時間数と結果は必ずしも比例しない

はっきり断言させてください。勉強時間と結果は比例いたしません。もしも、「いやいや、比例してる!」と主張なさるのであれば、それは、当たり前のことです。そんなにやってもできなければ、ある意味絶望的です (・・;) 「あるいは、やっていないからできないんだよな・・・」 とボヤくのも、やはりどこか違います。

Practice makes perfect とは言うものの、それは違うだろう、というのが私のテイクです。何度も何時間もやらねばならぬ、ということは、やり方が間違っていないか?という疑問。

私が特に優秀な子ではなかったのは、小学校2年生の三学期から3年生の一学期にかけてやった、九九でいかに苦労したか、でわかります。あの当時、両親は私を死ぬほどバカな子だと、「わかってたけど・・・」と揶揄しながらも、非常に落ち込んでいました(笑)。当時の私は、遊びを工夫するのにとても忙しく、九九に情熱が持てなかっただけなのです(笑)。まずいな、と思った3年生で、かなりな短期間でマスターしましたので、今でも七の段の苦労については、身体に染みついております(笑)。

そんな私でも、自転車も、漢字も、バイクも車もヘリコプターも、航空法規や気象学や航空力学も、心理学も、移民史も、数学各種も、人類学も、すごく苦労した覚えはないのです。英語も同じです。渡米した8か月後には、ヘリコプターに乗り始めていましたので、楽しい苦労しかした憶えはないし、面白いプロセスしか、踏んだ記憶はないのです。

たとえば、TOEICにしても英検にしても、何度も何度も受けている人たちがいて、思ったスコアや合格ができないままで、時間をただ過ごしているかのような結果になってしまったら、それはとてもひどいダメージではないですか??

まぁ、そもそもTOEICや英検が必要なのか?という大前提にも疑問がありますけど(笑)。

この人は、アメフトの歴史に残るすごい人なんですが、スポーツが根性や努力だと言い張る人々には、目からウロコかもしれません。

Vince Lambardi アメリカンフットボール プレイヤー・コーチ

完全なる練習が完全を作る、ということですから、単なる繰り返しは Big NOーNOなのです。コツコツと努力する、というのが大好きな日本人は、その努力の多寡によって、ヒトを評価する傾向が強くあります。ある分野での天才を、「特別視」する傾向があるようです。

この人は、プレイヤーがいい指導者とは限らない神話を崩しており、いい指導者で、しかもごく短時間にすごい進歩を遂げた記録を持つ人です。

私は本当の意味での天才は、ごくごく少ない比率でしか存在しないと考えています。天才の特徴や性格 けれども、分野ごとに鋭い人たちは存外たくさんいるものです。その数や質について、細かく言及しても意味はないのですが、天才ではなくとも、あそこまでは行ける!到達はする!ということが申し上げたいわけです。

私自身が奇跡のような存在だと、自分では自負しています。特に勉強した記憶などないですし(笑)、ド貧乏だったので、イマドキのように塾に通わせてもらえたわけでもなく、友だちが行っている塾で聴講させてもらったことがあるくらいです。自転車もバイクも料理もヘリコプターも英語も、そんなに時間を掛けたわけではなく、うまくいかない方法を消去していき、うまく行く方法をどんどんと採用しただけに過ぎませんし、そのためには、自分の身体:五感をフルに使い切ってきたのだろうと思うのです。

私は天才ではないです。奇跡的なことが重なり、よいように出来上がってしまった秀才くらいではあると思います。天才ほどこだわりは少ないですし、一般的な秀才ほど勉強量が多くありません。が、ここが狙い目なんじゃないかと思うわけです。

ある程度やって、結果が出ないことに関して、あっさりきっぱり止めることができないのはなぜなのか?を、そもそも考えてみたほうがいい。

小学校6年のときの私の身長は146㎝しかありませんでした。ほぼ平均でした。現代では低いほうです。12歳女子の平均身長 けれども、24歳まで168㎝まで伸びました。この理由は今もってよくわかりませんが(笑)。父も162㎝しかなかったですし、母も154㎝しかなく、なぜに??と今でも考えていて、隔世遺伝以外はないんだろうと・・・。母方の親族はみな小さく、父方は祖父のみが大きかったですが、伯父や叔父は父よりは高かった程度です。

先天的な部分を開拓するために、後天的な部分を生かしきりながら、トライアルを続けた結果、特に苦労や努力を人数倍したわけでもないのに、なんだかとても楽しくラクに生きているわけです。

∴ 時間数と結果は必ずしも比例しない、ということだけは言えるのです。たくさんやってできるのであれば、それはやっぱり方法論としてさほど優れたものではないことを続けているのでしょう。

そうした不思議を重ねて、アメリカで本当にびっくりすることに、東大よりもいい大学に入れてしまい、卒業できてしまったので、気をよくして、ますます日々勉学は続けているところです。

  • ある分野で成功したことを、次に応用するための力
  • 心持ちや考え方の調整と進化
  • そもそもの五感、体力、自分の本来持っている力の見極めとその伸び率への理解

などが、本来必要なこと、ではないでしょうか?

