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プロ野球シーズン開始

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04/07/2007 にアップした文章です。

 

子どもの頃は、娯楽ってぇもんがあまりなかったので、プロレスと野球は追いかけていたものなのですが、大人になってからは、「うーん、なんで好きだったのだろうか?」と思えてしまうほどに、どうも味気なく感じているところです。特にプロレスは、格闘技というジャンルで進化を遂げ、いろいろな格闘技タイトルがあり、どうもそれを把握するのが面倒くさい(笑)。私は、腕力自慢だけの男は軽蔑するし、やはりどんなジャンルで活躍していても、「一芸に秀でていればどんなことでもこなせる」という自信を持った人間が好きなのです。野球にしても同様で、アレでごはんを食べていける腕には心腹しますが、人としての節度が足りない人も多くなったように感じてしまうのは、みんなきっと同じなのかもしれない。それが証拠に、イマドキ風ではない、きちんと折り目正しいハンカチ王子が流行ったしさ・・・。

我が家は東京都下にあったので、巨人戦はいつもTVで見ることができ、単純な弟は、40歳を過ぎた今でも、巨人ファンです。彼自身が野球を中学からやるようになり、推薦入学での高校からのスカウトを蹴り、高校からグレたのですが、見事?に大学にも入り、留学も1年だけして、今じゃ、雇われといえども社長になりました。同期近辺の調布市で野球をした人は、11人もプロになりました。彼は、関東大会で、MVPをもらったことがあるので、たいへんに悔しがり、今でもたまに「親父が高校での推薦入学を許可してくれていたらなぁ」などとぼやくことがあります。父が、推薦入学を断った理由は、前年や前々年にスポーツ推薦で入学し、ロクに勉強もせず、野球浸けだった少年が、ケガをした途端、グレたり、道を見失ったりというところを見ており、父の持論では、「好きなのであれば、向いているのであれば、実業団に入ったあとからだって、プロにはなれる」というものでした。それもまぁ、チャンスを掴むということにあんまりにも重きを置いていないにしろ、私は、弟が家出をしてでも推薦を受け、寮にでも入ればよかったのではないかと思っていたのです。15歳であっても、人生の選択肢決定権は自分にあるのだ、ということを、意識できなかった弟が、今でもたまにぼやくのは、自業自得だと考えています。

父は、幼少の頃、本家の次男だったがために、別家に子どもが生まれなかった理由で、養子に出されています。そこは宮大工をやる稼業を細々としており、中学を出た父は、名古屋まで行き、修行を開始します。ところが、別家に子どもができたので帰されてしまい、仕事も辞めて、ひとり東京に出てくることになるわけです。その頃の名残なのか、父は中日ファンでした。

そして、母は、野球のルールすら知らない人だったので、TVで野球が中継されていても、何度見ても、どうしても何もわかっていなかったようだ・・・(汗)。今でもそれは同じで、私が野球を見ないことにたいへんに感謝しているようです(爆)。

そして私は、中継を見ていると、「どちらか片方」を心の中で選んで応援はしているものの、子どもの頃から冷静なイヤ~なやつだったようで、熱を入れて意気に感ずるようなことがなく、プロレスでも同じで、沸点を超えるほどの情熱はたまにしか持てないほどで終わってしまいました。なので、どこが好きだとか、誰が好きというのは、あまり強くなく、チームは本当にどこでもよかったし、長嶋以外はすべて同列程度だったのかもしれない。今、冷静に考えると、誠にオソマツな熱の温度だったようです。弟が野球をやっていたことで、無理やり、彼をサポートするために、「私も野球は好きだ」と思い込もうとしていたところがあり、意外や意外、私もやっぱり日本人なんだなぁ(爆)。

けれども、その後も、心のどこかで野球を気にしていたようで、野球には縁があります。中学のときには、通学路に面しており、中学のほんの数軒手前に、島岡御大率いる明治大学野球部の練習グラウンドがありました。この人はすごい人だったので、遠目で見ていてもオーラを感じたことを憶えています。震えるくらいだった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B2%A1%E5%90%89%E9%83%8E 私の年代だと、高田繁・星野仙一・土井淳の三羽烏の頃に、3年ほど遅れての見学となっています。

