正義のためのチョイス

04/09/2008 にアップした文章です。

 

日々、小さい積み重ねが集積すれば、なんとか正義への貢献になるのではないか、と、私は政治に直接的な活動はしていないものの、日々の言動に気をつけています。子どもの頃から、やたらと「正義漢」ではありました。正義というものが何なのかわかっていなかった頃からだったのは、おそらく、父からの洗脳を見事に受け止めてしまっていたからなのでしょう。それを想うと、子どもの頃の環境というのは大切です。禁を破って、最近またVince FlynnのMitch Rappシリーズを、大切に大切に読み始めています。電車の中で、涙が溢れて仕方なく、どうしてこんなに泣けるのか?と、つくづく考えているところです。

 

正義:(1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。(2)他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。また、国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、前者が自然法、後者が実定法につながる。国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、これは形式化・固定化されやすい。そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、基本的人権を中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、社会主義思想などによって掲げられることになる。公正。公平。(3)正しい意味。正しい解釈。経書の注釈書の名に多用された。

道義:人としてふみ行うべき道。道徳。道理。

自然的:天然のままであるさま。人工の加わらないさま。

社会的:社会にかかわりがあるさま。社会性があるさま。

 

私は、子どもの頃は無力だったので、この自然的正義というのに畏怖を強く感じていましたね。毛虫がチョウチョになることや、水をあげた種が芽を吹き出し、花が咲き、実までがつくということなどで自然を学び、その後、自然界での弱肉強食を目の当たりにしていきます。そこに手を貸すことを、父はなぜかそれほど喜びませんでしたが、猫や犬や鳥を大切にすることは歓んではくれました。とはいえ、彼の場合、ヒトが作りだした社会に対する不平不満でいっぱいで、闘う態度を失うことなく、定年前に死んでしまいましたから、彼の場合は、この社会的正義というのに、いつも傾倒していたに違いありません。その彼は、本当に自然の摂理をしっかり身につけていたのか?おそらく、田舎の中の田舎のようなところに生まれ育ち、中卒のまま大工仕事の基礎を身につけ、東京に出てきて運転手の職にやっとありつき、自然の摂理が痛いほど理解できたうえで、人為的にヒトが動物でいないままの理想的な正義を、彼なりに追い求めていたはずなのです。だから、すっきりしたいがために、時代劇を見ていたんでしょうねぇ・・・。あの時代にだって不幸な人々はたくさん居たけれども、ドラマの中では、悪い人が斬られて、正義が勝つというのが、どうしても気持ちよかったんでしょう。

 

私が今読んでいるMitch Rappシリーズは、Executive Powerというものです。あらすじはこちら>http://blog.livedoor.jp/cyberbabe/archives/50709090.html 個人ブログなんですけど(笑)。

こんなに安いから決断して買ったんですよ>

http://www.amazon.co.jp/Executive-Power-Vince-Flynn/dp/0743453964

 

アメリカに住む前は、ヨルダン-イスラエル問題などには関心どころか、基礎的知識すらありませんでした。父にだってあったかどうか怪しいものです。アラファト大統領が1993年にノーベル平和賞をもらったときにも、アメリカ人で中東問題に興味がある友人たちは、そこそこの知識を持っており、そのおかげで私も「知りたい」「知らなくちゃダメだ」と思ったものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%88 アラファト大統領について

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E5%95%8F%E9%A1%8C パレスチナについて

 

このような遠い世界で起きている不幸について、正義が体現されないことについて、私には何もすることができず、小さい女の子がレイプされたり、「死んだほうがまし。どうか殺してください」と懇願しながら拷問されたり、手足がないまま暮していく以外のチョイスがなかったりすることなど、日々の大半は忘れて暮しています。けれども、胸を張って言えるのは、自然的正義を理解した上で、社会的正義についての自分なりの意見を持っており、小さいことの積み重ねながらも、私なりの正義へのフェアネスを体現しつつ暮していくことは、片時たりとも忘れていないということです。

 

国防について考えている人々はたくさんいても、それを実行している人々というのは一握りです。その人たちは、体力も人並みはずれてあれば、知性や感性も研ぎ澄まされており、その人たちのおかげで世界が成り立っていることは忘れていません。だからこそ、こうした小説を読んで泣けてしまうんですが・・・。もちろん、そこには政治が絡み合い、その国防を体現している人々も責めの対象となってしまうのですが・・・。残念なことです。

 

その人たちの偉さを私も見習えるなぁと思うのは、贅沢をたまにはすることがあっても、基本は質素に暮していきたいと心がけており、そのためにはどうしてもないときを抜かして、私はマイボトルを持ち歩いていますし、お弁当も持っていきます←とはいえ、母親に作ってもらっていたんじゃ、とは思うんだが(爆)。しかも、お茶に農薬が入っていたというニュースまで入ってきていて、ちとびっくり←余談ですが・・・。多少の余剰金があっても、自分のために贅沢をするために使うことなく、必要最低限のもので暮していき、日ごろお世話になった方々や将来がある人々に分け与えたり、ごはんを食べてよく話す社交費として使うことにしています。形あるものをいくら持っていても仕方がないのは、国防をしている人々の人命救出大作戦や暗殺場面を読むとよくわかります。いつ死ぬか、という刹那な気持ちがないと、「必ず明日は来る」という奢りで、モノをたくさん持ちたくなるんだろうと思うんですね。

 

ダイヤだろうがサファイヤだろうが、ブランドの洋服やバッグだろうが、確かに商業的に成功する分野だし、モデルや芸能人もそれを持っていると、「第一印象」「容姿やイメージのアップ」で儲かる良循環に乗れるのかもしれません。が、私は質素に暮していくことを心がけています。ピアス以外での宝石は要りませんし、数も要りません(耳の数は増やせないし・・・爆)。

 

政治を見ていても、世の中の風潮のネガティブ面を見ていても、まずはひとりひとりが持つ、「ラクして儲ける」だとか、「人より良い暮らしをする」という考えに根付いているような気がしてなりません。それがなくなれば、蓄積したときにけっこうなパワーを醸すのではないかと考えていて、私は洋服も親の敵のように着るんですね(笑)。いやぁ、貧乏育ちをそのまま続けているだけって言われればそうなんですけど(爆)。

 

正義というのは長い遠い道のりなのだけれども、最初の一歩は、自然界を知ることではないのか?と思っています。そのあと、いろいろなことにぶち当たるのでしょうが、まずはそこから。そして、いろいろなチョイスをしていくことで、生き延びていくチャンスを増やし、賢く暮して、他人を自分と同じように扱えるヒトになってもらいたいものです。それが蓄積されれば、正義はいくばくかは実現できると思うのだけれどもなぁ・・・。

 

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