その上で、時間数を重ねることや量そのものをたくさんこなすのではなく、短い時間で失敗しない成功へのトライをやることが大切で、そのために既存のダメ出しや、自分を客観的に見る力などをつけるべきだと思わずにいられません。

そのため、Precious One English Schoolでは、それらに焦点をスライドしつつ、それを英語で応用できるように、というオリジナルカリキュラムを展開しています。

Precious One English School は4技能の底に「Grammar・Vocabulary」があるという説明をしています。ゆえに、英語基礎コースの42レッスンでは、4技能をまんべんなく上げていくために、現実的に構成されており、途中、独学のためのPracticeセッションなども含め、Grammarの歪みを直したり、Vocabularyについてもしっかり学んでもらい、認知を変えていただいたり、心理レッスンで;時間管理・コミュニケーションスキル・自己の深堀り・動機付け・独学準備・健康について科学する、などを入れ込んでいます。

お試ししたい方は、無料で体験レッスンをいたしますので、お申込みください!時間数が少しでも減り、必ず結果になる自分にマッチした方法を探せますように、全力でサポートします!

英語を教える側の義務

義務や権利の話をすると難しくなりますが、とりあえず、義務については明記。

 

義務:法律上または道徳上、人や団体がしなくてはならない、また、してはならないこと。

必要性:そのものが、どれだけ必要であるかの度合い。

 

心理学的には、Self-Control 自己統制感というコンセプトがしっかりと身について発達しているかどうか?が問われます。

 

Self-control:the ability to subdue our impulses in order to achieve longer-term goals.

誘惑や衝動に直面した際に、自己意思感情思考行動を抑制すること[2][3]。直接的な外的強制力がない場面で自発的に自己の行動を統制する行動プロセス。

 

強制感がなければやらない、という場面や場合、相手やタイミングは多いのかもしれませんが、このSelf-controlが低い人間が、他者を統べたり、教える側に回ることは、たいへんに危険なことです。

 

Self-control は、長期的な利益を追求し、近辺にある短期的な誘惑や衝動に抗うことができるスキル・能力が積み重ねられた結果で、スパイなどには必須です(笑)。あ、スパイだけじゃないけども、まぁ、試される機会が多いという意味で(笑)。

 

目の前にあるものに手を伸ばすこと、さらにそれが「オトク」だったら、抗うことはたいへんに難しいのです。けれども、そこで踏ん張ることができるかどうか?が試されていき、蓄積することによって、このスキル・能力は上がっていきます。

 

英語業界を広く眺めてみると、教えることによって収入を得ている人口はどんどん増えてきました。生徒さんが損をしない、サービスに見合った以上のお金を取らない、わかりにくいシステムを持たない、というのが、昨今ではそろそろと根付いてきているものの、ここにさらに「教える成果を保証する」という当たり前がまだ付加されていないままのような気がしていますし、もう一面としては、「ドキドキワクワクしない」「楽しくない」学習時間のほうが、ずっと多いのではないか?という疑惑もあります。また後半で振れますが、「してはいけないこと」に関しては、もっとグレーなのではないか?と考えています。

 

損に関しても、時間的・経済的などさまざまな側面があるにせよ、これまでの「当然」が緩すぎたような気もしているのです。

 

英語を教えるという生業を選び、自分で心理レッスンも含めたカリキュラムを作っている目的は、この自分にも厳しい状態を、自然に環境内に作っておきたいという心持もあるのです。うーん、またここで少しずつ、自分の立場のハードルを上げているような気もしますが、受けて立つべきだと思うので続けていきます(笑)。

 

英語学習支援業界における歴史は、みなさんが体感している通りです。多聴・多読が多く、暗記を明らかに、あるいは暗に推進しており、よくあるフレーズやセンテンスを使えば通じるなどとしていて、長くスクーリングに費やしてもらい、継続的にお金をもらうことを、業界としては促進してきました。さらに、安価な新しい視点でのサービスも増えましたが、本来の学習のメカニズムから見てみると、かなり疑問で成果が出ないものが多いです。

 

実際に、根本的に、認知(考え方)や生活そのもの、環境や取り巻く人々や物事を、積極的に変えていけば、英語学習は割と短い期間で独学に移行できます。意志が弱いので、もう少し、というオプションがあったにせよ、2年以上、英語学習にお金をかける必要などない!と、私個人は結論を出しています。

 

そして、それをPrecious One English Schoolの生徒さんには、無料体験レッスン時にお伝えしています。

 

それもまた、教える側の義務だと考えるからです。

 

英語では、この義務・必要性についての助動詞が4種類あります。

 

must

should

have to

had better

 

