キャパの量

01/06/2008 にアップした文章です。

ヒトが持っているCapacity(量で考えるもの)というのは、増える・減ると考えられます。では、一定量や基準量というのはあるのか?モノによってはあるんでしょうねぇ・・・。たとえば感情量。ヒトによって個人差があるのでしょう。感情の量や振幅が大きい人というのは、確実に存在するような気がします。ところが、それを数値化する機会というのは、ごく少ない。私は、この感情量というのが多いと、自分で思っているのですが、これをTame(飼い馴らす)のに本当に時間がかかりました。喜怒哀楽の幅を狭く持とうとしてもみたのですが、これは無理でした。ただ、安定した真ん中をターゲットにしようとするくらいしかできず・・・。

Capacity: n. 容量, 容積; 収容能力; (最大)生産力; 才能, 力量; 資格, 能力 ((to do; for, of)); 立場; ((形容詞的)) 満員の, 許容限度いっぱいの; 【法】権限.
容量:(1)入れ物に入れることができる分量。容器の容積。(2)「静電容量」の略。
収容:人や品物を一定の場所や施設に入れること。
生産力:社会が物質的財貨を生み出し得る力。労働力と生産手段が一定の生産関係のもとで結合して成立する。
力量:(1)力の強さの度合。また、能力の程度。腕前。(2)能力があること。力があること。

ふむふむ。たとえば感情量というのは、体力と似たようなもので、生まれながらにしても違いがあり、さらに育っていく過程でも違いが出てくるものなのでしょう。喜怒哀楽をもたらさない環境に長く身をおけば、ある一定のなだらかな感情だけが見え隠れするようになり、感じたとしても外に表象しないでやっていけるのかもしれません。箸が転がっても笑えてしまうような、若い女の子ではなかったものの、泣くという行為だけは8・9歳くらいから毎日続けており、それが喜怒哀楽のどれからも来てしまうので(楽しいというよりはうれしい、ですが・・・)、それらは私はひとりになったときに行うことにしてきました。トイレやひとりで部屋にいられるときや、自転車や車の運転の最中など。まぁ、たまに電車の中で泣いたりしていますが(読書のせいですね)、他人様にバレないようにしています。しかし、相も変わらず毎日飽きずに泣いていますねぇ・・・。

知性のキャパはかなり無限にある、ということは既に書きました。脳細胞そのもののキャパはすでに算出してあり、平均すると凡人は3-6%ほどしか使わずに死んで行きます。それを1%以上使うように心がけることは、不可能なことではないです。この知性のために使うキャパの量を増やすことが、生きていく私の使命でもあるように考えており、既に記憶した物事を反復して使うのもそのためです。新しいものを仕入れるためには、今まで自分が見たり聞いたりしたことのないモノにも果敢にチャレンジすることが大切であり、物理的に移動してみるくらいの根性が必要です。なので、私は一見損に見えるようなことでも、長い目で見た学習の場になるならば、いそいそと出かけていくことにしています。

私が小さい頃、母が内職をしており、半田ごてや銅線巻きなどはさすがにさせてもらえなかったものの(熱かったり、重量だったり、スピードが速すぎたりするために危険だったから)、仕分けや貼り付けや数えたり、検品のような内職は山ほどやらせてもらえました。1時間我慢して続けて作業して10円もらったり、競争して夕食のおかずを増やしてもらったり、など、本当に簡単な子どもではあった(笑)。今、振り返って考えるに、あれもかなりキャパ量を増やすのにいい体験になっており、今でも検品まがいの単純作業などは得意です。タイプなどのシステマチックな仕事は苦ではなく、指がチャカチャカ動くのもこれのおかげですし、読書などの永遠にいつ終わるかわからないような作業もまったく楽しく、つらいことなどありません。

