頑固の追求 7ヵ月半

[1999年08月05日(木)]に書いた文章です。

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頑固:1.かたくなで意地っ張りなこと。人の言うことや情勢の変化などを無視して、それまでの考えや態度を守ろうとすること。頑迷固陋。かたいじ。2.なおりにくくしつこいこと。
意地:1.こころ。気立て。性根。2.自分の思うところを通そうとする心。3.物欲。食欲。

考えて考え抜いたという体験が誰しもあるはずで、100歩譲っても1万歩譲っても変れないことがあることはとってもいいことだと思います。その理由や動機が自分でもきちんとわかっていて、「なぜ」がきちんと説明できて自分が理解していて、なおかつ理解者が少なかろうが他人にちゃんと理解されているのならば、私はその「意地」ってかっこいいことだと思います。

私が想う意地の張りかたのかっこよさには、「巨人の星」の星一徹(すんごい名前である・爆)、高倉健扮する義侠(強気をくじき弱気を助けること)にあふれた役柄やら、西部劇のジョン・ウェインやクリント・イーストウッドのキャラクターなんかがあります。

こう、「何かを守るためにタフでなければ生きていけない」という感じ、いいですねぇ。身体の芯に電気が走っちゃいます。私の大好きなスペンサーもそういう人です。彼をとりまくキャラクターそれぞれもその種の「意地」をみんな持ってます。

それと個性とはまったく違うことや、人の話を聞かないとか、システマティックに習慣を重ねていることや、理由や動機が希薄なのにさらに自分の思うところを通そうとすることは、やっぱり雲泥の差があると思います。

でもフツーの人間の人生なんて滑稽なもんです。映画やドラマみたいには到底いきっこないです。ビビアン・リーみたいに49cmのウエストをキープするために、いつもいつもコルセットはめて生活するなんてなかなかできるもんじゃぁありませんし、健さんみたいに見も知らぬ誰かのために自分の生命を賭けちゃう事件なんかにもなかなか遭遇したくたってできないもんです。

私なんか西さんの便座ごときや、ネコたちのケンカで毎日四苦八苦してます。さらに、ストレスを解消するために、フットバスにしようか、ネイル三昧にしようか、もりもり食い放題にしようか、なんて迷っていて嫌になっちゃいます。どうして問題解決に向かってポジティブに邁進できないのかなぁ、なんて自分を瞬間嫌いになっちゃいますね。

でもねぇ、自分が選んで決めたことに対するケリは絶対につけられる人でいたいといつも思っています。休憩したって現実逃避したって、問題がそこにあるうちはずっと逃げまくっていられないわけで、やっぱりいつかはやらなければいけないこと。もしもやらなくていいような状態まで待っていると、まわりの人に「逃げまくりケツまくりおおだいら」なんて、今ある納得できないラベルの上に、さらにもうひとつやっかいなラベルが貼られてしまうわけです。

さらにもっと始末に終えないことは、自分のしたことっていうのは、極端に短い記憶がない限りはついてまわります。その記憶の苦々しさに呪われて、「どうしてどうして?どうしてできなかったんだろう?」とひとりSMをして次に同じようなことがあったときに、また腰が引けてしまったりします。そうするといつまで経ってもその「やってみたかったこと」「興味があったこと」「したほうがいいとわかってるのにできないこと」が、ずっとできないまんまで終ってしまいます。

何が嫌かというと、「自分は自分の決めたことができない人間」なんだって白旗掲げて降参しなくちゃいけないの、すっごく嫌ですね。自分を嫌いになる材料は他にもたくさんあるけれども、これができないのは死ぬほど嫌です。ときどき、死んだほうがましだと思うくらい嫌です。

で、そこで泣いてたって、食い続けてたって、飲みまくってたって、買物しまくっていたって、問題があることはわかってるわけで、「なんとかしてやろうじゃん!」ってガッツは生きていれば誰だって多少なりともあるはずだと思うんですね。飯食えないくらい挫けてたらだめですよ。生命体としての存続がまず第一優先です。早く飯食って寝ましょう。

こんなに自分が嫌いになるくらいなら、そんな意地にならないような意地や習慣や考え方なんかに囚われていないで、ぱーんっ!と棄てちゃって、自分をまっさらにしてみるといいですよね。で、人の話を聞いてみて、「アテにならないことは棄て、ためになりそうなことは聴く」と。依怙地になって守り続けてた考え方や習慣に、穴があったこと、誰かが指摘してくれるかもしれない。授業料もカウンセリング料も払ってないのにすごい!こんなにこの人は自分を気にかけて本気になってくれてるんだな、と感謝だって生まれちゃいます。

何でこんなことをつらつら考えていたかというと、私はもうすぐ入院態勢に入ります。生まれて初めての手術です☆意地があって、私は手術や自分で理解できない薬物に頼らない闘病生活を7ヵ月半してきたわけなんですが、どうもそれじゃー治らないことを悟ったわけです。時間かかりましたよぉ。薬物や手術にはどうしても頼りたくなかったです。すごい深い意地がありました。

ヘルニアやったあとに椎間板が圧迫していた、治ったはずの座骨神経が壊れちゃったのです。交通事故で足の痺れ再発。いろいろやりましたよ。鎮痛剤を合計で4種類替えて自然治癒を待つ・電気治療・鍼・マッサージ・フィジカルセラピーの体操・超音波治療・指圧・温泉熱治療・気功・骨髄注射。でも、やっぱり神経の細かいところ(もうマイクロすぎて説明できませんな)がやっつけられて麻痺しちゃってるんで、その神経が完全に動かなくなる前に手術して開いて神経そのものを治さないと、生涯びっこになるって言われて悩みましたさ・・・。