この差について、道徳で特に習うわけでもないのですが、Nativesは知的であればあるほど、かなり厳密に使います。Precious One English School では、実感も含め、助動詞は概念や使う頻度、場合、相手などを含め、英語の本質に沿ってレッスンを重ねています。さもなければ、文法的に正しい英語を並べることはできても、書いたり話したりすることに不自由がなくなっても、コミュニケーション・知的相互理解というところまでは達しないからです。

 

これらをしっかりと教えることができない英語講師は、おそらく義務を履行していないことになるわけです。だって、義務や必要性について、ですから(笑)。ということは、中高で英語を教えている英語の先生のほとんどは、少なくともこれまでは、かなりダメダメだったということです。Precious One English School に通って、レッスン時に「初めて知ったー!」という生徒さんが9割以上ですから (・・;) 

 

そうした意味で、法律上ではないですが、道徳上でもないのでしょうが、「払った対価・費やした時間」に対しての義務は、果たしていない気がしていますし、必要性まで広げていくと、この助動詞の概念を伝えていないわけです。これらの違いはコミュニケーション上、非常に大切ですから。

 

さらに、「してはいけないこと」もいくつかあると思います。長くスクールに通ってもらうためにしてしまっている傾向は強く感じています。そりゃー、スクールにとっては、集客の苦労もなく、継続的に支払いをしてもらえて、いい状態でしょうが、生徒さんにとっては、成果が上がっていない状態が続くか、じわじわとした遅い右肩上がりの状態を、甘んじて受けねばならぬ状態を作っているわけです。

 

これは、してはならないこと、と私個人は考えています。学びは生涯続きます。が、誰かに対価を支払い、決められた時間にどっぷりとやらねばならぬ期間を、「強制的に」作り出した中で、何かを教えることなど、「弱みにつけこんでいる」と思えてなりません。来ることが楽しく、いつも新たな発見があり、確実に成長している感が提供できなくなったら、Let go 旅立たせて差し上げるのが正しい選択だと思うのです。しかも、スクーリングを解消するときには、ひとりで立派に英語を生活の中に取り入れている状態になった、ということだと、本人が選んだことだということを尊重していかねば、と私個人はいつも考えています。

 

たとえ、それらが身についていなかったとしても、経済的・時間管理的な問題であれば、ひきとめても仕方ないと思うのです。

 

英語がまだ習得できていない生徒さんが、さまざま不安になるときに、「あなたはまだまだ私どもが必要なのだよ」と示唆するようなことも、してはいけないことだと考えており、パワーを使うことがなきよう、Precious One English School では、心理レッスンに「そういう人は愚かである」と展開しています。

 

そうした意味では、英語を教える側の義務を履行しているスクーリングを、日々提供していくのはかなり難しいのですが、それはとてもチャレンジングでやりがいのあることです。小学校5年生から70代の方まで、Precious One English Schoolには生徒さんがいらっしゃいますが、胸を張って、みなさんが成長している姿が見られることを誇りにしていきたいと思っています。

 

致し方ないケースがあったときには、本当に落ち込みますが、それもすべて受け容れ、二度と起きないようにと肝に銘じる瞬間でもあります。

 

みなさまの英語学習法が、みなさまにぴったりしたものであること。英語をマスターして、苦労なく使えるようになること。英語が話せて人生が驚くほどポジティブに変わっていくこと。とにかく英語で心がさらに充たされること。祈っております <(_ _)>

 

潜在能力を引き出す

ヒトの潜在能力を引き出すのは、複雑すぎてさまざまなことをあらゆる学者が追求してきて、はや100年が過ぎました。心理学は若い学究分野で、1879年にドイツで、Wilhelm Maximilian Wundt https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%88 が実験を主体として、William James https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B

がアメリカでのさまざまな学派が発展する基礎を作ったのち、本当にいろいろな分野で、さまざまな学者がトライしてきています。

 

しかもここ30年ほどは、認知心理学から脳神経学への関わりが深くなってきて、脳を使うことと日常生活との関連性だけではなく、因果関係に近いものすら見かけられるようになってきました。

 

それでも、この学術論文が世のなかにしっかり浸透するには、たくさんの歳月が流れていくことでしょう。たとえば、うさぎ跳びが膝に悪いとされるまで、かなりの歳月を費やしてきたように。

 

ヒトが自分の能力について気付けるのは、実際に体験することですよね。そのため、幼い頃から習い事をさせてくれる親御さんが増えていますが、本当に効率がいいのか?と問われると、なんだか違うような気がしています。特に、兼業のお母さまのお宅では、体験レッスン→送り迎え開始→親御さんの見守りなどなど、常に気に掛けるものも増えるのか、安定するのか、微妙ですよね。もちろん、選ぶスクールや塾、ジムなどのシステムにもよりますし、近さにもよるんですけども。

