高校時代の過ごし方

06/09/2008にアップした文章です。

 

ロイターのニュースを見ていたら、高校時代の過ごし方で職業の選択がわかる、すなわち人生の筋道がかなりわかるというのがあり、どのくらいの精度があるのか、調べたくなってしまった(笑)。アメリカは高校卒業までが義務教育なので、義務教育を終えなかったヒトには調査をしていないのだろうから、これもまずはどうかな?と思いつつも、悪くないんじゃないかと思いつつ読んでみた。

元記事はコレ>http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-32139920080606 

この調査をリポートしているこの新聞社のライターの残念なところは、統計学の読みとしては年齢やら対象者をどのように抽出したかなどをきちんと書いていないところで、なんだか不満が残りはする。そもそもガセネタ化してしまうじゃないかと・・・。

 

まぁ、お題を提供してくれただけでありがたいと思ったほうがいいのか?

 

高校生の生徒さんが増えています。中学生も増えているのですが、この若い世代が大人になったときに、今のうちに習慣づけておけば必ず使えるサバイバルスキルというのを、英語という媒体を使って教えていけたらなぁと思っているところなのです。

 

と、ここまでは日曜日に書いたのですが、今はもう月曜日の朝です・・・。クタクタだと言っては本当にクタクタ気分になってしまうのですが、驚くべきことにまた10時間半も眠ってしまった(笑)。英検1週間前だったので、レッスンが相当詰まっているのです。昨日もフルに産業カウンセラーを終わってからレッスンでした。

 

私はイレギュラーなやつだったのだろうと、今までは勘違いしていたのですが、ほとんどのヒトがきっと私と同じで、義務教育から高校くらいのときにしっかり勉強をしてこなかったのだろうと思うのです。いや、した人は大勢いるのだろうけれども、「中学・高校時代にもっと勉強すればよかった」と後悔気味な想いを抱いている人は多いと思うのです。大きな後悔なのか小さな後悔なのかはまた別に考えるとしても、です。

 

ところが、私はまったくのところ、それについて後悔はしていないのでした。なぜ、後悔するかしないかの分かれ目のバロメータはひとつでしょう。「(大人になってからのある時点から)今も続けて勉強していてそれを確実に身につけてきているかどうか」なのですね。

 

ある意味、この高校時代の過ごし方により、職業を選択した人というのは賢い。39%ですから約4割。サバイバルするためのスキルは10代で身につける意識を持っていたと言えます。が、そのあとですよ、問題は。その職種が、就業してからもさらなるスキルを身につけていこうとするものであれば、大人になっても「学習」の態度は続いていきます。医療関係やITなどはこれからも未開拓の分野がどんどん現場で要求されていきますから、半強制的に学習をし続けていく態度を持たなければ、サバイバルしづらくなっていくのですが、現場での実感が薄い業種や職種を、その4割で身につけても、実際のところは「あとは性格やそれまで培った世界観やリソース次第」ということになってしまいます。そのリソースの中には、親や代々持っている財産なども含まれるし、コネなども含まれます。

 

学習態度を維持し続けていく人間は、その途中で邂逅した人々を大切にしたり切ったりして、サバイバルに役立つサークルを増やし続けていくのでしょうし、世界観もしっかり固めて行きます。

 

高校時代までの学びというのが、どれくらいのものなのか?あるいは、譲歩して、大学までの学びというのがどれくらいのものなのか?という国家の教育や国の文化が、なんとなく間違っているだろ・・・と思うのは私だけなのだろうか?

 

社会人大学が始まってから、はや20年。そしてこの数年で生涯教育もようやく始まったのですが、もっとこのシフトを強く使っていかねば、国力も低下するし、人々は倖せになれないでしょうねぇ・・・。方向性は間違っていないのに、どうしてこんなに時間がかかるのか、まったくわからない。アメリカでは義務教育が高校までで、それに達しなかった社会人は、Adult Schoolという市にいくつか分校を設置している学校に無料で、高校卒業までの履修ができます。そこには仕事を引退した60歳以上の人々もたくさん出席していますし、高校を終えられなかった若い人たちもたくさんいます。そのせっかく建てた施設を有効利用するために、市民にいろいろなクラスを提供しており、バスケットやダンスなどのフィジカルなものを体育館利用。水泳はプール使用。テニスはテニスコート使用。音楽室ではボイスレッスンやコーラス。コンピューター室では1日講座でWindowsマスターなど。いろいろ利用しており、市民の中でも「コレが足りないスキルかも・・・」と思う人は格安な値段で授業を受けることができるようになっています。

 

私も、Adult Schoolには相当お世話になり、社交ダンスのブラッシュアップをさせてもらったり、発音矯正のクラスやWindowsのソフトマスターもしたし、アクアサイズも行きましたねぇ。

 

日本の電車の中で、あれほど「資格取得」の本を読んでいる人が増えたのだから、そのニーズに国が応えるのは、急務になっていると思われるんですが・・・。ちなみにカリフォルニアのアダルトスクール設置は、1856年ですぜ(笑)。

 

私がアメリカに行ってよかったことで挙げるのは、1.スキンシップが大人になっても許される。2.自由な考えを表現できる。というのがありましたが、この「大人になっても勉強できる」というのは、ベスト3に入れておかねばならぬでしょう・・・。

 

私費でコツコツ勉強をする人が増えているのはとてもいいことですが、その私費を捻出できない人々が、できる人との格差がどんどんつくこともスコープに入れるのが政治家の眼力のはずです。貧乏人がお金持ちに対抗できるとすれば、あとは頭なわけですよ。机に噛り付くの勉強だけではなく、美術的なものや音楽的なものであったとしても、その機会は多いほうがいいですし、子どもたちも勉強する大人を見れば、義務教育の最中と高校や大学就業中に、もっと真摯に勉強してくれるに違いないと思えるわけなのです。甘いですかね?(笑)

 

「教師に気に入られていた」「生徒会の役員だった」などという項目もあるのですが、これは私には無縁なことであり(笑)、かなりどうでもいいというか、不幸な人々とも思える項目です。権威に迎合しないのが若者の特権であり、縛られた側に縛られた揚句、縛る役割を求めることを10代のうちに身につけるのか、かなり不幸だと捉えてしまう、私の精神構造に問題があるのか?(苦笑)とはいえ、西さんも生徒会長をやったんですけどね・・・(汗)。だから全面否定しているわけじゃないんですよ。要はその後、大人になってからも学習を続ける態度を持ち続けるということなわけです。

 

高校時代にもまったく勉強をしなくても、私のように大人になっても勉強を続ければ、これくらいにはなれるわけです(これくらいってどれくらいなのか、一言では言えないんですけども・・・)。が、時間を先取りして、「中学高校から勉強しておけばよかった」というのは、あながち間違いでもないので、高校や大学に入ったり、就業したときで勉強を終わらせないのであれば、やっぱり勉強しても役立つことはたくさんあります。人間、生涯勉強は続くのだ!と、みんなが子どもたちに教えてあげることができ、それを見せてあげることができるのが、いい社会なんでしょうねぇ・・・・。

知らない分野を開拓

06/07/2008にアップした文章です。

 

目下、たいへんに力を入れ始めているのが、プライベートレッスンでの学術論文の読み方です。教材に使っているのが、遺伝子工学の論文で、私に生物の基礎はあるにせよ、かなり奥深い内容にはなっているので、生徒さんの説明が必要になります。彼が私に教えて解説するのも、私が合わせて質問するのも、某大学院生の彼にとっての学びになっているので、あっという間に40分が過ぎています。読みこなすことによって、彼のThesisの礎になっていくので、歓んで引き受けたのですが、実際は私のほうがきっと学びが大きいのだろうと思い始めているところ・・・。本来、彼の場合はTOEICを就職用に730点以上にすればいい、という希望で来たのですが、分野が分野なので、せめてTOEICで800点以上にしてあげて、論文を自由自在に短時間で読む術というのを身につけてもらえれば、と考えているところです。11月には学界で発表をすることになっているので、かなりの数をこなすことになるのか?