入院したことがないから、医療体制を信じてないから、なんていう意地じゃなかったです。私は自分と自分の身体の免疫と自然治癒を強く強く信じてやっていきたかったのです。英語では Hollistic therapy (統合的治療)というのですが、身体の一部だけをいじって何かをいい方に変えるということに、どうも納得できないでいたのです。「すべては繋がっている」という私が信じていることに反するようなこと、自分がしていいのか?なんて大袈裟に考えていたのです←私にとっては大袈裟なことじゃないんですが・・・。

何人ものドクターと7ヵ月かけて話をして学習をして、その「局所的」な短絡的な治療ではないことがやっと納得できたので、素直に手術を受けることにしました。長い時間かけて馬鹿みたいでしょう?でもねぇ、こうやって納得しないとどうしてもやっていけない不器用な人間なんです、私。

そして私が得た教訓は「意地」を張るのはとってもいいこと→で、その意地が何に支えられているのかきちんと検証すること→廻り道したように見えても自分が自分を好きでいられる解決策を必ず意地で見つけること→そして意地をさらに強固にしていくこと、でした。

そして私は今日も自分が好きです。

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自他共に健康を自負するワタクシなのですが、生涯で唯一手術したのが、坐骨神経が飛び出てしまったヘルニア。しかも!慢性疲労によるものではなく、事故だったのですよ(汗)。Barnes & Nobleという大型本屋さんのハシゴ(書店に梯子がある風景は日常なUS)の1,5mあたりから、ドーン!とお尻から落ちたのです。健康だったからこそ、この手術のために、やるべきことをすべてやってから手術、というプロセスを踏まないと気がすまなかったんですねぇ・・・。

 

そして本日、現在、そして未来も、この意地は強固です。英語では、Stubbornではなく、determinedでいくぞ!といつも考えております。

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Things Are Looking up

11月くらいには、16時ってもうこんなに暗くなっちゃうんだな・・・と切ない気持だったのですが、最近、おひさまを求めているせいなのか、けっこう、徐々に、じわじわと、陽が長くなってきている気がしています。

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そして!ESLの生徒さんは、6000字もある英文をしっかり読めている!という事実やら、何度でも取り放題の英語基礎コースを思いっきり満喫してくれていて、何度も取ってくれている上に、「いやー、深い!深くわかってきている!」と言ってもらえると、まさに、Looking up! 物事はどんどんよくなっている気がしてしまうわけですよねぇ・・・。

レッスンが詰まってくると、書類づくり、特に、Syllabus(授業内容書き落とし)や、広告づくり、HP用の準備、Street Academy講座、Workshopやイベントの立案などなど、いろいろ仕事が遅延されて、山積みされていくのですが、なんとなくここのところ、それを憂鬱に思うこともなく、淡々とこなせそうな気分になっています。

ExpertsのHPの原稿は相当な量があるけれども、描いていて、書いていて、本当に気分が晴れ晴れとしてくるし、ESLのSyllabusも楽しい内容てんこ盛りで、本当にワクワク♪

動画もアップできたら、またすごぉく楽しくなるんでしょうし、最近では、中学生のK Brothersのレッスンが楽しくて仕方がなく、春は既にすぐそこまで迫ってきており、いつトントンとノックされるのか?と気が気でない感じになっています。

しかも!USから5匹連れてきたネコの最後のひとりが、最近、本当にかわいい。社会性のないネコで、典型的なツンデレだったんですが、ここのところ、ひとりになって観念したせいなのか、寝る時もぴったりくっついたり、手の上に身体を乗せてきたり、まぁ、すごい変わりようです。

レッスンをしていてさらにいいことは、生徒のみなさんのバックグラウンドがそれぞれ違うので、調布にいながらにして、本当にいろいろなことを覗け、いろいろな場所に行って体験しているような気になれてしまうところです。したこともないゴルフの臨場感。芝の匂いや風の音までを脳内で再現できてしまえる自分にもびっくりですが、そうした窓口が財産すぎる!と、この仕事をしていて、本当によかった(涙)と、物事がとてもうまく行っている気がしているけふこの頃です。

Kindle本の執筆構成も考えており、この追われている状態からどうやって脱け出すか?を考えねばならぬのですが、どうしても寝なければ役に立たない私は、どうやってそれを捻出し、ますますLooking upになるか?を、夢の中でも観てしまうよくばりです。

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大雪のあとで

月曜日はちゃんとレッスンがあったのですが、幸運なこと?なのか、10時のレッスンはキャンセルがそもそも、雪前の日曜日の午後に決まっており、昼過ぎはどうだ!?と朝から様子を見ていたのですが、午後からみぞれ→雨に♪

夕方からの生徒さんからも、「遅れたらごめんなさい」と最初にメールで連絡が来たものの、実際はいつも通り5分前にはいらして、楽しくレッスンをしました。その際、youtubeにアップする動画インタビューをしていただいたのですが、インタビュアーは渡邉浩世さん(ミュージシャン・ボーカルレッスン講師・youtube広告技術者など多面的な顔を持つ♪)で、仕事をしながら聴いていた私は、涙が出そうになりました。ありがたすぎる・・・。

さらにもうひとり、生徒さんにインタビューをしていただいたのですが、そこでもまた涙(笑)。なんていいインタビューが2つも撮れたんだ!と、本日すでに2回泣いています(笑)。

