持ちつ持たれつなのですが、感謝の意が薄い人も多ければ、開き直りをしたり、自分がうまく行かないことを他人のせいにする人も増えて、その最悪の形が、まったく知らない他人を殺傷したりする事件にまで発展していきます。

 

そもそも完成などはない人間稼業ですから、このモラトリアム部分というのがどれくらいなのか?というのを、個人個人が把握していくのが大切なわけです。最低限基準に達したあと、Noblesse oblige精神を発揮していくための素地を、社会全体で雰囲気作りすることが大切です。資本主義においては、この精神がなければ、どんどん格差が生まれることは必定論理で・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5 

 

極端な例でいくと、発展途上国では、電気など通っておらず、水すら徒歩で数十分もかかる高低さのある道のりを汲みに行かねばならぬ、ということは、世界のどこかでありえています。その湧き水やたまり水は、疾病をもたらす細菌などに冒されている場合も多く、たとえばマラリアなどは完全に消滅していません。そうした水を飲むしか生きていけない人々というのは、この世界に確実に存在しているのです。灌漑工事をするにはお金がかかり、井戸水を掘り当てるにもお金がかかり、浄水装置をつけるにもお金がかかり、病気になることはわかってきたけれども、それでも飲まざるを得ない人々がいます。

 

アフリカや中国やインドやその他、広大な土地の隅々まで、電気が通ることはまだまだ先の話で、そのために都市に仕事を求めて移動する人々は増えています。それは、勇気を持った最初の人々が告げたことによったり、物好きな人々(あるいは見かねた親切な人々)がその土地に足を踏み込んだためです。

 

その選択肢があることは、幸せなことです。が、日本に住んでいる私たちは、その選択肢が増える幸せというのを噛み締めておらず、却って不満に思ったり、責任転嫁のタネにしたり、混乱の元だとみなしているわけですよ。

 

ここのところは、大いに反省したほうがいいです。

 

何度か二元論の話をしましたが、たくさんの選択肢を絞っていくことができさえすれば、最終的には二択になります。そして最終的な二択は、たいてい「やるかやらないか」までに煮詰まっていきます。その絞り方について、どうして小学校・中学校・高校、大学まで行った人は大学で学んでこないのか?ということが疑問です。

 

たとえば、私は目下、自宅でのレッスン拡張に四苦八苦しているところなのですが、生徒さんとて同じことだろうと思うのです。英語学習は、中高を通じてやってきた。ところが使えるようになった実感などない。というところから、それぞれがニーズに合ったレベルでいろいろなことをして試行錯誤していると思うのです。一般的にNHKラジオ講座などをやったり、学習参考書などのコーナーに設けてあるテキストを独学したり、というののほか、英語学校に通おう!と決意する人までさまざまでしょう。

 

私の実感としては、まだまだ英語学習の方法をわかっていない方々が多いので、英語学校に大枚を支払うことになる。なので、私は英語勉強法に特化して、その入り口から改造計画ができるカリキュラムを作ることにしました。18年半もアメリカに住んでしまったので、英語が話せなかった当初の気持ちを忘れているところもあり、生徒さんとの親睦はかなり貴重なので、いつもやっています(笑)。そのみんなの戸惑いや苛立ちや不満を聴いた結果、やはり結果が出る勉強法とお金と時間の都合なんだな、と思えるようになっています。が、あまりに選択肢が多くて、どうしていいのかわかんない!というのが、正直な雄たけびなんだろうな、と。そして、お金と時間を使い、今に至っている人々が多いんだろうな、と。

 

どんなことを見るにしても、1.生物学的根拠を探す-水を飲まないで生きていけるヒトはいませんし、空気がきれいなことは必須です。2.社会を考える前に自分の主観を確かめ、その主観がどこから来ているのかを分析する。3.社会について考える-自分が置かれている環境。その際、自分に最も近い人間関係や場所から考えていくと、混乱が減っていきます。

 

