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Two of a Kind

8/27/2006 にアップした文章です。

 

本当に似ているふたつのものやふたりのことをこう表現します。逆に「この世に他にない」という表現は、One of a kindで、” This watch is hand-made, cost me $400.000.” “So it is genuinely one of a kind!” (この時計は手作りで4500万もしたんだよ。そりゃ純粋にこの世にたったひとつしかないね)などと使います。

私個人は、この One of a Kindという表現は使ったことがないのです。性格なのでしょうか・・・。この世にひとつしかないものなんて、ごくごく稀にしかないと思っており、私ごときが手にすることはないと思っており、そんなものたちはおそらく博物館や美術館などにあると信じ込んでいるためです。うーん、現実的でおもしろくないって?(爆)

この「種類-Kind」という種類別にするところに引っかかりがあるのかもしれません。厳密で分析的な観点で行くと、この世に純然たるオリジナルなど、めったにお目にかかれないはず、と思っているわけです。説明しましょう。世界一や日本一、最古、最も美しい、などなど、いろいろな表現がありますが、すべてのものは地球が存在してきた時間の長さ(Time span)から見ると、とても小さな時間枠を限って見つめているような気がするわけです。自分の見える範囲以外のことは知ったこっちゃーねーよ、という人たちがたくさんいていいように、いにしえも含めて物事を見る人がいてもいいような気がするわけです。ダメ?(爆)

ただ、言えるのは、人はそれぞれ特別でユニークで、種類わけなど簡単にできないほどの重きがあるはずです。なのに、どうしてなのか、「暗い-明るい」「頭がいい-悪い」「能力がある-ない」「お金をたくさん持っている-持っていない」「容姿がいい-悪い」などで、本当に日常茶飯事、パチパチと意味なく分別しているようです。

それらが、本能に根ざした部分であれば致し方ないと言えるのですが・・・。たとえば、犯罪が自分に降りかからないよう自衛するために、危険な人を見分けるための分類・分別。とりあえず、性犯罪を一度犯した人たちに対して注意をし、結果的に差別してしまうような振る舞いをしてしまうのは、いい・悪いではなく、自衛だと思うわけです。その本能傾向に抗うための映画もちゃんと作られています。Kevin Bacon (Footloose, Sleepers 他) http://movies.yahoo.com/movie/1808534494/details 主演のもので、私はけっこう感ずるところがありました。自分の差別についてももう一度見直した次第です。やはり差別とは「過去からの積み重ねの学習部分がでかいな」と思いました。が、数値的には、実際のところ、再犯率が最も高いのは、性犯罪です。生物学的な要因が強いことが示されています。

便宜上の分類と、人を勝手にイメージや表面だけで分類するのは、ふたつの大きな違うコトだという認識を持ち、さらに話を進めると・・・。

Two of a Kindという語彙には、ものすごい親密感があるわけです。この世にいろいろなものが多々あるにもかかわらず、ここに分類されるのは、「あなたとあなただけ」(ひょっとすると私とあなたかもしれないし・・・)。やり手ばばぁなキャリアウーマンを指して、「男が征するビジネス界を長く見てきたが、君と○×は、この世界で成功したただ二人だな」という意味で、簡単に Two of a Kindなどと表現するのは、粋です。しかも、その内容としては、甲乙つけがたい、という日本語のニュアンスも混じっており、そこには上下がほぼありません。

こちらに戻ってきてから、世界中でさんざんっぱら話題になった Mr. & Mrs. Smithを見たのですが、Brad Pitt, Angelina Jolieが扮する諜報工作部員では、命を賭しても、違う組織に属していても、愛を最終的に優先する、という意味で、Two of a Kindなわけです。