安い涙かどうか?は、動画がアップしたときにご判断くださいませ。

しかし!長靴を所有しているんですね、けっこうな割合で、人々は。実は、私は生涯、長靴を所有したことがありません。女の子色ではない、ブルーかグリーンの長靴を所望した幼稚園前の私に、業を煮やして、母は到頭、長靴を私には買ってくれなかったのです。いえ、その後、買ってくれそうだったんだけど、私が意地っ張りだったせいで、どうしても妥協しなかった、というのが正解です。ピンクか赤、と指定されたんですが、どうしても履きたくなかった・・・。変わった子だとは思っていませんよ、その時点で(苦笑)。

なので、今でも赤以外のランドセルを背負っている女の子を見かけると、グーのこのスタイルで、「よっしゃー!」とやってしまうのでした。

よっしゃー

その私の足元は、靴ですらなく、本日もサンダル(笑)。12月に入ってようやく靴下は履き始めたのですが、家では、朝っぱらは履き忘れていて、シャワーを浴びて出かける直前に履いております(笑)。すべらないように、と少しペンギン歩きになってしまった雪解け道が一部あったのです。そこで、ペンギン歩きをしていた自分を思い出す、という忙しい日でした。USでオンキャンパスのバイトをしていた頃、まだ英語ができなかったために、「英語で言うべきこと」を印刷やさんや、シスター、修繕のおじさん、先生、などに伝えるために、どう言えばいいか?を英語で組み立てながら歩いているわけです。その際、うまくまとまらないと、目的地に到着してしまうので、少し遅くするために、ペンギン歩きをしていたんですね。最低3回は復唱したいじゃん、とかやりながら(笑)。

penguins

そんなこんなもあり、本日合計3回泣いて、20回くらい笑いました。佳き日なり。そして本日の最後には、4回めの涙は、ペンギンのプロポーズ。ペンギンの生態深いなー。

そして、日々、繰り返しのまま時間は過ぎる

やるべきこと・やらねばならぬこと・やっておいがほうがいいことに囲まれて生きていませんか?前々から英語が必要になる時代が来るとわかっていても、なかなか手が付けられない。なぜならば、優先順位としてそれほどに迫ってきているわけじゃない、という方が大勢います。

ラグビー選手権は2019年8月、東京オリンピックは2020年7月。それぞれ、あと3年7ヶ月と、4年6ヶ月です。それまでにどれくらい英語ができるようになっているか?を、具体的に想像しているかどうか、非常に微妙な感じですよね・・・。それ以内になんとかなるんなら、どうぞ手を付けるのは計画通り、1年前などでいいんですが、おそらく、日本での英語の学び方では、実際に通じるようになるまでは長い道のりになると予測してしまうのです。

ワタクシの例であれば、渡米してしまったこともあり、8ヶ月後にはすでに航空学校でヘリに乗っておりました。無線を理解し、コミュニケーションがそこそこ取れ、テキストや法規、理系のチャートやらその他が読め、アパートの交渉やら公共料金の支払いの他、映画館に行き、それなりに暮らしながら、生活や勉強と同時並行としての英語学習は、それからも進んでいきました。

ですから、みなさんも、やるべきこと・やらねばならぬこと・やっておいたほうがいいこと、と並行・同時・時間差で充分できるんですが、その腰が重いんですね?

最悪のシナリオとしては、2020年以降、まだまだ世界は狭くなっていき、インバウンド需要を目指したものがジワジワと定着し、日英韓中の看板がもっと増え、ひょっとするとギリシャ語・ドイツ語・スペイン語・フランス語対応せねばならぬ業種や業界も増えるかもしれません。けれども、ヨーロッパ系の人々はみな英語で対応できるので、やはり英語だけは、という風潮は定着していきます。

そうした意味では、もう4年半しか残っていない!のです。

これまで、試行錯誤してきた歳月はいくばくですか?長い方では20年も独学・スクール・セミナー・その他の英語に関わる学びを、オンーオフを含めてしてきた方もいます。そんな挫折をいつまで許し、自分を傷めつけていくのでしょうか?もう見切りをつけて、ここらで本気になってみませんか?

自分が変わろうとすれば、いくらでも脳は応えてくれます。その方法をまず身につけてしまえば、日々のごちゃごちゃも解消ですし、英語なんて楽勝な部類になっていきます。

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母性神話

17年ほど前に書いた文章です:まだ母親になれる可能性が残っていた時期にどのような経緯で選択したのか書いてあります。なつかしー!

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私も若い頃は、子どもが産めて育てられるのではないか?と可能性は捨てていませんでしたが、2年前に子どもを持つことをきっぱり止めてから、すーっとラクになりました。もうアレ以上考えなくてもよくなったことは、Titanic級の豪華船をすっきりと撃沈してしまったくらいの気持ちです。次に引き揚げ作業をするときは、私はもう生理的に子どもを持てない年齢になっていることでしょう。

が、若い女性だったので、女性であることでの選択肢についての苦悩は、とても理解できます。掲示板やBlogその他で、子どもを持つことについて、をとても美化している風潮がありますが、少子化が進んでから、さらにその傾向は右化して人々の意識に無造作に働きかけているように思えてなりません。個人として、きちんと選択する前に、その周囲を「参考資料として冷静に見る」のか、流されて真っ只中で揉まれてしまうのか。決断する瞬間には、自分に納得のいくものであってほしいと願ってやみません。

