05/09/2006 にアップした文章です
GW中、やはりTVを見てしまっていけません。私にとっては、日本のTVはたまにしか行かない動物園や水族館のようなもので、ついつい真剣に覗き込んでしまうようなものです。住んでいて「当たり前のもの」と受け止めている皆様とは違い、「うひー」「ひょぇー」が多く、なかなか慣れられないわけです。日本人として生まれ育ったので、野生のオオカミに育てられた子どもほどの文化格差も生物的格差もないわけですが、頭の中では、本当にいろいろなことが駆け巡ります。
驚いたのは、ティーンエージャーの性行為に対するルポでした。平均値を見てみると、10年・20年前に比べて、初体験の年齢は変わりがないものの、μやM(平均値)近辺ではない、極端な数値の裾野がどんどん広がっているわけです。簡単に表現すると、性行為を始める年齢が低い数値が増えてきて、真ん中が減るというシフトなのでしょう。
性行為開始が遅すぎることの弊害も多少はありますが、大した問題ではありません。早すぎることの弊害のほうがずっと大きいのです。ゼロだったことを始めることのほうがある意味たやすく、生物学的に兼ね備わっているものを開花させることなので、それほど決定的な「不可能」はここにはありません。が、やってしまったことをUndone(しなかたことにする)するのはできないことです。が、ゆえに、経験したことをどうにかして建設的方向に向ける必要性が生じるのですが、基礎がしっかりしていないままの低年齢であれば、構築しようがなく、王道ではなく覇道を歩み続けていくことになる可能性が高まります。
Virginity(童貞性・処女性)を失う時期に対してのプレッシャーは、心理学的に言うところのPeer Pressure(仲間圧力)の一種です。
Peer pressure; Peer pressure comprises a set of group dynamics where by a group of people in which one feels comfortable may override the sexual personal habits, individual moral inhibitions or idiosyncratic desires to impose a group norm of attitudes and/or behaviors. (個人が心地いいと感じながら属す集団が作り出す力学で、性的・個人的習慣・それぞれの倫理観・抑制力・異質な欲望などをくつがえし、態度や行動を集団の基準に合わせるよう無理強いさせるもの)
ルールに準じて行動ができるようになる6歳あたりを過ぎてから、子どもたちの世界はこのPeer Pressureの占める割合が増えていきます。私が子どもの頃はかわいらしいもので、「昨日、8時だよ、全員集合!見た?」程度で済んでいましたが、最近では、二次性徴期前に、このSexual Peer Pressureに遭遇してしまう子どもたちもいるようです。当然、そこには生物学的バックアップはありません。純然たる圧力のみです。ぺったんこの胸でごぼうのような足をしており、脂肪がまったくついていない女の子には、生物学的に性的アクティビティを受け入れる準備はないはずなのです。それでも、属している集団の力学により、第二次性徴期が遅く訪れる子は、ギャップにあえぐことになります。私なども、中学3年で初潮を迎えたので、イマドキと同じSexual Peer Pressureがあったとしたら、不幸になっていたかもしれません・・・。
たとえ、二次性徴期に到達していたとしても、渦中であっても、性欲が育つには、女の子の場合は男の子よりもずっと時間がかかることは、以前のエッセイに書きました。それでも、処女喪失率は、童貞喪失率よりもずっと多く、高校3年生では、半数以上の女の子が処女を失っているわけです。が、この統計は、10・20年前と大きなシフトはなく、ほんの1年未満です。が、パーセンテージとしては大きくなっており、低年齢化を呈しています。
Peer Pressureの次なる問題は、家庭環境です。フィジカルに誰かが見ている時間がぐんと少なくなる10代には、集団から離れたところでも個人のモラルや世界観が重要になります。まずは、誰とならばふたりっきりになっていいのか?というハードル。その相手を判断する基準は、本能として植えつけられているはずのサバイバルスキルなはずです。が、実際に、Virginity(童貞性・処女性)を失う子が低年齢化しているにつれ、その相手が問題になってきます。どんな人々とおつきあいしているのか、親や兄弟や近い友だちがわからぬままの状態が続く、という不思議な構図が成り立つわけです。
私個人も、Loner(ひとり者)で、ネコのように誰にも見られていない時間を持たないと死んでしまいそうになります。特に鼻をほじりたいとか、裸で家の中を歩きたいという願望ではなく、気ぃ使いの傾向があって、とめどない刺激に疲れ果ててしまう感じです。今回の母の渡米も約1ヶ月弱でしたが、彼女と別行動しなければ、かなり窒息感の強いものになっていたかもしれません。さらに、彼女は連休中、自分だけで帰国後、ふらふらと自由に遊びに出かけていたので、私も好きにTVを見たり、パチンコに行ったり、お店を見たり、と自由に過ごしていました。
いわゆるひとりでの充電というやつでしょうか・・・。
ティーンであってもひとりが好きな子がいてもいいと思うんですよ。が、ふたりだけでいたいと思える相手を見極めるのに、かなりな修練が必要なのは確かです。これがないままに、「たまたま危険な目に遭わなかった」ことが重なると、どんどんエスカレートする確率が増えます。行きずりの人との一晩のアバンチュールなど、死に至るものや、生涯完治しない性病が蔓延している社会では、危険な行為と言えます。特に女の子の場合は、性的には受身なので、注意しすぎ、ということはないと思えます。見極めたあとのことは個人の自由ですが、見極めのほうが後手になる生活態度はいただけません。
さらに、援助交際やネット恋愛などで、ティーンを相手にする大人が山ほどいることが、社会問題になっている要因です。必ず、彼ら・彼女らにも親戚や知り合いに子どもたちがいるはずなのですが、あるいは実の娘や息子がいるかもしれないのですが、他人の子どもに対し、性行為をすることに罪悪感を持たず、お金を払えばいいんだろ的な開き直りが、ますます将来の日本をダメにしていく要素になっていきます。元を糺せば「自分さえ気持ちよければいい」というUltimate Selfness(究極の身勝手)です。他人の痛みを感じるゆとりもなく、他人の将来の希望を摘むことに対しての意識がないわけです。ましてや、年齢は大人になっても、頭は子どものままで、好きに行動しているわけです。買春が絶対的にダメだとは私は申しません。需要と供給のバランスが成り立てば、相手のConsent(同意)があれば、相手が児童(18歳未満)でなければいいと思いますよ。が、法律で守られているはずの児童を、守らない大人がこのように夥しい数、実在することが、私には解せぬところです。
少子化が問題になって久しいが、子どもに見えない子どもは、平然と利用する大人たち。本当に教育が必要なのは、子どもではなく大人である、という私の昔からの提案は、ますます確信になっていきそうです。
アメリカでは、Traci Lordsという女の子が、15歳で家出をし、そのままポルノ女優として18歳前に107本のアダルトビデオに出演しました。彼女はすでに37歳で、以降、女優としての道を歩んでいますが、彼女が倖せかどうかは私にはわかりません。が、ドキュメンタリーなどを見ると、2度の結婚に失敗し、ポルノ女優であった他人が持つイメージを拭えずいつもそれと闘っており、彼女の立場には立ちたくないな、というのが本音です。あれだけのポルノビデオを作ったにもかかわらず、それほどお金持ちなようにも見えません。15歳当時、彼女の周りにいた人々で、彼女の年齢詐称を知っていた人たちは、FBIに逮捕されました。Undoneできないといういい例ではないかと思い書きました。
ティーンエージャーたちが自分のVirginityを失うのに、適した時期と適した相手を選べることが、私の心からの願いです。
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