 

昨日も考えていたのですが、知らない分野に「興味」さえあれば、なんとかなっていくものなのでしょうね。あるひとつの分野を平均以上に究めてしまえば、その後、そのノウハウというのはどこの分野を学ぶにしても使えるので、特に「うひー、難しい!」もなければ、「うげぇ、イヤだよぉ」もないんですねぇ・・・。腸内環境についての論文で、遺伝子での代替ができればまだまだわかっていない状況を打開して、服用できるピルや食品でどんどんヒトの健康は充実していくようです。

 

私は腸内環境がかなりいい状態なので、困ることはないのですが・・・(汗)。ヨーグルトやドリンクなどを飲まずとも、女性にありがちな便秘に悩んだことは皆無です。母が最近、善玉細菌が減り、悪玉が増えたと言われたそうで、調べれば相当詳しくわかるようになっているようで、その善玉を増やすために酵母中心の何か(一言で説明つかないんだよなぁ・・・)を飲んでいます。70歳の母でも、飲み始めてたった3日で効果らしきものが見えたので、きっとこのような分野というのは、これからめざましいスピードで開拓されていくのだろうなぁ・・・。

 

私はシリコンバレーに住んでいたにも拘らず、一般的なノウハウしかIT分野については知らないことを、今、少しだけ「まずった!」と思っています(笑)。SEのみなさまは、本当に1年のうちに半分だけ働いて、半分は遊ぶということが可能な時代になっており、それくらいはやっておけばよかったのかもしれない・・・と思ったりもするのです。そうすれば、翻訳要の仕事がひとりでこなせることになり、私も年間で半分だけ働けば、充分に遊んで(いや、私の場合は学校に行きたいんですが・・・)暮らすことも可能だったんでしょうね・・・。西さんとて、私より少しだけ詳しいだけで、コンピューター言語に精通しているわけではないので、サイトの立ち上げ作業のときにはプロを雇わなければならず・・・。この手の仕事が増えるというのは、実は私はすでに20年前に知っていたのです。ええ、リクルートのみなさまと話していたときに聞いていたのだった・・・。ところが、私はパイロットだけでいいや、と思った偏狭なバカだった・・・。

 

さらに、私は最近、土曜日のクラスの生徒さんで、30代の女性と知り合ったのですが、彼女とは友だちとしてもかなり馬が合うと思える・・・。その彼女がやっているのがJazz Danceと写真で、Jazz Danceのほうはどうかと思うのですが、写真については行けそうな気がしないでもない・・・。なぜならば、西さんも写真がシュミで、山に行ってはせっせと写真を撮り続けているわけです。自分の撮った写真で一時期はカレンダーを作ったほどで、「自己満足の世界だよ」とアマチュアの域を超えないことは自認しているものの、心が打たれた瞬間の絵柄を保存しておけるというのは、かなりいいことなのではないか?と、知らない分野についても傍観者でしかいない自分について、少し疑問を持っているところ。

 

いやぁ・・・、でも貧乏暇なしの労働者であることが私のポリシーではあり、いまさらシュミを持つというのも、どうも納得は行かないのだった・・・←かなり依怙地(爆)。

 

その彼女は、アマチュア同士で集まり、合同個展を開くほどの腕前らしく、英語で添削している内容でそれが窺い知れるのです。私もプロのカメラマンの写真展は何度も行って心打たれることが多いので、傍観者としてであれば、きっと知らない分野をもう少し深めることはできるかも・・・とワクワクした気持ちが呼び起こされたところなのですよ。

 

以上は、すでにいくばくかは「興味」を持っている分野なので割りと簡単に首を突っ込めるのでしょうが、まったく知らない分野に関して、私は寛大なのだろうか?と思い起こしてみる・・・。

 

思い起こすと「すげぇ!」と思ったことに関して、楽観的な私でも、「いや、私には無理すぎる・・・」と腰が引けたことが多いのです。TVチャンピオンに出てくるような項目はほぼすべてダメでげしょう(笑)。大食いなんてとてもじゃないがダメだし(至って平均的だよね・・・)、何かを追求して有識者になるのも無理。クラフト・モノ作りというのも手先が不器用で気の短い私には無理で、できる範疇は、感覚的なものなのかなぁと・・・。

 

車のドアを閉めた音で、車種を判別するというのを見たことがあるんですが、アレだったらできそうだなと思ったことを思い出しました(笑)。私は耳がいいというのはどのくらいのレベルなのか、極めてみてもいいのかもしれない。ただし、やっぱりこれはある程度の「興味」があるからなんだろうなぁ・・・。

 

やっぱりヒトというのは偏狭なのかもしれない・・・。

 

自分ではとてもとても寛大なフリをしているのだけれども、やっぱりDalai Lamaのようにあれほどの有識でも、たくさんの体験があっても、他人の考えがたとえ論理的に間違っていても、何も言わないですべてを受け容れるというような寛大さは、とてもじゃないが持てない・・・。

 

今も日々闘いなわけです。生徒さんが自分の勉強法を披露してくれる際、どのように論理的にも心理的にも圧迫をかけずに、理解して受け容れてもらえるか?という闘いは続くのです。自分がこれほどに偏狭なのに、他人の偏狭について悶絶している場合じゃーないのだね・・・。すべては学びのステップなのだ。

 

月曜日にはコピー機のリースをしようと思っています。それについてもまったくシステムがわかっていないので、まずは今日英語学校で聞いてみて、ネットでいろいろ調べてみようと思います。期間をどのくらいに設定すれば最もお得で、修理やその他の特典がついてくるのか、などなど、知らない分野を学ぶ機会というのは、いくらでも転がっているに違いないのである。が、いつの間にかそれをパスしていて、立ち止まって気づいていないことがままあります。いかんなぁ・・・。まぁ、身体が1個しかないので、すべてに立ち止まることはできないのですが、なるべく、知らない分野についてもWell-rounded personになるためは、もうちょい心がけてがんばってみようと思います。

至福感

06/06/2008にアップした文章です。

 

アメリカでは、Obama氏の民主党の大統領候補選出が決まってしまい、Kennedy家が出てきたところで、夢は夢として取っておいてよかったな・・・と、自分の心のためにも予測をしておいて、期待感を上げないでよかったと、しみじみと感じているところです。そしてここで、Obama氏が大統領になるかどうか?という予測をしておいたほうがいいのでしょう。が、まだ資料が足りないので、あと1ヶ月以内で何とか予測しましょう。今は、「アメリカの保守派はそれほど甘くないよ」と思っているのですが、どのくらいの不満感へのボルテージがあるのか、ここのところ英語での新聞をよく読んでいないので、即断はしないことにします。そのObama氏を全面的にバックアップしていたOprah Winfreyは、Euphoricだ、と言ったのだそうです。「倖せの陶酔感に包まれている」という表現ですね。政治に関して、「陶酔感・至福感」を得られるというのは、すごいことだなぁと・・・。

 

私が帰国してきてはや1年8ヶ月ほどになろうとしていますが、私は日本の政治の「捨てたもんじゃない」というところのポイントが上がっていません。むしろ、どんどん下がってきており、以前書いた通り、小泉内閣が終わり、安倍内閣のときに戻ってきたというのが、タイミングとして非常に悪かったのかもしれません。それにしたって、政治の在り方やあの態度に、陶酔や至福がもらえるなどという甘い見方は、日本に生まれて育った途中から、一切考えておらず・・・。たぶん、父が私に強制的にNHKを見せたり、時事放談を見せたりしていたときからずっとなので、7歳くらいから?(笑)みんなはどうなんだろうと見まわしてみても、内閣支持率も下がっているし、物価が上昇して不満だらけだし、後期高齢者年金問題もあるし、やっぱりどこを見ても、至福感などを得られているわけはないと思うわけなのよ。あの『チャンス』というドラマの視聴率が、第1週目はダメだったけれども、2週目からは『ごくせん』を抜いたと、見出しだけで見たのですが、それはキムタクなるヒトが演じる首相像に何か夢を抱いているということなのかしら?私は、あのような夢物語はハリウッド映画のいい作りのものしか信じないのですが、もちろん、ドラマを見ない体質になっているので、アレばかりではなく、どんなドラマも見ていませんからねぇ・・・。

 

陶酔:(1)気持ちよく酔うこと。(2)うっとりとして、その境地にひたること。

至福:この上ない幸福。

 