当然、人の人生はいろいろです。まったく考えなしに、「自然なこと」と思って子どもを持つのもありです。が、彼らが引き受けなければならないのは、「私が選んだわけじゃない!」とあとから言い訳をしないことです。考えなしにしたことであっても、行動には責任がくっついてきます。特に、別人格である生命体をもうけることに対しては、20年+もの責任がついてきます。その責任を全うする力量がないままで、あとから泣き言を言っても遅いのです。科学、特に医学は目ざましく発達し、学校で教えなかったからと言い訳して、避妊しないままほしくなかった子どもを持って、文句をたれてはいけません。

私は、未婚の母や、ゲイカップルにもなんら反対意見はありません。人工授精や懐妊クリニックも応援します。自分が選択したことに責任を以って、全うしていく覚悟があれば、厳しい意見は他に何もありません。健康であっても子どもを持ちたくない選択があってもいいではないですか。母親に向いていない人はならないほうが子どものためです。私もそれ気味でしたし、世の中では離婚したあとにボーイフレンドに子どもを虐待死させる女性が増えている、と、ネットでよく読みます。他にも、マタニティうつ病などで、予定とは違う暗い子育てだってあるのです。人にはそれぞれの事情があるのだから、国をこぞって、子どもを産み育てろキャンペーンで、脅してほしくはないですね。

女性がキャリアを選ぶか、家庭生活、特に出産・育児を選ぶか、というのは、物理的にも社会的にもまだまだ難問です。が、私のテイクとしては、キャリアと子どもを持つことは同じフィールド・カテゴリーにあってはいけないことなのではないか?と思うのです。そこで、男性社会を責めつけることもできますが、そんなことをしていては、自分が倖せにはなれない。むしろ、責任転嫁をして、自分の首を絞めるだけです。自分が決め付けてしまった、「キャリア vs 出産と育児」を、これからチャンスがある女性は取っ払ってしまったほうがいいです。ハリウッド女優でも、Reese Witherspoonのように、映画1本で15ミリオンも稼ぐ女優は、23歳の早さで結婚して2人の子持ちです。スーパーモデルのなかにも、規律を課してキャリアに戻れた女性はけっこういます。どうして、両方取る作戦を考えてみないのか?と不思議でならないのですね。

日ごろ、女性の母性神話を鼻で笑っているパートナーも経営者になったので、うちの女性社員が産休を申し込んだら頭が痛いと思います(笑)。そのときは、彼の日ごろの世界観や信念が試されるときなので、私は微笑んでお手並みを拝見したいと思います。が、うちの女性社員にはまだ煙も立っていませんので、もうちょい時間はあります(笑)。

自分の力量をきちんと査定し、どちらかを選ばなければならない状態なのだと、はっきり、悲しいけれどもわかったときには、自分の選択に自信を持ち、社会に対しての恨みやつらみ、過去の栄光などを語るのは、とても見づらいことです。あちこちのBlogで見ますが、過去、キャリアバリバリだった女性が、過去の栄光の端々を書き込んでいます。私がよく行くサイトの女性は、キャリアバリバリだったにもかかわらず、キャリアを一時期お休みし、さんざんな苦労をしたあげく、姫君に恵まれ、自分の次のキャリアについても、日々、姫と遊びながら練っているようです♪いいねぇ、と思ってしまいます。

筋が通っているようで通ってないアドバイスに、「仕事はあなたではなくても代わりがいるけれども、あなたを母親として必要なのはあなたの子どもだけなのだから、迷わず子どもを選ぶべきでしょう」というのを、たまに見かけます。私としては、「うがぁ、こんな激励をそのまま受け取ってしまう人はいるんだろうなぁ」と危うく見ています。Gosh, Bunch of crap! というのが私のリアクションです・・・。

子どもにだって母親の代わりがいなくてはダメでしょうよ・・・。他の大人でも子どもにしてあげられることを、なぜ母親の肩に一気に乗せてしまうのだ?私も自分の母親をこよなく愛していますが、母親が持たないものを他の誰かからたくさんもらってきましたし、母親が忙しいことに我慢して大きくなったし、何より、母親が輝いていることが私の支えとしてきました。どんなに忙しくても、いっしょにいる時間がよそ様に比べて短くても、Precious Moments(かけがえのない瞬間たち)がいかに持て、それをお互いがいつまで経っても大事に憶えて、胸のなかに生かされていくことが大事なことで、決して長くいっしょにいて、子どもを子ども扱いし面倒見続けることではないです。

代わりがあるような仕事じゃなくするための、段階的・時間のかかる作業をどんどんしてきたのですよね。それなのに、代わりがいるのだとあっさり言われてしまうのもつらい・・・。事実としては、どんな物事にも代わりはあるのです。母親だけがないように言うのは違います。その証拠にこの世には、たくさんの養父母がいて、産みの親に育ててもらえなかったことを乗り越えている人たちがたくさんいます。私の友人や知り合いにも何人もいますし、実の父親が9歳?から17歳まで養子に出されていましたが、実父母をそれはそれは大事にしていました。男性の仕事であっても代わりはいるし、父親にもやはり代わりはいます。家庭内で父親的役割を、母親がしている場合も多すぎるくらいです。が、母性神話は増えていく・・・。

こうして、神話にどんどん尾ひれがつき、女性たちは仕事に後ろめたさを持ちながら出かけていくことになります。妻や母親や恋人である前に、自分は自分なのだという自由で可能性を探る瞬間が減り、輝きが鈍くなり、いつか光らなくなってきます。神話が正しいのだとしたならば、女性は母親になることで光り輝き、太陽よりも月よりも永遠に輝くはずなのに、みんな疲れてキラキラしなくなってきていませんか?そして、光らなくなったとぼやいている配偶者がネットでドキドキ探しをしている風景はよく見ます。なんだか、悪循環じゃないでしょうか・・・。

