それでも卑屈にならぬようにがんばっていた日々

卑屈:自分を不必要に低く見て自信を失い、他人に媚びたりへつらったり、いじけて妥協するような態度や様子を指します。自己評価が低く、自尊心を失った状態を表す

謙虚: 控えめで慎み深いこと(良い意味)。

卑下: 自分の価値を必要以上に低く評価すること。謙遜のニュアンスもあるが、自己否定や劣等感を含む場合も(卑屈よりはまだ軽い場合が多い)。

卑屈: 卑下が行き過ぎて、自信喪失や他者への屈従・こびへつらいが伴う、ネガティブな状態。

言葉の意味をきっちり定義してみて考えたのは、なぜ誰かにこのように追い込まれた気分になってきたのか?ということ。渡米したあとはそうでもない機会のほうが多かったのに、日本人とつきあうとまたもやそうならざるを得なくなったり・・・。それでも日本語が話したかったり、同じ文化を知っている人と「そうそう!」とやりたい気持ちになってみたり・・・。

もうそのステージはすっかり終わってしまい、卑屈になることはなく、そうですねぇ、30半ばではもうほぼ卑屈になることがなくなり、たまに卑下して回復に努めていた感じですかね。

なぜ日本人と接したり囲まれたりすると卑屈になっていたか?やはりそれは全体的に相対評価がちだったからなのだろうと思います。不思議な比較文化です。英語で比較を教えるときにこの相対評価と絶対評価の文化の違いをかなりベースにあるという解説をするんですが、相対評価比較を絶対評価にするとどうなるかわからない人や、世界を見る目を相対評価でやっている解釈がしみついてしまっていて「うわぁ!たいへん!」と思う生徒さんも多いです。

私はそれから解放されて確実にラクになりました。人生の半分はそれで翻弄された感じです。日本に戻って、2002年まで学校教育での評価が相対評価だったことにびっくりして、「そりゃぁ、犠牲者は多いよなぁ」と思っておりました。

統計学をやったときも正規分布 Bell-Curveの-1Zスコアから+1Zスコアに属していないものが多いと、かなり日本では生きづらいよなぁと、溜息をついて解を得た気がしておりました。そして私はこれまで自分が卑屈にならぬようにがんばってエネルギーを使い果たしたり、人に迷惑をかけないようにとか、嫌われすぎて私のことをかばってくれる人が悲しまないようにと、苦しかったことから、違う次元で考えないといけない!と、クセから脱出することから始めたんですが、けっこう掛かったんだろうなぁ・・・。

私がこんなにきつかったんだから、私よりももっとそもそも真面目で、もっとそもそもけなげで、もっとそもそも素直な人たちは今も抜け出せていないんだろうなぁと哀しくもあります。私なんかと努力しなくちゃいけない多寡が違う。のしかかっている重圧なんだろうから。

中国ドラマからまだ完全には足を洗えていないので、こういう概念から生まれた描写にイヤというほどぶち当たるんですが、もう第3者として観れていて、哀しむことができるくらいのゆとりを自分に感じてびっくりします。忘れないようにしなくちゃ、というステージではなく、もう完全に距離が空いた感です。どうしたら少しでもその助けになるのか、たまに考えます。が、イヤなやつで率直にいろいろ言っていることが、たぶんその一助になるのかなぁと、手前勝手に思う日々です。

過大評価でも過小評価でもなく、ありのままの自分を冷静に客観的に観られるようになること。そこからですが、これがかなり難しい・・・。でもこれができるようにならないと、結局幸せに招いてもらっても気づけないですからねぇ・・・。(-_-;)

依存は従属を生み、専制への道を開く