私はひとつの会社に勤めることを極力避けてきましたが、それは正解でした。生物学的にヒトとしては、原始的なやつなので、どこかにしっかり属す農耕民族でもなく、定住型の人間でもなく、ふらふらあちこちを動き回る狩猟民族な血が多かったようで・・・。その上、主観にしてもそれを支えている言動がこれまでも多く、それに支配されてすらいるようなところがあり・・・。今、日本に戻って2年が経とうとしていますが、やっとまた再学習がほぼ終わろうとしているところ。人間関係の数は少なくてよく、大切なヒトをとことん大切にしていければいいや、と思っており、私の選択肢は自ずと狭まってきます。

 

とはいえ、昨日のマイク付ヘッドフォンについてはまだ解決しておらず(笑)。ここのところ忙しいので、しばらく延期(爆)。選択肢は多くて幸せなことなのです。あまりに多いときには、自分から取捨選択していく勇気を持って、シャカシャカこなしていきましょう♪

早く上達する人の共通点はありますか?

ヒトとしての「自分のやり方」「自分の生かし方」を知っている人のほうが上達が早いです。この世の中には、絶対的な価値や順位などはさほど多くもなく、物理的なことであっても、自分の納得度や満足度が超えることも多くあるわけです。

 

たとえば、寿命はDNAもありますが、その後、どのように生きていくか、どこに行きたいのか、誰と何をしたいのか、などなど、後天的なところも多く、物理的なものを凌駕する重きを置くヒトもかなりの割合でいます。たとえ先天的な理由でガンに罹った原因が高かったとしても、長く生き延びることよりは、どのように誰と残された時間を生きるか、により価値を置く人がいてもまったくいいわけです。

 

英語を早く上達する人は、そうした意味で、自分がどのように生きていきたいのか、自分が何をすれば伸びるのか、などを、よりよく深く知っている人です。

 

Precious One English Schoolでは、心理レッスンの中でかなり早期に「進化論」をReviewします。なぜならば、ここを知ってほしいからなのです。何兆、何京、何垓、何抒、何穣という桁の数の生命体が、生まれては消え、こののちも生まれて消えていく中、この時代に生きる私たちが、どのように自分らしく生命を全うするか?を考えていただきたいからです。ヒトが人になるプロセスを大切にしていただきたいのです。

 

英語を学ぶことなど、たった一角の話です。が、英語ができたらこの自分の生命はもっと充実したものになる、と信じるのか信じないのか、などからまず意識していただきたいのです。

 

そうすれば、この世に今自分が存在していることそのものを愛することができ、Moment to momentをこれまでよりずっと濃密にしていくこともできるような気がします。そうした意味で、英語の学習に心理レッスンを15入れています。それを軽んじて、他者よりもできる、有利である、等の価値に留まるだけでも、まぁ、いいです。残念ですが、年老いていく中、有限の時間に迫られた中、「もっとこうしておけばよかった」などと後悔しないように、今このMomentsを大切にしていけるように、意識を変えていただければ、英語はほんの入り口に過ぎないことがわかるかと思うのです。

 

進化論の大切な概念、拾っておくべき中心概念は、「常に最良・最善の選択を行っていけるかどうか?」です。いつも試されており、試行錯誤がずっと生きていく限り続いていきます。が、長い地球の寿命や宇宙全体にしてみれば、私たちひとりひとりの命は短くて脆いものです。それでも、自分らしく凛として生きていけるかどうか。その中に英語があれば幸いです。そのお手伝いをするためにPrecious One English Schoolは存在しております。

 

できるだけ早く、できるだけ先が見えるように、できるだけ安価で、できるだけ楽しく、をご提供できるように、日々、私たちも試行錯誤しております。

 

早く上達する生徒さんが増えていけば、きっと広告費をかけずとも、わかっていただける日が来ることでしょう(笑)。がんばりまーす!

 

自分をもっともっと深く知ること。

 

そうすれば上達は早いです!

デリカシーがない、というのはどういうこと?