母性神話に背を向けてから、私はずっとずっとラクになりました。母親であっても、神話通りの女神でいなくてもいいわけです。周りに振り回されるのはやめましょう。ウダウダ言うやつに限って、もしものときに、まったく力にはなってくれてないはずです。なぜ子どもがほしいのか?よく考えてみてくださいね。考える時間は医学の進歩により山ほどあります。Holly Hunterは初産で双子を47歳で出産する予定です。Geena Davisも、Al Pacinoの彼女だった Beverley D’Angeloも40歳過ぎての初産です。知力と経済力で育てる気力があれば、出産は遅くてもいいチョイスもあります。

それに、人生は仕事と(母)親になることだけじゃないですもん…。

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そしてかなりの時間が経ち、私は子どもを持たなかったというチョイスについて、120%満足しています。負け惜しみでもなく、他者に対する羨望もなく、ただただI am happy for you!が心から言えて、世界が住みやすい場所になっており、私ごときには子どもは20年+は育てられなかっただろうという予測は正しかったと確信しています。

子どもさんを教えているのですが、全体を観て、冷静に客観的になれることがとてもうれしく、それでもパートタイムママができてしまう瞬間がたまに訪れ、こんなにいいことはない!と思えています。しかも昔から、子どもを子どもとして見るというよりは、ヒトとして観てしまう傾向があったので、向いていなかった根源はここなのだろう、と今はよくわかります。だからこそ、自分の時間を相当量献身しなければ無責任なまま終わったタイプのヤツなんだ、と。神話は神話でしかなく、美化された理想の物語でしかないですし、実際にそう言われてしまっている女性たちも、ものすごい負担感で毎日苛まれているに違いなく…。

子どものいない私は、社会貢献の大きな一部として、子どもを社会で育てることに積極的に参加したいと思っています。私、子どもは苦手じゃないですよ(汗)。むしろエレベータや電車など、あらゆるところで、赤ちゃんから小学校4年生くらまでに、じー見されます・・・。あのじーっと見るきっかけとか理由って何なのだろう?それはUSでも同じでしたし、まだ日本でも各所で起きています。やっぱり容姿なんだろうか?

 

母性神話 bosei

世界の中の立ち位置

近視ぎみで世界を見ていることが多いのは、子どもっぽい証拠です。あなたの持っている視点をカメラと見立てたときに、どこに三脚を置いていますか?機能のいいカメラであれば、画素もフォーカスもピントも手ブレも気にせず、鳥瞰図・俯瞰図を必要に応じてパンできるのですが、ヒトは広く物事を俯瞰することがなかなかできないようです。

ちなみに、世の中にある道具は、かなりの割合(私的に見ると9割くらい?)で、生命体:植物や動物などの生きるものを模したものやヒントをもらったものから作られており、カメラは眼ですし、エアコンは哺乳類などの体温調節機能ですし、蝶番は関節ですし、飛行機は鳥やコウモリ、昆虫からなどからですし、そうした意味でも、子どもが世界を見ている視点は、最初はものすごくごちゃごちゃしているんじゃないか?と、子どもの頃をなつかしく振り返って観ています。

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いつもいつも不思議に思っていると面倒なので、脳はとても優秀に動いてくれて、物事を分類することを教えてくれます。ところが、子どもの頃は、世界の有限性および無限性のでかさがわからないのです。大人になって自然についてくるように思っていますが、ここに着目するとカメラはたいへんに優秀な機能を持ってくれることになります。

自分の世界の中での立ち位置にとって、最も大切なものは「起点・基点」です。それが、自分を持っているということ。たくさんのヒトたちの意見の「無難」「平均」「同意点」「妥協点」ではなく、自分は??をいつも明確に持っているか?ということです。

これがSelf-Esteem:自己肯定感なのですが、自己肯定感が少ないまま生きていくことは、たいへんに息苦しいです。ラクでもなければ、まま楽しくない・・・。狭い世界であろうが、広い世界であろうが、自分がないことには、フットワークも軽くなれず、世の中の小さいことにも大きいことにも関心&感心が持てず、強さや弱さもわからず、ごちゃごちゃなままで生きていくことになるわけです。その中で、自分という人間は一体ナニモノなのか?というIdentityは、10代で確立されるととってもいいのですが、成人式があったこの季節、みんなまだまだ迷っているんだろうなーということが見受けられます。

大人が迷っているがゆえに、10代によい見本になることができない、というのは大きな原因なのでしょう。だって、ヒトはヒトに大きく影響されますから。早期に自分の世界の中での立ち位置が実感できると、失敗しても復活は必ずできてしまいます。みなさんが、自分が一体ナニモノなのか?を、早く見つけられ、それに沿った生き方ができるよう、いつも祈りつつ、心理的見地から英語を学んでいただくことに、一球入魂する日々です。

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差別はある?~性的嗜好

1999年に書いたので、17年くらい前の文章ですが、てんこ盛り情報です。こんなふうに投げかけたかった情熱の元は何だったんでしょうか?本日とても長いです。

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差別:(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。(2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。(3)〔仏〕 平等に対して、それぞれの物が異なる独自の仕方で存在している姿。さべつ。
偏見:かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。
先入観:前もってつくられた固定的な観念。それが自由な思考を妨げるときにいう。思い込み。先入主。先入見。

