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短く言えない…

俳句や短歌の素養がないことはご承知の通りです。私の最小量の言葉の羅列というのは、楽曲に乗っける歌詞くらいなもんで、それも最後に曲になるようなものを書いたのは日本で大学生をやっているときです。以来、15年ほど経ちました。英語を一生懸命やって、ついでにスペイン語なんかもやって、すっかり俳句や短歌にふれあうチャンスがなくなりました。せめても、という気持ちで「うう、うまい!」「うがぁ、言えてる♪」と此岸で言いたい放題無責任チックにやっているのが、広告のキャッチコピーや歌詞ですね。けれども自分でやってみる、というところまでのゆとりがないところがどうも反省です。

どうしてこうも質より量を書いているのか、と考えると、私はやはり「防御」に走るような文章をよく書いているんではないか?と自分が滑稽に思えることが多いです。強く言いたくても特定でなくとも誰かを傷つけるのではないかと脅える余りに、たとえ強く信じていても「でもね、この場合だとね」と逃げ道をしっかり用意しようと考えるのが習慣になっています。これも自分のかっこつけしいのため、と思われても然りなのですが、それもこれもやっぱり英語のエッセイのおかげなのですよ…。文章の組み立てで、どうしてもDebate(討論式)にすると、反対意見も考慮に入れて証拠を提出する、ということに徹して、相手を負かすわけではなく、自分の意見がどのくらい有効なのか?ということに焦点を置きつつ、反対意見のよさや甘さも見つけるという訓練のためなのです。

「ん?証拠になってないよ」と初期の頃にはよく言われました。文献を使っても「信憑性が薄いよ」とよく言われました。なので手を思いっきり広げていろいろな可能性をちまちま考えるので、アタマが大洪水になってどこから手をつけていいのかわからない状態になること多しです。そんなこんなでへ理屈こきだという印象を与えることもあるかと思います。身についた習慣というのは恐ろしいもんです。たまにはストレートにかみなりおやぢ風にばちっと決めたいもんですね>論理の提出など無しなしでも有無を言わせない迫力と説得力ってぇんでしょうか?あれもかなり見方によったら美しいもんです♪

こんなアタマの使い方が常になると、俳句や短歌や散文詩などからどんどん遠ざかってしまう、やばい、と思って、またもや詩を読んでみようと本棚から引っ張り出してきました。うんうん、短い言葉に想いを托せるってぇのはすごいことである♪これでも足りない、こんなんじゃ凝縮できてない、と焦ってばかりいてはいけないのだ。

歌なんかはその点いいですね。声の雰囲気や音楽そのものが醸し出してくれる調和に溶け込んで、言葉がちゃんと伝わってきます。帰国して衝撃的に惚れそうになってしまったのが、りゅうちゃん(仮名。30代前半独身)で、鈴木雅之の『恋人』をさらりと唄ってくれたのですが、ついつい「そこに鈴木雅之がいるんかい?」と錯覚してしまいました。しかもブルガリの男物のコロンって私の大好きなダンヒルのコロンと同じ系統の柑橘系なのね…。しかもりゅうちゃん(仮名)はものすごいいい男♪3つの感覚器官(鼻・耳・目)に鋭く訴えかけられてしまい、いけませんでしたねぇ…。もう少し長くいたら不覚を取るところでした(爆)。でもココロひそかにりゅうちゃん(仮名)が i モードでメールをくれるようになったら飛び上がるほどうれしいぞ、とわくわくしていたりする(爆)。

その前に、長い友人(16年、男)と「鈴木雅之の歌が完璧に唄えたら、日本全国の20代から40までの女性人口の半分くらいの腰が溶けてしまうんじゃないか?」という仮説を立てていたので、余計にそんな気持ちにさせられた、という事実も付け加えておきましょう♪>見事に自分らの仮説に便乗してしまった単純なワタクシである…。(-_-;) で、しっかりPCに入れてりゅうちゃん(仮名)が唄ってくれた『恋人』を聴くのである。>「あなたがいま 望むなら いますぐ強く…」だからねぇ…。(・o・)

さらに、去年のクリスマスにHaniから絵本のプレゼントをもらっていたのですが、この短いシンプルな子どもでもわかる言葉の羅列で暖められる心♪長くくどくど書かずとも、心に訴えることはできるっていういい例です>すまないねぇ、Hani。あんなに重いものを郵便で♪おタカラにしています。

でもねぇ、やっぱり何か問題があって、それを解析するのに短くは言えません。ヨロコビや哀しみや切なさを端的に言葉にすることはきっとできるんじゃないかと思います。他人に関わることを量で見せるのが誠意でないことはわかっていても、当事者でない場合には特に、簡単な「そんなの誰にでもあるよ」だの「がんばろうね」だけじゃ済ますことはできない、というかたくなな正義感があるのはなぜなんでしょうか?自分が何でもない他人にそんなふうに扱われてもかまわないのですが、西さんにそんなふうに扱われたら怒るかなぁ>で、よくケンカしたなぁ。けれども私は見たことも逢ったこともない他人にも、どうしてもできうる限りの言葉を投げかけたいと思ってしまうわけです。それがどんなふうに受け止められようとも、私が納得がいくというただの傲慢な理由なのでしょうが。もちろん知り合いや友達であったらそれをする人も増えるのかもしれません。私は知り合いであろうが、他人であろうが、やっぱりフェアな態度でいたいと願ってしまうのですね。私に関係ないからいいや、とは決して思わないような体質になってしまっている、っていうんでしょうか?

なので、なかなか文章を短くできないでいます。

もうひとつの懸念はやはりHPは誰でも読める場所なので、私のことを理解している人ばかりでない、ということです。足りない情報は盛り込むことになりますし、繰り返しになっても誤解を招きやすい言い回しには言葉を次々足していくことになります。こんな苦労をするくらいならHPなど辞めてしまえばいいので、そろそろ辞められるような下地を作っていこうかと考えています。どんなふうにフィナーレを飾ればいいのか思案中です。あるいは、開店休業というのもいいのかもしれません。←私はやはり柔軟である…。

長い文章を書くことはまったくの苦痛ではなくなりました。子どもの頃からそんなに長い文章を書くのに嫌悪感はなかったものの、何しろ短気なゆえに長いものを書くにはそれなりのフィジカルな時間がかかります。このエッセイもふだんは40分ほどで書けるのですが、テーマが大きな範囲を占めれば占めるほど時間はかかります。書く日本語を失って、回復したかのように思っていましたが、やはり短く書く能力、というのも必要かもしれません。今度はそれを課題にするといいようです。

書込みをするにもやたらとぴったりと来る短い文章を書くことができる人もいれば、短いままでバランスが取れない一点集中のみを無意識のうちにしていたり、感情的になっている文章を見かけます。自分がそんなふうに留まっていることをよしとしないので、ついつい長い文章を書いてこねくりまわすようになりました。さ、短いインパクトのある文章を書けるようになろ…♪ (^○^)

 

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