とはいえ、ヒトの人生などというのは、他の生命体と大差もなく、サバイバルに勝ち続けた者が生き残ります。それだけでは味気がないので、大脳皮質をたくさんもてるようになった恩恵やヨロコビを表現し、さらにその大脳皮質をたくさん使っていくために、論理性や感情の豊かさなどをもっと!もっと!と追い求めているわけです。

 

なので、1日数回至福を得られる手段としては、

1. 睡眠

2. 食事

3. ラッキーなヒトはセックス

4. 脳内ケミカルの分泌を促すハイになれる運動

5. 疲れが癒されたと感じられる程度のほぐし

などが、かなりインスタントなもので、これらを確実に得られているかどうか?と考えてみるのはいいのかもしれません。私個人の場合は、睡眠での至福は必ず毎日得ていますが、あとのものはかなりなおざりですね・・・。生き延びる気力が充実している個人としては、たいへんにオソマツです。

 

母の料理はおいしいのですが、至福とまでは言いがたく、かと言って、いつもいつも至福状態を得るような食生活をしていたら、それはそれで問題だと思えるので、倖せに至る手前くらいでいいような気がするわけです(笑)。

 

脳内ケミカルの分泌を促すためのハイになれる運動は、週に3回くらいはしていますが、毎日でもないし、至福かどうか?と問われると、まだまだ苦痛ですねぇ(苦笑)。もう少し経つと、至福になり、その後、メカニカルなことになるんでしょうか?

 

足湯だけでもいいので、お風呂は入ろうと思っているのですが、やはり週に1回できたらいいほうです。シャワーに断然頼っています。これはいけないと思いつつ、ゆとりがない夜の戻り時間に腹ペコになったおなかを満たしたのち、たたただ眠りたいだけで、よくないなぁとは思うのですが・・・。

 

というわけで、私には至福を感じるチャンスというのは、それなりにはあるんですねぇ・・・。ただ、ヒトというのは身勝手でもあるし、学習をする存在なので、至福が緩やかになり、慣れてしまうので、もっと先を望むようになると思われます。それを望まないようにする至福というのもあるような気がするのですが、どうなんでしょう?←話をわざわざ複雑にしているような気がするのだが(爆)。

 

私がこれまでで倖せだった瞬間を挙げてみろ、と言われたときの1番は、やはり初めてソロフライトをしたときの充足感ですね。In Controlをしっかり実現している瞬間の連続。雲やカリフォルニアの青い空や音や匂いや無線で話した内容など、全部憶えています。その後も、X-Countryというソロフライトの長い旅程版をやったりしたときも、相当の高揚がありました。

 

2番目は、身体に起きた不思議の中で、耳がすっぽ抜けたことですね。特に何をしたわけでもないのに、ある朝、突然英語がすべて単語ごとに千切れて聴こえるようになったこと。あれは、言葉にしろと言われてもなかなか正確に表現することはできかねます。やってみないとわからないような余地がたくさん残ってしまうのでしょう。

 

日々至福を感じているのは、私がひとりでマインド内で行っている習慣が、かなりユニークな側面を見せるとき(笑)。子どもの頃の断片的な癖の延長だったり(44歳にもなって、レンガ張りになっているフロアのコレは踏まない、などと決めながら歩いていたり、数を英語やスペイン語などで数えながら歩いていたり・・・)、教えながらもFree Associationで考え付いたものをすぐに学習方法として紹介したり、時々浴室の電気をつけず、真っ暗なままシャワーを浴びたりとかね(これは、祖父が全盲だったので全盲ごっこをやり始めたときの名残なのですが、これは自分の視覚を制限し、感受性を下げて他の感覚に分け与えてやるのにとても役立ちました。東京で生き延びていくのにはとても必要です、この練習)。この最後の結果が得られたのは、このようなユニークなことを考える心のゆとりがあるからで、これが私の陶酔感に繋がるというもの。

 

とりあえず、睡眠とコレだけで、陶酔感・至福感は必要分くらいは得られているようです。政治向きなことで得るというのは無理だろうなぁ・・・。期待もしていないのでいいのだけれども・・・(汗)。

見る側の勝手

06/06/2008にアップした文章です。

 

私にはミーハーに素直に走れる気持ちが、たいへんに希薄なようです。西さんほどではないにしろ(彼は、日本滞在時間があったとしても、優先順位がしっかり決まりきっているので、自分から距離の遠いものには、知識ですら入れておこうという態度がないのです。狭量なのか?と最初は思っていたのですが、実際は、キャパと心の方向性の問題です)、私はいろいろなモノを見るようにしていても、ミーハーに走れない(笑)。が、今日は、久々にHarrison Fordを見て、「うひぃ、やっぱりかっこいい♪」と思ったのであった・・・。日本の映画館には、あえて行かないようにしていたのだけれども、Indy Jonesなら見に行ってもいいかなと思ったのだ。Harry PotterやBruce Willisに勝つのは、フツーに見える中年男なのであった(笑)。

 

http://www.indyjones.jp/ 

 

これほどまでに映画を本数だけは見ている私ではありますが(おそらく累計すると8000本くらいは見ているような。もしかすると10000くらい行っているかもしれないとも思う・・・。でも日本に渡っていないB級が半分くらいを占めているので、まぁ、なんとも言えない微妙さではある・・・)、日本で育ったときには、映画はおそらく合計で20本くらいしか見ていなかったのではないか?と思うのです。金曜ロードショーやら日曜洋画劇場もあったのですが、私は16歳からずっとアルバイトをしており、家にいなかった・・・。TVというのは、出かける支度をしているときのBGM代わりで、それによりニュースや天気を知り、その日1日や翌日の動きに便宜を醸しだすためのツールであったのです。もちろん、もっと子どもの頃はアニメなども見たはずなのですが、きっぱり就労をし始めてからは途切れています。

 

おしゃれが流行している中、サーファーやハマトラなどの世代なんですが、みんなに追いつけなかった私は、休日は必ずバイトをしており、平日も午後5時か6時からバイトに入っており、夏休みも冬休みも春休みも毎日働いており、おいしい地方のバイトとカップリングをして旅行をする、というのが、16歳から24歳までの私の生活でした。8年か・・・。

 

そんなに働いて、お金を何に使っていたのか?というと、学費に車やバイクのローンに、その保険代でほぼ消えましたね。生活費も入れていましたし・・・。そのあとアメリカに留学するための費用に貯金を充てたので、やっぱり使うことは、食べる・最低限を着る・本&学費・交通費(当時はガソリンやバイクや車のローンとその保険代)にしか使われることはなく、今とさして変わりのないお金の使い方なのです(笑)。生活は確かに上がったのだけれども、しみったれたところはなんら変わっていないと思われ・・・←けっこう虚しいことなのだろうか?私はあまりそうは思っておらず、きっと大金持ちになってもすごい家具やらすごい調度品などは、まったく欲しくもないと思うのだ。実際に、家を買ったときにも使い勝手が優先順位だったしね・・・。

 

あ、その映画20本の中に、Harrison Fordは、Star Warsでしか登場しないのです。Star Warsは、留学前に見ておいたほうがいいと誰かに言われたのでした。なぜならば、私が行く町が、George LucasがAmerican Graffitiを撮った町だったからです。行ってみてびっくりしたのは、その町からフリーウェイで北に向った町のExitの名前にLucas Ranchというのがあって、そこら一体が彼の牧場になっており、もちろんその中に彼のスクールやら、SFXの装置やら、いろいろなものが詰まっていると知ったこと。そのせいだったのか、英語学校では、毎月映画が$1で見られる特典があり、事務所でバイトをするようになってからは、毎週のようにお休みには映画に$1で行っていたのです。1988年の映画は山ほど言える(笑)。

 

Big, Married to the Mob, Rain Man, Who Framed Roger Rabbit, Twins, Crocodile Dandee, Die Hard, Cocktail, Working Girl, A Fish Called Wanda, Bull Durham, Coming to America, Tequila Sunrise, Midnight Run などなど。全部劇場で見たんだけれども、$1だからできたんだろうなぁ・・・。とはいえ、正規料金も当時は、5時前に劇場に入れば$3だったんですけどもね(笑)。

 

