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つらいときには・・・

Feb 5, 2006 

よく言われるんですが、「あなたにはつらいと感じるときがあるの?」と・・・・・・・・・・・・・・。

実際問題としては、もうあまりつらいと感じるときはありません(きっぱり)。このあいだも、Webデザイナーさんとコンピューターエンジニアさんと昼食を食べたあとに歓談したのですが、そのときのお題のひとつが「倖せとは」だったのです。Webデザイナーさんは、「歳繰った時に、ああ、あんな経験もしたなぁ、つらかったけどいい経験だったって思いたい」とおっしゃっていたのです。そのときに私が反応したのは、「つらいことなんて過ぎてみれば楽しいことで、シリアスに『いい経験だったなぁ』と振り返るようなもんじゃないよ」ってことだったんだと思います。

私はそのときに、近所の人が通らないかどうか、母の見張りをして質屋の前の電信柱でさみしく立っていた話をしたのですが、大笑いしながら語っていました。母が横にいて、彼女は涙ぐんでいたのですが・・・(笑)。私、そのとき、特につらくなかったのよ・・・。それをするのが生き延びる道だと思っていたし、お米が買えるってことで胸をドキドキさせていたから・・・。それを悲劇として語るのは、あまりにおこがましく、私にとっては超えなければならない日常だったので、特につらいわけでもなかったのです。たとえてみれば、足の小指を思いっきりどこかの角にぶつけてしまい、その痛みがなるべく早く通過するように、揉んだり温めたりするように、痛みをごまかせるようハミングしたりするように、受け止めなければならぬことは、受け止めてきて、できるだけしっかり通過した、ということです。「痛い、痛いよぉ」と泣きながらうずくまることもできるのでしょうが、私にはそれをすると痛みにどっぷり浸かり、さらに他人からの同情を引くようで、とてもじゃないですが賢い方法だとは思えなかったのです。

「貧乏だ」と嘆いてもどうなるわけではなく、おばあちゃんといっしょに鉄くずを拾ったり、母の内職を手伝ったり、父の上司と話して父の評価を上げる手助けをしたほうが、その当時の私にはいい方法だったのです。そんな私を見て、けなげだと思ってくれる大人がいれば、たまにはおなかいっぱいにもなれて、贅沢なお菓子も食べられて、とてもいいことでした。

ティーンになってから、貧乏以外の世間と直接戦う羽目になったときには、つらいのかも?と感じたほうがいいこともたくさんありましたが、自分が選んだ道です。特につらいと思ったことはないです。極寒の中、バイクを走らせて悲しいことよりは、空気が澄んでいて爆音が轟き響く朝は、気持ちのいいものでした。アマチュアモデルとしてポーズを取ることは屈辱的でもありましたが、一時的に大金が入ると思えば我慢できないことではなかったです。高校生のときに発覚した私の遺伝子の病気も、「どうして私が?」と嘆いていられることではなく「死にたくなかったら前に進め!」ってな感じで、どんどん進化するしかありませんでした。

ソネットを初めて読んで涙し、「貧乏だから、病気だから、こんな想いは私には訪れないんだ」などと思ったことはありません。私もいつか必ずこの想いがわかるときが来てしまうのだなぁ、と、中途半端に胸を震わせて、毛布の下で醒めた読書を続けたものです。

本当につらかったことは、PTSDで2年ほど棒に振ったことですが、あれも最中のときにはそれほどつらいと感じていたわけではなく、大きなうねりの鳴門渦の中できりもみされていた感じで、冷静に「つらいわ」と認知できたわけではないのです。それよりも、「おかしい!なんでできない?」と自分に腹が立って仕方がなく、スーパーハイパーな私のスピードが超スローになり、手足が動かなくなることや眠れないことに、とてもいらだっていたのです。それがつらいかどうか?という分け方はしていませんでした。「ちきしょー、いらだつ!」と思いながら、せっせとセラピーに通い、行動修正に励んでいました。最初のうちは、読書も同じ行を何度も何度も読んでしまい、TVを見ても集中力が散漫だったのですが、セラピーの成果は驚くべきもので、素直な部分があった自分に感謝したものです。周囲から見たら「気の毒」「つらそう」だったかもしれません。が、私はつらいとは思っていませんでした。

椎間板を2枚なくしたときも、それほどつらくなかったですよ。合計すると足して3ヶ月ほどまともに歩けなかったのですが、ウォーカーを上手に操作することに集中したり、うつぶせのままタイプをする練習をしたり、どんなに効率よくシャワーに入るか?にチャレンジしたり、日々けっこう楽しかったです。こんなときにもちゃんとおなかが空くのね、と驚いてみたり、依存性のある痛み止めを早めにやめて痛みの限界にチャレンジしてみたり、毎日まいにち、それはそれは楽しいもんでした。パートナーは勝気な私を、直截的に助けようとは決してしなかったし、その頃にはツボやマッサージの勉強もひとしきり終え、今もけっこう役立っています。

PTSDが緩和したあと学校に戻ったときにも、びっくらすることはたくさんありましたが、それほどつらくはなかったですね。当然予期できたことも多かったし、へぇそうなのかぁ、と回りで起きる出来事に反応する自分に、驚きながら楽しんでもいました。

 

会社を設立したあと、赤字ばかりでまったく収入がなかった時期や、次のプロジェクトにかかるまでのブループリントを考えるのも、つらくはなかったです。当然予測していたことも多かったし、何より仲間を信じているし、つらいなんてことはごくごく当然のことで、それをつらいと思うと乗り越えられるチャンスが目減りすると思っていましたし。不思議といろいろなところで、いろいろな話が出てきて、うまいこと転がってきたような気がするので、この10ヶ月を振り返っても、特につらいことはなかったです。あー、飛行機がつらかったかな(笑)。イチバンひどいときには、1ヵ月半で、台湾―USを2往復と、台湾-日本を1往復したんで、体力的に亜熱帯にアジャストしたり、日本の夏を経験したのは、フィジカルにつらかったかも。が、過ぎてみれば、「できるんじゃん♪」って感じです(笑)。

過去を振り返ると、「いやー、つらかったねぇ」と言えるのですが、同時に笑ってもいるのです。こんなところが、私の楽観を手に取るように表しているのでしょうね。

つらいときに、「つらい」と認知してしまうことのほうがいい性格の人も確かにいることでしょう。私は、つらい度合いをある程度手にしてわかってしまうので、それほどつらいことはないし、経験上超えられないわけもないので、「つらい」とラベル貼りをしてしまうことは、有効ではないのです。

自分の手から離れていることで、他人の死や痛ましい事件はつらいですよ。何もできない。私には何もできないからです。が、日々自分に起きていることは特につらいことなどないです。まぁ、40度の熱を出してもそれほど寝込みませんでしたし、タフにできているのかもしれないです>だからって翌日パチンコ行くなよ、とは思う・・・(汗)。

が、つらいときには、おそらく、胎児の形になって眠って、起きることができたらごくごくお水か麦茶を飲んで、おなかが空いていたら好きなものを食べて、お気に入りの詩か本を持って長いぬるいお風呂に入るのがいいのかもしれません。今、気管支炎が長引いていて、たぶん、周りの人は同情してくれると思うのですが、私としてはそれほどつらくはないです。お風呂はバンバン入って本を読み続けていますが、喉への湿気のためですね。

つらいことを売りにできる人は、ある意味とてもすごい開き直りだなぁ、とむしろ感心してしまいます。あまりたびたび、長いことやっていると、友だちがなくなることは覚悟したほうがいいとは思います。

私には「つらいと感じるとき」はあまりないようですね・・・。

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