体力ですが、やはり落ちました。子どもの頃は、なぜ、あんなにも跳び廻ったり駆け回ったりできたものなのでしょうか。単純にだるまさんが転んだや鬼ごっこや球技をした日々を考えると、1日に50m走を50本くらいしていたような気がします。小学校に通うだけでも、片道子どもの足で25分はあったし、縄跳びや水泳などを入れたら、一体どれだけになったものか・・・。おなか一杯になるまで食べて、かたーんと寝る日々。私はロクに勉強をしなかったのですが、あれだけ遊んでいたらやっぱり勉強はできなかっただろうなと苦笑できます。

スキーに行ったときには、読書もせず、ただ運転を片道3時間半ほどして、朝の8時から夕方4時くらいまで、お休みなく、滑り続けるのですが、西さんに言わせると2/3以上の時間はリフトに乗っているので、体力をロクに使っているわけではなく、実際の運動は2時間半くらいなのではないかと。確かにそうなのかもしれない。寒さ対策だけしてあれば、それほど体力は使っていないのかもしれず・・・。

それよりもテニスをみっちり1時間半したときのほうが、きっと運動量は多かったのかもしれないです。筋力が発達すれば、それだけ熱量消費もするのに、体力はしっかり上がる。今、燃費がものすごくいい(ということは、太ったので、基礎代謝が多少増えたものの消費熱量がうんと減っている状態)のに、どうして動けなくなったのかなぁ・・・。

新しく始めた教える仕事は、4コマ、6時間~6コマ、9時間ほど、立ちっぱなしなのですが、相当に疲れます。ウェイトレスをやっていた16歳から24歳までは、1日14時間くらい立って歩いていても、翌日筋肉痛になるようなことはなかった・・・。だから痩せていたのだけれども(笑)。

英語学校のほうは、立ったり座ったりしていますが、それでもイチバン長い日には10時間で、立ちっぱなしの新しい塾の仕事よりはずっと体力的にラク。これはやはりブースと部屋という狭さも大いに関係しており、教える内容ではないように思います。立ちっぱなしで動く場所が狭いというのは、本当に疲れることなのでしょう。

冬期講習会が終わったら、やっぱりお仕事は格段に減らしていただこうと思っています。椎間板が2枚なくなっているため、腰痛を呼び起こします。時給も格段に違うし・・・(汗)。

私は小さい頃、自転車に乗るのが上手だったのですが、もう10年以上自転車には乗っていません。キャパは落ちているのでしょうか?やはり体重が増えた分だけ落ちているような予測です。ヘリの操縦のキャパも落ちていると思われます。が、身体を使った技術・能力というのは、少し練習をすれば、取り戻せる確率が高いので、さほど心配してもしょうがないでしょう。ただ、いくつくらいが「元に戻れない体力・運動技能」なのかは、見極めておいたほうがいいのかな、と、近頃思います。

もしも、認知症の症状が私に起きると、今までがんばってきた脳のキャパも減ることになるのでしょう。このキャパの伸び縮みは、とても耐え難い気がします。特に、記憶が失われることにはどうしても耐えられないかと。自分が自分であることを忘れたときには、どうやって生きていけばいいのか、今、ちょっと考えようもありません。いろいろな映画や小説で考えさせられており、学界論文などで新薬の進み具合なども見ていますが、「明日は我が身」と考えようとする自分としては、まだこれについてはスタンスを決めていません。明日突然、認知症になる、ということはないと思うので、まだもう少し時間が与えられているのではないかと思うし、母を見ると大丈夫そうなので、油断をしているのでしょうね。

好奇心に関してのキャパや、他人に対して寛大であることのキャパなども含め、私のキャパは減ってばかりいるわけではなく、増えているものも大いにありますから、Give and Takeなのかもしれません。が、やはり今年は体力をある基準までは復活させたいな、と思っています。血液検査の結果がよかったので、気をよくしてはいるのですが、実際に筋力をアップさせてみたいですねぇ・・・。

みなさんのいろいろなキャパは、今、どんな具合ですか?