 

というわけで、私がカウンセリング中におススメしているのは、外遊びです。とはいえ、昨今では児童館・ママ友問題・兼業でのスケジュール捻出などなど、それすらかなり難易度が高いのだそうで、不満を並べられたり、怒られてしまうことも多いです (・・;)

 

家の中でも、さまざまな体験をしてもらえて、しかも大きく将来に関連することや、やり続けていかねば生活が成り立たないこともたくさんあります。が、やはり親御さんに時間がないことにより、見守りが行き届かないことも多いのだろうと思います。

 

他にも、学びが成り立つ条件があり、それには健康イチバンなのです!ですから、まずはそこをクリアにするのが早道です。

 

私個人は、奇跡的偶然の産物、と自認しているのですが、特にすんばらしいDNAを持っているわけでもなく、両親の教養の努力のインプットがすばらしかったわけでもなく、教育費にたんまりお金を使ったわけでもなく、小さい頃から英才教育のイロハを知っていたわけでもなく、本当に偶然がいろいろと重なって、今があると考えております。奇跡的にその数がすごすぎて、もう必然だったのか?と錯覚するほどです (・・;)

 

DNAで言えば、母が現在80歳でおかげさまで、多少物忘れが進んではいますが、認知症とは査定されていないギリギリな感じです。ここ2年ほどでたいへん痩せましたが、彼女ほど健康な人を見たことがないほどでした。父は、54歳で胃がん原発であっという間に亡くなりましたので、DNAの質はさほどよくなかったのかもしれません。かく言う私は非常に健康すぎるほどで、倒れてみたいなーと思うほど、寝込んでみてもラクかもなーと思うほど、健康ではない状態というのが記憶にありません。昨今、疲れが取れにくくなっている自覚はありますが、この年齢になっても、虫歯もなければ、風邪もひかず、熱が出ても翌朝には全快しており、二日酔い程度で苦しむだけです。脳のほうも右肩上がりで、いつも今日がイチバン賢いなーと、毎日悦に入っているほどです。

 

それは、子どもの頃からずっと、潜在能力を引き出し続けてきた自負、とでもいうのでしょうか?

 

九九が始まった小学校2年生。私はたいへんな落ちこぼれでしたね (・・;) とにかく、学校で勉強した記憶がない!と、Teensの生徒さんとつくづく話していたのです。「え?」と驚かれるのですが、昔も今も、自分でノートや教科書を自主的に開いて勉強した記憶などはないのでした。それでも、勉強以外のことで、私は本当に日々、潜在能力を引き出すために、ちまちまと、汲み汲みと、さりげなく、大ごとではなく、大きくなって大人になることを夢のように感じながら、過ごしてきたのでした。

 

心理学部に入って学び始めてから、つくづく思うのです:私という存在は、奇跡的偶然の産物以外のナニモノでもない、ということに。

 

環境の整備を、意識的に両親がしたわけではありません。躾の一環として何かとても画期的でドラマチックなものを埋め込まれたわけでもありません。劇的な出遭いにたくさん恵まれたわけでもなく、さりげない日々の中で、単に、さまざまな細かな条件が合致し続けてきただけのような気がしています。

 

しかも、それが私という個体にマッチしていた、というだけの。

 

ゆえに、すごい確率なのだろうな、という自覚もありますが、セオリー上は、再現できるはずなのです。

 

昨今、タワーマンションに住む子どもたちの学力はさほどよくはない、という記事が出ていました。https://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140121/258583/ 

 

私が子どもの頃は、昭和の高度成長期だったこともあり、自然に囲まれまくり、カエルの鳴き声がうるさくて眠れない時期すらあって、サトイモの葉を傘にして遊べたり、庭掃除は子どもの仕事だったり、たくさんの種類の動物がそのへんにゴロゴロいて、私は拾いまくって育てていたものです。

 

ここですね。自然に囲まれて観察できる環境があること。すべてにおいて観察する能力が子どもの頃に身に着くかどうか?は、とても大きな分かれ目です。人工的な、ヒトの手や力が大きく入ったものは、確かに便利ですが、不合理や厳しい現実や抗えない不条理は含まれていないことが多いので、そこがまったく学べないのです。

 

私が10代になり、家事すらロクにやらなかったのに、洗濯機の渦を見て人生について哲学することがとても好きだったのですが、それは鳴門海峡に行って実際に観ることができなかった補完のようなものだったのだろうと思うのです。近代化してきた近所に嘆き、自分でも中型バイクに乗り、ツーリングで自然を求めながらも、矛盾した混沌とした中で、自分の人生を哲学する時間を、日常的に週に数回、得たかったんだろうと。

 

今は全自動でそんなことはできない (・・;) 蓋が安全のために閉まってしまい、眺めることはできないので、私には非常につらいのが現状です(笑)。10年前まで、アメリカではできたんですけどね(笑)。

