天涯孤独ドーンと来い!

昨今、もう親戚づきあいとか兄弟やその娘とか、孫世代のことなどを考えなくていい!という天涯孤独さにとてもすがすがしさを感じています。負け惜しみなんてカケラも入ってないところがすごいなぁ、冷たいなぁ、私、などとも思いつつ・・・。(-_-;)

天涯孤独:身寄りがひとりもいないこと、または故郷から遠く離れた土地で一人ぼっちで暮らすこと。この言葉は、血縁者だけでなく、友人などの頼れる人もいない状況を表すこともある。

確かに渡米したあと、日本に家族はいたんですが、親戚もいたんですが、物理的にすぐ会えるということに対しての希薄な期待や望みがデフォルト状態になっていたせいもあり、しかも10代からずっとこっちひとりでいることが好きだったこともあり、むしろ人に会うことそのものが億劫と思うことは増えていきました。だってねぇ、職業としてパイロットやりたかった理由は、タクシーの運転手とか小型船の船長やるよりも、お客さんと口を利かないでいいから、っていうのが理由だったんですから。(◎_◎;)

なんで今はこんな仕事しているんだ?とよく問われるんですが、人による誤差について科学した話ができて、合理的にまとめられるために、誤解が少なかったり、感情論になることが少ないからですね・・・。話す機会数は多いけれども、もめるとか違うことによる軋轢が少ないから。これが、販売とかの客商売だったらきっとダメだったでしょうねぇ。ウェイトレスのときも、傅いて侍ってで徹底できる状態は苦痛じゃなかったです。むしろ、Waitingをしていただいているお客様の整理整頓とかを謝意を以て示すとか、かなり感情的になってしまう発火線が見えてくる駐車場での場所争いの整理なんかが嫌いでしたね・・・。(・。・;

なのでもしも手先が器用だったら職人になりたかったくらいですけどね・・・。ダメなんですよねぇ、大雑把すぎて。(^^;)

猫たちがいるので本当の意味での孤独でもないんだけども、再渡米が叶って、またもや大学院に行けたり、商売が安定するまでがんばったあと、リタイヤの日々が孤独でも全然OKですね。むしろ、枯れて侘びて寂びていきたいです。

USってお金をしっかり払った分のサービスは受けられるという安堵感があります。書面になっているがゆえに、保障されなければ裁判すればいい、っていう・・・。(・_・;) そこはアテになるので、ひとりでもお金さえ確保できれば問題なく暮らせるだろうっていう活路があるんですよね。

実際は、父の兄と弟は亡くなったため、姉妹であった私の叔母と伯母には最後の挨拶に行くべきだとは思っています。その際に、従兄弟・従姉妹たちには会えずともいいなというくらいの希薄なつきあいだったので、問題はないです。母方の親戚は従妹がひとりだけ残っていますが、もう縁切り状態でいいかなと。

弟とその娘たちにも今後生涯二度と会わなくてかまわないです。いろいろあったためにもう吹っ切るくらいの整理がついています。

元配偶者には、最後になる手紙をしたためて、いつ渡そうっていう時期を検討すべきなんですが、もう再婚もしたし、様子見ですね。しかもパーキンソン氏病なのでタイミングがいまいちわからないのでそこが問題です。ちょっと考えます。あとは、もう挨拶すべき人はいないですね。

昔の友人たちは昔に凍結したままでいいですし、もしも会いたいという申し込みがあって都合が合えば再会する程度にしか、重きを置いていないです。私の中では彼らはしっかり存在していたのだけれども、どのように来越してきたかは彼らのものであり、私にはなんら影響力もなかったので、関与すべきではないとすら思います。

生徒さんはなおさらです。あちらが会いたいとおっしゃってくれて都合が合えばという程度です。お金も時間も充分いただきましたしね。

ひとりで孤独死に最終的にはなると思うんですが、それがなるべく猫たちやそのときにいっしょに暮らしている動物たちが不憫でないように手配をして、という覚悟はなんだかもうとっくについている感じです。足りないのはお金だけ(笑)。もうちょいがんばりまーす!