私は、子どもの頃も好きな芸能人というのがあまりおらず、「いいね」「いいんじゃない」「いいかもね」程度の熱しかなくて、みんなが御三家に騒いでいたときも(当時の御三家は、郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹)、Bay City Rollersに騒いでいたときも、フィンガー5に騒いでいたときも、ピンクレディーに騒いでいたときも、まったくトキメキを感じなかったのでした・・・。幾度も聞かされるので、歌は知ってましたし、気づくと今でも歌詞まで憶えていて歌えるんですけどね・・・(汗)。

 

私の見る側の勝手は、簡単に言うと、「うんと年上の男の人が好き!」ということです。Harrison Ford然り・・・。日本に居たときに好きだったのは、いや、今もものすごく好きなんですけども、津川雅彦や山崎努や高倉健なんですよ(笑)。でも、田村正和はダメなんですね・・・。この違いはわかるのだろうか?(笑)私は、幼い頃から、ずっとメンタリティが変わっておらず、自分よりも10歳以上年上の異性が全般的に好きなのです。見るのであれば、渋くて寡黙で、語ると理路整然としているような、それでいてどこかオマヌケなところを垣間見せるような役を演じているヒトが好きだったのですよね・・・。

 

その好みが変わらない今、若い世代の人々をやっぱり子どもの頃と同じに、「いいね」「いいんじゃない」「いいかもね」程度にしか見ておらず・・・。うーん、でも、松田優作のところの次男は好きかな(笑)。

 

ハリウッド映画界は、渋い男の宝庫だった!というのが、私が映画に嵌まった身勝手な理由です(笑)。Jack Nicholsonがモテる理由がわからないのは、小娘だからなのか、それとも非情に正しいのか?(笑)

 

Michael Cain, Robert DeNiro, Paul Newman, Gene Hackman, Al Pacino, Mogan Freeman, Clint Eastwood, Sean Connery, Anthony Hopkins, Christopher Walken, Peter O’tool, Robert Duvall, 

 

ここまで歳を取っていなくとも、好きなのは、Kevin Kline, Bill Murray, Denzel Washington, Ed Harris, Jackie Chan, Tommy Lee Jones, Warren Beaty, Robin Williams, Richard Gere, Liam Neeson, Bruce Willis, Jean Reno, Jeremy Irons, Andy Gariciaなどなど。

 

同世代で好きなのは、Viggo Mortensen, George Clooney, Clive Owenですね、目下。私は、Brad PittもKeanu ReevesもJonny Deppもさほどは好きじゃないですね・・・。もうちょっと練れてほしいと思うのだ(爆)。西さんもこの部類に入る人で、きっといい老齢を迎えるだろうと予測した上で選んでいるようなところがある(笑)。無意識なのだろうか?←まだ謎(笑)。

 

いやー、本当に身勝手な私にはかなりいいのだ。日本でも、40歳過ぎてから売れるようになる俳優が、ポチポチ出てきていますが、もっと増えるといいのになぁ。

 

が、女である私は、このような不思議なシュミを持っている男性は圧倒的に少ないので、個人的には喘いでいくわけです。今後、さらに喘ぎの加速度は増していきます。いやー、Harrison Fordを見に行こうかなぁ・・・。とはいえ、この週末は、びっしり働いたあと自宅レッスンがあり、産業カウンセラーあとにも自宅レッスンがあり、月曜日もびっしりだ・・・。水曜日のレディースディというのを見てみるのもいいかもしれない♪

 

変わったらいいのに、と思う法律はありますか?

たくさんありますよ(笑)。まずは義務教育です。今の時代ですから高校卒業までにして、大学だけではなく、ドイツなどで実施している専門技術をつけるためのマイスター制度などに取り組んでみるといいと思うのです。そのためには、奨学金とStudent Loanの差をはっきりとつけるべきですね。さらにその制度を生かすためにも、飛び級は必要だと思います。大学に入ることが最も難しく、出ることが簡単だという制度はやめたほうがいい。しかも、学部に関連性が低い就職は、意味がないと思いますね。社会全体で生涯学習を広げていくためにも、大学在籍と通学年度の規制を少し緩めてみるといいかと思うのです。休学のための書類手続きが多少面倒でしょうが、A.I.も発達するので、ちょうどいいです。

 

運転免許に関してもけっこうありますねぇ。年齢について、という切り方ではなく、年齢が来たら義務にする運動能力と認知能力のテストをしっかり実施するといいです。他にもAutomaticしか乗れない免許、意味ありますか?(笑)仕組みを知らず、それを体現できない人が人命を奪うかもしれない凶器に乗ることがOKだっていうのが不思議です。バイクに関しても、注文はいろいろありますし、自転車の乗り方規制、もう少し洗練してほしいです。無灯火や傘差し運転の他にも、道路をはっきりしてもらえたらもっとうれしいですし、免許制度にしたら面倒でしょうけれども、高齢者や子どもを轢いたときの法律、細やかになってほしいです。

 

消費税も不思議です。食べ物に消費税かけなくていいんじゃないかと思うのです。生活にどうしても必要なものとそうではないものの税率は分けたほうがいい。住宅に関しても、水準以上の贅沢をしていたら税率が高くていいけれども、水準以下の場合の税率は減らしていいでしょうよ、と思います。

 

そうした意味でいうと、厚生年金と社会保険・国民年金と国民保険についての見直しもしてほしいですし、さまざまな税金についての授業は取り入れるべきで、小学校の頃から経済について、生活に密接した教え方をしてもらいたいですよねぇ (・・;)

 

まだあるのですけど、字数の関係で行けるところまで(笑)。

 

健康管理に関しても、終身雇用制度が崩れてきているわけですから、国の準備した保険や年金だけで足りると思わせて教育をするのもおかしいので、別個でしっかり保険に入るという考え方は教育してほしいですね。主治医制度が進むようにして、病院の待ち時間も減らしてほしいです。薬に関しての注意事項も全般的に教育が足りない気がします。副作用がない薬など存在しないのに、かなり自由きままに薬を用いているのではないかと心配です。

 

ライセンス制度をさまざまな分野で採用してほしいです。特に医師と教師。ある程度の進化や進歩に対応できていないプロは、生命や教育に関わらないでいただきたい。これは大問題だと考えています。医師や教師を選べるような贅沢ができない人たちも安心できる世のなかにならないと困ります。

 

さらにペット問題。これだけ捨て犬・捨て猫などが多いのだから、もう人に対する「ペット所有許可」としてのライセンス制度にしたほうがいいでしょう。犬の躾教室などだけではなく、人がペットと暮らしていくために必要な知識や覚悟がない限り、もう飼えないとしたほうがいいです。死ぬまでいっしょに、ができない人が多すぎますし、高齢者で置き去りにされてしまうケースも多くなってきており、その際には「管財人」を立てなければ飼えないとするべきだと思います。たくさんの人たちがボランティアレベルで奔走していますが、とても追いつかないのではないでしょうか?

 

と、山ほど書いてきてしまいました(笑)。まだまだあるんだけど (・・;) 不満だらけみたいだけど、もっと生活しやすい社会の実現は、いつも考えていたほうがいいと思います!

勉強に挫折したときの立ちあがり方って?

