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普通は怖い

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01/30/2007 にアップした文章です。

殺人事件を見てもわかります。「普通の人に見えたのにぃ」というインタビューや感想をよく目にしますが、コレが怖いのよ・・・。シリアルキラーと呼ばれる人々は、全米では3桁(100人以上)が普通の人々に混ざって暮らしていると計算されています。だからこそ捕まらないのだ。日本でも、「普通の人々」が起こす事件がたくさんあり、うなってしまいます。事件までも欧米化なのか?うーん、いいのかよぉ、と思うのです。

何気なく使っている言葉ですが、普通とは一体何なのよ?というのは、私個人は子どもの頃からずっと考えてきたことです。「普通がイチバン」と言う人は、私個人はYellow Flagを立てることにしているのです。ひどい?(爆)

普通: (名・形動)[文]ナリ(1)いつでもどこにでもあって、めずらしくない・こと(さま)。(2)ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。(3)特別ではなく、一般的である・こと(さま)。
(副)たいてい。一般に。
一般:(1)いろいろの事物・場合に広く認められ、成り立つこと。特別でないこと。普遍。⇔特殊 (ア)普通であること。通常。(イ)普通の人々。世間。(ウ)基本的・概括的なこと。全般にわたること。(2)同一であること。同様であること。

と、まぁ、文にしてしまうと、こういったことになります。なので、数値で考えるのがもっとはっきりと分かり易いと思うのです。私が統計学を取ってよかったな、と思うのは、こんなことなのです。「だからぁ、フツーとか、絶対とか、そういうのはやめてよねっ!」と、特に仕事のときには曖昧になるので遠慮していただいているのですが、日常にはよく使う語彙なので、聞き流せない内容のときには指摘します。だから、イヤな人・気難しい人・怖い人・変な人、などと思われることがあるのですが、私はまったくそれをモノともしないので、あまりに嫌う場合には去っていくのでしょう。誠意は尽くしますが、去りたいのであれば追わない。コレは鉄則です。

普通感覚の恐ろしさは、犯罪や事件だけとは限りません。夫婦や友人関係のゆがみもここから来ることはあります。「男は女に手をあげない」がフツーではない家だって確かに存在するのです。金銭感覚もそうだし、食器や家具などのセンスもそうだし、食事も掃除の順番も、掃除のきれいさ加減も、そんなものに「普通」や基準はないです。多くの人々がたまたまそのへんが基準だと思っている、みなしているだけ、であって、普通から外れた人々を、外道扱いしたり、変わり者扱いしたり、近寄らなかったりするのは、どうも違う。私はすでに鍛えられているので、まったくかまわないのですが、そうした「普通意識」は、障害者問題やホームレス問題など、いろいろなところに余波が来ます。こぞって小さい頃から学習塾や習い事をさせる風潮にも現れていますし、洋服や持ち物等の流行にも現れています。

・ 普通などこの世にはめったにない。
・ もしも本当に平均値とされるものがあれば信じてよい。それには物事を数値化できるくらいの基礎知識は持とう。
・ 普通と称している対象物をもっと真剣に見てみよう。

ええ、言い切ってしまいましたが、普通などというのはこの世にはめったにないのです。あんなにセンスが悪いと思っていたベルボトムだって、やっぱり30年も経てば戻ってきて流行るのだし、フリルがついた洋服だって流行る。ベルサーチの服はいつもシンプルなラインで、私は好きですが、あれじゃ物足りない人々はやはりいるのだ。

児童虐待・アルツハイマーなどの認知症・ホームレス・ガン死などなど、昔もあったのに、今ことさら、なぜか狂気して取り上げられているものは多い。それは、表面化しただけの問題であって、子どもを性的虐待する・あるいはしたい、大人の人口が増えたわけでもないです。それが証拠には、ゲイの人口は昔から変わっていません。DNAによるものではないか?とされる論拠の大きなポイントのひとつです。ちなみに、人口が少ないからといって、「ゲイなどは普通ではない」と言い切るのは違いますし、ゲイの人々が水商売ちっくなものを職業として選ばねばならない世の中というのも普通ではありません。サンフランシスコ近辺では、あの界隈から巣立って、きちんと医者や建築家やソフトウェアエンジニアや土建業やその他、いろいろな職業に就いて、自分を謳歌している方たちがたくさんいます。

では、普通だと思っている方々が、日々普通では曖昧すぎて密なコミュニケーションが取れていない例、面倒が起きている例を。

チャットでもそうだったのですが、よく奥様たちが嘆くのは;男の人は答えが曖昧、というもの。外にごはんを食べに行くことになっても決まらないらしい。予算がはっきりしている家族連れや、子どもが食べられるものが決まっている場合には、あまり悩まないで済むようなのですが、お金にゆとりがあり、夫婦でデートなときには、けっこう悩むものらしいです。我が家はちなみに悩みません(爆)。私はどうも周期的に食べたいものが決まっていたり、そのお店の○×が好き、というのがあって、即断です。ええ、買い物でも迷いませんから、私の買い物のスタスタ歩きに慣れている西さんは、他の女の人とは買い物には行けない様子です。

そんなときには、数値化してもらやーいいだろう、というのが私の意見です。1から5のスケールだと何を食べたい気分?と言えばいいだけだ。早く決めたいのであれば、自分で中華・和食・フレンチ・イタリアン・インド他エスニックなどなど、ジャンル分けしちゃえばもっといいだろう・・・。そうすればおのずと店も決まり、そんなことが愚痴になる要素もない・・・。それに慣れたら、男の人だってだんだん決断が早くなろうし、ならないのであれば、「じゃ、今晩はあなたが私に聞いて」と役割交換でも提案すればよい。

私は姪っ子のチビたちにもこうした手段を使うので、あまり言い切りの自己主張をしたくない場面には、彼女たちには「おばちゃん手法」は役に立っています。遊びを選ぶにもそうだし、わんちゃんたちの散歩ルートもそうだし、けっこう使えるのだよ、数値化法。

何が着たいのかわかっていない男性陣にも、最初は選んであげていっしょに行き、そののち学習をしてもらうのが王道でしょう。そういう面倒をかけずに、自分が選んであげている、とするのは、果たして本当に親切なのかな?と、私は考えるほうです。自分のパンツや髭剃りの替え刃の場所もわからない男の人は、私は友だちになりたくありません←厳しい?どんなにすごい仕事をバリバリこなす人でも、それではオマヌケやご愛嬌を通り越していると思えるのです。

普通感覚に馴れ合い、コミュニケーションをうかつに浅くしたり、問題を放置する時間が長くなったり、自分の性格や能力を見極めずに放置しておいたり、が、やはりのちのち追いかけてくるのです。普通は怖いのよ。なので、物事は「普通」と十把ひとからげにするのではなく、できるだけ数値化してみましょう。これは、生活全体の効率もあげるし、人付き合いのわずらわしさも整理します。さらに、今まで気づかなかった意外な人の意外なよさも発見できるかもしれません。やってみてね。