私は、差別をする視点がかなり低いほうだと思います。が、私の賢さへの思い入れは強く、どんなパラメータ(統計学での母集団特性値)に琴線が震えるか?というのは不思議なところです。私は、この世にバカはいないと信じているので、ただ、バカな行為を考えが足りずに重ねているという解釈なのですね。

なので、「努力していないのに自分をバカよばわりする行為」と「自分の賢さについて必要以上に誇示する行為」にどうも引っかかります。時として差別的に聞こえることもあるかもしれませんが、実際のところは、「この世にはバカはいない」はずなので、差別ではないのです。が、この私の結論が「偏見」「先入観」だと解釈する人がいてもおかしくありません。

私の癖なのですが、「ねぇ、世界で上位何パーセントに入るくらい、賢いと思う?」という質問があります。過剰に賢ぶっている人に冷静に考えてもらうための質問なのですが・・・。たまーに、そうでなくとも、ある人のモノの考え方の構築を見るためにも、お試し質問として使ってしまうことはあります。これで、上位5%とかいう人がいて、私と飯を食っていたらお笑いすぎです・・・(汗)。何を基準に、世界での自分の位置を決めているのか、けっこうわかるので、楽しい質問です。

「俺は背が高い」「私は美人」「俺のセンスはすごい」「私は金持ち」などという自慢する人たちにも使えてしまうので、「世界で上位何パーセント質問」は大いに使ってみるとおもしろいです♪←こんなことやってるから、他人を怒らせるんだろね・・・。

おっと、すごい脱線した・・・。さて、差別です。私は差別をする行為が嫌いであり、人そのものを嫌うようになるまでには、とことんその考え方についてインタビューしてみなければ、という態度でいます。表面だけ知って、自分の世界の中だけで判断するのも、かなり失礼な間違った判断で、その行為そのものが差別だからです。

私がUSにいるせいなのか、しかもゲイコミュニティがしっかり機能しているSan Franciscoのそばにいるからなのか、私は Homosexual(性的同性嗜好)差別についての、知識と解釈と差別について、いまだにたいへん驚かされることが多いです。私は、日本にいた小娘の頃から、ゲイに対する偏見も先入観もありませんでした。むしろ、自分のお金ではなく、ゲイバーにもよく連れていってもらいましたし、そこで、「あんたっ!女に生まれたのに、女であることを満喫してないわねっ!」とよく怒られていました>バイクに乗って煤けた顔で、化粧もしないで、薄汚い格好をしていたからだと思う・・・。たまたま自分が多数決の多数である、Heterosexual(性的異性嗜好)に生まれたからと言って、そうでない人たちに対する垣根や偏見を持ってしまうのは、どうなんだろう?

つい先ごろ、日本にもUSで初めて、性についての研究をし、統計を出した Dr. Alfred Kinseyの映画が上陸しました。私は映画をまだ見ていないのですが、授業でHuman Sexualityを取ったことと、Dr. Kinseyに継ぐ、Johnson&Mastersという学者の研究もさらにパワフルに続いており、ニュースでも取り上げられているので、アップデートはしていると思います。映画では、不正確なところがいくつかあり、細かいことですが、どんな伝記映画も多少のブレはあるので、すべてを鵜呑みにしないようにしてください>この映画の真実性については、英語で、Kinsey Instituteが取り上げています。

Kinsey公式サイト英語版 http://www2.foxsearchlight.com/kinsey/site/  
Kinsey研究所 http://www.indiana.edu/~kinsey/ 

Kinsey公式サイト日本版 http://www2.foxsearchlight.com/kinsey/site/   

彼の功績のひとつにあるのは、ヒトの性的嗜好は、2進法の0か1だけではなく、0から6の7段階に分けられるというものでした。0が異性にしか興味が持てない、で、7が同性にしか興味が持てない、とし、その真ん中を区切ったものです。たとえば異性嗜好者である私でも、きれいな女性のヌードに性的に魅力を感じる、や、高校生の頃、女性と実験的キスができた、などの思い当たるアクシデント要素の強い行動もあり、私はおそらく、ストレートに近いほうのストレートでしょうが、指数で言えば、完全なる0ではなく、1です。最近では、Bisexualという概念も受け入れられるようになり、男女共に性的対象にできる人々もやはり存在します。

私は、性的嗜好以外のことは、かなりの割合で、少数派に属します。たとえば、化粧を年に3回しかしない・男性的脳をより多く使う傾向がある・子どもを持っていない・留学が終わっても日本に戻らなかった・オートマチック車よりもシフト車のほうが好き・タイプが速くてワイヤレスキーボードが使えない・アジア人の割にアルコールを飲める・年を食っても学校に行き続ける、などなど、挙げればキリがありません。

差別をされてきたか?されてきたという犠牲者感覚はほぼありませんが、いつしか外れていたな、という自覚はあります。それなりに解決できてしまえた範囲だったので、大きく犠牲者意識を持たなくて済んできたというだけで、解決できない人たちがつらい想いをしているのを、黙って見ているわけには行かない気もしています。

知らないから怖い、怖いから隔絶する、隔絶するからさらに偏見は進む、という悪循環が、性的差別をしている原因です。なぜ、Homosexualが存在するか?というのは、まだはっきりと100%解明できてはいませんが、かなりの強い割合での先天性(生物学的原因)と、ある程度の後天性(生まれたあとの環境からのインプット)とされています。科学はどんどん進むので、私としても目が話せないサブジェクトです。Homosexualの男性、14人の検死でわかったことは、彼らの視床下部が女性的に発達していた、ということがあり、先天性が優位になりつつある気配はあります。