勉強をするから挫折すると思うんですよ。私は勉強したという自覚がまったくないのです。子どもの頃から再び大学に戻った一時期まで。UC Berkeleyに入ったあとは、少し勉強をせねば、と構えてしまったのですが、スランプを抜けたあと、もう勉強をするのは止めてしまえ!と思うようになってからこっち、ひどくラクになりました。

 

勉強というのは、他者や社会から査定・評価されるためにあります。あるいは、他者を査定・評価しやすいので存在します。知識をたくさん詰めこみ、暗記する感じのアレです(笑)。そしてテストなどで査定・評価されてしまうわけです。

 

が、Learning:学習、学ぶと思うと気がラクになると思うのです。昨日の夜寝たときの自分よりも賢くなっていればいい、といつから思うようになったのか・・・。たぶんかなり早い時期だったと思うのですが、それを続けることにしたのです。UC Berkeleyはやはり賢い人たちがたくさん集まっており、ノーベル賞受賞者も排出している生き馬の目を抜くようなところなので、少しストレスになってしまったこともあるのかもしれません。が、勉強するのは止めました。とにかく「へぇぇぇぇ!」「そうだったのかぁぁ!」「ふむふむ、そういうことね」を続けていくことにしたのです。

 

それは、野菜炒めを手早く作ったり、掃除を短時間でピカピカに終わらせたり、本を読み終わったり、旅行のプランを立てることとさほど変わりはない、と思うことから始めたから成立したと思うのです。

 

あー、ダメだ!わからない!と思わないようになったのは、インターネットもあり、質問をしてもいいことがわかり、検索をしてたどり着いたり、訊いたらしっかり答えてくれる人を確保したおかげもあります。必ずわかる、必ず答え合わせができる、と思えるようになったので、挫折したという記憶は、UC Berkeleyに入った第一学期のみでした。

 

今でも、私にとっては、新しいPositive Psychologyについて理解することと、安くてオトクで劇落ちする洗剤を探すことに大差はありません。とにかく答えにたどり着き、私の生活がもっとうまく廻ること以外に目的はないのです。脳が歓んでくれる栄養をあげることは、マッサージを受けることや、眠ることと同じくらい、とっても自然なことなので、勉強だけに挫折することはもうこの先もないのかなーと思います。

 

むしろ、関係者が多くなって複雑化する人間関係の答え合わせや最良・最善の選択のほうが難しくないですか??と感じています。ヒトはそれぞれ自分の価値観が違い、世界観が違い、それぞれを尊重しながら共存共栄していくことのほうが、自然の摂理に沿った勉強の内容よりはもっとバラエティがあって、本当にたいへんだと思うのです、つくづく。

 

ゆえに、Summer Boot Campのあとにいっしょにごはんを食べに行って、かけがえのない気持ちいい時間を過ごせたりすると、うれしくてたまらなくなります。

 

勉強をそもそもしないほうがいい、というススメになってしまいました(笑)。

 

突然の休日

06/05/2008にアップした文章です。

 

本日、突発的に完全休日になりました。西さんが中国に戻ってしまった翌日とは皮肉なものです。本格的に家でのレッスンをできるために(私がなのに・・・汗)、母と西さんが部屋の模様替えまでしてもらった翌日、気が抜けた私は、禁酒を守り、TVを点けっぱなしで眠らなくていいレイアウトのため、本を読みながら眠りに就いたのです。西さんが居た5泊6日、疲れたのかなぁ・・・。起きたら11時だった(笑)。暴れん坊将軍も物語が進んでしまっており、なんと、10時間半も眠ってしまったわけだ・・・。ただ不思議なのは、私の身体はたいへん便利になっており、ちゃんと90分刻みで起きるようにはなっているらしい・・・。うーん、絶妙ではある・・・。今日も夢を3本は憶えていてハイパーすぎないことを確認>だって、5本見ているはずだからね・・・。



東京は曇り空で、今日はせっかくの完全休日なのに、しかも半日はつぶれてしまったわけで、どうやって過ごせばいいのか、まったくわからないで手持ち無沙汰・・・。起きて、PCを点けて、コーヒーを淹れて、ネコのごはんをチェックしたあとトイレへ。どうしてか、起き抜けからちゃんと習慣通りに動けてしまう自分を確認(笑)。

 

日々の動きがチャカチャカと忙しいので、広告活動というのをまったく準備できておらず、西さんが戻ってきたので、相談したところ、英語学校に通いながらも、自宅で教えるのを半分の比重にすることに決定。そうなると、かなりいい収入になるので、身体もラクだし、移動も半分になるしね・・・。彼が、2週間以内にHPのたたき台を作り、私がそれに文言の修正をし、本格的デビューをすることになりました。同じ英語学校から半分以上の収入を頼ることは、コマ数を埋める稼業としては、何かがあったときに賢い方法なのか?という不安もあり、企業研修の仕事も1ヶ月前の打診があり、ゆるゆると決定していくので、もう少し積極的に動いたほうがいいだろう、ということになりました。今でも充分に楽しく暮らしていけるのですが、やはり私の目標は、「生涯学生」なので、切り換えていかねばならぬのです。

 

英語講師を始めて、はや1年弱。そろそろ半独立をして、その後独立できたらそっちで全責任を自分で取りつつやるというのがいいのでしょう。西さんに、高校1年生の女の子に、漢文と数学を教えてもらったところ、彼も私の英語の教え方というのは、ユニークだし、楽しそうに見えるという実感があったようで、ヘリコプターの教官をやっていた現場を見たことがない彼としても、「うん、これならいいね・・・」というGoサインを出してもらえたのでした。彼自身は、自分が教える仕事には向いていないと思い込んでおり、中国でのコンサルティングの仕事を1年延長することに決めました。ただし、契約料を少し増やしてもらうよう、交渉したそうです←お見事♪

 

そんなことを考えながら、Outlookを立ち上げてメールをやっつけていたところ、何番目かに生徒さん募集に関するメールが・・・。市が運営している掲示板に載せてみていたのです。無料サイトから潰していき、そのあと、西さんに相談してから、HPを作り、料金を支払うところに載せるようにしようと思っていたのですが、なんとなく掲示板を散々書いていた経験から、そちらには無意識のうちにささっと書いていたのであります。今のところ、柱になっている新宿の英語学校での仕事が週に4日詰まっていて、1日は産業カウンセラーの講座があるし、2日しか稼動日がないので、それに見合うくらいの集客しかできないのですが、円満に1日ずつ減らしていき、自宅でのレッスンが増やせればなぁと思っています。

 

それがいいなと思うのは、母がお茶やおやつを出すときに、かなり私を信頼した目で見てくれるようになっていること(笑)。彼女は、やっと私に英語ができるということを認めてくれたようです。うーん、20年も掛かりましたねぇ・・・。パイロットでもあることや全米でもトップクラスの大学を出たことも、あと20年もあれば納得してくれるのか?あるいは、もう少し時間が短くて済むのか?(笑)

 

私は常に、「教える側」という高飛車な権威を持ち出さないレッスンをしようと心がけているのですが、高いレッスン料をいただいているので、本人の人生を左右するであろう「いい習慣」を選択してもらうことに重きを置いており、自宅レッスンの生徒さんとは、半分は我が家でごはんを食べてもらい、半分は外で食事をすることにしています。もちろん、彼女の都合が合わないときはすんなり帰ってもらっているのですが・・・。昼間の生徒さんでも、昼食の時間に合致する場合には、それはやっていこうと思っています。

 

と、こんなにえらそうなことを言いつつ、実はごはんを作っているのは母なんですけども(爆)。

 

食事をすることで、いろいろなことがわかるので、かなりレッスンに有効なのです。私の中の心理学者の卵が疼き(笑)、いろいろな観察をしているのですが、それを直接、日々のちょっとした習慣を変えることに取り入れてもらうために、Adaptation(順応)とMaladaptation(ある刺激を受けて、結果が悪く出るような反応をしてしまうこと)の資料はたくさんあったほうがいいのです。ここで大切なのは、私がJudgmental(倫理的な判断を下しがちな)ではないということ。主体はあくまで本人で、私はその自助のための灯りを灯したり、道の数を確認したりするだけの作業をするということです。主体性が、生徒さんにあるのはもちろんです。

 

ここで思ってしまうのは、産業カウンセラーコースは、Rogersに拠っている(偏るとまで言うとちょっと悪口になるしさ・・・)ので、この灯りを灯す方向やら、道の数を示すことやら、その先にあるもののデータなどを指し示すことができないのですね。真ん中のいい塩梅というのが私の目指すところで、それにはEclectic(折衷)で、使えるものは何でも使うのです。ちょうど今回、西さんが久々の帰国だったにも拘らず、ものすごくたくさん使ったように(苦笑)。

 

西さんに言われておかしかったのは、ふたりの生徒さんに会ってもらったあと、「先生って呼ばれるのはちゃんちゃらおかしくないの?」という、私と同じメンタリティ(爆)。いやー、そうなんだけどさ・・・。さすがに、高校1年の女の子は、私をファーストネームで呼ぶことには抵抗があるんだろう・・・。看護師さんもやっぱり「先生」と呼ぶので、それはやめてほしいとリクエストはしているのだけれども、慣れてしまったのだろうなぁ・・・。彼女とは、ずっと友だちでやっていけると感じているので、今やめてもらわないといけないのだろうし・・・。

 

