たぶん段階的に心理は分かれていると思うのです。
確信的に収集している
ブツの一部は確信的に収集しているのだが、決めていなかった他のアイテムまで積み上げられてしまった
とてもじゃないけど掃除そのものが嫌い
部分的にやっていたのに追いつかなくなってしまった
くらいの段階で、その合間あいまに、少しずつまた小さい目盛りが来るんじゃないかと。たとえば、2.の場合、最初にアイテムを決めていたにも拘らず、増えてしまったので「あ、じゃぁ、コレも集めちゃおうかな・・・」というような。
しかもゴミ屋敷というのは、主観的な問題が最初は来るんだろうと思うのです。物理的・生物学的なな崩壊を憂慮される状態になるまでは、けっこうな長い時間が掛かることもあるし、機密性が高ければ、ごくごくわずかな人々しか気づけないわけなので、「認知のクセ」というのが大きいです。
いわゆるモノに執着する人々の気持ちというのは、心で得られないものをモノで補完している傾向が強いです。モノに触れていれば、所有しているだけで、その穴が埋められるような気持ちとしている部分で済んでいればいいのですが、さまざまな心の作用が重なり、原因となる認知が全体的に歪むことにより起こり得ます。
逆にゴミだとわかっていても片づけられない、というモノには執着していないのに、次々に積み重なってしまう場合もあることでしょう。
そしてゴミ屋敷になってしまう前くらいから起き得ている内面の変化は、
自己放任…セルフネグレクト
行動嗜癖…買い物(ショッピング)依存症など
自己防衛…動物でいう巣作り
喪失感…死別・離婚などによる
愛着心…捨てるのはかわいそう・もったいない
罪悪感…助けてもらうのは悪いと考える
この6つのエリアに歪みが出てくるからなのだろうと思うのです。
私も猫�さくらを失いましたので、この6つの気持ちは部分的に軽度には体験しましたし、今後もあるのかなぁとは思っており、それでもゴミ屋敷にまではならないと確信しています。
自分を放棄してしまい、好きに自由にしながらも長い目で観ると悪い方向に進ませている状態というのは、よくあることです。が、それに気づき、踏みとどまることが毎日試されていると言っても過言ではないです。イヤなことは日々起こり得ますからね。
セルフネグレクト:成人が通常の生活を維持するために必要な行為を行う意欲・能力を喪失し、自己の健康・安全を損なうこと。
が、ここでもカウンセリングが浸透していないため、救われるチャンスが低く、家族や近い人が気づけない限り、自分で気づくスリムなチャンスに頼るしかなくなり、いつか生き延びることはできても、ゴミ屋敷になってしまうことはありそうです。
この6つのエリアをたくさん・重度に重ねてしまうと、ゴミ屋敷ができあがるのでしょうね。私の知り合いやこれまでカウンセリングをした人に、軽度の「買い物依存症」の人はいましたし、片付けが下手な人はいましたが、ゴミ屋敷寸前で踏みとどまっていました。カウンセリングに行こう!と思えるだけ、やはりまだまだ健常な部分がたくさんあったのです。
自分をいつも見つめる目を客観的に日々することで、少しでも手前に位置できるように、祈ります。
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