和製英語になってしまったデリカシーは、けっこう曲がってしまっているところがあります。

 

デリカシー:感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。

delicacy: 

(和英)

優美、(容姿などの)優雅、上品さ、微妙(な美し)さ、きゃしゃ、虚弱、かよわさ、(機械などの)精密さ、精巧さ、精緻

(英英)

1 [countable] something good to eat that is expensive or rare

2 [uncountable] a careful and sensitive way of speaking or behaving

3 [uncountable] the quality of being easy to harm or damage

 

心配りのほうに集中してしまって和製英語になっているわけですね (・・;) 英語で頻繁に使われるのは、「珍味」という意味です。かよわさ、などは伝わっていないことになります。

 

さて、本題に移ると・・・。

 

心の動きに対して大雑把である、あるいは、その心の動きに配慮せず、言動に反映させられない、ということですよね。簡単に表現すると、「心に鈍感」ということでしょう。

 

日本文化では、昔むかしは、この自然に対する心のビンカン度の尺度の振幅は大きかったように思うのですが、欧米の合理化や論理性が入って浸透して以来、曲解して、「二極論」で簡単に処理していく場面が多くなってきてしまったように感じます。

 

明るい・暗い

正しい・間違っている

つきあう・つきあわない

得意・苦手

いい・悪い

のあいだには、とても細微なものさし尺があっていいと思うのですが、わかりやすくするために「二者択一方式」を多く採用してしまっている場面が多くなってきました。

 

憲法改正に賛成か反対か、もその結論に至るプロセスのほうがずっと大切ですが、そのプロセスには細かい尺度があって、たくさんの軸に支えられていなければ、デリカシーがない、ということになるんですが、そう思わない人はたくさんいるように思います。

 

英語スクールなので、比喩としては、英語ができる・できないが展開できるのですが、それをTOEICや英検、TOEFLなどで測るという便宜的なものを選ぶ人もいます。その軸だけで、英語ができる・できないは測れません。実際にTOEIC高得点を取っていても「話せない」という現状はよく聞く話です。

 

デリカシーがない、と誰かを責める人たちですら、この軸をたくさん持っていないかもしれず(笑)、結局「ある・なし」で決めつけてしまっているのかもしれませんぜ?? (・・;)

 

Delicacyという言葉は、脆弱で特別なものを内包した心の動きに、たくさんの軸で対応できる、というすんばらしい能力なのですね。他者の心の動きにビンカンなのは、ゆとりがなければできませぬ。心と時間のゆとり、ぜひとも持っているかどうか、常日頃チェックしてみてください!

選択肢が多いことに戸惑う その1

08/18/2008にアップした文章です。

私は選択肢が多いことに、さほど困らないやつだとひとりで結論づけていたのですが、日本に戻って来てからは、少し考えを改めています(笑)。昨日、電気屋さんに行ったのです。冷蔵庫のときには、母が主導権を持っていたので、特に比較対象などをするにも資料が先にあり、それほど迷わなかったのですが・・・。スカイプに使うためのマイク付ヘッドフォンが壊れたので、買おう!と思い立ち、売り場に行ってわからなかった・・・。アメリカに居た頃には、価格競争の仕組みが単純明快で、「安かろう悪かろう法則」というのが使えたのです。あるいは、老舗ブランドであれば、かなりの信頼度が置けるというのもあり・・・。ところが、マイク付ヘッドフォンというのは、それだけ、あるいは近辺機器のみを作っているブランドもあるんですねぇ・・・。何も老舗がいいわけじゃーないらしい・・・。そして、すごすご戻ってきました(爆)。



そもそも、このマイク月ヘッドセットはすでに3年以上使っており、スカイプ当初から使っていたもの。ひょっとするともう4年になるのかなぁ・・・。私は、アメリカ製のPlantronicsという会社のを使っていたのです。Santa Cruzという、私が住んでいたところから車で1時間ほどにある会社で、シリコンバレーからちと外れたところ(あるいは縁に乗っかっているという解釈もできる。なぜならば拡張はしているので・・・)、そもそもその町は、サーフィン関連のブツを作っていたり、UC Santa Cruzというのがあって海洋系の学問が進んでいるところなのです。で、40年以上の歴史があるその会社のヘッドフォンシステムは、NASAにも技術提供をしており、1962年に使われたのをきっかけに、1969年には月面で使われ、その技術の高さから、アメリカではFAA(Federal Aviation Administration)で採用するほどになったわけです。私がこの会社を知っていたのは、管制官全員がこのヘッドセットを使っていたためで、私がヘリで使っていたのは、David Clark社のものだったのですが、それはきっと機種別の特化したものだろうと考えたせいで・・・。そうなんですよ、管制塔に行って、人々が働いているのを見るのは、英語の勉強にもなったし、航空学の勉強にもなったし、本当によかったのです。こんなことから、このヘッドセットを憶えていたため、Fry’s(PC関連その他の大手チェーン店)で、このブランドに決めたのです。