こうして、私が講師の王道を目指しているのを見ている、王道をずっと歩んできた校長センセは、どのようにごらんになっているのだろうか?と、まったく気にしないわけではないのです。たまに、裏メールをしており、報告をしてもいます。裏メールって、そんな秘密なことをしているのではなくて、個人情報を余儀なくされることは、メールでね、という程度なんだけれども、言い方がちょっとアヤシイ(爆)。が、校長センセは、私を強く説得なさろうともしないし、いい案を経験則からたくさん出してくださり、なんだかとてもお得な気分なのです。やっぱり産業カウンセラーというライセンスを持ってらっしゃるだけではなく、ご自分でも心理学をいろいろと学んだだけあるのだわ・・・。

 

美容院に行っていた母が戻ってきたので、お昼ご飯なのですが、私が完全休日だから作りたいと言い出すと、「やめて」と言われてしまいました(笑)。なんだか残り物に注目している彼女としては、洗いざらい、今日のこの機会に出したいのでしょう・・・。私は出されたものに、さほど文句は言いませんので、まぁ、やっていただきましょう・・・。砂糖甘い味付けには文句を言うんですけどもね・・・(汗)。

 

今日はおそらく、図書館に行き、散歩をし(でも果てしない曇り空)、母と夜は外食だなぁ・・・。きっと今日は飲んでしまうのだろうと思ふ(爆)。



親友とは

06/04/2008にアップした文章です。

 

昨日の英語のレッスンは、親友とは、というお題でした。感情的だったり、観念的だったりする英語表現だったので、いつもより進みが遅く、ディスカッションまで入れてしまったら、2個やらねばならぬ題材のうち、ひとつを残してしまった・・・(汗)。でもねぇ、意味が深いことなのでいいよね、とひとりごちて、そのまま進めたのである。親友とは、どんな存在なのか?といろいろ考えると、私は友だちが少ないしなぁと、けっこう反省しきりなのである。ところが、最近、アメリカに行ってしまう看護婦さんや、最近知り合った生徒さんが、かなり近しい存在に感じられてならぬのです。この歳になったので、友だちなんてもう要らないくらいな、ネガティブな設定をしていたのですが、もしかするといいのかもなぁ・・・などと思ったりもするわけで・・・。

 

過度な期待をしないように自分を躾けてきたことで、私はこれまで、かなり自分への負担を軽減してきたのですが、なんだか最近ゆとりがあるのです。このゆとりがどこから来ているのか?というと、いい歳こいても稼げることがわかったり、これまでの自分が歩んできた道のりというのは決して悪いものではなく、むしろよかったのではないか?と思えていたり、今後の方向性も悪くないんじゃないか?という仄かな予測があるからなのでしょう。あれほど東京暮らしに苦しんでいたのに、かなりな順応をしており、Maladaption(逆順応;順応を悪い結果を招くようにすること)をしていないという確信が持てているのもいいのかもしれないです。

 

とはいえ、ほぼすべての失敗は、Interpersonal Relationship(人間関係)のもつれから起きているという統計が出ているので、やはり友だち作りなどには慎重になっており、友だちの数は少ないほうがいいと自分の力量をしっかりわかっており、ヒトに心のすべてを預けるようなことは到底できないでいます。

 

親友って一体何なのだろう?と再び思う40代(爆)。なぜならば、高校生を教えていて、彼女もまた人間関係に鬱陶しい思いをさせられており、母にしろ、それほど近しい友だちはなく、西さんにしてもそれほどの距離感を縮めてつきあい続けている人はなく、いろいろな人を見てみても、友だちが多く、それぞれと深い関係をずっと持ち続けているという例は、かなり統計的には少ないのです。校長センセの月例同窓会などは、たいへんに稀なのでしょうし、その会の中でも人間関係の想いへのスタンスはそれぞれ微妙なズレがあり、さらに交友図と深さや距離などを考えると、おもしろいタペストリーが織り成せると思えるわけです。

 

親友については諸説あるので、たくさんリンクがあることだろう・・・(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E5%8F%8B >特記したいような目覚めなし(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E6%83%85 なので、もうちょっと基本から考えてみよう、と「友情」について。

 

基礎は、「信頼」と「共感」だというのは、心理学でも学んだよなぁ・・・。

Goldbergの説がここにも出ています。

1.「役に立つ友情」:どんな理由にせよ、双方に有利、有益なことをもたらしてくれる限り、繋がっていく友情

2.「目的志向の友情」:なにか特定の目的があって、たとえば余暇に一緒に草野球、釣り、ゴルフなどを楽しむための連れ

3.「友情」:特定の目標、目的、利用を追い求めることなく、ただなにかの機会に知り合って、互いによく熟知しあったという友人。この関係の中での利害は伴わず、ただ友情それ自体が目的

 

ふーむ。私は人間としての志向性が決まってきてしまっていて、それを変える大きな根拠などもそれほど見つからないので、この1.や2.はあまり使っていないのだろうなぁ・・・。

 

友だちと自分が呼んでいるヒトから、有益なことをもたらしてもらうことなど潔くなくてできない(笑)。こちらからであれば、何かしてあげたいと心から思うのだけれども、こちらから求めることなどはちょっと恥ずかしすぎてできないです。「考え方」に関しては別物ですが、コネやその延長にある有利性などを求めるのは、ちと姑息なのではないか?と思える。

 

ヒトを見るときに、何を見るか?というのに密接に関係していると思うのだけれども、名誉や地位や経済的状態や学歴などを考えていくヒトには、けっこうこれは大きなポイントなのかもしれないなぁ・・・。職業や能力を「売る」立場にいれば、きっとそれらは役に立つのだろうけれども、友情という心の繋がり、特に信頼や共感を基礎にするものには、これはきっと関係ない場面じゃないのかなぁ、と、私が思うのでこれは「オマケ」として転がってくるもので、積極的に求めていくものではないでしょうね。

 

2.についても、私はひとりで何かをすることが好きなので、特にないんだろうなぁ・・・。日本に戻って来てから、「飲むのが好き」というヒトにもかなり会ったのだけれども、それで友情を感じることはないし、映画が好きと言われても、私も好きだけれども、日本の映画館の料金が高すぎて行きたい気持ちにもならないしねぇ・・・(汗)。私は趣味がないやつだし、特にコレ繋がりの友情を求めたいとは思っておらず、いっしょに何かをすることでヒトは繋がりを密接・深くする、ともあまり信じていないのだろうな(笑)。しかも、私は初対面のヒトと飲んだって、相当楽しめるやつなのだからなぁ・・・。友だち甲斐がないとよく言われるのもそのせいなのだろうけれども・・・。アイスホッケーなども、そりゃアイスホッケー好きの友だちと行ければいいけど、ひとりでも大丈夫なんだよねぇ。アリーナに行けば、そこにいる3万人のほとんどはみなアイスホッケーキチガイだから(笑)。その一体感や臨場感というのは、よそでは味わえない感じ。サッカー好きの人はきっとわかると思うのだけれども・・・(ちなみに野球は、かなりピクニック気分が入るので、あまり熱意のボルテージは常に高いわけでもなく・・・。ゲームの性質によるのだろね・・・)。

 

3.については、熟知というのがどの程度までのことを指すのか?という疑問が残ります。当人ですら熟知など完璧には無理なのに、他人がどのへんまで知ることができるのか?誰よりもその人のことを知っている、というのが親友や友情のバロメータであれば、私は昔、西さんの会社の人事なんかも当てていたし、今でも生徒さんに「えー!なんでわかるんですか!?」を連発されているので、読みという意味では、大して知り合いでなくともできちゃいますよね・・・。

 

ただ、「いっしょに時間を過ごすことが楽しい」という気持ちはわかります。私でもいくばくかは・・・。一期一会的なことが多い商売ですが、どんな生徒さんと居ても、楽しいのでこの仕事を続けているというのはありますね。そこには、純粋に「次の予約に取り付けよう!」などという動機付けはなく、やはりこの刺激をしたらどう反応するのか?というインスタントに見られる結果が楽しいというのがあります。私がよく知っている英語のことについては、特にその微妙な差がわかるからなのでしょう。

 

