05/17/2006 にアップした文章です。
別れてくっついて、を繰り返している人々だけではなく、相手が変わったとしても、英語ではこんな表現を使います。結婚生活など、最初からうまく行くわけがない、という言い訳がましい表現なのですが、3回目はうまく行くということらしいです。
私はまだ西さんと一度も別れていないのですが、特にこのようなことはしたくないと思います・・・。
さて、Jonathan Kellerman のDr. Alex Delaware Series の最新作、Gone を読み終わってしまいました。もう彼のシリーズは読み物ないんだよ・・・。仕方ないので、成田で買ってきた東野圭吾の最新作と、宮部みゆきの単行本2冊を読み終わったら、Da Vinch Codeをささっと読み、映画館に5月20日に行き、そのあと邦題の『ナイロビの蜂』の原作、 The Constant Gardener を読んで、日本に戻ろうかと思います。Alexと Robinは、最新作の最後の最後で、またいっしょに暮らしはじめました。ふたりともに恋人がいたのですが、その前の作品 Rageの中で、Robinは恋人のTimといっしょにシアトルに行き、関係はダメになります。Alexのほうは、捜査のためにインタビューが必要だった19歳の少女に対して、捜査のことは伏したまま、「リサーチのために」という表向きの理由で、電話をしたことで、19歳の少女が心理的に崩壊してしまい、そのセラピストが恋人のAllisonだったことから、『職業上の倫理観』と『個人的裏切り』が募り、別れることになりました。大人なので、4人ともそれなりにコミットした関係に対して、それぞれトライをしたのですが、壊れたのです。
そして、最新作では、Alexと Robinが飼っていたフレンチブルドッグのSpikeが死んでしまい、親権があるAlexが、Timがいなくなり、近所に戻ってきたRobinの家をたびたび訪れながら、新しい事件に挑んでいる状況から始まります。そのあいだも、Allisonとの関係を修復するよう努めるのですが、なかなかうまくいかぬまま、Alexは再び大怪我をして、病院に運ばれてしまうのでした。そこで、麻酔が効いたまま、ふたりの女性に囲まれ、彼はその先がどうなるのか予知しないまま、事件はどんどん解決していくわけです。
最後には、またいっしょに暮らし始め、今度はいっしょに住み始めた日に、Robin がAlexに Spikeの代わりに、と、メスのフレンチブルドッグをプレゼントするところで〆となりました。
ふたりにとって、Third Time is a Charmになるのでしょうか?
↑なんか報告の域を超えないエッセイになりそげな予感(爆)。メンマを炒め煮しながら書いているエッセイなので、どうもそんな気がするだけなのでしょうか?(笑)
アメリカですごいなぁ、と思うのは、離婚してもまた再婚する元気がある人々がかなりの割合いることです。素人さんでも、2・3回の離婚を経てまた結婚することは、かなりな日常です。宗教のせいなのか、法律のせいなのか、まだまだきちんと結婚をするという形にこだわる人は多く、いっしょにずっと住むだけ、という「長すぎた春」をエンジョイしている人よりも、圧倒的に結婚する人々のほうが多いのです。
私は、もう西さんと離婚するようなことがあったら、二度と結婚しませんよ・・・。誰かといっしょに住むかもしれないですが、もう結婚はいいや・・・。なので、私にとってはThird Time is a Charmはありえないことになります>が、ここで断言しておくと、ただの高慢ちきなので、確率的に、と言っておきます。
カリフォルニアでは、Prenaptual (結婚前)の契約書を用意しておかない限りは、離婚したときには、ふたりが結婚したあと、作り出した財産はきちんときれいに2分割することが法律で決められています。ふたりが別々に結婚前に持っていたものは、そのままそれぞれが保持していいのですが・・・。この法律のせいで、夫婦間の殺人は多いのではないか?という見方もあるのですが、果たしてそうなのか?恋が絶好調な時期に、Prenaptualを言い出せない気持ちはわかりますが、守らねばならぬ家族が他にいたりした場合は、ちゃんと書き残しておいたほうがいいです。私にはその点は躊躇はなく、西さんにはきちんと結婚後に、もしも離婚した場合にも、厚生年金やその他の分割をきちんと書いてもらったものを書いてもらいました。遺書となれば、私がすべてをもらうわけでもなく、西さんの弟さんの子どもにも分けるものがきちんと決まっています。
私はクールなのかしら・・・。
が、会社を始めてしまったので、もう財産になるものはほぼ生命保険くらいしかなく、あとは、今後、会社が儲かるか儲からないかに一重に掛かっています。めでたく儲かって、西さんも私も学校にフルタイムで戻れた場合には、また以前の遺書が有効になることでしょう。あまりに儲かってしまった場合にも、ただ、西さんの弟さんの子どもたちに分ける部分が増えるだけですね。私のほうは、特に誰かに何かを残すつもりもなく、生きているうちに、基金(Trust Fund)をささやかに作っておいて、奨学金でも出せればな、と思っているくらいです。
あ、そんな話じゃなかったんだ・・・。別れてくっついて、また別れてくっついて、というプロセス、ものすごいエネルギーが必要だと思いませんか?私は、もうそれを想像しただけで、ため息が出そうなのですよ・・・。西さんと作り上げた関係と似たものかそれを超えるものを得るためには、並々ならぬ時間とエネルギーが必要です。それに値しない関係であれば、そもそも始めないほうがいいと思うし・・・。
確かにひとりでは淋しいのかもしれませんが、たまたま長い友人をしていた人が、西さんが死んだあとや、西さんと別れたあとに、恋に変わるならば、それほどのエネルギーでもないとは思うのですが・・・。でも、人生がそんなに簡単な仕組みで、私を歓迎してくれるとは思えず・・・(笑)。
中学生からいろいろヒラヒラと恋してきましたが、本当の恋だとカウントできるようになってからは、もう全身全霊を賭けてきたので、もうこのへんでいいや、という気がしています。ましてや、コミットメントという全幅の信頼のレベルになってからのエネルギーは、ちょっともう同じものを作れそうにない・・・。本音を言うと、そのエネルギーは、私は恋よりは、やはり勉強や遊びに使いたいと思っているところがあるのです(笑)。ひどいなぁ・・・。遊び人の本領発揮な発言・・・。
ましてや、私は自分より経験の少ない若い男の人には興味がないし、もしもうんと年上ですぐに病気で死んでしまうのであれば、何のために結婚するのかもわからず・・・。逃げているのか?うーん、後者の場合は逃げている感はあります。が、前者は本当に、もう面倒くさいってところ・・・。母親でも姉でもないわけですから、誰かに何かを教えるなんてことが多い日常は面倒でいけません・・・。教師ならば、お金もらえるよう仕事にしたほうがいいしね・・・。
うんと年上の人と結婚して、Anna Nicole Smithのように数百億円の財産をもらう、という手もあるのですが(ただいま、最高裁まで行ったところ。おそらく彼女が半分はもらえてしまうことでしょう)、私はお金は決まった金額だけあればいいので、それもしたくない・・・。とにかく自由がいいし・・・。
そんなわけで、私にはThird Time is a Charmなんてないなぁ、と思いながら、時差ボケで眠れず、メンマの炒め煮をしつつ、映画を見ながら、西さんが長生きしますように、と祈る夜明けでした>朝の5時前だよぉ(爆)。
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