持ち得ているものをわざわざ隠さねばならぬ事情

韜晦:自分の才能・地位などを隠し、くらますこと。また、姿を隠すこと。行くえをくらますこと。

和光同塵:仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)を救うため、自分の本来の知徳の光を隠し、けがれた俗世に身を現すこと。

ヒトとしてものすごく純粋だったり、腰が低かったり、客観的に自分が観られて高邁な目標を持っていたりする人は、自分のことを周囲にマウントしないですよね。

現代において、あえて目立たず「丁寧ならぬ暮らし(等身大で雑多な暮らし)」を好んだり、才能を隠して平穏を保ったりする心理になるのは、私個人の感覚では、「言うと面倒くさいから:時間や能力を取られてしまう」という損得勘定なことも多かったです。いつの間にか美容院に行くのもやめちゃいましたね・・・。(◎_◎;)

さぁ、まとめてみるとどんな感じなんでしょうね・・・。

1. 才能や豊かさを隠す理由

  • 嫉妬や攻撃の回避: 目立つ才能や豊かさは他者からの嫉妬や引きずり下ろしを招くリスクがあり、それを避けて安全に暮らすため。
  • 平穏な人間関係: 突出した部分を隠すことで、周囲と対等で親密な関係を築きやすくなる。
  • 精神的安定: 常に「すごい自分」を演じ続ける必要がなくなり、本当の自分に寄り添った穏やかな生活ができる。
  • 「隠れた才能」の活用: 才能をひけらかすことなく、必要な時だけ静かに発揮する方が高い成果が出る場合がある。 

2. 隠さねばならぬ暮らしの現代的な側面

  • SNSの濁流から逃れる: 「丁寧な暮らし」や「キラキラした生活」をSNSで発信しなければならないという風潮に疲れ、あえて日常の雑多さや、飾らない生活(丁寧ならぬ暮らし)を享受する。
  • 虚飾の撤廃: 高価なモノや特別な体験ではなく、身の丈に合った実用的な暮らしに満足を見出す。 

3. 言葉の背景にある思想

「和光同塵」: 自分の光(才能や輝き)を和らげ、塵(俗世間)に同化するという老子の言葉。真の知者は自分の能力を誇示しない。

「韜晦」: 自分の地位や才能を隠して逃れること。隠遁の楽しさを指すこともある。 

私は10代の頃から雑多で相対評価で俗物的なものから離れたい気持ちが強すぎて、結果バイクに走ったり、渡米したり、あれこれもがいたんだろうと思うんですよね。なので、ひっそり放っておいてもらいたく、食べていければお金も莫大に得ようと思ってこなかったんで、まぁ、今のように最期にもうひと踏ん張りせねばならぬんですが。(◎_◎;)

でも、自分が誰かの目に囲まれる姿は、ホラー映画よりも恐いです、想像するだけでも。いつか本当に動物に囲まれて、枯れて侘びて寂びてひっそりとできる限りのことはしたなーって思いながら死んでいきたいです。あ、ちゃんと動物たちの発見が早くなるシステムは作っておきますよーう(^^♪