和製英語になってしまったデリカシーは、けっこう曲がってしまっているところがあります。
デリカシー:感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。
delicacy:
(和英)
優美、(容姿などの)優雅、上品さ、微妙(な美し)さ、きゃしゃ、虚弱、かよわさ、(機械などの)精密さ、精巧さ、精緻
(英英)
1 [countable] something good to eat that is expensive or rare
2 [uncountable] a careful and sensitive way of speaking or behaving
3 [uncountable] the quality of being easy to harm or damage
心配りのほうに集中してしまって和製英語になっているわけですね (・・;) 英語で頻繁に使われるのは、「珍味」という意味です。かよわさ、などは伝わっていないことになります。
さて、本題に移ると・・・。
心の動きに対して大雑把である、あるいは、その心の動きに配慮せず、言動に反映させられない、ということですよね。簡単に表現すると、「心に鈍感」ということでしょう。
日本文化では、昔むかしは、この自然に対する心のビンカン度の尺度の振幅は大きかったように思うのですが、欧米の合理化や論理性が入って浸透して以来、曲解して、「二極論」で簡単に処理していく場面が多くなってきてしまったように感じます。
明るい・暗い
正しい・間違っている
つきあう・つきあわない
得意・苦手
いい・悪い
のあいだには、とても細微なものさし尺があっていいと思うのですが、わかりやすくするために「二者択一方式」を多く採用してしまっている場面が多くなってきました。
憲法改正に賛成か反対か、もその結論に至るプロセスのほうがずっと大切ですが、そのプロセスには細かい尺度があって、たくさんの軸に支えられていなければ、デリカシーがない、ということになるんですが、そう思わない人はたくさんいるように思います。
英語スクールなので、比喩としては、英語ができる・できないが展開できるのですが、それをTOEICや英検、TOEFLなどで測るという便宜的なものを選ぶ人もいます。その軸だけで、英語ができる・できないは測れません。実際にTOEIC高得点を取っていても「話せない」という現状はよく聞く話です。
デリカシーがない、と誰かを責める人たちですら、この軸をたくさん持っていないかもしれず(笑)、結局「ある・なし」で決めつけてしまっているのかもしれませんぜ?? (・・;)
Delicacyという言葉は、脆弱で特別なものを内包した心の動きに、たくさんの軸で対応できる、というすんばらしい能力なのですね。他者の心の動きにビンカンなのは、ゆとりがなければできませぬ。心と時間のゆとり、ぜひとも持っているかどうか、常日頃チェックしてみてください!
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