 

ところが、私が見に行った電気屋さんにはなかった・・・。そこですでに途方に暮れたのでした(笑)。そして、戻って来てAmazonその他を見てみたところ、日本では高級品らしいことが判明(笑)。7000円もするんかい!私は20ドルで買ったっつーのに・・・。そしてワイヤレスにしてみようかと思ったところ、Plantronics社のやつは、15000円以上するわけね・・・(汗)。

 

うーん、ということでまだ買っておらず、ちょうど時間も無駄遣いして動画を見てしまうので、しばらく検討しようということに・・・。

 

前置きが長くなりましたが、このように私は文化のハザマと商業地帯のギャップにも喘ぎつつ、「選択肢が多いってどうなんだろうか?」ともう一度、ハタと思っているわけです。

 

たとえば女性の生き方。フツーに親御さんたちの言うことを聞いて、しっかりとスタンダードなお嬢様の道を歩む手もあり。財閥とまで言わずとも、深窓の令嬢風に、お茶やピアノやその他を習いつつ、女子校にてつつーっと修学し、最後には頭の程度でお茶の水や東京女子あたりか、そこで初めて東大あたりに行くという手。それでも、いわゆる政略結婚が匂うような「家に有利な結婚」へと進み、キャリアを持つか持たないか、そこで決めていく。

 

うん、これもひとつの生き方ではある。そこここでチョイスがあるものの、そこでどのようなチョイスになるのか、狭めて生きていく手はあり。

 

中流生産階級に生まれた場合には、都立(公立)か私立か、今の時代であればかなり選べるので、チョイスは増えているはず。キャリアにしても、勉強する分野にしても、それに海外が加わってきているのがトレンドなので、本当に選択肢は山ほどあるのです。女性でも理系の仕事をする人々が増えてきて、これは望ましい在り方なのですが、それゆえにひょっとすると行動範囲なども狭められているのか?選択肢の数は、増えたのだろうか、減ったのだろうか?と考え込んでもしまうのでした。

 

私のように超下流階級の出の場合、自力で懸命に働いたからこそ留学できたものの、そうでなければどうなっていたのか・・・。小学校2年のときに、社会科の教科書にあった「みかん工場の写真」がどうしてか頭に今でも焼きついており、今はまさかあんな手作業をしているわけもないというのに、なんだかあのラインに並ぶことだけは、どうしても避けたかった、というのが、私の将来への漠然とした夢でした。あれじゃなければいい、というわけでもなかったし、あれをDisrespectするわけじゃないです。ただ、生涯あれをするという目標はいかんな、と、小学校2年で思ったわけで・・・。でも昭和40年代当時は、アノ手の手作業はしていたんだろうなぁ・・・。今もハンドメイドが流行しているから、アノ手の手作業をしている人々はきっといるに違いなく・・・。

 

でも、りんごの種付けやら色調整や虫除けのための嚢被せや収穫は大好きだったんですよ。ただし、あれが延々と生涯続くのは、とても耐えられなかっただろうけれども・・・。

 

そこで、選択肢の多さに気づくのですが、私は今でも選択肢が多いことを前提にして、考えたり動いたりするようにしています。なので、迷ったときには納得するまで調べないと最終行動には出ない。人とつきあったりする場合も、段階的になり、若い頃のように知らない人に誘われてキラクに話すこともなくなってしまいました。お店のママさんや常連さんにチェックすることができる場合は別ですが・・・。

 

選択肢が多いことは、私にとっては感謝感激雨霰(漢字が並びすぎた・・・汗)なのですが、どうもこれに戸惑う人々も多いようだ、というのは、昨日のヘッドフォン事件で少しわかりました。が、調べればいいだけの話なので、調べる手間というのを苦だと思わない耐性を作るのがイチバンかと←結論だな・・・(笑)。

 

超下層階級の出の私としては、もう自分の行きつけると他人様が思ってくださったところ以上の場所に居るので、蒙昧な目標や身の丈に外れた野心はもうなく、ただただ生涯学生という夢だけを追いかけていけたらと思っているところなのです←相当な野心だろうと言われたら、そりゃぁそうなんだけどさ・・・(汗)。それもこれも、選択肢が多かったためで、自分に合致したものをその都度選んでこられたという思いがしているのですが、選択肢が多いと困る人々というのは、なぜなのだろうか?