そこで社会心理学の基本中の基本に戻るわけですが;人は自分に似たものに心地よさを感じる。この実験はいろいろと行われていますが、大掛かりでありシンプルなものに、1棟のアパートビルディングを使ったものがあります。1階と2階、それぞれ6戸、12戸に大学院生カップル(既婚か同棲かは不明)に入居してもらい、前知識がまったくない(大学はそれぞれ別々だった。少なくとも同居人同士には過去共通点があるが、アパートに住んでいるそれぞれにはない)人々を半年観察した統計です。1階をA。2階をB。さらにそれぞれの部屋を順番に1~6とつけておきます。そこで、年齢やバックグラウンド(出身地や趣味や人種や専攻の中での専門分野や家族構成などなど)に指数をつけておき、半年間でどのカップルがどのカップルともっとも距離感が縮まるかを調べたわけです。同じ大学院に通っているというすべてに共通していることを除き、人々はやはり細かなところで差があります。

が、結果としては、A-1とB-6のように最も物理的距離が離れていたとしても、バックグラウンドに共通点があったほうが仲良くなったわけです。バックグランドにそれほど差異がない場合であった場合は、物理的距離が近い、A-2とA-3が仲良くなる、などの結果が得られました。が、その親密度はバックグラウンドが共通しているカップルたちよりもさっぱりしたものである、ということも追跡調査でわかっています。

コレのバラエティが、異人種同士の恋愛カップルや、国際結婚などの論文へと繋がっていくのですが、この意義は、「では何が人々を魅了するか」であり、基本はまったく動じません。「人は似たものに心地よさを、差異よりも強く感じる」です。

卑近な例で申し訳ないのですが、西さんと私の共通点は、挙げるとたぶんほぼ網羅できてしまうほどしかありません。大まかな分け方でいくと、日本人であること以外に趣味や家族構成や出身地やその他、代表的で最初に見るだろう印象やデータ部分における共通点はとても少ないのです。年齢の5歳差というのは、文化的共通点が多いように感じられますが、実際は鹿児島育ちで、10歳以降TVを見ていない西さんとは、『巨人の星』さえもシェアできません。彼は知らないのです。音楽の趣味も同じで、彼がジャズとクラシックなのに比して、私は音楽はなくてはならぬもの、とは思っておらず、雑多にまんべんなく浅く聴いてきました。なので、西さんと私はTwo of a Kindと表現できるような間柄ではないわけです。哀しいか?ちっとも悲しくないですね・・・。むしろ、普遍性の高い「人は似たものに心地よさを、差異よりも強く感じる」に反しても、いっしょに16年以上いること(この年数も定かではないが・・・)にむしろおもしろみを感じます。

が、想像するに、Two of a Kindと表現できてしまえるほどの共通点がある人が見つかった人は、本当に倖せなのだと思います。仕事の分野だけでも、いっしょに仕事をすると鏡のように以心伝心で楽しいことでしょう。スポーツであっても、趣味であっても、料理の嗜好であっても、本当に楽しくてたまらないのだということは想像できます。離婚の原因に、性の不一致がありますが、私としては「そんなの当たり前」と思っているし、セックスレスになることも「ほぼみんなが通る道」だと思っているので、離婚の材料になるほどに性に重きを置いているかどうかの違いなのだとみなしています。セックスでもTwo of a Kindを見つけられた人は、純粋に倖せなことでしょう。

が、思想的な部分や世界観で、西さんと私は共通点があることは認めます。それが譲れないものであるがゆえに、こうして長く続いているのだということはよーくわかっています。なので、駐在員の妻をしていた頃、「西さんはかわいそう。どうしてあんな奥さんもらっちゃったのかしら・・・」と陰口を叩かれてもまったく気にしなかったわけです。他人にはわからないであろうシェア部分は、確実に存在します。なんたって、「人は似たものに心地よさを、差異よりも強く感じる」には普遍性が高いわけですから。

回りくどい表現になりましたが、パートナーであれ、仕事であれ、趣味仲間であれ、Two of a Kindな相手がいるあなたはとても倖せだよ、感謝に値するよ、ということが言いたかったのです。いない人はまだまだTwo of a Kindを探す行脚の旅を続けてください。私もそうします♪

 

 

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