01/06/2008 にアップした文章です。

ヒトが持っているCapacity(量で考えるもの)というのは、増える・減ると考えられます。では、一定量や基準量というのはあるのか?モノによってはあるんでしょうねぇ・・・。たとえば感情量。ヒトによって個人差があるのでしょう。感情の量や振幅が大きい人というのは、確実に存在するような気がします。ところが、それを数値化する機会というのは、ごく少ない。私は、この感情量というのが多いと、自分で思っているのですが、これをTame(飼い馴らす)のに本当に時間がかかりました。喜怒哀楽の幅を狭く持とうとしてもみたのですが、これは無理でした。ただ、安定した真ん中をターゲットにしようとするくらいしかできず・・・。

Capacity: n. 容量, 容積; 収容能力; (最大)生産力; 才能, 力量; 資格, 能力 ((to do; for, of)); 立場; ((形容詞的)) 満員の, 許容限度いっぱいの; 【法】権限.
容量:(1)入れ物に入れることができる分量。容器の容積。(2)「静電容量」の略。
収容:人や品物を一定の場所や施設に入れること。
生産力:社会が物質的財貨を生み出し得る力。労働力と生産手段が一定の生産関係のもとで結合して成立する。
力量:(1)力の強さの度合。また、能力の程度。腕前。(2)能力があること。力があること。

ふむふむ。たとえば感情量というのは、体力と似たようなもので、生まれながらにしても違いがあり、さらに育っていく過程でも違いが出てくるものなのでしょう。喜怒哀楽をもたらさない環境に長く身をおけば、ある一定のなだらかな感情だけが見え隠れするようになり、感じたとしても外に表象しないでやっていけるのかもしれません。箸が転がっても笑えてしまうような、若い女の子ではなかったものの、泣くという行為だけは8・9歳くらいから毎日続けており、それが喜怒哀楽のどれからも来てしまうので(楽しいというよりはうれしい、ですが・・・)、それらは私はひとりになったときに行うことにしてきました。トイレやひとりで部屋にいられるときや、自転車や車の運転の最中など。まぁ、たまに電車の中で泣いたりしていますが(読書のせいですね)、他人様にバレないようにしています。しかし、相も変わらず毎日飽きずに泣いていますねぇ・・・。

知性のキャパはかなり無限にある、ということは既に書きました。脳細胞そのもののキャパはすでに算出してあり、平均すると凡人は3-6%ほどしか使わずに死んで行きます。それを1%以上使うように心がけることは、不可能なことではないです。この知性のために使うキャパの量を増やすことが、生きていく私の使命でもあるように考えており、既に記憶した物事を反復して使うのもそのためです。新しいものを仕入れるためには、今まで自分が見たり聞いたりしたことのないモノにも果敢にチャレンジすることが大切であり、物理的に移動してみるくらいの根性が必要です。なので、私は一見損に見えるようなことでも、長い目で見た学習の場になるならば、いそいそと出かけていくことにしています。

私が小さい頃、母が内職をしており、半田ごてや銅線巻きなどはさすがにさせてもらえなかったものの(熱かったり、重量だったり、スピードが速すぎたりするために危険だったから)、仕分けや貼り付けや数えたり、検品のような内職は山ほどやらせてもらえました。1時間我慢して続けて作業して10円もらったり、競争して夕食のおかずを増やしてもらったり、など、本当に簡単な子どもではあった(笑)。今、振り返って考えるに、あれもかなりキャパ量を増やすのにいい体験になっており、今でも検品まがいの単純作業などは得意です。タイプなどのシステマチックな仕事は苦ではなく、指がチャカチャカ動くのもこれのおかげですし、読書などの永遠にいつ終わるかわからないような作業もまったく楽しく、つらいことなどありません。