 

そこのところを明日はもう少し考えてみようかと思っています。ええ、買い物の例ではなくて、もっと身近なところで何か例を考えて、今日ひとりで練ってみようと思います(笑)。簡単に結論づけるというのは、かなり失礼なので、買い物は調べればいいことがわかっただけでよかったですが、その他のことは難しいので、もう少ししっかり考えてみようと思います。

 

お盆休みの過ごし方

08/16/2008にアップした文章です。

小さい頃は、ナスときゅうりをおがらで脚をつける細工をして、盆の入りにはワクワクしながらお線香を焚いたものなのですが、我が家には、小さい位牌があるだけで、おがらを燃やして、「おいでおいで!」をできるような場所もありません。ベランダで火を使ったら、さすがに怒られるよなぁ・・・(汗)。ふとした疑問なのですが、屋上があるヒトはいいのかなぁ?花火は屋上でしていいわけなの?というか、子どもたちは、どこで花火をして遊んでいるのだろうか?近所の公園?川原?どこなのだろうか・・・・。ここは駅前なので見かけないのですよ。



私にはお盆休みがないので、何をどうして過ごしたらいいか?という画期的提案や夢や希望などはないのですが、たいていの人が実家に帰るのでしょう。終戦記念日を挟んで、日本は民族的な大移動をします。これがアメリカになると、Thanks Giving(感謝祭)とChristmasなんですが、子どもの頃、父が生きていた盆暮れどきには、その大移動戦線に加わって、車で大移動をした記憶が強烈です。田舎の子になって、野山を駆け回って育ち、終戦記念日は消え去ったような夏を過ごしていました。小学校1年から6年までは、ほぼ丸1ヶ月は長野にいましたから。その後もお盆は父の田舎で過ごし、16歳以降は、それがバイト三昧の稼ぎ時に変わるんですが(爆)。シフトがやたらと長くなり、人手不足なので、稼ぎ時なのです。東京に残っている人も多いので、それなりに需要はあり・・・。

 

私はすかいらーくで初めてのアルバイトをしたのですが、今度の新社長の記者会見の写真を見てびっくり!私が高校1年のときか2年のときに、いっしょにフロアで働いた谷さんだった・・・(汗)。えらくなったんだなぁ・・・・。ほぼ27年くらい前の話なのですが、彼はその時からかなり老けて見えたので、今もそれほど変わりがないことに、こんなに長い歳月が流れたことが嘘のように思えた瞬間でした。当時のすかいらーくは、キッチン3人、フロア3人の社員体制で、あとはすべてアルバイト。アルバイトの階級が3つほどあり、私は最もペーペーなところから始めたのです。ハイパーだった私は、決まった時間帯に同時に数卓の責任を持つという仕事が大好きで、楽しかったですねぇ。料理提供時間などをチェックしたり、前回来店のときに食べたものなどまで記憶しており、これでバイト代がもらえるのはすごいと思っていました。さらに、ヒトがたくさんいるということで、私の存在が掠(かす)れてしまうというのがよかった。

 

アメリカには当然お盆はなく、終戦記念日について、いろいろと考える時期でした。今年で、終戦63年。ということは、終戦時、母は7歳だったことになります。強烈に記憶していることは、疎開先が静岡だったので、安全についてはそれほど怯えてはいなかったものの、やはりひもじかったことらしいです。あれほど、海と山に恵まれた土地ですら、社会階級はあるものの、ひもじかったのか、と驚かされます。

 