さらに、私がバイトを4つかけ持ちしていた頃、最もなかよくしてくださった紳士は、プロ野球球団のオーナーであった♪神宮にはしょっちゅう連れて行っていただき、なぜかその途中、日本ハムの社長と選手たちともごはんを食べる成り行きともなったのだった。あやしい恋愛めいたことも、プロ野球選手とあったのですが(笑)、私はどうしても村田兆治伝説のような、ものすごい内助の功を信じており(水の種類は入浴用・炊事用・飲料と3種とか、おかずの品目30種とかね)、どうしても自分にはできないと思い、発展などはしませんでした。弟の同級生が、渡辺と結婚したのですが、けっこうたいへんらしい・・・。

そののち、アメリカに渡ってから、髪をずっとお願いすることになるまき子さんは、日本人初のフィジカルセラピーのドクターを持つ、だんな様を持ち、ミスター長嶋が復帰したと同時に、日本に戻り巨人軍で活躍することになるわけです。まき子さんのだんなさまは、アメリカの大リーグで3季も専任トレーナーをした経験上、日本のプロ野球を「もっと科学的に」を実践した、貴重な人材です。ご自分も早稲田から巨人軍に入り、そののち肩を壊して、長嶋の後押しで留学をしたのです。まき子さんは、横浜に美容院を持つやり手で、今でもアメリカと日本を行ったり来たりしている先生ですが、50代になってもNew York, Paris, Londonなどなど、ヘアショーにしょっちゅう行っている。

そして、アメリカで、私も本場の大リーグを見ることになるのですが、どうも、やはり、野球というのは、ピクニックみたいなもんだ、という結論に達してしまうのでした。梶原一騎のせいだったのか(『巨人の星』)、根性ばかりがアピールされたスポーツに嫌気が指していたのもあり、水鳥のような誰にも見えない努力を続けた、すばらしい選手は、同時に存在がエンターテイメントそのものでもあるということを、アメリカでしっかり実感したのです。試合が始まる前に、球場の駐車場で、月に1回以上は必ず、子どもたちを対象にBBQをやります。選手たちが焼いてくれたハンバーガーやフランクフルトを、子どもたちはそりゃーおいしそうに食べるのです。食べるのがもったいなくて、じっと手に持ち続けている子もたくさんいて、それはそれは憧れの的なのです。日本でも、巨人であれば読売ランドなどで、ファンとの親睦会のようなものがありますが、年に数回あるんでしょうかね?各地でやっているんでしょうかね?ダウトです。アメリカの選手でプロに徹している人々は、自分の私生活はほぼ語りません。ベッカムのような人ばかりじゃーないんですよ(笑)。

その横で、私はビールを片手に(球場のビールってすごい高いんだ。スーパーでバドワイザーを買うと1本80円のときだってあるのに、球場だと600円くらいに跳ね上がるのだ。場所代だね)、普段は一切食べないジャンクフードを食べるのです(笑)。いやー、ピクニックだよ。応援もマチマチで統制がなく、たまにWaveをやるくらいで、みんな好き好きに叫んでいますし、かわいい子どもたちやきれいなお姉さんは、球場の大スクリーンに大写しされます。Kiss Camというのがあって、カメラがカップルに向けられると、気づいたカップルは画面に映っているあいだにキスしなければならない、というおもしろい掟があり、それを見るのも楽しいのは、ビールのせいなんでしょうかね?(笑)

私がごひいきだったのは、San Francisco Giantsでした。なんたって、Bondsだ。見に行った試合で、危うくサイクル達成だったのですが、2塁打が足りなかった(爆)。でも、ホームランが見られたのでよかったです。野球観戦はいいよ。ホッケーみたいに神経を張り詰めていなくても、動体視力を駆使していなくても、キラクに見られるし、アメフトみたいに作戦を考えたり、スコア計算をパチパチやらずに済む。ただ鷹揚にのんびり構えて、バッターボックスに立つ選手をまんじりと眺めて、守備の鮮やかさを楽しむ。ただし、日焼けがすごいので、シート選びは慎重にせねばならぬ・・・。酔っ払うと、そこで眠ってしまいたくなるほど、うららかで楽しいのが野球、と、私はすでに決め込んでいます。

小さい頃、父と弟が巨人-中日戦で反目していたのは何だったんだろう?(笑)松坂選手がRed Soxで大活躍するといいなぁ。きっと彼には、大リーグの風が性に合うに違いない。

 

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