 

ゆえに、大人が言うことが絶対的に正しいと思わなくなったのも、かなり早かったですし、世の中が理路整然と並んでいるわけではなく、非常にごちゃごちゃしていて混沌としていることは、大前提として受け止めていて、どのように大人になったら整理すればいいのだろう?と、子どもの頃から大きな課題を与えられていました。世間をナメることができる出来事や発見に出遭うたびに、自分の成長を感じたものです。

 

自然の中で遊んできたおかげで、道具を作り工夫するような猿人類だった頃の体験を経て、その道具をきれいに効率よく使える訓練を経て、それから人類が作った文明の利器に挑むという順番が作り出されてきたことは、本当によかったとしか言えないのです。そのためには、あらゆる自然の摂理を身体の中に入れ込み、手先や足先や全身の筋肉に連動させ、それなりに段階的な発達をしている脳を使い、確実に自分の体験としてきたことを、今も実感しています。

 

私個人は、渡米して1か月経つまで、料理をした経験がゼロに近かったのです。ウェイトレスを合計8年ほどしたこともあり、環境的に囲まれていたことはあっても、手にしたことなどほぼなく、家庭科も「おたまか台ふきん係」だったため、包丁すらまともに使えていたとは言えない状態でした。が、観察力というのはここでも発揮され、試行錯誤への飽き足らぬおもしろみが充分に生かされ、1か月後には、日本人留学生やアメリカ人にお弁当を販売するくらいにはなるわけです。タッパーに詰めた簡素なものなんですけどね(笑)。

 

物心ついた頃から、これは続けてきたことで、実は今も続いています。死ぬまで続くのでしょう。航空学校でヘリコプターを操縦することになったときも、PCやインターネットに遭遇したときも、生き馬の目を抜くような大学に入ったときも、さまざまな仕事にトライしてきたときも、ずっとずっとこれらは生かされてきました。潜在能力はまだまだあるつもりでおり(笑)、今後もまだまだ開発されていく予定です。右肩上がりなのです。

 

この年齢になっても、アメリカに戻ってまた大学院に行きたい、などと言っても、最初は驚かれても、知り合ってからの時間が長くなると、「あ、当然だな」とみなしていただけるようになったりするのは、未だに「1日10分お絵かき入門」などをしている姿を見ているからなのかもしれません(笑)。

 

地質学のクラスで見た岩石たちは、子どもの頃に観たものが再び私に訪れてくれたような、とてもなつかしい気持ちを引き起こしたのですが、それプラス、アメリカの台地で出遭えるおもしろい形のものや、めずらしいものなどまで加わり、それがキャンプで不平不満を言わない私を作り上げたり、自分の眼で岩石を愛でて歩くことに飽きない自分を呼び起こすわけです。

 

このようなことを続けることで、ヒトはいくつになっても、学ぶことは可能で、潜在能力を引き出し続けると思うわけです。

 

ゆえに、子どもの頃にその基本形を身に着けてもらえたら、と思いながら、レッスンを進めています。さらに大人の生徒さんにも、英語の基本形を身に着けていただけたら、と、日々飽くことなくトライをしているところです。

 

みなさまはいかがですか?お子さんや部下だけではなく、ご自身育て、進んでいますか?マクロの進化だけではなく、ご自分のミクロの進化に着目できていますか?すくすく育つことを心より祈っております♬

 

TOEIC神話

TOEICは神話状態を作り上げています。

 

神話:1 宇宙・人間・動植物・文化などの起源・創造などを始めとする自然・社会現象を超自然的存在(神)や英雄などと関連させて説く説話。

2 実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。「地価は下がらないという神話」「不敗神話」

 

2.に当たりますね。当然、どんな神話でも、まったく意に介さずの個人もいれば、影響下に属するために脅かされて信じ込む個人もいます。が、神話となるくらいですから、かなりたくさんの人々が、妄信している可能性も否めません。

 

英語スクールを10年ほど運営している私にとって、TOEICの壁は大きいものです。たとえ、前回の記事で感じているように、英語教育の実態がどうであろうと、こうして歴然と数字化できるもののパワーは、とても大きなものがあります。

 

TOEICの歴史については、みなさん本当にご存知でしょうか?

 

http://www.iibc-global.org/toeic/toeic_program/philosophy.html 1979年からほぼ40年が経とうとしています。その功績は大きなものがありますが、便宜を中心にして発展し、人々の生活に浸潤してきた感は拭えない結果になりつつあります。

 

日本人が作ったわけではなく、日本人がアメリカのある団体に依頼して作ったもので、今もその形態は続いています。が、私が留学した1988年から20年ほどは、ESL:English as Second Languageの先生たちですら、10人にひとりくらいしか、このTOEICの存在は知りませんでした。

https://izu-biz.com/2017/01/05/post-1349/ ここにあるように、受験者は、日本と韓国に大きく偏っています。在日や在韓の他国籍の人々が受験することはありますが、アメリカでの
TOEIC受験の案内は見たことがありません。

 

2007年には、Speaking & Writingテストを新たに設定しましたが、その受験者数はグラフの通りです。

かたや年間250万人が受けていますが、S&Wは年間で4万人に満たない状態です。この数は伸びていくのでしょうか?1/60というのは、相当な差です。なぜこのテストは10年過ぎた今でもこのような伸びしかないのか?