では、(決定的に)性的嗜好が自分でコントロールの利かない宝くじのような、確率に定められていることならば、差別をされているほうは、たまったもんじゃありません。もしも、限りなく後天的に原因があったにしろ、環境を提供してきたそのある個人の周りにもやはり原因はあるということになります。

Homophobia(性的同性嗜好者を忌み嫌う傾向)の方々は、なぜ自分がHomophobiaなのか、一考してみるといいです。そのあと、なぜ自分が異性嗜好者なのか、きっぱりはっきり教えてもらいたいです。さらに、冗談であっても、「言い寄られたら迷惑」だのというのをよく見たり聞いたりしますが、彼らにも好みはあるということを、なぜカウントできないのでしょうか?その理由も聞いてみたいです。差別をし続けるということは、自分の無知識をどんどんさらしていくことに繋がります。他人の性生活に口出しする権利は、異性嗜好者であれ、同性嗜好者であれ、ありません。性的行為のパートナーだけのビジネスです。

ただでさえ、たいへんなこと、疲れることが多い人生です。ほんのちょっとの知識で理解を得られ、怖さがなくなり、わからないという不安や感情のざわざわがなくなるのですから、ぜひ、知識で武装して、差別をなくしてほしいものです。

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このように、いろいろ考えていたのですが、最近ではストレートに限りなく近いことすら、あまり関係なく、Asexual(非性的存在)になりつつあります(笑)。みなさんはいかがですか?

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新サービスの準備

英語基礎コースを修了した方の中で、もうちょっと心理を踏まえた英語学習を続けてから、独学に入りたい!という方が増えてまいりました。そのため、ELSクラスを設けたのですが、もう少し奥まった目的別のExpertsを目指す方のためのプログラムを開始することにしました。

2月1日にHPを公開する予定にしています。目下、それを一生懸命構築している最中です。ドメインはもう取得してあるんですが、けっこう詰まっているレッスンの合間に作成しているため、かなり時間にゆとりを持っています。

Portrait of people from different professions standing together on white
Portrait of people from different professions standing together on white

ひとつには、医療関係者で海外でも働けるようにしたい!という方のためのプログラム。Precious One English Schoolでは、医師・看護師他、医療従事者としてUSで活躍したことがある講師がおり(常勤ではないですが)、彼らの専門性を分かち合っていただき、いつか海外で才能を発揮したい!と思っている方のために、英語と背景の文化や歴史の違いなどを学んでいただけるようにしたいと考えています。しかも海外ですぐに仕事ができるようになるための英語だけではなく、方法やご紹介、カウンセリングも完備しています。

さらに航空界!私がパイロットのライセンスを取得した経緯もあり、視力がなくともパイロットになれる!ということは励みになるのですが、いかんせん、英語が・・・という方は多いように見受けられます。2015年調布飛行場で小型機の事故がありましたが、あのような無理をせずとも事故が起きないManeuvering が可能な場所で学び、危険を回避する術を身につけ、さらに管制官・整備士などの専門性も追求できれば尚いいのではないか、と思ったのです。

もうひとつは、地の利を活かした起業を目論んでいる方々のための英語レッスンで、Silicon Valleyに長くいたことを踏まえ、Computer Scienceをはじめ、日系人が多い場で、日本ですでに持っている自社の製品やサービスを展開してみたい、という方のための英語を追求していくことにより、他者任せにしないCEOとなったり、小さい規模でまだアイディアしかなくとも起業が世界デビューでできるのだ、ということを視野にして、今持っている自由でおもしろい発想を商売にしたい方たちが、英語ができて最強な状態になり、単なる留学とは違ったひねった視点での学びを目指します。

最後に、Precious One English Schoolで講師として通用すれば、どこでも通用するので、21世紀型の「思考と文化を深めた英語を教える」ための講師もExpertとして数えられます。ありがちな英語センテンスのやりとり、TOEICや英検を教える、文法を教えるだけでは、もう英語講師としての技術は足りません。実際、現在でもそのような英語講師を求める会社や社会が情けない状態で、現実を把握しきれていないのですが、会社に入ってから「研修」を重ねるよりも、英語を学びながら世界を広く考えるための思考や意識の深め方、新しい価値観や経験をひるまない折れない心などを、いっしょに学び、結果、1つの行為でたくさんのことができるようになる!という教え方ができるのが、21世紀型の英語講師です。

2月1日のオープンまでもう少しお待ち下さい。

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海外暮らしを始めた理由

2006年頃に書いた文章です:

自己紹介にも書きましたが、US暮らしは足掛け18年目になりました。そのわりには日本語をちゃんとキープしてるでしょ?(笑)それも10年前ほどに出会ったネットのおかげです。テクノロジーに感謝♪

幼い頃から、私はどうも日本社会の中で暮らすことに向いていない、と感じてきました。よそに住んだことがないのにどうしてそう感じることができたのか?とても窮屈だったことや、まだ口も利けない頃にお友達だった、Mike & Naomi兄妹が近所にいたこともあるのと、9歳頃に川原で石投げをしていたときに出会った華僑のおじさんと話しこむようになったことがきっかけだったと思います。さらに、図書の時間に読んでいた数々の伝記や、カタカナの名前を持つ主人公の絵本や小説。