体力ですが、やはり落ちました。子どもの頃は、なぜ、あんなにも跳び廻ったり駆け回ったりできたものなのでしょうか。単純にだるまさんが転んだや鬼ごっこや球技をした日々を考えると、1日に50m走を50本くらいしていたような気がします。小学校に通うだけでも、片道子どもの足で25分はあったし、縄跳びや水泳などを入れたら、一体どれだけになったものか・・・。おなか一杯になるまで食べて、かたーんと寝る日々。私はロクに勉強をしなかったのですが、あれだけ遊んでいたらやっぱり勉強はできなかっただろうなと苦笑できます。

スキーに行ったときには、読書もせず、ただ運転を片道3時間半ほどして、朝の8時から夕方4時くらいまで、お休みなく、滑り続けるのですが、西さんに言わせると2/3以上の時間はリフトに乗っているので、体力をロクに使っているわけではなく、実際の運動は2時間半くらいなのではないかと。確かにそうなのかもしれない。寒さ対策だけしてあれば、それほど体力は使っていないのかもしれず・・・。

それよりもテニスをみっちり1時間半したときのほうが、きっと運動量は多かったのかもしれないです。筋力が発達すれば、それだけ熱量消費もするのに、体力はしっかり上がる。今、燃費がものすごくいい(ということは、太ったので、基礎代謝が多少増えたものの消費熱量がうんと減っている状態)のに、どうして動けなくなったのかなぁ・・・。

新しく始めた教える仕事は、4コマ、6時間~6コマ、9時間ほど、立ちっぱなしなのですが、相当に疲れます。ウェイトレスをやっていた16歳から24歳までは、1日14時間くらい立って歩いていても、翌日筋肉痛になるようなことはなかった・・・。だから痩せていたのだけれども(笑)。

英語学校のほうは、立ったり座ったりしていますが、それでもイチバン長い日には10時間で、立ちっぱなしの新しい塾の仕事よりはずっと体力的にラク。これはやはりブースと部屋という狭さも大いに関係しており、教える内容ではないように思います。立ちっぱなしで動く場所が狭いというのは、本当に疲れることなのでしょう。

冬期講習会が終わったら、やっぱりお仕事は格段に減らしていただこうと思っています。椎間板が2枚なくなっているため、腰痛を呼び起こします。時給も格段に違うし・・・(汗)。

私は小さい頃、自転車に乗るのが上手だったのですが、もう10年以上自転車には乗っていません。キャパは落ちているのでしょうか?やはり体重が増えた分だけ落ちているような予測です。ヘリの操縦のキャパも落ちていると思われます。が、身体を使った技術・能力というのは、少し練習をすれば、取り戻せる確率が高いので、さほど心配してもしょうがないでしょう。ただ、いくつくらいが「元に戻れない体力・運動技能」なのかは、見極めておいたほうがいいのかな、と、近頃思います。

もしも、認知症の症状が私に起きると、今までがんばってきた脳のキャパも減ることになるのでしょう。このキャパの伸び縮みは、とても耐え難い気がします。特に、記憶が失われることにはどうしても耐えられないかと。自分が自分であることを忘れたときには、どうやって生きていけばいいのか、今、ちょっと考えようもありません。いろいろな映画や小説で考えさせられており、学界論文などで新薬の進み具合なども見ていますが、「明日は我が身」と考えようとする自分としては、まだこれについてはスタンスを決めていません。明日突然、認知症になる、ということはないと思うので、まだもう少し時間が与えられているのではないかと思うし、母を見ると大丈夫そうなので、油断をしているのでしょうね。

好奇心に関してのキャパや、他人に対して寛大であることのキャパなども含め、私のキャパは減ってばかりいるわけではなく、増えているものも大いにありますから、Give and Takeなのかもしれません。が、やはり今年は体力をある基準までは復活させたいな、と思っています。血液検査の結果がよかったので、気をよくしてはいるのですが、実際に筋力をアップさせてみたいですねぇ・・・。

みなさんのいろいろなキャパは、今、どんな具合ですか?

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