創始以来のグラフはこれが最も詳しく、2011年分までしかありませんが、2013年から2017年の資料でも250万人のラインで前後しています。今後、TOEIC L&R受験者は減るのでしょうか?そして、S&Wの受験者は増えるのでしょうか?

 

協会に関わりがあるわけではないですし、Precious One English Schoolでは、英語検定全般を『水戸黄門の印籠』と位置付けています。必要があれば、誰かに見せて平伏してもらうか、納得してもらうか、認めてもらう、程度のものでしかないわけです。

 

それでも、「烏合の衆」から自分の英語の実力を示すためには、ザルにしっかり掛けて篩ってもらうためには、英語検定は有効な手段のひとつです。資格とまでは行かないのかもしれませんが(スコアやモノによっては意味が薄いものも多々あり、です)、それでもないよりはいい、という結果や、ご覧のように団体、つまり会社で導入されたがゆえに、受験者数は多いという数字になっています。

 

これまで、ある特定のTOEICスコアがなければ、上長になれない、という社内規定に出遭ったことが何度もあります。この設定自体に意味があるかないか?を、管理者側のほうがわかっていないケースが多くあり、TOEICスコアと英語におけるその他の評価システムを導入していることは稀でした。生徒さんにはお気の毒すぎるプロセスです。

 

ここで、ますます学習する意欲が激減し、強制力にまみれ、楽しくないどころか、憂鬱で重苦しい気持ちが増えていくわけです。本末転倒状態が出来上がります。

 

いざ、いろいろなスクールに行ったり、独学を開始しても、テキスト・講師次第では、目標が叶わないまま、挫折するケースもたくさん見てきました。

 

TOEICを中心に学習してきた生徒さんに多いのは、「英語が実力として安定しない傾向」が強いことです。たまたま英語を学習してきて、最終チェックとして英語検定としてのTOEICを採用した場合には、実力としてスコアも似たところで安定します。しばらく英語の勉強をしていないんだよなー、などとおちゃらけていても、かなり如実にスコアは物語ってくれます。ところが、TOEICの「先読み」「Browsing」「語彙の暗記」などを学習の中心に置いた方々は、数か月や数年経つと、せっかくやった勉強がまったく定着しておらず、スコアは悲惨なものになります。「落ちたぁぁぁ😿」と。

 

ですから、TOEIC以前の、英語の基本や、心の持ち方、物事を考え抜く力、合理的に、時間を配分管理

する力や学習対象物を認知する力、など、やるべきことは山ほどあるのだろうと思いますが、神話がゆえに、多くの方々は、英語を再開してみるか→じゃ、TOEICとなってしまうことが多いようですし、外側:会社や友人、社会の影響で、TOEIC中心の学習と落ち着いてしまうケースが多いようです。

 

英語スクール運営者泣かせなのか?

 

それとも、これを商機として捉えるべきなのか?

 

私はかなり長い間、嘆いております。

 

このような言い方をすると傲慢かもしれませんが、TOEICテストは侮辱以外のナニモノでもないわけです。もしも、同じような質問群を日本語でされたら??あまりに長い2時間ではないでしょうか?バカらしい (・・;)としか思えないですし、990点以外を取れる気がしないのです。

 

しかも生徒さんにとっては、この学習法によるデメリットのほうが何倍も大きい (・・;) 大きすぎる 😿

 

私は知っているのです。TOEIC990点からその先のほうが英語学習は長いことを。そのために必要な基礎力を無視した、スコア優先の学び方の意味は薄くなります。ましてや、Precious One English Schoolは、ひとつの行動が、いくつかのエリアに被り、さまざまなスキルへと発展していくことをプランしています。

 

みなさんは、結果論としてTOEICスコアがよかったことと、がむしゃらにTOEICスコアを上げること、どちらを選びたいんでしょうか?本当の意味での英語をマスターすることと、希望のTOEICスコアで停滞してしまうこと、あるいはその時点から下がってしまうかもしれないことと、どちらを選びたいんでしょうか?