ただ、私の育った家は戦後ずいぶん時間が経っていたにもかかわらず、たいへん貧乏でした。父の給料日前10日ほどは、お米が米びつにないのです。雑炊にして増やして食べたり、お芋類を主食にしたり、母は戦中戦後さながらのメニューをよく出したものです。新興住宅地で新築建売が乱立し始めた同級生のお家の事情と比べては、ため息をついたものです。文具もおやつも着ている洋服も、比べることに意味がないことを悟ったのは、かなり幼年期であった記憶があります。

早く家を出たいという反発と、両親に感謝を深く持つという愛情に挟まれ、それでも生涯生きていくためには、何とか稼げる手に職を持ちたいと願ったものでした。

高校をアルバイトしながら出たあと、1年浪人をして大学に入りましたが、そこでも生活そのものは仕事ばかりでした。ウェイトレスは今でも自分の天職なのではないか?と信じたいところです。教師になろうと思っていたのですが、日教組を含む、政治的システムに嫌気がさし、留学を決意して、大学もすんなり中退しました。2年半で600万(1980年代当時)貯めて、手に職をつけるためにUSに渡りました。まだ健在だった父は近所の中華料理やに40人もの人を集め、送別会をし、涙目で、『故郷に錦を飾るまでは戻ってくるな』と言いました。こんなに長くなってしまうとは…。

USに渡って、回りがHomesickにあえいでいる中、私は一度もホームシックらしいものに生活のリズムを壊されたことがありません。英語ができるようになったと感じるたびに、どんどん自由を獲得していきました。いくつか手に職もつけ、他人にはしょっちゅう「もうアメリカ人だね」と言われながらも、やはり日本に住むために戻る揺るぎなき理由を見つけられないでいます。

海外暮らしを始める理由は山ほどあったのに、戻る理由がなかなか見つからない。死ぬまで日本人であることは動かしようのない事実ですが、この決断は今でもとてもよいものだったと確信しています。私はここではナニジンであるかを強くいつも感じさせられないで済み、自分の言動に責任さえ持てば、好きなことを、回りを気にせずすることができます。

『出た杭は打たれる』かもしれませんが、『出すぎた杭は打ちにくい』を、日本に帰るたびに感じています。もう引っ込めませんね…。

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そしてこんな私に日本に帰ることを決意させたのは、他人も眼を瞠るほどの健康でした。計画としては、70歳くらいで死にたかったのですが、父が54歳で亡くなったのでその方向で考えていたのですが、母がピンピンしているためと、まったく老化のスピードが遅いため、計画よりも「お金がかかる」ということが判明したことです。

USやその他外国に長く住みたいのであれば、経済基盤をもっと中規模なものにしないといかん!と一念発起して戻ってきました。1年でも早くUSに一旦戻り、また大学に通いたいです。最近では、死ぬのはアフリカがいいかな、と思い始めています。時代は変わるもの。フットワークが軽いままでいるために、清貧も大切ではありますが、多少のお金は必要なことが、ナマミゆえに痛いところです(汗)。

けれどもPrecious One English Schoolは、至って論理的でリーズナブルですので、安心して無料体験レッスンを受けてみてください:無料体験レッスンお申し込み

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人格攻撃をしない

いつの頃からか人格攻撃をすると人間関係が損なわれることに気づき、思考や習慣、他者からの影響(特に多数決)を受けた結果としての行動に対して、けっこうな分析をしてから、行動そのものに対して評価する癖をつけてきました。

ですから、人そのものを嫌うことはまず初期段階ではありえないのでした。決定的に人格を左右する要因がいくつかあり、それがクリアできていれば、おつきあいは継続します。おつきあいしていく中で、問題になるのは:

  • 自分以外の価値観を認めない→それについて考えることを怠惰なままにしてきたという悪習慣
  • それをずっと許される環境に生きてきて、生き続けてこられてしまった

という事実です。これが、その人の行動の8―9割を占めると、全体的におつきあいし難くなるので、遠距離にします。違う考え方や言動がイヤというわけではないことが、よくよくわかったのは、つい10年ほど前のことです。とはいえ、わかる以前は、やはり「この人嫌い」という表現をしてしまっていたことが、たまにありますね・・・。

それまでの私は非常に愚かでした。私は以前、トマトジュースがとても嫌いだったのですが、29歳で克服しました。トマトジュースがある世の中は認めないくらいの勢いで嫌いだった自分をとても恥じております(笑)。人ではなく、物だからいいか、などという曖昧な感じでよろしくない状態でしたが、二日酔いで飛行機に乗ったときに克服しました(笑)。その後、Campbellのトマトジュースに嵌まったくらいです。

ここ15年ほどは人格攻撃をせず、心が人間関係で波立つこともさしてなく、平穏に澄んだ気持でおります。特に自分と同じ考え方でなくとも、他者とうまくやっていける自負はあります。が、こうなるまでは長かったのかもしれません・・・(汗)。

たまに大損もしていますが、奉仕型だったり、貸しは作っても借りは作らないことをモットーとしたり、他人や環境のせいにすることを諌めたり、といろいろなトライをする中、やはり個人攻撃は修羅場しか招かないので、そうした、大きなエネルギーを使うことはやめちゃったほうがラクです。若い頃はそうした修羅場を笑い飛ばせるほどの元気が有り余っていましたが、学習が進むにつれ、まだまだ私ができないこと・やりきっていないこと・知らないことが、たくさんあることを知り、そんなことをしている場合じゃない!ということに気づいてからは、修羅場は避ける方向です(笑)。USに行かなかったら、という想定は、私にはとても怖すぎてありえません・・・。

英語で世界を広げたい方はぜひこちらから:無料体験レッスンお申し込み

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