というわけで、よくわからないまま、ページ数が埋まってきてしまいました。私の親友は、ハワイに住んでいる21歳からの友だちで、本当にいろいろなことが波乱万丈にあって、見せてもらえてきたことに僥倖を感じています。彼女はこれからも強くたくましく、時に弱く、生きていくのだろうから、ずっと見せてもらえればなぁと思うのです。特に、会う必要性も感じず、会ったら昨日の続きができることがいいところです。

 

それに、西さんや母は、私のことを彼らの親友だと思ってもらえており、これは大切です。私も思ってるしねぇ・・・。家族と同じボルテージで、やはり彼らは私の親友です。うーむ。今後、どんな友だちができるかわかりませんが、また飽きられてもいいように、このまま醒めてやっていくのかなぁ・・・。まぁ、それでもいいんだけれども、とは思いつつ、もう少し考えてみようかと思います。

勤勉な人への疑問

06/03/2008にアップした文章です。

 

西さんは、木曜日の夜11時半に帰宅してから、ずっと独楽鼠のように働いています。働くだけではなくて、ちゃんと朝起きたあと、運動にも行くんだよなぁ・・・。ものすごくびっくりしたのが、帰ってきた直後、母が西さんの晩酌だけを用意しており、肴と焼酎があったのに、私の分のビールがなかったと聞くやいなや、すぐにコンビニに買い物に出てくれたことです・・・。飛行機に乗って、リムジンは首都高を新宿で下りて、甲州街道を来たので、ものすごく時間がかかったのだから、すごく疲れていただろうになぁ・・・。あれから、金曜日から帰国日前日の今日、火曜日まで、西さんは眠る時間も私よりも1時間以上短いし、倍くらい働いており、どうしたものかと・・・。同じヒトなのに、これを分けるのは何なのか、考えてみようかと・・・。

 

何度も宣言ちっくなことをしてきましたが、私はノンベンダラリとした、ナマケモノの、だらしのない人間で、それがわかっているがゆえに、大きなことをあまり言わないようにして、自分の一回りか二回りくらいの目標を設定して公言します。あ・・・、生涯学生というのは、プランではなくてまだまだ階段が多くて夢段階なので、いつかはそこまで行くというのでいいわけです。やはり3億から6億、できたら10億のお金を稼ぐなんてぇのは、たいていのヒトにとっては夢なので、それでいいわけです。だけどやっちゃえたらステキだよねぇ、と。とはいえ、私は産業カウンセラー講座では、現役学生をやっていますし、こうして生涯学生への前のめりな態度は、ずっとキープしていくつもりです。

 

そして、金曜日は私が夕方早くからのレッスンだったので、西さんは朝の日課を終えたあと、確定申告のための資料を、この山の中から探し出すために、大々的な整理を始めていたわけです。私が夜、戻ったときには、「よし、これで打ち込む体勢はできたっ!」とご機嫌よく飲んでいたんですが・・・。あ、でも、私の給料振込みの日だったので、私は支払い漏れがないかどうか、ついでに銀行でチェックして、そのあと午後3時まで、パチンコに行ったのです。なぜならば、「あなたは邪魔・・・」だそうで、西さんの優秀な助手のご指名を受けたのは、母だったのでした・・・。肩身をすっかり狭くした私は、その日、3万も稼いでしまいましたとさ(苦笑)。

 

土曜日は、私が朝から晩までレッスンだったので、西さんはひとりで、格闘していたようです(母談)。そして、母が夕方5時にボーイフレンドのところに出かけたあと、西さんは母が作り残しておいてくれたものを、私が戻るまで食べずに、まだ作業を続けていたそうなのです。が、コンサルティングの仕事をしている先やら、台湾やらシンガポールやら、プライベートからのメールをやっつけるだけでも、その数400~600くらいになるはずなので、きっと半日くらいはかかっていたと予測するわけです。現場近くにおらず、バケーション最中だともどかしいことがたくさんあるしね・・・。すぐに電話で聴けないのが、土曜日の悪いところです。そして、私が戻ったあと、今度は私が疲れていたので、ビールを買って戻ればよかったのですが、飲むつもりはなかったのです。ひとりで飲むのがつまらなそうだったので、西さんが自ら、「買ってきてあげるね」と買いに出かけてくれたので、飲まないわけにも行かず・・・。まぁ、翌日はほぼ休みみたいなもんだし、いいか・・・と、意志がそれほど強くもない私は、曲がったのであった・・・。

 

そして、日曜日、高校1年の初めての中間考査というのがあったので、補習を頼まれており、その内容が、数学・古典・漢文・英語が残っていたので、西さんが居るから使おうと思った私(ひどいよねぇ・・・)は、数学と漢文を西さんに任せたのでした。なんと、数学だけで2時間半も掛かってしまい、恐縮でした・・・。私はそのあと1時間で、英語を教えて、高校生の女の子を連れておでんやさんへ・・・。入梅したということで、なんとなく寒かったのです。特に飲み屋さんカラーでもなかったのでいいでしょう・・・。その日の午前中から午後彼女が来るまでのあいだで、私はまたもやパチンコで15000円稼いでいたので、それ以内で支払いが済んだのでよかったと思いながら眠りました。その日は珍しく、西さんも饒舌に高校生と話し、日本の教育界の現状のケースのひとつを聞いて、いろいろなことを感じていたようです。ただし、西さんはご機嫌がいいとよく飲むので、正体不明の数歩手前くらいだったのです。確か、日本酒を6合ほど飲んでいたし、時差ぼけを含め、いろいろ疲れが溜まっていた模様・・・。気づくと、朝まで珍しく9時間も眠っていました。それでも、パラパラ雨だったら走りに出るんだよねぇ・・・(アゼン)。

 

数学を教えるのは楽しかったようです。教える仕事というのは、私がどのくらいエンジョイしているかを見てもらうために、私が作為的にやってもらったのです。私のこの仕事が家でたくさんできるよう、西さんにHPを作ってもらうことになっているので・・・。

 

そして、昨日の月曜日、中間の3日目が終わった高校1年の女の子が、今度は漢文とまたもや英語と古典をやりに来たのです。漢文は、10個しかなかったのに、なぜだか2時間もかかってしまい、私はそのあいだに、Cheatingだとわかっていたのですが、英語の教科書のまとめと単語ノートを作ってあげてしまい(時間がないから、緊急措置だったのだ。まとめのところからやっていたらたいへんなことになる・・)、西さんが教えている脇で、それなりに仕事をしていたのです。私はその午前中もパチンコに行っており、なぜならば、確定申告の入力が終わっていないから「邪魔」と言われたせいで・・・。ところが、邪魔なのに、2時間で勝負はついてしまい、2万も稼いで戻ってきたところ、お昼ご飯も要らないと仕事をしており、「本当に漢文を任せていいのだろうか?」と疑問が湧いたのでした。彼女が来たら、楽しそうに教え始めたので、よかったようです・・・。

 

私が英語を教え始めた頃に、今度の16日に留学することになっている、看護師さんが現れて、西さんは仕事を中断して、彼女と話し始めていました。結局、レッスンは3時間になり、「高校生稼業もたいへんだけども、社会に出て稼ぐのもたいへんだからねぇ。同じだよね・・・」と言いつつ、明日(今日になっている)の幸運を祈り、玄関で別れたのです。

 

看護師さんのレッスンが2時間予定されていたので、西さんは何を思ったのか、おもむろに「髪を切りに行ってくる」と駅前へ。忙しい人である・・・。男の人の髪はそれほど注文をうるさくせずとも、いとも簡単に切れるからいいよね・・・。

 

戻って来てからまた宴会だったのですが、その日も3合ばかりの日本酒を飲んだあと、まだ仕事をしていたのです。私は、ビール3本でいい気になって眠る体勢に入ったので、何時まで仕事をしていたのかわかりませんが、きっと彼なりのキリのいいところまでやっていたんだろうなぁ・・・。

 

そして今朝は大雨なので、走りには行かず、朝から仕事をしています。明日帰るんですけどねぇ、中国に。そのあと、すぐにタイに行くらしいが・・・(実際、私は西さんがいつどこに居るのか、たまにメールで知るくらいで、「まぁ、よく移動すること・・・」と感心している次第です)。今日は、私の英語学校の見学に来てもらうことになっており、私の最初のレッスンの前に校内をざらっと見てもらい、そのあと、西さんはカメラやさんへ。中古の一眼レフを買いたいらしいのです。大して古くもないデモノがあるらしいので、ネットではなく手に取れるものを見ておいて、それでいいのがなかったら、ネットで買おうとしているらしい。