 

教えるようになってから、日本に戻ってきてから、TOEICの存在を知り、すぐに受けましたが、2回受けて2回とも満点でした。もうこれ以上、お金と時間を費やす気持ちにはなれません。そして、私の生徒さんも、「目安」として、このスクールにて模試を受ける人は多いですが、会社提出・履歴書記入に必要がない場合には、きちんとスキップできる方ばかりです。

 

ある基準として使うことは正しいにしろ、本当の意味での英語力との乖離をしっかり理解しながら、英語は学んだほうがいいですから、TOEIC神話に、少なくとも踊らされる側になるのはやめておきましょう。

 

他にも日本はかなりの間違った神話だらけです。政治にしても、行政にしても、生活のさまざまな概念や仕方にしても。また、それは別の話ですが・・・。

 

次回は、単に子どもを無責任・放任に育てるのではなく、持って生まれた潜在能力を引き出す方法について、少し書いてみたいと思います。週に1回を予定しております。最近、とっても忙しくなってしまい、Blog記事も多く過去のものでごめんなさい。Kick Me Englishやこのサイトの質問形式に答えているものは、昨今のものです!

日本の英語教育の実態

けっこうな長い期間、英語を教えてきました。まだまだ精進せねばならぬところはあるものの、基本的な態度は大きく間違っていないと自負しています。なぜならば、私の生徒さんたちには、一定の成果が出ており、Precious One English Schoolでは、成果保証制度が導入できるようになっているからです。もしも、成果が上がらなければ、スクールは潰れているところです (・・;) 

 

TOEIC中心に英語力を測る風潮が、長らく日本に根付いていることを知ったのは、2008年です。10年前のことですが、10年経ってもまだまだその悪い風潮は残っています。政界でも経済界でも、少しずつではありますが、このTOEIC神話をどうにかして変えねばならない、という態度を示してきつつあるのに、ニュースにビンカンではない方々は、その真意やバックグラウンドについて、取り残された感もあるのかもしれません。

 

英語教育には2面あります。

 

1.文部科学省が推奨しているもの

2.商業的英語スクールが実践しているもの

 

そして、私はまぎれもなく後者なのですが、教育支援という本質から外れないシステム・料金・レッスン内容にするために、日本に戻ってきて10年、まだまだ試行錯誤しております。そして、限りなく、自分が英語を学んできた立場にいつも立ち戻り、どうにかして、安価で修得期間が短く、同じ行動でいくつものスキルや考え方が身に付き、通いやすいあるいは学びやすい、時間が経ったあとも振り返りやすい、などと、いろいろなことを考えながら、まだまだ進化中です。

 

さて、文科省が推奨している内容は、かたつむりのスピードで進化していることは、みなさん気づいておられると思います。実際には、未だ日本の英語教育はBritish寄りで、実際に世界では、British EnglishがAmerican Englishにどんどん影響されている事実に、寄り添っていないものではあります。Harry Potterの作者:J.K. Rowlingが、映画を作るときに「キャストは全員イギリス人で」としたのには、やはり理由があるのです。Americanを入れないことによって、古いイギリスの文化に根付いたストーリーをしっかりと流布したかったためでしょう。

 

そうなんです、古いんです。日本語を学んでいる外国人の方々がたくさんいらっしゃいますが、彼らも同じ悩みを抱いています。しっかり学ぶと、文語を多く学ぶので、口語での展開・応用がかなり難しい、と。

 

文科省の悶絶はこのへんなのだろうと思います。実際に使えないわけです。読んだり書いたりはできるが、聴いて話すことに関しては、まだまだ課題が残る教え方しかしていないわけです。

 

そこで、国策としてやったことは:

・外国人講師の招聘

・ListeningとSpeakingの強化

・英語教育の小学生までの引き下げ

それに伴い J-SHINEなどのシステムを作る

小学生に英語の成績がつくことを表明

・AO入試に留まらず、2020年から入試に英検・TOEIC・TOEFLにより英語試験の導入、および教科免除

・さらに、2020年からの英語入試問題は、考える力の他、日本人が苦手としてきた分野を強化する

 

ただ、悲しいことにこの成果が上がるのには、気の遠くなるような時間がかかるのです。現に、私のTeensクラスの、小中学生は、帰国子女・インタースクール経験者と、生粋の日本教育システム経験者では、英語力に雲泥の差があります。たとえ部分的な駐在に帯同した数年があるかないかであっても、ここには大きな差が出ます。

 

なぜなのか?

 

英語教育が始まったのは、明治時代ですが、その頃から、本当にかたつむり程度のスピードでしか変わっていないことが最も大きな原因です。時代が変化していることに、行政がついていっていない。もちろん、政治においては、教育を整える以外に手をつけねばならぬことはたくさんあるかもしれません。現に、災害・テロ・DVに関する法律・法令・条令なども、さっぱり追いついていません。

 

であれば、官民の方向性がズレを生じていてもかまわないが、少なくとも「進化」に向けたものであらねば、国民や消費者としては困ったものなのです。

 

現在、官がアテにならないと感じた人々は、商業的英語スクールに対して

・補完として

・メインとして

・両立として

選ぶ選択肢があります。

 

ところが、商業的英語スクールも、「儲けるありき」の傾向が強く、これまで長きにわたり、成果を上げてきてはいません。なぜならば、「いったん集客したら長く集金できたほうがいい」からです。あまりに成果を上げてしまうと辞められてしまうので、また集客せねばならぬからです。

 

1980年以降、30数年の長きに渡り、たくさんの人々が、この英語スクールに行き、実際に話せるようになった人の割合を、もしも統計で取ったらどうなることでしょうか?恐ろしい数字になることは、すでに予見できるのではないでしょうか?

