日本でも始まったか、保育園の虐待問題 その1

07/08/2008 にアップした文章です。

社会の流れを見ていくというのはかなり興味深いものです。しかも、歴史や文化人類学や社会学や女性学などのテキストで見られるのではなく、ライブで生々しく、自分が生きているうちに見られるというのは、楽しいことです。実は自分の周りの出来事についてはみんな見ていることなのだけれども、興味がないがゆえに見落としているし、たとえ見ていても軽視しているので、『ひとりひとりが歴史の証人』というような、実感は湧いていないのですね。私にとっては、当たり前の出来事ではあったのですが、日本ではたいへんなことであり、ワイドショーでコメンテーター談によると、法令が整備されていないことも判明。そうなのか・・・、口がまだ利けない子どもたちを預かる保育園現状は、まだまだモラルで整備されていたのか・・・、それが崩れていこうとしているのか・・・と、物悲しい気持ちにもなったのでした。


栃木県宇都宮市の保育園について、市議会で6月から討議されていた議題。

口の利けない子どもたちを預かるというのは命がけなのだ、という反面、オーソドックスで昔からあるものから、欧米化で発達した商業化したものまで、いろいろあるのです。「親が働いているときには兄弟が分担して年下の面倒は見る」「子ども同士で遊んで面倒を見合う」「時間や場所を配慮して、近所の子ども(20歳以下)に安価にて支払い面倒を見てもらう」「資格がない大人に面倒を見てもらう(金銭とサービスの交換の有り無しは場合により)」「資格がある大人に面倒を見てもらう」と、かなりな段階があるのです。

核家族化という単語に惑わされてきていますが、実際のところ、日本では江戸時代からこっち、ずっと核家族の割合のほうが多かったのです。1920年代ですら、すでに55%もあり、急激に1970年代にその数は増えたものの(64%にまでになる)、ここのところは二世帯住宅やUターン・Iターンなどがあったり、物価上昇や環境問題や就労問題などがあったり、未婚の成人である子どもとその親が一世帯に含まれる割合というのは、数値的にドラマチックに変わっているわけでもなく・・・。現在は60%弱になっているようです。核家族は昔から多いのでした。

ちなみに核家族の定義は:
1. 夫婦とその未婚の子女
2. 夫婦のみ
3. 父親または母親とその未婚の子女

やはり、結婚の高齢化というのがこれを助けており、むしろNEETやパラサイトシングルに代表されるような、核家族形態というのがアピールされすぎているのが、どうも核家族が多いというイメージを助長したり、高齢者夫婦の社会から孤立した暮らしが目立つせいなのでしょう。

生産性を追求する資本主義社会を選び取った世界のトレンドの中で、日本もそれに鈍感でいるわけにはいかず、女性の社会進出は、アメリカの60年代後半から70年代にかけてのWomen’s Liberation Movement(ウーマンリブ運動)に影響され、遅ればせながらも女性の就労者は増えてきました。ところが、いつまで経っても、女性就労者のパートタイムや派遣労働者の数のほうがずっと多く、正業として登録される数は増えなくなっています。

生物学的な要因として、女性以外には授乳が困難だというのがあり、妊娠・出産そのもので、キャリアが一時停滞してしまう現状が手伝い、少子化もドラマチックに進みました。ハリウッド映画の 9 to 5 では、Jane Fonda, Lily Tomlin, Dolly Partonが、アメリカのその当時の現状を不満に思った3人の女性をおもしろおかしく描いていますが、それが1980年のストーリーです。とにかく不満だらけなのがよくわかる・・・(笑)。

28年前、アメリカではすでに、自社に託児所を設けるという発想がありました。それくらい、女性の社会進出が前向きに行われていたわけです。さらに、フレックス導入は、満員電車の緩和や生産性追求だけではなく、家庭も仕事も充実して、という建前をしっかり守ろうとしていた顕れになっていました。私がアメリカに住んだ1988年から2006年まで、「専業主婦は一部の富裕層の贅沢」とされており、夫の収入が1000万を超える家庭の妻ですら、働いていたのを見て、はじめはびっくりしたものです。ですから、国や行政を挙げて、そのシステムが機能するように、かなりのスピードを以って動いたことは明白です。

移民の国であるアメリカでは、個人主義という思想を採って来たこともあり、「近隣への頼みごと」をする気持ちの煩わしさや、情熱や時間のかかる投資を強いられる人間関係を奨励することなく、選択肢が多くなるために、お金を払う気持ちになれてそのゆとりがある人には、Daycareというプロが増えるための資格制度を増やしました。乗じてそれを商売にする女性も増えて、女性の味方は女性という構図ができ、幅広い選択肢の中から、自分のライフスタイルに合った子どもの預け方と働き方ができる土台ができたわけです。

ところが、そこは人間のやることですから、「腐ったみかん」はたくさんあります。移民の国なので、安価で子どもの面倒を見てくれる人を見つけるのは容易く、子育ての概念の違いから、たくさんの事件が起きました。あるいは、子どもを四六時中、しかも他人の子どもを見るというストレスから、虐待事件もかなりの数が起きたのです。殺人にまで発展したこともありました。事件が起きるたびに法令がさらに強化されて、今日に至ります。そのおかげで、近所の子どもたちに頼んでいた「うちの子の面倒見てね」というBaby-sittingも減り、大学生くらいにならないとお小遣い稼ぎができないことになっています。家庭で、親が依頼するBaby-sittingに関する法律はありませんが、資格がある人や営業所に課しているものは多く、その普及のせいで、親の意識もあがり、近所の子どもたちに頼むことが危険を孕むという判断をしたからなのでしょう。選択肢の幅は残してあるので、やりたい人はやればいいわけです。

江戸時代から1970・80年代くらいまでの日本でも、お隣の奥さんにちょっと子どもを預けるだとか、近所でみんなで遊んでいるからそこに座らせておいてね、と頼んで、買い物くらいであれば行けたんですよね。いつのまにか、公園デビューが流行したり、幼稚園のお受験まで流行したり、少子化そのものにくっついてきた現象というのもたくさんあります。

私には子どもがいませんが、私は自分の子どもを大人以外の人に面倒を見てもらうおおらかさがあるのだろうか?とふと考えてしまいました。私にはなさそうだ・・・。ネコですら、Cat sitterを雇ってお金を払う責任で契約書まで書いたのだから・・・。いや、ネコは私の子どもみたいなものですからねぇ・・・。ネコたちは、半日くらいまでなら、彼らだけでも過ごせるところが、子どもと違っていいところなのですが・・・。

明日は、もうちょっと詳しくプロによる虐待について書きます(久々のシリアルモノだなぁと感慨深いです・爆)

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