今日なども、冷蔵庫にお餅があることを発見してしまい、いくら冷蔵庫を買ってうれしいからと言っても、こんな季節はずれのものを冷蔵庫に大事に入れておくことはないだろう・・・などと思ってしまうのです。さらに、彼女はタッパーの女王で、ものすごい数のタッパーを持っています。たぶん、100個はあると思う・・・。それにシールやその他でラベリングをしつつ、いろいろなものを小分けして壮観に入れておくのですが、それでも傷ませてしまうことがある・・・・。でも、大事にしておいてなかなか高いものをいっぺんに出さないのです。やっぱり戦中派だからなのかなぁと思ってしまうのですよ。いつもであれば、バカだなぁと笑えるのですが、あまりに自分のことを棚に挙げて、私のことだけを攻め続けることが続いたり、言い訳がましいことをくどくどと並べ立てたりしたあとは、粗い口調でいろいろなことを責めてしまうのです、私・・・。いい歳こいてとは思うんですが(爆)。が、怒っているわけではなく、ポイントを示すためにどうして合理性がないのか?ということを説明しているだけなんですが、彼女にとっては宇宙語にも近いようなことらしく・・・(汗)。

 

年老いたから向上しなくていい、というような気持ちは持って欲しくもなく、できる限りのトライをしてもらいたいという願いがあり、それは伝えようと思うんですね。せっかく生き延びたのだから。生き延びることができなかった人々がいたにも拘らず、彼女は生き延びることができたことは、やはり幸運のうちのひとつですし。

 

やはり昨日は、オリンピックだらけのTVの合間に見た、終戦記念日式典に関するニュースで、少しほろっと泣いていました。自分の小さい頃のことを思い出していたのでしょう。

 

私は今、コンビニで売っていたあやしげな本を読んでいます。『連合艦隊のすべて』双葉社というやつなんですが、昭和16年から終戦までにかけての海軍が闘った連合艦隊を使っての主要海戦が30ほど載っています。基本的に、連合艦隊は非常時に編成されるものだということすら知らなかったので、まぁ、500円はいい勉強代になっています。

 

他にも日本にいれば、戦争意義そのものについての番組や媒体を見ることがたくさんあったのだろうか?と、去年から考えているのですが、どうやらそうでもなく、今年は特にオリンピックにお茶を濁されていて、それどころの話でもないような・・・。むしろ、アメリカに居て、カジノで出会ったフィリピン人に責めとがめられたり、各国の人々に折に触れて質問されたり、世界平和そのものについて考えさせられたり、というようなチャンスが多かったことで、平和へのありがたみは感じてきたような気もします。が、比較できないのです。日本にその期間いなかったので。ネットができるようになってからは、いろいろな人がかなり好き勝手に、世界平和についていろいろなことを書いていたりするのを見ていました。私は世界平和に関して、誰かと論議しようとは思っておらず、日本が平和ボケならボケで、幸せだということだけは実感してもらいたいと思います。そんな中、右翼の書き込みが増えたような気もしていたり、戻って来て安倍内閣のときに国防に一気に偏りを見せようとしていた憲法第9条問題やら、『美しい日本』というテーマやら、ちょっとびっくりしたものでした。

 

政治的動きはどうでもいいですから(私は昨日の主義で言うところの、古典的自由主義を信じているところがあるので・・・>なので、独立宣言の文章が好きで、哲学的な経験主義は基本として信じており、だからこそ心理学も学んでこられたのです。この古典的自由主義がどうした経路で、日本に利己主義を運んでくることになってしまったのかとても遺憾です)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9 、ひとりひとりが、心の中と頭と身体全部で、平和に対するありがたみを噛み締めるためには、体験しなかったことについても、想像し、共感できる能力を身につけてほしいなと願っているところです。

 

ここ20年くらいお盆休みはないのですが、いつも戦争というのは心に留め置いており、世界のどこかで今も常に戦争が起きていることにも、無関心ではおられず・・・。この時期は特に、見てもいないのに、玉音放送を聴いた疲れきってしまった日本人の姿が、陽炎の向こうに木造建築や畑や焼け野原を背景に見えるようなのです。その幻想が見えてしまう中、レジャーやオリンピックに湧いている人々を見るのは、少しキツイ。なので、お休みがあったほうがいい時期なのかもしれないですねぇ・・・。

 

が、今日も朝10時から夜8時まで働きますよ!