 

もしも、画期的な方法論があれば、もう誰もスクールには通っていないはずなのです。しかも、大人の場合、脳がしっかりと発達しており、一芸に秀でた法則性が助けてくれるはずなので、それほどの時間もかかるはずがないのですが、文科省が与えている義務教育と、その後の高等教育の傾向のため、成人してからの学習も効率が決していいわけではない、という結果が伴っていることが、たいへんな痛手です。

 

NOVA問題もありましたし、その後も、商業的英語スクールは、手を変え品を変え、たくさんの人々からお金を搾取しながらも、成果を出せないままのことが多いように思います。もちろん、統合的な結果は、受講する個人の態度や動機、生活習慣や考え方に依るものが大きいのですが、それでも、レッスン内容やコースやシステムなど、本当に充実したものだったのでしょうか?

 

Precious One English School はたいへんに貧乏なスクールです(笑)。まったく儲かっておりません(きっぱり)。なぜならば、これらを踏まえて、肩書として、ポジションとしては、商業的英語スクールではあるが、目指すものがあって安価にしているからです。だったら、マンションの一室で限られた人々に教えて成果を出せばいいではないか、というご意見も、これまで何度も賜りました。

 

ワタクシ個人の正義感として、やはり商業的英語スクールを部分的に残したとしても、どうしても成果を上げて、みなさまに最短のスクーリング期間で、安価でマスターしていただきたい、という想いがあります。それであれば、どうにかして多くの方々の目に留まるように、と、野望すら抱いてしまうわけです(笑)。

 

英語がマスターできない大きな原因のひとつに、「日本語教育の程度」があります。戦後しばらくは、教育の機会が問題でしたが、現代は教育の場は与えられる保障があります。とはいえ、国語の重要性が語られることがない、商業的英語スクールで、一体何が学べるでしょうか?

 

英語を学ぶみなさんの基本体は、日本語で思考し続けてきた事実からは逃れられません。その充実度を測りながら、一般論化せず、必ず理解までに繋げ、暗記・演習の繰り返しを避けた方法を、どうにかして日本中に「あたりまえ」として流布したいという情熱が、私にはあるわけです。

 

多読・多聴を超えた方法論が求められていると思いませんか?

 

それゆえ、心理学を英語と同じくらいに学んでいただき、自分を日本語で整える時間と並行させながら、英語を学んでいただいております。

 

オンラインでの安価な英会話・カフェレッスンなど、いろいろな形で進化していますが、Nativesから学ぶ英会話には、論理がありません。多読・多聴から抜け切れてはいないわけです。RIZAP方式(マンツーマンで充分すぎるほどケアされ管理される)であっても、多読・多聴を推進しますし、それに「見られている」「支えがある」という心理的な面を加えたものです。

 

実際のところは、お金がない方々は、独学をしておられます。その独学教材も「儲からない限りやらない」「素人があれこれ試行錯誤した結果」が、インターネットに蔓延しており、何が正しくて、何が自分の参考になるのか、まだわからないままの方々が多いのではないでしょうか?

 

ならば、と、Precious One English Schoolでは、

・2年以内に独学体制に必ずなる

英語を生活に取り入れ習慣化するまで

・何が正しくて何がそうではないのかを見極められるようになる

・時間管理ができる

・自分のことを深く知ることができる

・使える英語を目指し、いつも使える環境を整える

 

 

などを実現しようとしています。現在の日本の英語教育の実体とはかけ離れており、「本当にその値段でそんなことができるの?」と、多くの疑念をいただいておりますが、やはり最後には、自分でしか闘えない領域があり、そこをどうカバーしていけばいいのか?を、まだまだ模索中です。生徒さんひとりひとりが、自分の人生をどのように真摯に捉え、英語がどのくらい必要なのかを自問し、そのためにどれくらいの何ができるか、を常に考えていただける1年から2年を提供しようとしております。しかも、できるだけ安価で。

 

とにかく、今、このコラムを読んでいるみなさまの課題は、「一体どのようにすれば使える英語が身に着くのか?」の問いに答えを見出すことです。それらを考えたくないままでは、今後も、たくさんの教材を買って試行錯誤し、たくさんのスクールに通い成果が出ないままで、よしんばある程度使えると思っても、満足がいかないままになると思います。

 

次のコラムは、「TOEIC神話」についてです。1週間に1回程度のアップを予定しております。