10代は苦しかった

ティーンエージャーと呼ばれるような優雅な日は1日もなかったと感じるくらい、私の10代は苦しかったです。暗いこともあれば明るいこともあったんだけれども、心の中はいつも不明確な感じで、何かが渦巻いていて結論をきっぱり出せていたとしても、土台とかそもそもの解決がなされていなかった感じ・・・。

それは今うちのスクールに来ている子たちも同じだろうなぁと思っていて、のんきに感じている子もいてそれが少しな場合と、かなり深刻に受け止めていて前がまったく見えない感じの場合と、時期でズレたり、いっしょにいる人たちで変わったり、目の前にあるやることで変わったりというところなのだろうとみなしています。

心理学を学び始めて、人間がどのように成熟していくのかを学んだときに、私のこの10代の葛藤は正しかったことがうれしかった・・・。

情熱が持てるものを早期に振り分けて分類できるようになったことが後年、こんなにも役立つことだとは思わぬままに、難しい苦しい10代を過ごしたのだけれども、周りを気にしなくなる早道になったということに当時は気づけなかったし、嫌われてなんぼのもんじゃい!と思えるようになるまでは時間が掛かったから苦しかったんだなぁと。

物心ついた頃からずっと「廻りに迷惑をかけるな」だとか、「普通にしろ」とか「まともに・ちゃんと」と言われ続けてきて、それがとっても窮屈だったことに気づき、それでも納得したことについては「できるようにならねばならぬ」と自分で決めて自分で納得してやってきたはずだったんだけど、それには終わりがなかった(笑)。他者に言われたことが決していつも正しいわけじゃないんだから、それをわざわざ聴く必要すらないことや、どういう動機でそれを言い放っているのかよく観察することにして、無視するものは無視するようにしてきて、私は奔放・言うことを聞かない・身勝手というラベル貼りをされたんだけど、終わりのないその作業はずっと続くという腹括りが足りなかったのだろうなぁ。

10代で苦しかったのは、その数が膨大なことや、いちいち意識しないといけないってことに気づいたからなんだと、渡米してから気づくんですけどね・・・。なぜならば、USはもっと多様性が高いので、みんながダメ!という確率がものすごく少ない。むしろ褒められたりもした(笑)。普通なんて7割くらいのヒトにしか当てはまらないことや、迷惑をかけながらしかヒトは生きていけないことや、まともというのはある場面やタイミングや人々や場所によるってことがわかってきて、その統計が取れれば、私はごくごくまともだってことになっていくのでした。

だからUS暮らしが長くなって、40歳を半分も過ぎて戻って来たら、私のことを怒れる人がすくなくなってて楽勝(笑)。

10代だから言われた、っていうのはあったんだろうなぁって思います。彼らがとっても弱者いじめが好きで言いやすかったんだろうなって。しかも貧乏だったし、ナニモノでもなかったし、地位も名誉もなくて、上からぐわーっと言って優越感で楽しかったんだろうなぁって、今ならばわかるんですけど、そのときにはとても苦しかった。

なので、私は10代や自分より若い人にはそれらはやらない。いっしょに大笑いできて、むしろ強者いじめができるくらいの器になりたいと思っています←負け惜しみじゃなくて、正当に立ち向かって正義を貫くのじゃ!(^^;)