 

明日の11時のリムジンで発つので、あまり時間がなく、バタバタしていて、私はむしろのんびりしまくってしまったのですが、最後に頼まれたのが、「どうせ書類の整理はできないんだろうから、何箇所にもバラバラに置かないで、一箇所に置いて」というもの(爆)。言い訳としては、「いやー、近くに置いてあるやつが、私が自分でできると思ったやつなんだよね・・・」と。が、彼はすかさず、「いや、やらなくていいから」と冷たいもんです(笑)。小さい頃の母が私が料理を覚えようとしたときに言ったことに酷似している・・・;「あなたはできることをやればいいのよ。外で稼いでいらっしゃい」というもの(笑)。

 

あと、24時間しかないのですが、西さんの短い滞在は、またもや勤勉なだけで、ゆっくりする時間がなかったようです。私のせいなのか、西さんの染み付いてしまった性格のせいなのか・・・。よくわからないのだけれども、私はどうしてこんなに独楽鼠のように働けるのだろう?と疑問を残しながら、あと24時間を邪魔にならないよう、楽しみを少しでも提供できるよう、がんばるのであった・・・。

ダメージの大きい訃報

06/02/2008にアップした文章です。

 

たくさんの生命が生まれるように、近しい人でなくとも、著名人であれば、亡くなったときに訃報が入ります。ニュースであったり、ネットであったり、新聞であったり、と媒体はさまざまですが、そのわびしさやさみしさは、その相手に持っていた距離感によって違うものですが、同じ世代をシェアした者としては、ネガティブな気持ちになるわけです。日本に戻って来てから、見なければいいのに、私は訃報を習慣のように見ているんですね。なぜならば、私は結婚式に出るよりも、お葬式に出るほうが、自分にとっては価値のあることだと信じているからです。たとえ、遠い方がなくなってお葬式に出ることができないとしても、心の中で手を合わせる人品は持ちたいと思っているのです。

 

が、昨日の夜の訃報は少しダメージが大きかったのです。ウガンダ・トラさんという、お笑いやバンド活動をしていた芸人さんで、巨漢で「食べ物系タレント」の元祖と言われていた人なのです。来歴はこれ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9 

私は直接、彼が食べ物をおいしそうに食べているところは、あまり見たことがなく、おそらく、大昔に『オレたちひょうきん族』で見たことがあるのかもしれませんが、記憶にないです。が、帰国してきて、石塚英彦さんという食べ物系タレントの番組をいくつか見るようになり、そんなジャンルがあるんだなぁと思いながら、好感が明らかにあったのが強烈に残っており、その石ちゃんがウガンダ・トラさんのことを「元祖」と言っていたのを思い出したわけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E5%BD%A6 

「カレーライスは飲み物」というのが、ウガンダ・トラ氏から出た名言のようで、私はその単刀直入な言葉にも、不快感よりは、むしろかなりな好感を持ったのです。

 

いろいろな方がいろいろな人生を歩んできて、結果的には亡くなっていくのですが、生活習慣病に部類されるような死因を、ネガティブに捉える報道があり、残された人々への警鐘とする扱いをしていることに関しては、不快な気分になりました。まだ、死因がはっきりしておらず、糖尿病と肝臓障害があったということや、症状をパネルにまでして、その危険性などを語っていることには、かなり腹立たしさを感じてしまいました。

 

食べたり飲んだり眠ったりという、ヒトが最も快楽を感じることを節制して制限してまで、長く健康に暮らすことが必要だと思う人もいるかもしれませんが、私は生きているあいだ、楽しくて他人様に迷惑を掛けなければいいではないか、というスタンスなのです。これって極論なのかなぁ・・・。生命というのは、長さも確かにあったらうれしいけれども、短いから「早すぎた死」でもなく、大往生だったから「よく生きた」わけではないことを知っていながらも、なぜか、短絡にジャッジしてしまうような風潮には、あえて抗いたいんだなぁ・・・。

 

私個人に対して、今回の訃報が特記したいほど大きなダメージだったのは、西さんが毎日飲むという事実が、なんとなく、影響を与えており、肝機能障害などが出たりしたらどうしよう・・・と、むしろ不安になっただけで、警鐘などにはなっていない、ということ。彼はアルコールはやめませんから。やめろと思ったこともなければ、減らせと命令したいと思ったこともなく、減らしたほうがいいんじゃないの?と口にするのも憚れるほどです。マラソンやボートや登山など、日ごろ、つらくて苦しい要素ばかりが多いスポーツをやる彼が、仕事でもヨロコビを大して感じるわけでもなく、アルコールを飲んで好きな本を読む至福の時間を、どうして私が制限できるものか、と思うわけです。

 

同時に、私も疲れてしまうと、最近では夜中にビールを飲んでおり(笑)、母のアイスクリーム攻撃もあり、アメリカに居た頃より食生活がよくなるはずの条件が揃っている日本で、実際は、内容的にネガティブな食生活を送っているのかもしれないという疑いあり・・・。最近、運動も週2回くらい(3回とは言い切れないなぁ・・・)やっているので、やはり意識的にまずいと思っているからに違いなく・・・。あまり前向きでもなく、切羽詰っている状態なのではないのか?と思うのです。

 

確かに健康に越したことはないのだろうけれども、他人のチョイスというのを尊重できない風潮というのはどうなのよ?リスクを充分わかっていて、それでもやっている人というのは確かにいると思うわけです。ホームレスでもわずかばかりの比率なのかもしれませんが、チョイスとして捉えて選んだ人はいるはずです。

 

鬱病で広く知られている回りの人の態度で、「がんばって」と言ってはいけないというもの。健康に害があるとしても、喫煙をして90歳まで生きた人などザラにいるわけだし、めちゃくちゃな食生活をしても楽しく暮らした人というのは山ほどいます。その人たちは、聞き流す性格を持っていたのかもしれませんが、持っていない人にとっては、この過干渉というのはたいへんに迷惑なのではないかと思われるのです。

 

私は、自分の決定意志に茶々が入ることはたいへんに不愉快です。もちろん、喫煙もやめたいと思っていますが、まだ時期ではないと感じており、自分の動機付けを改良したり、生活そのもののリズムを変えようとしています。飲酒にしても同様で、最近、ビールを飲みすぎている傾向はわかっていますが、ビールではなく、焼酎や日本酒やワインだと、もっと飲んでしまうので、ビールのロング缶が2・3本というのがいいわけです。ただし、プリン体が気になったりもするので、その代わり、医者には定期的に行くことを決意し、励行しているわけですね。だから、とやかく誰かから言われると、苛立ちを覚える。まぁ、イチバン腹が立つのは、私と似たような生活習慣を持っていて、私よりも飲み食いする母親に言われることなんですけどね(爆)。

 

楽しく生きたんだから、とLet Goさせてあげる気持ちがもてないのか?と思ったので、なんだかあまりまとまりはなかったのですが、勢いと感情に任せて書いてしまいました。私は今後も西さんの飲酒を制限するつもりは、毛頭ないですし、自分に関しても無理をしたり、強制力を掛けられるのが疾病やプロからの助言以外は、本当に腹を立て続けていくと思います。

 

しかも、人生の最終段階での評価を、「もっと節制したらよかったのに」などと言われることで、残された家族の責任感や罪悪感は数倍になることでしょう。なんで、こういうことするのかなぁ・・・と不思議でなりません。まぁ、そんなコメントをしていないメディアもあるので、あまり悪口ばかり言ってはいかんのですが、人がひとり、人生を閉じたときに、ダメージを与えるような側に、自分がいないことだけは確認してみてください。「明日は我が身」と思うことはやっぱりここでも大切です。自分が当事者だったらやられたくないことは、決して他人にもしないでいただきたい。そんなことどもは、本当に幼稚園のお砂場で学んだはずのことなんですから。

 

ここのところ2日連続で飲んでしまったのは、西さんが帰国しているせいだと、西さんのせいにしてしまいがちな私ですが、やはりしっかり意志が働かないこともあるんだよな・・・。それについてぐちゃぐちゃ言われると、本当に落ちるわ・・・(笑)。